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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
六章〈推し活とガチ恋は別物〉
97/130

14(西尾新平)

「じゃあ、また!」


 走り去って行った細い背中を見送りながら、なんだか猫のようにするりと逃げられてしまったような感覚を覚えたのは気のせいだろうか。


 二月十四日(バレンタインデー)。変に意識した訳じゃねぇが、去年よりは様になったイベントだと思う。膝の横に置かれた小洒落た紙袋を見下ろして、そんなことを思った。



 俺は別に異性からモテるとは思っちゃいない。弟のキョウと比べりゃ尚更だ。……だが、これでも何度か本気らしい告白なら受けたことがある。それは大体、この二月十四日に受けることが多かった。


 元々異性の友達なんていない俺だ、普段からよく話す相手も大抵は決まった相手。だが、俺と「付き合ってほしい」なんて言ってくる異性は俺が名前も知らないような奴らばかりだった。そりゃ、当然俺は困惑する。お前は誰だ? と問い掛ければ泣き出すの何ので、とにかく俺はこのバレンタインデーとかいうイベントが嫌いだった。

 そもそもそんなどこぞの誰が作ったか分からない謎のチョコやらが知らない内に鞄やロッカーに詰められている恐怖の一日だ。キョウはよく食えるよなそんなもの。ただ、あいつも差出人の名前が書かれていないモノや何だか危険な香りがするモノはしっかりと選別しているらしいが。


 流石の俺もいい加減学習した。今日はしっかりと、ロッカーや靴箱、そして机の隙間には紙一枚の余地すらないほどに大量の私物で埋め尽くしてやった。そして極力他人との接触を避け、一人のタイミングにならないように努める。事前に今日はバイトも休みを取って、放課後はすぐに家まで直行した。それが功を奏したようで、今年は一切のチョコを受け取らずに済んだって訳だ。


 この一個を除いて……の話だが。


「はあ」


 頭を空っぽにしよう、と思ってラッパを持ち出してきたが、さっきの一曲ですっかり俺は満足してしまった。ってか、今更もう頭を空っぽになんて無理だ。


 やることなんてなかったが、どうも家に帰る気力も湧いてこない。今はしばらくここでぼうっとしていたい気分だ。取り敢えず、今は自分のその気持ちに素直に従うことにする。

 ……で、せっかくだ。茂部がくれたこいつの中身でも確認してみるか? なんか茂部が言うには、キョウの見えないトコで開けてくれって話だったし。


 ……こうして、ちゃんとこんなものを受け取ったのはいつ振りだったかな。かなり昔、それこそ俺が小学一年生とかの時は母さんが用意してくれたことはあったような気もするが。

 で、おそらく今貰ったこいつは茂部の気持ちがちゃんと込められた贈り物ってことだ。こうも丁寧に包装されてるとこっちの気持ちも引き締まるってもんだ。俺は変に緊張しながら、包装紙を雑に破ったりしないように細心の注意を払って中を開けてみた。


 と、小さめの箱の中から出てきたのは。


「へぇ、中々の出来じゃねぇか……?」


 これは多分、カップケーキというやつだ。小さめのやつが二つ綺麗に並んでいる。そしてバレンタイン仕様なのか、上にはチョコレートのコーティングがある。これは多分、いや間違いなく竜さん(おっさん)の息が掛かっているんだろうが、あの喫茶店のメニューにこんなカップケーキはなかったはずだ。


 見た目は店に並んでいるようなものと大差ない……ように、俺の目には見える。なんか、食っちまうの勿体ないな。


 とは言えだ。夕方、そして少しの疲れを感じている今。漂う甘い香りは俺の食欲を上手い具合に刺激してくれた。葛藤したのは多分一瞬だけだ。俺は迷いなく茂部お手製のカップケーキに齧り付いた。


「…………」


 ……うん。


 美味いな。俺は甘ったるいモノがそんなに好きじゃないが、これは甘過ぎず丁度いい。使ってるチョコも多分ブラックだかビターで食べやすい。


 茂部、意外とやるな。ちゃんと自炊してるって言ってたし、案外手先は器用なんだろうな。おっさんの教えとは言え、こうしてスイーツ作りをすっかり自分のものにしたってことで覚えもいいんだろうし。


