教訓、十五。遠慮深さは、自信のなさの表れの場合がある。 6
2025/05/18 改
「…何もできないのに?」
「若様、以前にも申し上げました。焦りは禁物です。それに、若様にはまだ、ご自分の役割が見えていないだけです。私は何も役に立たない人など、いないと思います。」
抱擁を解いて、しっかり目線を合わせて言われた。
「…でも、私のせいで多くの人が。」
「若様、罪悪感に駆られてはいけません。向こうは若様がそう思われることを、逆手に取っているのです。多くの人を踏みにじって平気になれということではありませんが、相手の出方を分析し、先に読むことができるようになれば、ある程度、犠牲を減らすことができると思います。
私も若様のお気持ちは理解できます。私の下した判断が、果たして的確だったかどうかと何度も自問自答します。先日の火事の一件についてもそうです。全てにおいて、私の判断が間違っていなかったかと思うことばかりです。
でも、そのことばかりに目がいけば、次のことがおろそかになり、次はもっとひどい状態になるかもしれません。そうした状況を避けるには、相対する向こうの出方を考えなくてはいけないと思います。とても、難しいことではありますが。」
「…一人で、できるのかな?」
「一人でする必要はありません。そのためにフォーリがいるのです。そのために、ベリー先生もいらっしゃいます。私達もできる限りのことはお手伝い致します。」
グイニスは思わずシークを見つめた。親衛隊がただ王族を護衛しているだけではなく、監視も兼ねていることを知っている。
「でも…それじゃあ、叔父上の…ご意向に…そぐわなく…。」
「大丈夫です、若様。その辺についてはご心配なく。」
力強く頷いてくれたので、本当に大丈夫なのかな…と思う。
「若様。」
その時、落ち込んだ声のフォーリがやってきた。シークがフォーリに場所を譲ったので、目の前にフォーリが跪いた。とても傷ついている様子だったので、グイニスは辛くなった。
「あのね、フォーリ、ごめんなさい。」
「分かっています、若様。若様のお気持ちは分かっています。ですから、若様。お一人で全てを背負おうとなさらないで下さい。私が常にお側におります。若様が死ぬと仰るなら、私も共に死にます。
ですから、若様。私に若様の側からいなくなれと仰らないで下さい。どうか、お願い致します。ニピ族は主の元から去ったら、死ぬしかできません。次の主を見つけることはできませんから。」
ニピ族って不思議な人達だ。出世できる人の護衛をしようとか、思わないのだろうか。タルナスの護衛につけば、フォーリはもっと能力を生かせると思うのに…。そう考える一方で、そんなフォーリが自分を選んでくれたことが嬉しかった。
誰も信じられなくて、それなのに独りぼっちで苦しくて、悪夢にうなされて怖かった時、常に側にいてくれた。嫌なことを何もされないと分かって、少し安心して。怖くて泣いている時、フォーリが抱きしめてくれて、安心できて彼に抱かれたまま、眠ることができるようになって。
側にいて欲しいのに、死んで欲しくないから、彼の気持ちを考えずに側から引き離そうとした。
「…私が死んだら、死ぬの?」
「はい。ずっと、どこまでもお供致します。若様をお一人には致しません。ニピ族は主といなければ、生きていても屍と同じなのです。私に若様を護衛させて下さい。」
「…うん。本当はいなくなったらと考えると、それも嫌だった。でも、死なせるよりはいいと思ったから…。独りぼっちになっても我慢しようと思った。…だから、本当は側にいてくれて、嬉しい。」
「若様、お許し頂き感謝致します。」
フォーリはぎゅっと抱きしめてくれた。それでも、苦しくないようにしてくれる。
「…さてさて、私はどんなに拒絶されても、患者を置いて出て行ったりしませんから、ご安心を。」
ベリー医師は言って、グイニスの頭にぽすんと手を置いた。その手は温かい。
「…ベリー先生もごめんなさい。」
「いえいえ、それよりも若様が本心を出して思いっきり泣いたり、怒ったりできたことの方が良かったです。」
そう言ってから、シークを振り返った。
「やっぱり、制服を着てなくても動きましたね。」
「…ああ…それは。しかし、後でレルスリ殿に話をしに行かなくてはなりませんが、それでも制服を着たらだめだと?」
「はい、だめです。きっと、他の仕事もするでしょうから。」
ベリー医師は強く頷いた。
「…ですが、相手は貴族の方ですし…。」
「ダメなものは駄目です。それに、ここはどこだと?」
「カートン家の施設です。」
ベリー医師は深く頷く。
「郷に入ったら郷に従えと言います。たとえ誰であろうと、カートン家の指示に従って頂きます。」
「…では、この格好で話をしに行けと…。」
寝間着なので、シークは困り果てている。
「行くのではありません。レルスリ殿に来て頂けばいいでしょう。現に一度、ここに足を運んでいるそうですから、またいらっしゃるでしょう。」
「…それは、呼びつけろと言うことですか?」
「何もそう思わなくていいでしょう。呼びつけるのではなく、来て頂くのです。」
「それは詭弁では……。」
「とにかく、私がこちらに来て頂くように声をかけておきます。」
「はい、ではお願いします。」
仕方なくシークはそう答える。ベリー医師は薬箱に薬をしまいに、部屋に入りながらシークを振り返った。
「とにかく一日でも早く治りたければ、動かないことです。上半身を動かしたらだめですから。」
「それでは、下半身はいいんですね?」
「やっぱり、動こうとしている。」
「でも先生、一日でも動かないと体がなまります。なんか、なまったような気がして…。」
「全く…これだから……。まあ、三日は寝せたしいいか。じゃあ、譲歩してしゃがんで立つ運動と足踏み運動だけいいです。階段を上ったり降りたりするのもいいでしょう。ですが、決して背中の筋肉を動かさないことです。一度でも上半身を使う運動をしたら、また、眠り薬で眠らせます。」
「分かりました、ありがとうございます。そうしたら、先生、それがいいなら、ついでに部下達の様子を見に行ってもいいですか? 背中を動かさなければいいんでしょう?」
「……。仕方ないですね。ただし、体を冷やさないようにちゃんと上着を着て下さい。どうせ、あなたの部下達の訓練を監督しに行くんでしょう? 室内運動場でも武道場でも行っていいですが、決して背中の筋肉を動かさないように。」
「良かったです、ありがとうございます。」
ベリー医師は結局、いろんなことを譲歩させられている。きっと、親衛隊の隊長で早く復帰しなくてはいけないからだ。グイニスにもそのことは考えがついた。
「まったく、誰かこの人の見張りをしてくれないと。誰に頼もう。」
ベリー医師はぼやきながら、薬箱に薬をしまっている。グイニスはあることを考えついた。フォーリの腕の中から抜け出すと、ベリー医師の隣に行って見上げた。
「私がするよ。ヴァドサ隊長が背中を動かす運動をしないように見張ってる。」
親衛隊の誰かが数人、吹き出して笑いを堪えている。ベリー医師はにやりと笑うとすぐに承諾した。
「ああ、それはいいですね。若様ならむげにできませんからね。では、若様、お願いしますよ。少しでも背中を動かしたら、フォーリを使って気絶させなさい。」
「うん。分かった。」
グイニスにも少しできることがあって、嬉しくなった。
黙って譲歩されないベリー医師だった。ふふん、と勝ち誇った笑みを浮かべて、苦笑いを浮かべるシークを見やり部屋を出て行ったのだった。




