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バレンタインまで残すところ一週間を切った。今日も私はアルバイトこと竜さんのスイーツレッスンに勤しんでいる。
料理自体、私はそれほど得意って訳じゃなかったんだけど、お菓子作りに関してはからっきしだった。でもかなり板についてきた……ような気がする。どうなんだろう、自分じゃそう思ってるけど。実際、竜さんのお手本と比べるとやっぱり見劣りするというか。……もっと前から取り組むべきだったかなあ。
「おっ、美味そうだ。かなりいい出来じゃないか? もうそろそろ俺も引退かなぁ」
「そうですか? 竜さんに比べればまだまだですよ」
と、私が出来上がったチョコブラウニーを乗せたお皿を手にぼうっとそんなことを考えていると、私の心を読んだのか竜さんが優しいフォローを入れてくれた。そう言ってもらえると自信はつくけど、私が言ったことも本心だ。
「いやいやホントに。このままメニューに出してもいいと思うぞ? あっでも詠ちゃんの手作りをどこの馬の骨かも分からない野郎に食わせる訳にはいかねぇな」
「いやいやそんな……それに普段から普通に私が焼いたホットケーキとかお出ししてるじゃないですか」
「チッチ……この時期のチョコメニューと言ったら、女子高生の手作りをそう簡単に店に出すわきゃいかねーよ。それこそ格式高い、俺が認めたような相手じゃなきゃあ……」
……なんて会話をしていたら、ジャラランと店の扉のパイプチャイムが鳴り響いた二人揃って入り口へ身体を向ける、と。
「こんにちは〜、お疲れ様です〜」
「おー、らっしゃい。言ったそばから文句なしの色男のお出ましだよ」
「ん〜? なんですか、僕のことですか?」
現れたのは黒のレザーコートを見事に着こなしている、誰が見てもイケメンと答えるであろうイケメンこと中言先生だった。そう言えば、中言先生ともしばらく振りだ。
「何だか今日はいい香りが漂っていますねぇ。今日はコーヒーじゃなくて抹茶ラテにしちゃいましょうかね〜」
「いらっしゃいませ、先生。……これ、食べます? 今ならタダでご提供していますが」
「ええっいいんですか?」
ここで作ったスイーツは、食べられる分は竜さんとここで食べて、残りは私が持ち帰っている。どうするのかって? 私が家で全部平らげているのだ。この一週間。……肌荒れとかは元々しない体質だからいいけど、体重がちょっと恐ろしい。ので、減らせる分はここで減らしておきたいのが本音。
私がお皿に取り分けて、中言先生に手作りだと伝えると「わぁ〜ラッキーだなぁ」といつもの調子で喜んでくれた。
「疲れた時には甘いもの。身に沁みますねぇ〜」
「なんだよタカ、お疲れか? 最近は顔出してなかったし、忙しいのかよ?」
「あ〜はい。まぁ、前々から忙しくはあったんですけどねぇ……最近はどうも……ちょっと色々ありまして」
先生はにこやかにそう言ってはいるけど、どことなく苦笑いにも見えた。忙しい……仕事がってことだよね。完璧の王子である中言先生は愚痴とかを全く言わないしそんな素振りすら見せない人だと思っていたけど、そうも言っていられないほどに参ってしまっているということだろうか。
「なんだかもう、生徒指導が大変なものでして……」
「生徒指導……? 先生って風紀委員会とかも担当してるんですか?」
「ああ、いえ。僕の受け持ちは吹奏楽部だけなのですが、昨年度からどうも問題を起こす生徒があまりに多くて。若教員たち総出で生徒指導を対応しているのが実情なんです。それで、僕の場合は部内でも色々と問題がありましてねぇ……」
「そ、そんなことが……?」
中言先生が生活指導員を務めているイメージはなかったので思わず聞いてみると、生活指導員とは少し違う役回りらしい。とは言えその内容は気になる。問題を起こす生徒に手を焼く中言先生……? 私が知らないだけで、中言先生のルートだとこんなイベントとかもあったりするのか……?
