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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
六章〈推し活とガチ恋は別物〉
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「何だかちょっと久しぶりね。元気だった? っていうのも変な感じよね。電話とかはしていたから」


 平日の放課後。バレンタインデーをいよいよ明日に控えた今日、私は駅前の喫茶店でトラと……


「今年もよろしく、詠」


「ああ、そう言われれば今年まだ会ってなかった……? っと、こちらこそ。今年もよろしくね、美南くん。もちろんトラも!」


 ……美南くんの三人で、お茶をしているところだった。


「とりあえず、はい」


「あらありがと。それじゃ私からも、どうぞ」


「俺もつまらぬものだが、用意した。受け取ってほしい」


「わあ、美南くんまで。ありがとう――ってこれ、超高級ブランドのフルーツティーセット……!?」


 二人に渡したのは、昨日私が家で作ったガトーショコラ。綺麗にラッピングもして、少し早いバレンタインの贈り物だ。明日は美南くんがバスケの試合で、トラもその応援に行くとのことで都合が合わなそうだったために今日会うことにしたのだ。


 対して、トラがくれたのは小綺麗な包装紙に包まれた小さな箱。『日頃の感謝を込めて』……というメッセージカード付きで。これは、セレブ向けの百貨店の地下で売っているやつだ。

 そして美南くんからも私に用意してくれたらしい。これはまた腰が抜けそうな、私でも知っている超高級ブランドのロゴと包装紙だ。やっぱり美南くんの金銭感覚は私とかなり乖離しているようだ、こんな高級品は普通学生のバレンタインに渡すものじゃないだろうに。


 とは言え、突き返すと美南くんは捨てられた子犬のようになってしまいそうなので、ここは三回程度感謝の意を述べてありがたく頂戴することにした。


「ところで美南くん、明日が試合って話だけど。今日の練習は大丈夫なの?」


「ああ、大丈夫だ。いつも俺は試合の前日の練習は控えめにするんだ。前日に打ち込み過ぎてはいけないとトラからも言われているしな。気合いが入り過ぎてしまうと怪我の元になってしまう」


 聞きながら私がトラに目線を送ると、トラは右目だけをゆっくり閉じて軽く首を傾けた。


 ――実は、私にも心当たりがあった。乙女ゲームというのは大体、一つのルートを突き詰めていたとしても他キャラ専用のイベントがふとしたタイミングで差し込まれることが度々あるものだ。

 その内の一つに、この美南くんの部活に関するイベントがあったはずだ。これは彼の好感度に関わらず発生する、それでいて彼という人物像を掘り下げたイベント。それは、美南くんが試合の前日に打ち込み過ぎて足を捻ってしまったことを部活のメンバーに隠し、一人で怪我の処置をしているところに出くわすというもの。


 確かスチル付きのイベントで、普段はクールに表情一つ変えない美南くん(現実の美南くんは違うけど)が珍しく狼狽え、そして人間らしい姿を見せてくれるのだ。美南くんのルートを進めていなかった私は、彼の見せた意外な一面におっと驚かされたことを覚えている。

 それでいて、気になるそのイベントの続き……試合の結果については、美南くんのルートに入っていなければ分からないという仕組みだ。まあ上手くできてるよね。


 ――トラは、このイベントフラグを立てないために目を配っているということか。やっぱり何だかんだで放っておけない、トラにとって彼はそれほどまでに大切な存在なんだろう。……それを指摘するのも野暮だから、本人には言わないでおくけどね。


「親善試合だし、そんなに気合い入れることもないと思うのだけど」


「どんな形であれ、記録に残る試合だ。何一つ手を抜いたりはしないさ。俺にはバスケしかない、将来のためにもな」


「そうね、あんたはそういうタイプだったわ」


 トラは飽きれたように言うけど、それでいてどこか嬉しそうに笑った。そしてトラが笑うと、美南くんも少しだけ口角が緩むのだ。こうして見ると本当に美南くんは以前と比べて表情豊かになったと思う。そして、そうさせたのはトラなのだろうと実感する。


