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放課後、道すがらに私は考えていた。――ゲームのバレンタインイベントについて、だ。
当然乙女ゲームのバレンタインイベントなんだから、チョコを渡せばキャラクターの好感度はぐっと上がるし、すでにルートに入っていれば特別なイベントが用意されていたりする。
チョコレート効果による好感度の上昇率はあまりに大きいので、逆に言えば『逆ハーレムルート』を目指す場合は一人のキャラクターの好感度を上げすぎてはいけないので、ここで調整が必要になってくる……と聞いたことがある。
とまあ、ゲームではそんな仕様だったけど。バレンタインデーというのは世の恋する中高生にとって大きなイベントで、実際にうちの高校でも今日、恋が成就したとか実らなかったとかの話をたくさん聞いた。
……要は、この日に告白――想いを伝えようと考える人が多くいるということだ。確かに、このようなイベントは気持ちを後押ししてくれるのでいいきっかけになるのかもしれない。
私は――新平くんに告白するつもりはなかった。そもそもそんな考えがなかった私は、ただこうしてひっそりと“想っている”だけで十分だと考えているからだ。
だって私には現実が見えている。ゲームをプレイしていた時だってそうだ。私は、ヒロインのことを自分だと思い込んだことは一度もない。あくまで推しキャラとヒロインのカップリングを好んでいただけだ。
前世に私が抱いていた想いと、今の想いはそう変わらないと思っている。実際、私は前世からゲームの『西尾新平』というキャラクターに対して恋心を抱いていたのは間違いない。
私は今世で新平くんに出会って、あの時抱いていた気持ちそのままが再び私の中に湧き上がってきていることは自覚していた。でも、様々な出来事を通してこの世界は私の知るゲームの世界と別物ってことを理解して、新平くんのことを友達として大好きになっていった。
その感情すらを乗り越えて、改めて私はこの世界の新平くんのことが好きになった。それは、恋をしたという意味でだ。
今更ゲームがどうとかは考えない。私は、ちゃんと真面目に『茂部詠』としてこの気持ちをどう処理するかずっと悩んでいた。
勘違いだとは思いたくないし、だからと言ってこの恋を実らせたいという強い感情がある訳でもない。
心の奥底にある、私の気持ちにブレーキをかけている理性の名前は――罪悪感だった。
ここはゲームの世界とは違う。けど、私はキャラクター像として彼らのことを設定として知っている。それを利用して、好きな人をこの現実でも“攻略”するのはズルいと思ってしまうのだ。
そして何より私は。
……主人公ではない。
だから、こんな気持ちを抱いていること自体を恥じてしまう。そんな自分が情けなくて、堪らないのだ。
◆
考えごとをしていると時間というのはあっという間で、気付くと私は西尾家の前に立っていた。無意識にもちゃんとここへ辿り着けたことに自分で感心しながらそっとインターホンを鳴らす。
『はーい、どちらさま?』
「こんにちは。茂部です」
『あ! 詠ちゃん! 待ってて、今開ける!』
スピーカー越しに聞こえてきたのは恭くんの声だ。そのやり取りのあと、そう時間は掛からずにすぐ玄関のドアが勢いよく開かれる。
出てきたのは、まだ制服姿の恭くんだった。彼もついさっき帰宅したばかりなのだろうか。
「恭くん、居てくれてよかった。アポなしだったからまだ帰ってきてないか不安だったんだけど」
「あはは、そうだね。誰もいなかったらどうするつもりだったの?」
「そしたらポストに突っ込んでおくつもりだったよ。……はい、これをね」
私が小さな紙袋を差し出すと、恭くんは一瞬目を丸くさせてからすぐに綻ぶような笑顔を浮かべた。そして、恐る恐るといった手付きでそれを手に取る。
「例のもの。用意してくれたんだね!」
「つまらないものだけどね。恭くんは例によって、たくさん貰ったでしょ? 一応手作りだけど、他と比べると大したことないかもしれないから」
「そんなことないよ! 詠ちゃんがくれたってだけで大きな意味を持つから。ありがとう! すごーく大事にいただくよ!」
心底嬉しそうにそう言ってくれたので、私もなんだか照れ臭くなって笑ってしまった。竜さんには感謝しなきゃ。こんなにも多くの人から喜ばれるなら、やってよかったと思えるから。
……ところで、だ。恭くんにも勿論渡す用事があったけど、私は実情気になっている人物について尋ねることにした。
「あの……新平くんは? 帰ってきてない?」
「シンペーはね、一回帰ってきたけど出掛けて行っちゃったんだよね」
どうやら新平くんは不在のようだ。……そっか……どうしよう。新平くんにも渡さなきゃいけないのに。
「今日はもしかしてバイトだった?」
「ああ、いや違うよ。シンペーは今日はバイト入れてないはず、バイト先に人が押し掛けてくるからって。今日の逃げ回るシンペーは例年通り面白かったよ〜? 詠ちゃんにも見せてあげたかったなぁ」
そうなのか……なんだか、機嫌を悪くさせて雲隠れしている新平くんを容易に想像することができて笑いが込み上げてくる。本人は本当に苦労しているのだろうけど。
でもそんな中で、私が追撃していいのだろうか。ついこの間、恭くんからは「大丈夫だよ」と太鼓判を押されてはいるけども……。
「……恭くんに、新平くんの分を預けてもいいかな?」
「えっ? ……それは、俺は構わないけど。でもさ詠ちゃん、これは俺を通すんじゃなくて詠ちゃんから渡したほうが……シンペー喜ぶと思うよ」
恭くんは真剣な眼差しで、それでいてちょっとだけ笑いながらそう言った。思わず私の心臓は跳ねる、まるで私の心情を見透かされているような口振りだったからだ。……いやいや、まさかね?
