16(西尾恭)
二月十四日、今年も本当に面白い一日だった。友達千人までの目標にもグンと近付けたと思う。毎年、この日は特に友達を作りやすい日だから俺は相当な気合いを入れて臨んでいる。
俺は中等部の頃から姫ノ上学園だけど、中等部の時もたまに学園外の人からチョコを貰ったりしていた。まぁ、向こうが一方的に俺のことを知ってて渡して来てくれてる……のが大体のパターンだったかな。その場合、果たして友達カウントしていいのか迷う。
今年は特に、見知らぬ人からチョコを貰うことが多かった。学校帰り、ただ道端を歩いているタイミングとか。あとは、今年は二月十四日にバイトは入れなかったけど……前日の十三日にはバイト先に訪れたお客さんからたくさんチョコを貰った。ありがたいことだけど、周りの目がちょっと痛かったかな。
多分、去年北之原先輩の応援でやったモデルのおかげかな。あれでかなり顔が売れたんだと思う。シンペーは未だに不服そうだけど、俺はいい経験になったと思う。……先輩には感謝、しないとね。
というか、貰ったチョコの数で言うと今年は……俺の中でのベストスコアを叩き出したかも?
別に自慢のつもりじゃなかったけど、単純に驚いたので昼休みにそんなことを零したら、一緒にお昼を過ごしていたスイくんがぽそりと言った。
「恭は以前より男前になったからな」
「えっホント? ホントに!?」
「そういうところは未だ子供っぽいが。ああ、嘘じゃないさ」
なーんて、嬉しい言葉を貰っちゃった。
男前……男前か。本当に? 言われて喜んだはいいものの、自分ではその自覚はない。俺って結構ナヨナヨしてるというか、女々しいところがあるのは分かってるし。
男前っていうのはシンペーみたいな男子のことを言うんじゃないかな。こう、頼れる兄貴肌! って具合が。俺は残念ながら全くその気質がない。
それに……俺、高校に上がってから特に何かを努力したとか、身体を鍛えたとかもしてないし。身体は昔よりは丈夫になったかなとは思うけど、去年しっかり体調崩した時期があったし……。
日常での変化点と言ったらそうだな――まぁ、失恋かな。
――でもいいんだ。今更、何か思うこともないし。気持ちはしっかり切り替えられた、俺はちゃんと乗り越えられた。それは周りの人たちのサポートもあってのことだ、いつでも感謝を忘れずに過ごすよう努めてる。努力と言ったらこれくらいだね。
あぁ……それか、そうなのか。もしかして、その出来事が俺を成長させてくれたのかな? なんてね。
◇
バレンタインから一週間程度が過ぎた日、俺はいつもの時間に登校した朝。あいさつ運動の期間だったのか、昇降口には先生たちと風紀委員、生徒会の人たちがズラリと並んで立っていた。俺は元気よく挨拶を返して通り過ぎようとした時だった。
「あぁ、西尾恭くん。おはようございます〜」
「あ、中言先生。おはようございまーす!」
「お兄さんとは一緒に登校してないのですね〜?」
朝日に照らされた綺麗な白髪を靡かせる、学園内でも大人気の中言先生が俺に話し掛けてきた。珍しいな、こんな風に呼び止められるなんて。服装か何かで引っ掛かるところがあるのかな、と一瞬驚いたけど、相手が中言先生ってことでそんなことはないだろうと一人納得する。
「シンペーはいつも俺より一時間早く出て行くんだ。多分、先生たちが並ぶ前から?」
「うぅ……そうですか。いや〜中々捕まりませんねぇ……」
「? ……先生、シンペーに何か用事が? あれでも、先生ってシンペーのクラスの担任じゃなかったっけ?」
ふむふむ、どうやら先生は俺じゃなくてシンペーに用事があるみたいだ。いやでも、思わず口にした通り中言先生はシンペーの担任のはず。捕まらないって……シンペーのこと捕まえようとしてるのかな?