「……美南くんはやっぱりスポーツ推薦を狙ってるの?」


「ああ、そうだ。やはり選手を目指したいし、将来的にはコーチになりたいと思っている」


「そうなんだ。応援してるよ……あ、そうだ。今の内にサイン貰っておこうかな?」


「気が早いと思うが、詠の頼みなら百枚でも書くぞ」


 そして、相変わらず冗談なのか本気なのか分からないところは健在のようだ。


「トラの進路は、もう決まってるの?」


「取り敢えず近い大学には行こうと思ってるわよ」


「近いって言っても、この辺りの大学はかなりレベル高いんじゃなかったっけ?」


「まあ、そうね。頑張るわ」


 何でもないように言っているけど、トラの成績がかなり良いってことは美南くんを通して知っている。当然のように推薦枠を勝ち取って知らない間に決まってそうな、抜け目のないのがトラだってことを私はよく知っている。


「そう言う詠は何やら不安げね?」


「え? うーん……まあそうかも。不安というか悩むというか、それほど深刻には考えてないんだけどさ」


 先日、お母さんと進路の話をしたことで私ももう一度真剣に自分の進路について考える日々を送っている。

 特にやりたいことがない私は就職して自由に生きることを選ぼうと思っていたけど、それってやっぱり考えることを放棄してただけなんじゃないかと思えてきてしまって。……かと言って、やりたいことなんて思いつきもせず。


「私に向いてることってあると思う……?」


 私は何の気無しにそう聞いてみただけだけど、トラと美南くんは小難しい顔をして黙り込んでしまった。そんなに真剣に考えることじゃあないのに……。

 っていうか、やっぱりパッと出てこないというのが自分がいかに“モブ”なのかを思い知らされている感がすごい。少しだけ傷ついたぞ。


「詠。これは手作りか?」


「あ、うん。最近ちょっとバイト先で修行しててさ」


「そうか……では料理の道はどうだろうか?」


 美南くんは私が先程渡したガトーショコラを掲げてそんなことを言う。料理、料理か。お母さんにも同じことを言われたことを思い出す。


「料理人になるってこと? うーん……実はお母さんにも似たようなことを言われたんだけど、自分の中ではいまいちピンと来ないんだよなあ」


「料理ね。いや、向いてるんじゃない? ただし料理っていうより、詠は献立を考える方が向いてると思うわよ」


 トラの言葉に顔を上げ、彼女の顔を見るとそれは嘘を言っているようには見えなかった。どうやら本心であるらしい。


「時々帰ってくるお母さんに料理を作ってあげてるでしょ? たまにだけど食材の買い物に私も付き合ったことがあるでしょ。その時、ちゃんと考えてるんだなあって思ったのよ。それに献立で悩んでいる姿を見たことがないわ」


「なるほど。栄養士か、確か県内に専門学校があったはずだ。……ほら、ここだ」


 トラの隣でスマホを弄り、すかさず検索結果を見せてくれた美南くんの手元を覗き込む。……専門学校。家からは少し遠いけど、確かに県内有数の専門学校だ。


「駒延高校で進学する生徒がどれほどいるかにもよるかと思うけど、上手くいけば指定校推薦も取れるんじゃないかしら。詠も、真面目に勉強してるんだから学校も後押ししてくれるでしょ」


「そうかなあ……」


 トラの横で美南くんもこくこくと小さく頷きを返している。――二人が割と真剣にそんな話をしてくれる中、少しズレた感想になってしまうけど……この二人、話を乗せるのが上手いなあと思った。この数分間で随分と自己肯定感が上がった気がするよ。


「誰かしらに相談するって、大事なことかもね」


「力になれただろうか? これからもぜひ頼ってくれ」


「そうだね、頼りにさせてもらうよ」


 まるで犬のような反応を見せる美南くんに癒される。トラも耐え切れずに吹き出しているのを見るに、もうすっかりこの二人の溝は消えたのだと思った。結局まだ付き合ってはいないみたいだけどさ。


 ――さて。明日はいよいよバレンタインデー当日だ。



 今日は早めに家に帰って、


 ……“本命”の準備をしないとね。

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