「シンペーは荷物を持って出掛けて行ったけど……多分、自然公園の辺りじゃないかな。ほら、あの湖沿いの散歩道あるでしょ? あの荷物を持って行くのは、あの辺を彷徨く時だと思うんだよね」
「荷物……? えっと、自然公園の散歩道に行ったかもしれないってことだね?」
「うんうん、それでも会えなかったら連絡してみたらいいよ。それでもどうしてもすれ違っちゃった時はまた戻ってきて、その時は俺が預かったげるから。……でも俺はイタズラ好きだから、もしかしたら素直にシンペーに渡さないかもよ〜?」
冗談っぽくそう言う恭くんに、それはこまるなあと呟きながら私はスマホをちらりと見る。時間的に、まだ日が沈むまでに時間はある。
「分かった、取り敢えずその辺りに行ってみるよ。ありがとうね、恭くん」
「いえいえこちらこそ。セーラー服寒そうだね、風邪引かないようにね?」
「お気遣いまで、ありがとう」
恭くんに心配されながら、私は西尾家を後にした。ひとまずは恭くんが言った通り、大きな湖がある自然公園へ向かってみよう。
あの公園は有名なデートスポットだけど、時期によってはかなり人通りが少ない。今くらいの冬の季節がちょうどそうで、新平くんは逆にこの時期の閑散としたあの公園をよく好んで通っていたことはゲームでも描写されていたことだ。
私は自然公園を目指して再び歩き出した。今日はかなり冷える、冷たい風が吹いて思わず目を瞑る。マフラーを巻いているけど、曝されている耳や指先はジンジンと痛むのでキツい。
暗くなるとさらに気温は下がるだろう。日が沈む前に、なんとか新平くんに会えるといいんだけど。
駅を通り過ぎて、線路を跨ぐ歩道橋を渡る。するとちょうど電車が停車するタイミングだったようで、構内は電車から降りてきた人々で溢れた。
歩道橋の上からそれを見下ろしつつ歩く。電車から降りた人たちの中には姫ノ上学園の制服もちらほら見える。時間帯的に、部活を終えて帰ってきた生徒だろうか。
のんびりと歩道橋を渡り終えると、目指している自然公園はすぐ目と鼻の先だ。と言っても敷地は広いし、まだまだゴールと言い切るには早いだろうけど。
そう言えば……さっきの恭くんの口振り。荷物がどうとか言ってたけど、新平くんは公園に何の用事があって出掛けて行ったんだろう? ……まさかこんな平日にキャンプは有り得ないだろうし、ピクニックってキャラでもないよね。そもそもこんなに寒い中でそんなアウトドアなイメージはないし。
公園の入り口まで辿り着いて、軽く前方を見渡してみる。これは……見事に人の気配がない。新平くんの姿も見えない……入れ違っちゃったのかな?
恭くんが言っていた通り、一度新平くんに連絡してみようか。ポケットからスマホを取り出して、新平くんの連絡先を表示した時だった。
「――――っ? はっ……!?」
「あれ。気付かれちゃったぁ」
――私の背後にぴたりとくっついて立つ誰かがいたことに気が付いた。
あまりにも近かったので思わず驚き、距離を取る。
次いで聞こえた声には聞き覚えがあった。それから顔を見て、確信した。
「また偶然出会っちゃったね? ……モブ先輩」
「東条……くん」
目立つ銀髪に、駒延高校の学ランに身を包んだ姿のその人は、東条ダイヤ。歳下とは思えない威圧感を携えて、微笑を浮かべながらもその目は全く笑っていない冷たさを宿して私を見ていた。