 カップケーキはそんなに大きくなかったので、一個を平らげるのに時間は掛からなかった。少し、物足りないような気がする。だから二つあるんだろうが……茂部、あいつ。かなりやり手だな。


 残りの一個にも食いつきたいところだったが、折角のラスイチだ。ここは今日の夜食にでも取っておこうと決めて、俺はカップケーキの包装を丁寧に戻したところで帰路につくことにした。




 ◇





「あ、おかえりー。茂部ちゃんと会えた?」


 家に帰ると、まず玄関に入った途端に甘ったるいチョコの匂いが家中に蔓延していることを悟った。ったく、今年もついにこの時が来たのかと毎度のことながら思う。


 で、リビングでそこら中に目が痛くなるようなキラキラの包装紙を散乱させて呑気に寛ぐのはキョウだ。どうやら今回も毎年恒例、チョコの選別作業に入っていたらしい。……恐ろしいことに時々とんでもねぇ危険物が紛れてることがあるからな。


「……大変そうだな。なんか手伝うことあるか?」


「あはは、いいよいいよ。って言ってもシンペーの分も混ざってるんだよ? いいの? 食べる?」


「いや、やっぱやめとく」


「でしょ? まぁ、しばらくはこの部屋こんな状態だけど我慢してね!」


 どうやら俺が今回しっかりとガードをしていた分、キョウにお鉢が回ってきてしまったものもいくつかあるようだ。少しだけ申し訳ないと思うが、だからと言って俺にそれを処理する能力はない。ので、今だけはキョウの優しさと気遣いに素直に甘えさせてもらう。


 ……ただ。そんな散乱するチョコの大群に囲まれているキョウが今、テーブルの上で広げている包装紙は。それ、俺が茂部から貰ったものと同じ柄だ。

 俺がそれをじっと見つめていたことに気付いたらしいキョウは、あのいつもの悪ガキの笑顔……にんまりとした笑みを浮かべてみせた。


「へっへー。これ、誰に貰ったと思う?」


「茂部だろ。俺も貰ったぞ」


「ええ、何だよそうだったの? あ、ってことは詠ちゃん。ちゃんとシンペーに渡せたんだね!」


 待った。今なんつった? ……詠……ちゃん?


 こいつ、いつの間に茂部のこと名前で呼ぶようになったんだ。そう言えばさっき茂部の話じゃ、二人は俺の知らないところで随分と仲良くやってるらしかった。……キョウのやつ、失恋から立ち直ったのは結構なことだがまさか……いや、違うよな。流石に……いきなり仲のいい女友達のことを名前呼びにしたからって、そんな急にそういうことになるだとかは……!


「で、さぁ。見てよこれ、凄くない? お店で売ってるやつみたいだよね」


 なんだ? キョウがずいっと俺に手を突き出して見せてきたのは……なんだこれ。キーホルダーか何か……? これは確か、キョウが好きなヒーローアニメのキャラクターがデフォルメされたようなやつだ。俺も少しは知っている。


「なんだこれは。今日の貰い物か?」


「まぁそうだけど、ちゃんと見てって。これ、アイシングクッキー! 凄いでしょ、これ詠ちゃんの手作りなんだよ」


「は? マジか。これ食い物か? ちょっとよく見せろ」


「いいけど……あーちょっと! そんなペタペタ触んないでよー、まだちゃんと写真撮れてないんだからさぁ!」


 本当だ。キョウが言った通り、オモチャにも見えたそれはちゃんとクッキーだった。……しかもこれが茂部の手作りときた。これ、最早料理ではないような気もするが……あいつ、とんでもねぇ才能を隠していやがった。


 というか。……俺は思った。このクオリティ、確かに目を見張るものがある。これ、俺のカップケーキより手が込んでねぇか……?


