教訓、十五。遠慮深さは、自信のなさの表れの場合がある。 5
2025/05/18 改
「……な、なんで…。」
どうしたらいいか分からず、グイニスはおろおろした。これは想定していなかった。しかも、訓練を受けている軍人達だから、動きも速くてグイニスが廊下に出ると同時に塞がれていた。
グイニスはおろおろしながら、護身用の短刀を持っていたことを思い出した。それを帯の間から取り出し、鞘から抜こうとして手間取っている間に、上から手がさっと伸ばされて取り上げられてしまった。こんなことさえも上手くできない自分が腹立たしかった。なんて、のろまなんだろう。
うつむいていると目の前に寝間着の姿が立ったので、フォーリではなくシークだと分かった。フォーリは思った通り、追いかけてこなかったのだ。
(フォーリ、ごめんね。)
心の中でそっと謝る。でも、こうするしかないのだ。
「若様。」
シークの声が今までにないほど、固くて強ばっていたので、叱られるのだろうと思って身構えた。
「それでは、死ねません。」
そう言ってシークは短刀を抜くと、グイニスの右手に握らせた。さらに左手を上向かせる。
「動脈はここにあります。思い切って力を込めて引けば切れます。」
グイニスの短刀を握った右手を持って、左手の手首に短刀の刃を当てがわせた。
「…隊長、何を言って…。」
「黙ってろ。」
今までに聞いたことがないほど、怖い声でシークは言ってベイルを黙らせた。
「もっと早く死にたければ、頸動脈を切ればいいのです。ここにあります。」
今度はグイニスの左手をつかむと、首筋の頸動脈に指を当てがわせた。最初は分からなかったが、少し横にずらすとドクドクと脈打つ感覚が、指先から伝わってきた。
「分かりましたか、頸動脈の位置が。そこに短刀の刃を当てて切ります。そうすれば、どんな名医でも助けることはできません。ここはカートン家なので、若様が確実に死にたければ首の頸動脈を切った方が早いでしょう。どうしますか?」
グイニスは怖くなった。さっきまで、死のうと思っていた気持ちが、脈を感じるとかえって冷めてしまった。左手を首筋から離したかったが、シークがぐっと握っているので、手を離せない。否応なしにドクドクと脈打つ自分の生きている感覚を実感させられる。怖くなって震えて、右手に持っていた短刀が滑り落ちた。
ようやく左手も解放されて、グイニスは息を吐いた。でも、どうしたらいいんだろう。分からなかった。ただ、みんなに迷惑をかけたくないだけなのに。結局、自分は死ぬことさえできない意気地なしなのだ。余計にグイニスは落ち込んだ。
そんなグイニスの目の前でシークは短刀を拾った。
「若様の死にたいというお気持ちは、その程度のものでしたか。」
そんな言い方をされて、グイニスは腹が立った。なぜだか無性に怒りが沸いてきた。何も分からないくせに…! 何も知らないくせに…! この気持ちは、誰にも分からない!
「…わ…分かるわけない…。分かるわけ、ないよ…。」
怒りがわき出てきたものの、さっきの勢いほど大声を出せるような、焦燥感に駆られているわけではなかった。だから、声も大きな声を出せなかった。
さっきは、みんなを死なせたくない気持ちで一杯で、大声を出していた。でも、今は自信を失っていて少し怒っているだけの、いつものグイニスに戻っていたから、大きな声を出すのも辛かった。
「聞こえません、若様。もっと大声を出さないと。さっきの勢いはどこに行ったんでしょうか?」
シークのそんな態度にグイニスは戸惑っていたが、さっきの勢いがないとか言われて、また腹立たしさが膨れ上がってきた。
「…わ、分かるわけないよ! 私の気持ちが、分かるわけない! だって、みんなを死なせたくないだけなのに、私は生きているだけで、迷惑をかけているんだ! ただの足手まといなんだ! フォーリだって死なせたくない!」
言いながら、グイニスはシークを気づいたら叩いていた。
「そんなんじゃ、痛くもかゆくもありません。もっと強く。」
簡単にあしらわれて腹が立った。さっきよりも、力を込めて叩いた。
「全然だめです。もっと。」
「…えぇい!」
叩いても叩いても、もっと強く叩けと言われて、とうとうグイニスは少し後ろに下がって助走をつけると、突進した。ドンッと音がしたが、しっかり受け止められていた。
「今のは良かったです。」
グイニスは気づいたら全身で息をしていた。
「若様。」
シークの声がさっきより、ずっと優しくてほっとしていると、そのままぎゅっと抱きしめられた。気づけばなんだか少し、すっきりしていた。
「先ほどの言葉は、とても痛かったです。胸に突き刺さりました。」
「……。」
「私は若様を護衛することになって、日は浅いですが、若様を死なせたくありません。みんな同じです。若様はとても良い子です。ですから、私達よりも長く一緒にいるベリー先生やフォーリは、もっと胸が痛かったはずです。」
耳元で静かに諭されて、グイニスの両目に涙が盛り上がり、頬に伝った。涙の熱さを感じる。
「……わざと言った。そうすれば、私のそばからいなくなって、死なずにすむと思ったから…。」
「わざと独りぼっちになって、殺されるのを待つつもりだったんですか?」
「それでもいいと思ったけど、自分で死なないと探し出されてしまうと思った。だから……死んだ方がいいって思った。私はどうしたらいいのか、分からない。考えても考えてもどうしたらいいのか、分からない。」
グイニスはシークの胸でしゃくり上げた。
「みんなが傷つくのが怖い。ベリー先生もフォーリも死んじゃったらどうしよう。いつか、殺してしまうんじゃないかって、大好きだから、それがとても心配で怖い。」
「…若様、フォーリもベリー先生も、そして私達もみんな、若様のことが同じように大好きです。ですから、死んでしまったらどうしようと思います。」
グイニスは意外なことを言われたような気がした。みんなが側にいるのは、王子という立場があるからだと思っていた。それがあるから、フォーリも自分を主だと認めて、側にいて護衛してくれているんだと思っていた。ベリー医師だって、誰かがしなくてはならない役割だから、グイニスの側にいることを選んだんだと思っていた。
だって、そうでないと、こんなに役立たずの自分の側にいる理由がないではないか。




