教訓、十八。惚れている人の目を覚まさせるのは困難。 7
2025/05/26 改
のっけから意外な展開になったので、ベイル達は作戦を練り直した。
まさか、いつも落ち着いているモナが、激昂するとは思わなかった。意外だったが、内心、ベイルはほっとしていた。いつも、飄々として人を食ったような態度しか見せてこなかったモナが、人間らしい一面を見せたのだ。これも隊長のシークの人柄だろう。
よほど、出身地で判断されなかったことが嬉しかったらしい。給料を盗んだ犯人にされかけて助けて貰ったことを、そこまで恩に感じているのだ、と分かっただけでも良かった。
作戦は、トゥインに鎌をかけさせるとか言っている場合ではなくなった。
ロルがモナと一緒にメルの元に行き、知らぬ顔で指輪はこれか? と針金の輪っかを見せる。そして、彼女がどういう反応を見せるか確かめる。
メルはその後、行動を起こすはずなので、その後をロモルとベイルがつける。メルがいない間に彼女の同僚達に、メルがどういうことを日頃から話しているか、聞き出すことにした。そういう役目にトゥインが向いているだろうと、ベイルはその役割を彼に任せることにして、モナとロルは頃合いを見て、彼女の仲間がいないか探す役割に入る。
領主軍の誰かにいるだろう。接触しようとメルを探しに来るかもしれないし、ロルやモナ達を見張りに来るかもしれない。そういう存在は間違いなく、仲間である。侍女や侍従にもいるかもしれないので、見落としがないようにする必要がある。
人手も足りないので、一度ベリー医師に事態の展開について話に行った。医務室は今、ベリー医師が一人で使っている。
「失礼します。」
ベイルが入っていくと、薬を調合するため乳鉢を抱えていたベリー医師が顔を上げた。
「あぁ、どうしましたか?」
「ちょっと、意外な展開になりまして。それに、ご相談もあって来たんです。」
「えぇ、どうぞ。」
ことの経緯を説明し、フォーリに協力を得られないか聞いてみる。
「いえ、フォーリを今、若様の側から離してはいけません。嫌な予感がするんですよ。嵐の前の静けさというか。」
「じゃあ、どうしたらいいんでしょう?」
「私がレルスリ殿にお話ししましょう。その際に一緒に来て、状況を説明して下さい。レルスリ殿は、決して話が分からない方ではありませんので。」
「それは分かります。」
「あなた方が速やかに行動して下さっているので、助かります。それで、その印章はどういう模様だったんですか?」
印章の印を押した紙を持っていたので、それを広げて見せた。
「なんでしょう? 見たことがありません。マウダに似ていますが、少し違います。」
「そうですね。マウダはハヤブサと蘭をかたどった文様です。それに対して、これはヤマブドウと葛、そして、樹木に寄生する蘭をかたどっています。」
さすが、カートン家の医師は植物に詳しい。
「つまり、その指輪の印章は、植物の種類が分かるほど精巧に作られているということですね?」
「そうです。何かの合図か印か。そういった所でしょうな。」
ベリー医師は紙を返すと、薬の調合を途中でやめて乳鉢に蓋を被せた。
「先生、大丈夫なんですか? 成分が変わったりしないんですか?」
ベイルが少し驚いて尋ねると、ベリー医師は軽く笑った。
「少しくらいなら、大丈夫です。さあ、それよりも急ぎましょう。善は急げと言います。」
ベリー医師に背中を押され、ベイルは一緒にバムスの部屋に行った。彼はまだ領地に帰っていない。ベリー医師が事情を説明し、ベイルも状況を話して、発見した小道がどこに続くか探って欲しいと頼んだ。
「…なるほど。ちょっと待って下さい。」
バムスは言うとサミアスを呼び、ベイルが発見した裏庭の小屋裏から続く小道について尋ねた。
「それなら、下の村に続く道に出ます。」
さすがニピ族は気が付いて、すでに確認していたらしい。
「それにしても、よく気が付かれましたね。巧妙に気づきにくいようにしてありました。」
サミアスが感心した。国王軍は街の警備も担う。シークは真面目なので、一切の任務に手を抜かず、草ぼうぼうの空き家などそういう所ほど、悪者の拠点になっていたりするので、きちんと見回った。そうして、獣道のような人が使う道を発見するのが、自然と上手くなったとベイルが説明すると、バムスは頷いた。
「なるほど。だから、あなた達が偽金作りの拠点を暴くことができたんですね。よく発見したものだと感心していました。
誰も気づいていなかった。大商人の屋敷跡で偽金を作っているとは、誰も思っていなかった。それをよく見つけ出しました。おかげで、国家の信用を落とさずにすんでいます。金貨や銀貨の価値が下がると大変ですから。誰かが目先の利益のために、愚かなことをしていたものです。」
ベイルは、そういう事件まで全部把握しているらしい、バムスの方に驚いていた。
「その事件まで知っていたんですか?」
「もちろんです。騒ぎにならなかっただけで、本当は大事件です。偽の手形まで作っていて、高利貸しや銀行が軒並み被害を被る所でした。その事件を暴いたのが、街の警備をしていた国王軍だったというのは知っていましたが、あなた達だったとは思っていなかった。先日、ティールで調べ直して確認しました。」
わざわざ調べ直したとは恐れ入る。しかし、なぜそんなことをしたのだろう。
「…ティールで調べ直したのですか?」
「ええ。サミアスが、あなた達だったはずだと言ったので気になりましてね。」
なるほどと思いながら、ニピ族はみんな記憶力が高いらしいとベイルは学んだ。フォーリだけではないようだ。
「それで、どうして空き家で偽金作りをしていると気が付いたんですか?」
なぜか偽金作りの話になっているが、仕方なくベイルは答えた。話した方が早く本題にたどり着けるだろうし、特にバムスやシェリアが無駄に何かを口にしないことも、学んだと思う。
「実はその、大商人の屋敷跡近くに痴呆のお婆さんが住んでいまして。毎日、巡回していればどこに誰が住んでいるかも、おおよそ把握します。
そのお婆さんが…隊長のことを若かりし頃の恋人だと勘違いしていたんです。毎日、出てきて隊長にまとわりついて困っていたんですが、毎日、そこに怪しい者達が夜中に出入りし、偽金作りをしていると訴えるんです。
普通だったら、痴呆のお婆さんの言うことですから、取り合わないと思いますが、隊長はもしかしたら本当かもしれない、と調べることにしたんです。」
「そうしたら、本当だったと?」
「はい、そうです。」
なるほどと言いながら、どこかおかしそうにバムスの口元に笑みが浮かんでいる。
「…それで、私達はほかに何を手伝えばよろしいでしょうか?」
「はい。その小屋の裏の小道を見張り、そこを通るのが何者なのか調べて欲しいんです。」
「分かりました。ちょうど、仕事も一段落して、退屈していたんです。お手伝いしましょう。」
今も何か書き物仕事をしていた素振りだったが、そんなことを言っている。きっと、その様子からしても言動からしても、バムスは仕事ができるだろうと、ベイルは思った。




