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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
六章〈推し活とガチ恋は別物〉
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 火曜日の夕方。建付けの悪い玄関を開ける音が聞こえて、その後控えめな足音が近づいてくる。


「ただいま。今日は居たのね」


「おかえり」


 振り返ると、少し皺になっているスーツに身を包んだお母さんがいた。今日は……先週よりは顔色がいい。けど、相変わらずメイクが濃いから実際のところは果たしてどうだか。


「夕飯は今できたばっかりだから温かいよ。冷めない内にどうぞ。はいお箸」


「あらーいつもありがとね。今日はバイトじゃなかったの?」


「今日はちょっとね」


 普段はバイトの前に作り置きしておいて、私が帰宅する頃には入れ違いになっているのがいつもだけど。

 お母さんが帰ってくるであろう今日は、あらかじめ竜さんと調整して休みをもらっていた。それにはちょっとした理由がある。


「揚げ物?」


「いいからご飯食べて待ってなよ。まだできてないから」


 今日はお母さんに、バレンタインスイーツを振る舞おうと思って用意していたものがあるのだ。




 ・・・ ・・・




 油を切って、湯煎で溶かしたチョコに浸す。その上に砕いたナッツを乗せて……お母さんの様子を伺うと、ちょうどお皿を下げたところ。まあ、いいタイミングかな。お母さんも何も言わないけどこっちが気になって堪らない様子でチラチラと視線を送ってきているし。


「デザート食べる? ちょっと脂っこいけど」


「上等よ!」


「いい返事するねえ」


 チョココーティングをした、揚げたてのドーナツ。これも竜さんに教わったレシピの一つだ。油を使うから少し抵抗があったけど、やり始めたらこれがまた楽しかった。


 テーブルに並べて、お母さんと向かい合って座る。思い返せば、こうして食卓に並ぶのはかなり久々かもしれない。


「ね、食べていいの? いいのよね?」


「いいけど熱いから気をつけなね――って言う前にがっついてるし……」


「あふっおいひい! ふふぉいわぁ!」


 綺麗なメイクだったのに、口周りをチョコまみれにしてドーナツにがっつくお母さんに少し笑ってしまった。食べ方とかは結構上品な人なのに、初めて見る子供っぽい姿は意外だった。

 私はお母さんの趣味とか、好みとか、実際に聞いたことはなくて何となく察していることくらいでしか情報を持っていない。だから、前々から思っていたけどやっぱりお母さんは甘党なのかもしれないと今やっと確信を持てた。


 余ったらさらに誰かにあげようかなとも思って多めに作っていたけど、この様子だとお母さんが全部平らげてしまいそうな勢いだ。まあ、初めからお母さんに振る舞おうと思っていたから全然構わないんだけどさ。


「あんたさあ……いつの間にやら立派な大人になっちゃったのねえ。嬉しいやら寂しいやらで胸がいっぱいだわ」


「んん? なによ急に」


「ついこの間までこんなに小さな子供だと思ってたのにねえ。その分私も歳取ったってことじゃない? あー嫌だわ全く。ま、娘が順調に成長してるってことだしまだマシよね」


「いや、お母さんは歳の割りには見た目も中身も若い方だと思うけど……その発言は確かにちょっと年寄りっぽいかも……」


 心の中に留めておくつもりの本音が思わず口から零れると、お母さんは「なんだと!?」と一瞬目を吊り上げたけどすぐにくしゃっと笑ってみせた。……でも、改めて。その表情には昔よりも小皺が目立っていて、別の意味で切ない気分になる。

