教訓、十八。惚れている人の目を覚まさせるのは困難。 6
2025/05/25 改
だから、ロルはその場面を目撃されていたと思い、激情に駆られて怒鳴った。
「彼女はそんなことしない…。そんなことをするわけがない…! お前にそんなことは言われたくない…! お前に分かるか! それに、そういう話だったら、隊長にだって言われたくない! 隠したって分かってるさ! ここの領主と誘われてそういう関係になったって!」
ロルが言った瞬間、モナの表情が変わった。見たことがない形相で、ロルの胸ぐらをつかむと小屋の壁に突き当たるまでロルの体を押し続けた。ドンッと背中から壁にぶち当たる。ロルの息が一瞬、詰まった。
「違う! お前は何も分かってない! 隊長は、俺達全員の命を助けたんだぞ! あの日、あの晩は…俺達は全員、死ぬところだった! 隊長が助けてくれなきゃ、今頃、全員、死んでたんだ、馬鹿!」
モナの必死の形相と、彼の言っている意味が分からなくて、ロルは混乱した。シェリアがあからさまに、自分達の隊長に気があって誘っているのは、分かっていた。それが、なんで自分達の生死と関係があるのか、全く分からなかった。
「……わけ、分かんないこと、言うなよ。」
ようやくロルはそれだけを言い返した。
「分からなくても、大貴族がそれだけの力を持ってるってことは理解しろよ…! 一筋縄じゃいかない連中だ…! そして、大貴族は指示の意味すら分からない女を雇わないし、雇ったとしても何か思惑があるからだ。ここは隙の一つも見せられない場所なんだよ…! 侍女の誘いに乗って、そういう関係になってる場合じゃねえんだよ…!」
「……お前。」
モナの鬼気迫った形相が本気であることを示しており、ロルもモナが嘘を言っているとは思えなかった。
「…俺は、絶対に隊長を死なせたくねえ。だから、どんな手でも使うぞ。」
モナの低い声にロルはぎょっとした。殺気を含んだ冷たい声だ。今までこんな声を聞いたことがない。
「…死なせるって。そんな大げさ……。」
「大げさじゃない。全く、大げさじゃねえよ…! 下手したら、隊長は殺される! この間の事件だって、隊長が一人になるように仕向けられてた! 間違いない! セルゲス公である若様と隊長を、確実に殺したがっているんだ。
たとえ、今、親衛隊を隊長がクビになったとしても、殺そうとした事実を隠すために、隊長には刺客が送られるだろう。やめても、やめなくても殺される。
だったら、隊長は親衛隊であった方がいい。親衛隊の方が一個人よりも確実に、対処できる力があるからな。だから、隊長が親衛隊をクビになったら、駄目なんだ。分かるか? 俺達が隙を作ってどうするんだって、話だよ…!」
ロルもようやく、モナの話が分かって思わず全身をブルリと震わせた。大体、モナは探索方だ。そういうことにおいては、信用できた。彼の推理力に勝てるのは、ロモルくらいしかいないことは分かっている。
「分かったなら、メルって女を信用するな。あの女は何を企んでいるか分からない。」
だが、そう言われても惚れている女は駄目だと言われて、はいそうですか、と言えるわけもなかった。
「…でも、まずは本当にメルが悪い女かどうか、確かめさせてくれよ。彼女は悪い子じゃない。きっと、何か事情があるに決まってる。だから、私が聞くからそれまでは待ってくれよ。」
「お前が直接確かめるのは、駄目だ。俺達が話を聞き出すから、お前はそれをこっそり見ていろ。お前の姿がある限り、ちゃんと言わないかもしれないだろ。譲歩できるのはこれだけだ。これ以上の我がままは許さない。一人で動くのも許さないし、メルにも一人で会うな。俺かハクテスか、副隊長と必ず行動しろ。」
一方的に言われて、ロルはさすがに腹が立った。
「なんだよ、上司でも……。」
「…悪いな、オスター。三人で調べていたから、盗み聞きするような格好になってしまった。私が許可する。」
ベイルとロモルが隠れていた藪と木の陰から出てきた。
「…副隊長。」
「お前の気持ちを踏みにじるようで、すまない。でもな、オスター。勤務先で侍女とそういう関係になった場合、謹慎か場合によっては停職だろう? その上、隊長の言ったことも無視した。なんでだ?」