 心底嬉しそうにしているキョウの手前、ここは俺のプライドでそんなことは決して口にしたりしないが。なるほど、確かに茂部が自分で言ったように俺とキョウに渡した箱の中身は随分と違うらしい。キョウが持つ箱の中身をチラリと確認したが、他に詰められているのも同じようにキャラクターが描かれた可愛らしいクッキーばかりだ。


「ってか、キョウお前。こんなに俺に大っぴらに見せていいのかよ」


「え? なんで?」


「あ?」


 茂部は、俺に渡した箱の中身がキョウと違うからと言ってあんな“お願い”をしてきたんだ。だから当然キョウにも同じようなことを伝えているんだろうと思って聞いてみたんだが……なんだ、この反応は? 逆に「何言ってんだこいつ」みたいな顔しやがって。


 いやまさか。茂部、キョウには特に何も言ってないのか?


「あ、そうだ。シンペーも詠ちゃんから貰ったんでしょ? 開けてみたら!」


「……あとで開ける。俺は晩飯用意する」


「あ、そう? ……っと、そうだシンペー。お返しのことも忘れずにね? 本人から手渡しでちゃんと受け取ったんだから、せめて詠ちゃんにはしっかり自分の手でお返しするんだよ。分かってるよね?」


「言われねぇでも分かってるっつの!」


 今日はやたらと口うるさい弟に少しうんざりするが、こいつが言うことも最もだ。だが、俺はそれらのことが全く頭にない訳じゃない。今からどうしたものかと頭を悩ませている最中なのだ。今は、変に横槍を入れられたくない気分だ。


「本当に分かってる? 今まで真剣にお返し用意したことないでしょ。セオリーとか知らないんじゃない?」


「そ、それは……ちゃんと考えてるって」


「気を付けなよ。お返しする贈り物にも意味があるんだからね、下手にマシュマロとか渡しちゃダメだよ」


「あァ……? それ、なんかマズいのか」


 俺の純粋な疑問に、キョウは心底呆れたような面持ちで肩を竦めている。なんだその反応腹立つな。


「とにかく、下調べはしっかりね」


 含みのある言い方だ。なんだこいつ……。


 ひとまずその場はやり過ごして、夕飯の支度に取り掛かることにした。相変わらずチョコの匂いが鬱陶しかったが、数時間もすれば鼻が慣れた。これも毎年恒例のことだ。



 ……で。夜、寝る前のこと。スマホで『バレンタイン お返し』というキーワードで検索をかけたところで、やっとキョウの言っている意味が理解できた。


 どうもバレンタインデー、もといホワイトデーとやらには渡す物によって意味を持つものがあるらしい。定番のチョコレートは告白の意味があるとかで、バレンタインデーに贈るには一番無難なものだそうだが、反対にホワイトデーにチョコレートを贈り返すってのはあまりよろしくないそうだ。お気持ちを返すことになってしまうとかで……なんか、面倒くせぇな。


 色々調べていると頭が痛くなってきた。まァ、実際のところはこんなに意味まで考えてバレンタインを楽しんでる高校生なんてほんのひと握りだろう。キョウが人一倍そういうのを重んじるタイプってなだけで、大体がもっと単純な奴らばっかりのはずだ。


 それで、不意に目に留まったとあるサイト。バレンタインデーに贈るお菓子の意味一覧……というタイトルの、誰かのブログのようだった。

 流し見だが、どれもそれっぽいことが書いてあるような印象だ。ふーん、マシュマロ……これはキョウが言った通り、ちょっと贈り物としては不適な意味を持つらしい。溶けやすいから縁起が悪い、みたいな? ……別にいいだろマシュマロ、好きな奴もいるだろうが。


 あとは、クッキー。これには『友達』という意味があるそうだ。へぇ、友達……友達ねぇ。

 そういやキョウが貰ってたのはアイシングクッキー……ほぼ砂糖の塊のようなモンだが、ありゃ確かにクッキーだよな。……ふーん、なるほどな。


「カップケーキ……の、意味はっと……」


 当然、自分が貰った物の意味もそりゃ知りたくなる。それをくれた相手がどこまで考えているのかどうかは別として、な。


 けどスマホの画面をスワイプして、いざ知りたかったその情報を目にした時、俺の頭は文字通り真っ白になった。


 ――――『特別な人』。


 なにがって?


 ……バレンタインデーに贈るカップケーキ。

 それが持つ意味らしい。


 いや待て。これは勘繰り過ぎ、だろ。流石に気色悪いぞ、俺。自意識過剰か? いい加減にしろ。


 その日の寝付きが悪かったのは言うまでもない。

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