 お母さんが言っているように、反対に。お母さんが歳を取っている分、私も同じ数だけの歳を重ねているのだ。


 来年にはもう、名実共に大人として自立しなければならないということで。


「詠は高校卒業したらどうするとか決めてる訳?」


「ん……まあ普通に就職かなって」


「えっ嘘。やりたいこととかないの?」


「いやだって、どこにそんなお金が?」


 言ってからしまったと思った。途端にお母さんの表情が凍りついたのが分かった。私にそんなつもりは微塵もなかったけど、あまりにも嫌味っぽい言い方だったかもしれない。


「まあその、お金かけてまで学びたいことも今は特にないと思ってるから。だったら就職しちゃったほうが後々いいでしょ? あの高校じゃ大した学歴にもならないし」


「……音楽とかは? 興味ないの?」


「え? ……そうだなあ、趣味としては楽しんでるけど、それだけでやっていくには厳しい世界じゃない……?」


「じゃあ料理だ。センスはある、今からでも遅くないわ」


 食い気味に言ってくるお母さんと、たじろぐ私。この人は……私にどうにか進学してほしいってことなのだろうか。


 でも分からない。生活が厳しいのは事実なんだから、私が就職するのが一番丸いと思うのに。進学することでお母さんが得られるメリットでもあるのかな?


 ……と、そんなことを考えていると。この人の察しがいいのか、それとも私の母親だからなのか……私の心の内を見透かしているのであろう、小さなため息と共に「私の損得の話じゃなくてね」と切り出した。


「あんたに、本当にやりたいことがあるならそれを優先して構わないのよって言いたいの。進学はそりゃお金かかるかもしれないけど、別に絶対無理ってレベルの話でもないし。それにあんた、ちゃんと真面目に勉強はしてるんだから奨学金借りれるでしょ?」


 ――だから、本当にやりたいことはないの?

 と、念押しされて聞かれる。それには私も思わず押し黙ってしまった。というか、お母さんからこんなに深い話が出てくるとは思わなかったし、私についてどう思っているのかとかを聞いたことがなかったから驚いた。


「自分が将来どんな姿で、どんな形で社会の役に立ちたいのか。それをよく考えて、それに向かって頑張りなさい。その結果が今からでも働きに出たいのであればそうしなさい、とにかく選択肢の幅は広げて考えたほうがいいわ。後悔しなきゃ何でもいいけどね」


 口周りをチョコまみれにしながら語るお母さん。その口振りは軽いものだったけど、声色はいつになく真剣なものだったと思う。


「それにしても」


 ちゃっかりと三個目のドーナツに手を伸ばしたお母さんは、くしゃっと笑いながら続ける。


「詠がちゃんと学校生活送れてるのは、私としてはあまりにも感慨深いわねえ」


「そ、そう?」


 チョコで顔が汚れているというのもあるけど、こんな風に無邪気笑っている顔を見るとどこか幼さを感じる。母親に対して幼いと感じるのはまた複雑なところがあるけど、それはまあそれとして。何だか、今日は新鮮な気分になることが多い。


「友達とは上手くやれてるの?」


「それはまあ、うん。多分?」


「そう。彼氏はできないの?」


「っゴホッゴホッッ!!」


 あまりに予想外な問い掛けに盛大に咽る。手元に置いてあったお茶をすすり、取り敢えず落ち着くことに専念する。


「え? なによその反応、まさか本当に……?」


「違う! いない、いないよ彼氏なんて! できる訳ないでしょこの私に!」


「そう? あっじゃあ、好きな人はいるのね。その反応は」


「!?」


 なんで分かるの。と、私が口にする前にお母さんはニヤけながら、「母にはお見通しよ」と言った。そして手には食べかけのドーナツが。


「いいわね〜青春! どんな男が好きなのよ、詠?」


「っ、――――き、聞いてどうするの!?」


「ツマミにするのよ〜ぅ。あ、そうそう……飲んだくれはやめときなさいよ? 煙草はまあ許すわ」


「飲んだくれって、私まだ高校生なんだけど」


 斜め上のアドバイスを飛ばしながら、お母さんはやたらと楽しそうにケラケラと笑っていた。何かと聞かれるかと思ったけど、それ以上を詳しく追求してくることはなかった。だけど、お母さんは満足気だ。


 ――そのあと。お母さんとしばらく取り留めのない雑談をダラダラと続けて、あっという間に夜も耽ってしまった。

 久々にお母さんとしっかり話したけど……認める。楽しかった、かなり。


 お母さんも同じ気持ちだったかどうかは分からないけど、その日は珍しく家に泊まって。翌朝にまたどこかへと出掛けて行ってしまった。

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