教訓、十八。惚れている人の目を覚まさせるのは困難。 1
2025/05/23 改
パーセを出発してから、何事もなく旅は進んだ。ベブフフ家の所領のヨヨに着いても問題なかった。おそらく、バムスも一緒だかららしい。
「おそらく、バムスさまも一緒だからですわ。あのお方、わたくしのことを馬鹿にしているんですの。きっと、一緒に寝たくないとお断りしたからですわ。」
なんとも言いがたいことをシェリアはぼやいていた。
ヨヨを過ぎて、パーセ川を下り川下の街シュリツに到着し、そこから船でアリモにまで到達した。
サリカタ山脈の突端というか端の麓部分にある、なだらかな平野部と広がる森から繋がる山脈に向かってノンプディ家の所領はある。海からサリカタ山脈の壮大な姿と、最高峰の一つサタラア山を望むことができる。山頂はいつも見えないのだという。
シェリアは若様の体調を考えて、アリモからさらに郊外の別荘にそのまま案内した。そこに若様がすぐに療養できる全てを整えてあった。アリモのシェリアの本宅とも離れすぎていないので、連絡もしやすい。人目にもつきにくいので、良い場所を選んであるといえた。
とりあえず、移動中は何もなかったので、ほっとしてザスから借りた四部隊を返した。だが親衛隊には、ほっとしている時間はない。
別荘に到着する数日前に、シークはシェリアに別荘の見取り図や設計図を見せて欲しいと頼んだが、持ってきていない、ということでアリモに入ってから、本邸宅と連絡に行ったリブスが持ってきたようだ。
それらを書き写していいか確認して、別荘に到着してすぐに部下達に書き写させる。
その一方で、シークは部隊を半分に分けて、一つは若様を護衛する班、もう一班で屋敷全体を把握する班に分けた。交互に屋敷中を巡って、何があるかを確認する。書き写していた部下達が持ってきた設計図を、原本と見比べて確認し、ベイルや他の者にも確認させ、原本を返す。把握するところは地下室の物置から、屋根裏部屋まで全てだ。
そうこうしている間に、二、三日はあっという間に過ぎ去った。若様の体調をみて、ノンプディ家の若様を迎える宴会が行われ、それらも無事に終わった。
二ヶ月が無事に終わった頃、シークは侍女・侍従達の様子に異変を感じるようになった。
最初の頃は、緊張していたのか遠慮がちだったのが、だんだん若様やフォーリ、そして自分達親衛隊に対して、興味本位の目線を向け始めた。侍女達はあからさまに色目を使ってくる。
そして、愛らしい姿の若様に対する視線が不躾になってきた。見とれるのは分かる。だが、これはまずいと思い始め、シェリアに注意して貰おうと思いつつ歩いていた時、裏庭の小屋の裏から人の気配がして、気をつけながら近寄った。
「…んねぇ、もっとしてよ。」
「…待てよ、隊長にバレたら…まずいからさ。」
「んもう。…あんたの隊長さんって…強いの?」
「…はは、強いに…決まって…んだろ。」
「…ほんとに? …名前からして…十剣術の…ヴァドサ流……でしょ?」
シークは思わず頭を抱えた。口づけを交わしつつ、いたらんことをしている気配がする。侍女の誘惑に負けたらしい。
「……。」
堂々と裏に回って静かに立ったが、二人はすぐに気づかなかった。
(オスター…お前か。)
ロル・オスター、サリカン人の隊員だ。声でおおよそ誰かは分かったが…。シークが少し殺気を飛ばすと、さすがにロルがはっと振り返り、右横を見てシークがいるのを発見し、慌てた。
「…んもう、何よ。なんで……きゃっ。」
侍女も文句を言おうとして、気が付いた。
「…たた、た…隊長!」
「とりあえず、二人とも服を着ろ。逃げようなんて馬鹿な考えは起こすなよ。五十数えるまでに出て来なかったら、問答無用で軍規違反で処罰する。」
静かに怒りを抑えて二人に言うと、とりあえず物置小屋の表に回る。そして、ゆっくり大きな声で数を数え始める。五十数え終わる前にロルが侍女を引きずるようにして、出てきた。慌てたため、とりあえず服を着ている状態だ。
ロルは蒼白になっている。とりあえず、ロルは後で罰するとして、先に侍女の名前を聞くことにした。
「名前は?」
「…え?」
「だから、名前だ。」
ロルが慌てて侍女に名前を言うように促す。
「…あ、名前は、メル・ビンクです。」
女性はある意味、男より強いかもしれない。一時の驚きが過ぎ去った後、メルはちらりと上目遣いにシークを見てきた。まるでそうすれば、許して貰えるとでも思っているようだ。
「何の仕事をしている?」
「調理場です。」
調理場と聞いて、シークは警戒した。もっとも毒を入れやすい部署だ。
「調理場か。」
シークの警戒にロルの顔色がますます悪くなり、さらに震え始めた。そう、シークがめったにないことに、本気で怒っていると分かったからだ。
「オスター、もう少し制服を整えろ。」
言われた通り、ロルが制服を整え始める。そんな彼にシークは言った。
「お前には後で話を聞く。ところで、メル・ビンク。私は立場上、疑わなくてはならない。調理場担当の者が親衛隊の隊員と仲良くする理由についてだ。
もし、仮に何者かの意図が働いてる…つまり、何者かに指示されて動いているのならば、今のうちに言っておいた方がいい。」
「…しじって? どういう意味よ?」
メルは目をしばたたかせた。
(それくらいの意味も分からない娘を、ノンプディ殿が侍女として雇うわけはないはずだ。そもそも、仮に雇われたとしても、早々にクビになっているだろう。しらばっくれようとしているな。やはり、何か意図して近づいたのか…。)
シェリアの侍女や侍従達の動きを思い出した時、何にも分からない、という様子のメルの挙動は不審にしか思えない。勘が彼女は何か隠していると告げている。
「本当に意味が分からないのか? それとも、馬鹿のフリをしているのか?」
「……た、隊長、どうか、お待ちください。」
ロルが掠れて震えた声で口を挟んだ。
「彼女は…メルはそんな娘ではありません。」
シークは思わずロルを見つめた。
「なぜ、分かる? 会ってそんなに日数は経っていないはずだ。」
「…そ、そんなことは関係ありません……! とにかく、彼女は悪いことなんてできない、田舎から出てきた女の子なんです! ちゃんと話を聞けば分かります!」
どうやら、ロルはメルに惚れていて、彼女が言ったことをそのまま信じているようだ。
「だから、今、話を聞いている。」
すると、ロルは首を振った。
「…いいえ、さ…最初から隊長は疑っています…! どうして、彼女には最初から疑ってかかるんですか! 隊長はいつでも、公平な人です! だから、尊敬してました…! それなのに、どうしてメルにだけ、最初から疑ってかかるんですか、おかしいです! 隊長らしくない! 隊長は、変わりました!」
ロルは叫ぶとメルの手首をつかんだ。
「行こう…! 怖かっただろ…!」
ロルはびっくりしているシークを置いて、勝手にメルを連れて小走りで走り出した。メルがチラリと一瞬だけ振り返り、口角を上げて笑い、片目を瞑って見せた。メルはただ者ではない。かなり神経が太そうだ。ロルは完全に惚れていて現実が見えていないようだ。彼女の動きに気が付いてすらいない。