「あはは〜、勿論、毎日顔は合わせてますがねぇ。クラス内、というより修学時間内は僕が一人になれることって少ないですから……西尾くんは帰るのも早いですし」
「んん……? なんか、シンペーに話があるってこと……? まさか内申点がヤバイとか!?」
「あぁいやいや、違います違います。西尾くんはよくやってくれてますよ〜。僕の至って個人的な用事がありましてね」
ますます訳が分からない。先生の個人的な用事? それも、シンペー個人に。俺が分かりやすく首を傾げると、先生はクスリと笑ってから声を潜めた。
「西尾恭くんにも、一つ協力をお願いしていいですか?」
「えっ!? なになに……?」
多分、今は昇降口が一番賑わう時間帯だ。周りの視線を多く感じながら、俺たち二人は大きな柱の陰へと移動する。それでも誰かしらの目には留まる位置だろうけど、こうして声を小さくすれば俺たちの会話は誰にも聞き取ることができないだろう。
「実は僕、君のお兄さんを“抱き込もう”と思っていまして」
「え? 抱き着く? シンペーに?」
「彼はきっと僕の――我が吹奏楽部の救世主。そう、ヒーローになり得る存在だと、僕は確信しています!」
ヒーロー。いつになく真剣な目でそう言った先生の言葉に、俺の心は震えた。
俺はヒーローという単語には弱い。それは、俺が目指すべき幼い頃からの夢であり目標でもあるからだ。そして俺は――その目標像に、兄であるシンペーを重ねているところがあった。
シンペーが、中言先生のヒーロー。
……うん。話はいまひとつよく分からないけど、これは俺もしっかり聞くべき内容だ。
「つまり、どういうことですか?」
俺もその真剣さに答える眼差しで、先生に問い掛ける。それを感じ取ってくれたのか、先生は少し満足気な様子で一つ頷き、手を俺の両肩に乗せながら言った。
「西尾新平くんに……吹奏楽部へ入部していただきたいのです。彼には、才能があります」
「……先生、シンペーが音楽やってるの知ってたの?」
先生の発言に、俺はまた違った意味合いでも驚いた。シンペーには才能がある……うん、その言葉には納得。きっとシンペーの“トランペット”のことを言ってるんだ。
だけど。……シンペーはそれを必死に隠して生きている。少なくとも俺が見てる分にはそう。確かに去年から家に見慣れないトランペットを置いて時々吹いているみたいだったけど……俺が聞かせてと言ったら絶対にやってくれないし、誰にも言うなと何度も念を押されている。
だから俺は誰にだって、シンペーの秘密を言い触らしたりはしていないはずなんだけどな。
「一度だけですが、聞いたことがあるのです。少し前の話ですがね……あの時からずっと、僕は彼をスカウトしたいと思っていまして!」
「実際にスカウトも?」
「……去年の秋頃に一度。でも、こっぴどくフラれてしまいました。悲しいです」
「だろうねぇ……」
あぁ、すでに玉砕済みだったのか……。そうだ、俺だってシンペーには音楽の才能があると思ってる。でもシンペーはバイト三昧で部活に入るつもりなんてないだろうし、想像もできない。それに吹奏楽部ってみんなと協力する部活だし……しかも女子ばっかりの。そりゃ断るだろうなぁ。
「でも諦めたくないのです。何故なら、僕の命運は彼に掛かっているのですから……! ここで彼を捕まえられなければ、ついに我が吹奏楽部はまさかの三年連続地区大会敗退という汚名を……汚名を……! ぼ、僕の代で……!!」
「わ、ちょっ、落ち着いて先生。それでまさか、俺にシンペーを説得してほしいってこと?」
拳を握り締めながらわなわなと震え出した先生を宥めつつ聞いてみると、先生は眩いほどの笑顔で「その通り!」と言った。やっぱり……まぁ、そうだよね。
いやでも。俺が言ったところでシンペーが聞く耳を持つかなぁ……? 寧ろ逆効果な気がするんだけどなぁ……。
「先日、益子さんにも同じお願いをしました。是非とも協力して彼を説得していただけませんか……? お願いします!」
「益子ちゃんも? ……同じお願い!? シンペーを説得してって!?」
俺が驚いた声をあげると、先生が逆に目を丸くさせた。何か可笑しなことを言ったのか自問していることだろう。いや、そんな訳じゃないんだけど。
益子ちゃん……まぁ、シンペーの友達だろうけど。でもそれってつまり、益子ちゃんは中言先生を経由してシンペーの秘密――トランペットを趣味にしていることがバレちゃったってことじゃない!?
それ、まずいんじゃ。先日って言った? まさか、そこからみんなにシンペーの秘密が広まっちゃったりしたら……。いや、益子ちゃんはそんな誰彼構わず何かを言い触らすタイプじゃないだろうってのは分かってるけどさ!
「西尾恭くん? どうしました?」
「……えぇと。とにかく、分かりました! でもあんまり期待はしないでくださいね。一度断られてるってんなら尚更です。でも、俺もできる限り説得はしてみるので!」
「本当ですか。ありがとうございます!」
先生が嬉しそうにお礼を述べる。俺が言ったのは大方本音だ。実際、こうして頼まれてしまったならまずは先生に協力してみよう。……八割方ダメだとは思うけどなぁ。バイトも忙しいだろうし。
でもそれより、まずは益子ちゃんのことだ。話をしてみないと。さぞ、驚いたことだろう。シンペーの意外な趣味を突然知らされたりしちゃって……。
「だからさ先生、一旦俺が頑張ってみるから。ちょっと……この話は他の生徒には話さないでほしいんだ。シンペーのデリケートな部分の話だからね」
「そ……そうですか。えぇ、分かりました。この話はもう他の子には話しません。では……手間を掛けさせてしまいますが、よろしく頼みますね。西尾恭くん!」
先生の期待に満ちた眼差しが振ってくる。これは……責任重大だなぁ。うぅん、シンペーの説得……少し億劫だけど、頑張ってみよう。
参ったなぁ、この一ヶ月はホワイトデーに向けてのお返しを考える時間に費やしたいところなんだけど……やることリストに、一気に重たい案件が舞い込んで来てしまった。