「なんだい、問題児に翻弄されてるってか。タカをこんなに唸らせるガキンチョって一体なにをやらかしてるんだぁ?」
「いやいや、可愛らしいものだと思いますよ。遊びたい盛りだと思いますし、ただ校則に違反してしまっているから我々も叱らなければいけないというだけで。……ただ、近隣住民の方々から苦情を受けてしまったりとかで、最近は少しばかり僕も堪えていまして。ただ一番大変なのは、部活動があまりにも上手くいかなくてですね。流石の僕もへこたれてしまいそうなんです」
そう言うと先生は大きなため息と共にガックリと肩を落とした。こんな姿は初めて見る……それに意外だった。と言うか、中言先生をこんなに苦しめる姫ノ上学園の生徒たちって。あの学校は一応名門校だし、格式高い学校という設定があったはずなのに、そんなに素行が悪い生徒で溢れているっていうのも想像できなかった。
それに、中言先生が言った部活動について。それについても私は少し深く聞いてみたいことがある。
「吹奏楽部の活動が上手くいってない、というのは?」
「う〜ん……僕がそんな感じなので、顧問である僕があまり練習に参加できていないことが一番の原因だとは思うのですがね。困ったことに、部員の出入りが激しいんです」
「出入り……? 参加率みたいな?」
「そうとも言えますかねぇ。……詳しく言うと、入退部が激しいってことです。入部はいつでも大歓迎なので基本お断りすることはないのですが、大事なコンクールやイベントの近くだと新入生への指導に時間はあまり割けませんし……いえ、それよりも大事なイベントの直前にいつも欠員が出てしまうことに一番困っているんですよね。今年度の夏のコンクールでもそうでした、三年生にとっては最後の大会だったのに……僕が至らないばかりに、散々な結果で申し訳ないです」
先生はそう言いながら、今度こそ目に見えて分かりやすく悄気げてしまった。初めて見るその姿に私は勿論、竜さんも慌てたようにして隣の私へ「どうするよ!?」と言わんばかりの視線を送ってきた。
「……そう言えば夏頃にも、問題児だらけで大変だって話とコンクール前に欠員が出たって聞いたような。そういうイベント事の直前に辞めちゃう人がいるってことですか?」
「ええ。まぁ、高校生の部活動ですし……有り得ない話じゃないってことは分かってはいるんですが。こうも上手くいかないことばかりだと中々キツくって。それに、今から今年の夏が不安で堪らないんです……」
「そうなんですか……」
なんて慰めたらいいのか、私も竜さんも大したことは言えずに暗い空気だけがこの場に落ちる。竜さんは焦っているし、私もまた困惑していた。
中言先生は知っての通り、天才的な音楽センスを持ち合わせた人物だ。名だたる音楽大学を卒業しており、教師としての担当科目も音楽。そんな先生が率いる姫ノ上学園の吹奏楽部は、毎年全国大会まで勝ち進む実力派揃い……という設定だったはずだ。
それが今や、中言先生は生徒指導に翻弄され、部員は不真面目なのかは分からないけど欠員だらけって。……ゲームでの設定とは異なることが多くあるこの現実において、これもその一つってことになるのかな? とは言えこれじゃあ中言先生があまりに不憫だ。だって先生はゲームでの設定通りに完璧で優秀な教師のはずなのに――まあ少し、“佐藤先生”のことになるとその人物像も崩れる部分はあるかもしれないけど。
「相変わらず、女子部員ばっかだし案の定タカ目当ての女子が多いと思ってたんだが……だからこそキツい練習に耐えかねてってなっちまってんのかぁ?」
ぼそっと竜さんが呟いた。そうか、そういう説もある。いやでも、中言先生はそんなに厳しい人じゃないしスパルタってイメージもない、ただし指導力と実力があって、姫ノ上学園の吹奏楽部は全国大会の常連だって話じゃなかった?
もしかすると、ここにも原作との乖離事象……何かしらが影響しているとか、考えられる?
ヒロインが入部してもしなくても吹奏楽部の設定そのものに影響はなかったはずだし、一概にこれも“灰原さん”の影響とも考え難いけど――。
「……そうだ。誰かを抱き込めばいいんですね」
「ん?」
「練習が楽しくなるように、練習に毎日参加したくなるように、そんな工夫を凝らせば部員が定着するかもしれません。そうだっ、その手がありました!」
突然顔を上げた中言先生に、思わず竜さんも面食らっていた。先生の表情は先程と一転、明るい笑顔が滲んでいる。何か解決案を思い付いたみたいだけど、何となく要領を得ない。
「前々から狙っていたこともあるのでちょうどいいですね。うんうん、光明が見えてきた感じがします。あっこれいただきますね、う〜ん美味!」
……なんかよく分からないけど、途端に元気になったみたい。先生は私が盛り付けたチョコブラウニーを口に運ぶと、溶けそうな笑顔を見せてくれた。私の隣に立つ竜さんも、訳が分からないといった様子で肩を竦めてはいたが……中言先生は一人で立ち直ったみたいだし、ひとまずは安心した様子でブラウニーをつまんでいた。