「……。それは…。」
ロルは口ごもった。
「もしかして、隊長が見た目にはノンプディ殿とそういう関係になったように見えたから、自分もしていいだろうと思ったのか?」
ロルはうつむいた。
「さっき、スーガが言ったことは本当のことだ。隊長は命がけで私達を守ってくれた。大街道の事件でティールに戻った時、小耳に挟んだと思うが、隊長の従兄弟達が隊長に濡れ衣を着せる大事件を起こした。
あの日のことは、それに関係する。隊長が真面目な人でなかったら、私達は今頃、墓に入っている。どういう経緯で死んだのかも、家族には知らされないまま、不名誉な死を賜っていただろう。」
ベイルはロルの肩を叩いた。
「隊長は別に人を好きになったことを咎めたりしていないはず。ただ、私達は前よりも一層、気をつけなければならない立場にいるということ。スーガの言ったことは大げさではない。」
「…すみません。」
ようやくロルは謝罪を口にした。
「謝らなきゃいけない相手は隊長だ。」
「…はい。後で謝りに行きます。」
ロルは涙を堪えて言った。
「ところで、オスター。メルは指輪を持ってきて欲しいと、お前に頼んだのか?」
「はい。」
「他にはなんて?」
「………そのう…。」
物凄く言いにくそうにしていたロルだったが、三人の目がロルに向いているので、とうとう口を開いた。
「…逃げようって言われました。その指輪を持ってきたら、逃げようって。」
三人は思わずロルを凝視した。
「それでお前、一緒に駆け落ちするつもりだったのか?」
「実はさっきまで、そう思っていました。」
「馬鹿だなぁ。持っていったら、お前、そこで殺されたぞ。」
「え!? め、メルはそんなことはしない。」
モナに抗議したロルだったが、さっきより勢いはない。
「少なくとも俺だったらそうするな。本当はお前と別れた後で、その指輪を回収するつもりだったんだろうけど、思わぬ邪魔が入った。しかも、隊長が疑っていると分かって、すぐに行動するつもりなんだろう。」
「一人じゃなく、仲間もいる。誰かと相談しているのか、あるいは報告しているのか。」
ロモルも冷静に言っているので、ロルはしゅんとしてしまった。ロモルの方が隊員として長いので、モナよりも信用があったのだ。その彼もメルが疑わしいとふんでいることに衝撃を受けたのである。
「オスター、みんなお前のことが嫌いなわけじゃない。お前に傷ついて欲しくないだけだ。ベリー先生も心配していた。」
「…べ、ベリー先生がですか?」
ベイルは静かに頷いた。
「宮廷医が…しかも、カートン家は二百年も絶え間なく、宮廷医を輩出している。そのカートン家がセルゲス公である若様の宮廷医に選んだ人だ。分かっていると思うが、若様専属の医師をするのは、並大抵のことではない。医術の腕はもとより、刺客も来るからそれに対処でき、政治的な判断もできなくてはならない。
そんな人がメルは黒だと判断した。だから、私はこの件は速やかに対処するべきことだと考えた。」
ロルはベイルの顔を凝視した。ここでベリー医師の話を聞くとは思ってなかったのだ。
「ベリー先生はたぶん、お前よりも隊長のことを心配していると思う。だから、私達に自ら進んで事件を解決するよう言われたんだと思う。」
「じ…事件なんですか?」
「もう、始まっていると思う。ここに来て二ヶ月は経っている。準備する時間は十分にあった。問題はこっちの準備が十分でないことだ。」
ロルはうつむいた。自分がいかに愚かなことをしてしまったのか、分かってしまった。そして、モナやロモルに自分は足下にも及ばなくて、ただ、なんとかついて行っているだけの平の隊員なのだ。
頭ではメルは駄目だと分かったと思う。でも、そう簡単に受け入れられなかった。好きなのだ。生まれて初めて女性に誘われた。話してみればいい子で、夢中になっていた。気が付けばいつも彼女のことを考えていた。彼女のことしか考えられなくて、初めて女性とそういう関係になって、嬉しくて舞い上がっていた。
だから、否定されればされるほど、認めたくないのだ。初めての人がそういう腹黒さで近づいた人だと、思いたくなかった。
恥ずかしさと否定したい気持ちが混じり合い、ロルは顔を上げられなかった。




