12
東条くんの背中が小さくなったところで、ぱちっと新平くんと目が合った。
「……追い返す感じになっちまったが、大丈夫だったか?」
「う、うん……なんていうか……助かったよ」
「そうかい」
やっぱり傍から見た私は脅されてた人だったのか……でも、実際は特になにか危害を加えられたって訳でもないから、ちょっと露骨に怖がったせいで追い返すような風になってしまったことは少しだけ申し訳なく思う。ただそれ以上に、やっぱりあまり関わりたくないとも思ってしまう。
東条ダイヤ……やっぱり何を考えているのかまるで分からない。自宅の位置もこの辺りって言ってたし、ゲームの設定で私が知っている情報はまるで役立たないと言っていいだろう。それでいてあまりにも“危険な匂い”がプンプンしてるし、関わるとロクなことにならない気がする……。
「それよりお前、こんなところでどうした?」
問い掛けられてハッとする。そうだ、たまたま新平くんと出会うことができたけど当初の目的はこの人を探していたんだ。
新平くんは制服のまま、スカジャンだけを羽織った姿で……方向的に歩道から歩いて来たのだろうか。まだ公園内には立ち入っていない……?
「私は新平くんを探しに来たんだけど……」
「俺……? なんだ、なんか用事か? つーかなんで俺がここにいるって知って……」
「一回家に行ったんだけど、恭くんからここに向かったって聞いて。ちょうど連絡しようかと思ってたんだ、でもその前に見つけられてよかったよ」
「そ、そうか。見つけたのは俺だがな?」
そう言う新平くんを改めて観察して見ると、左手に何かを持っていた。これは……コンビニの小さなレジ袋と、ちょっと厳つい革のケース――まさかこれは。
「もしかして、恭くんが言ってた“荷物”って……」
「これは、まァ、あれだよ。家だと出せねぇからよ」
私は見覚えがあった――それは楽器ケース、即ち中に入っているのは新平くんのお父さんの形見ことトランペットだ。
それにしても家では出せないってどういうことだろう。私が首を傾げたのを見てか、新平くんはどうしてかバツが悪そうにしながら付け加えた。
「家は防音じゃねぇんだよ、キョウもしつけぇし。おっさんの店だと外野がうるせぇしで……」
「だからいつもわざわざ人気のない外に出掛けて吹いてたんだ?」
「いつもじゃねぇ。気が向いた時々だよ」
ひとまず、人気がないとは言え道の真ん中で会話するのも野暮なので、私たちは公園内へと立ち入りのんびりと歩きながら会話する。
夕日はまだ沈みきっておらず、眼前に広がる大きな湖の水面に陽の光が反射して少し眩しかった。
……と、流れのまま二人で歩くことになっちゃったけど、お互い目的がイマイチはっきりしないままだ。私は……この時間が心地良いからこのままでいたい気持ちもあるけど、新平くんの時間を邪魔する訳にはいかない。
「あの、私の用事なんだけどさ……」
おもむろに口にすると、隣を歩く新平くんから視線を注がれる。それでも歩みは止まらない。それでよかった、だからこそ何でもないようにして、変に畏まることもなく自然と手を伸ばすことができた。
「これを渡したかったの」
「……こいつは?」
差し出した紙袋を、新平くんは目を丸くしながらも受け取ってくれた。チラリと中身を確認しながら聞いてくる。少し小恥ずかしかったけど、勿体ぶる必要もない。
「これは……バレンタインの贈り物と言いますか……」
「おっさんに教わるとか言ってたやつか?」
「まあ、竜さんの手作りには劣ると思うけど……あんまり口に合わなかったら処分してくれても……」
「大丈夫だろ、普段から店でおっさんのこと手伝ってんだし。なんだその、サンキューな」
……あんなに緊張を覚えたのに、随分とあっさり目的を果たせてしまった。新平くんも涼しい顔だし、私も別に取り乱すこともなく……いやよかったのか? ただ、やりきった感もあまりない。
「……なんか悪ぃな。俺はなんも用意してねぇんだが、お前欲しいものとかあるか?」
「えっ? いやいや……お返しを期待してる訳じゃないからお気遣いなく。新平くんには普段からお世話になってるし感謝の気持ちってことで」
「そんな訳にはいかねぇよ。ってか俺、言うてそんなにお前の世話してたっけか?」
「あーいや、言われてみればそうでもないか」
新平くんが笑いながらそう言ったので、私も冗談めかして返す。すると新平くんは心底楽しそうに、声を上げて笑った。こんなに分かりやすく笑っている姿は久々に見た、なんだか私も楽しくなってくる。
「いやしかし茂部、マジでなんかねぇのか? 俺、今ならなんでも言うこと聞いてやるぞ。今だけだぞ?」
「えっ、ええ? そ、そう言われるとなあ……うーん」
「中々巡ってこないチャンスだと思って考えろよ。俺はケチだからな、お前だけに大サービスだぞ」
新平くんはふざけて言っているのだろうけど……「お前だけに」って言葉に私は弱い。一気に体温が上がる感覚を覚える、どうしよう顔赤くなってないよね?
「それじゃあ――トランペット吹いてほしいなあ」
「……マジか」
「っ、ごめん嫌だった? 嫌なら別に――」
「いや物好きだと思ってよ。確かにちょいと恥ずいが、こんなん別にいつでも聞かせてやれるだろ?」
素直に要望を口にすると、新平くんには渋い顔をされたので慌てて取り下げようとしたところ嫌ではなかったらしい。それどころか拍子抜けというか、あっさりと了承してくれた。これには私が唖然とする。……嫌がられるかも、と思ってたのに。
湖沿いの散歩道はベンチが点在しているので、近くにあったベンチに荷物を置いて新平くんはトランペットを取り出した。早速マウスピースの慣らしを始めている。まさか、本当に私がお願いしたから吹いてくれるのだろうか?
――私が、ゲームで一番好きだったシーン……新平くんのスチルが見れるシーンで、好感度をある程度上げた時に彼が披露してくれるトランペットを吹くシーンがあるのだ。
私が新平くんというキャラクターに深く惹かれ、推すことを決めた瞬間でもある。私にとっては大切なシーン……思い出だった。だから、いつか新平くんがトランペットを吹くところを見られたらいいな、とずっと思っていた。
新平くんがトランペットを披露してくれたのは、以前に竜さんとのセッションで聞かせてくれたあの時が初めてで……そしてあれ以来は一度も聞くことはできていなかった。
あの日は衝撃的で、そして印象的で忘れられない日になったけど。どうしてももう一度あの音色と新平くんがトランペットを吹く姿を目に焼き付けたかったと……ずっと思っていたのだ。
「……なんかリクエストあるか?」
「へっ!? あ、いや……なんでもいいよ!」
「お任せねぇ。難しい注文しやがる」
トランペットの楽譜なんて知らないから咄嗟にリクエストなんてできないし……でも新平くんも多分それを分かってて聞いてきたのだと思う。新平くんは今、恭くんがよく浮かべるあの悪戯に成功した子供みたいな微笑を浮かべていたから。
私にベンチに座るよう促して、新平くんは私に背を向けた状態になってトランペットを奏で始めた。
――耳に心地よいその音色を聞きながら、新平くんの大きな背中を見つめる。背を向けているけど、私にはそれで十分だった。寧ろそれでよかったのだ、私の顔を見られずに済む。……流石にこの状況で、この高揚を表情で出さない訳にはいかなかったから。
私が好きだったあのスチルが思い起こされる。ゲームでは学園内の、確か屋上だったと思う。でも今と同じように夕方で、夕日を背景にトランペットを奏でる新平くんの姿があのスチルと重なる。
間違いなく再現だった。私が大好きなあのシーンの、そして私が彼を好きになったきっかけのあのシーンの――。
「――本当にこれで満足かよ?」
一曲の演奏を終えてから、新平くんは半身で振り返りながら呆れた様子でそう言った。目が合った時、私は呆けていたので慌てて緩んでいた表情を引き締める。そして、できる限りの拍手を送った。
「十分過ぎるご褒美だよ。私――」
私は興奮したまま、考えも何もまとまっていないまま、とになく何かを言わなきゃという状態で口走ってしまったのだ。
「――好きだよ」
言ってから少しして、新平くんの表情が固まって動かないことに私が違和感を覚えて――
――それから、自分が今なにを言ったのかを理解して、盛大に動揺するまでが恐らく十数秒間の出来事だった。