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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
六章〈推し活とガチ恋は別物〉
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 休日、電車に揺られながら私は今週を振り返っていた。


 竜さんのスイーツレッスンのおかげで、今週は三つのレシピを手に入れた私。いよいよバレンタインを来週に控えたところで、レシピを揃えてもラッピングのことを失念していた。それに気がつき、大型ショッピングモールがある隣町へ向かっているという訳だ。


 ……でも、ラッピングと言ってもなあ。そもそもまず、誰に何を贈るのかも全然決めてないのが現状なんだけど。

 まあ、実のところは気晴らしというか。何となく出掛けたくなっただけなんだけどね。


 取り敢えずはショッピングモールを適当に歩いて、ピンと来るものがあれば買っちゃおう。そのくらいの軽い気持ちで、私は駅の構内を颯爽と歩いた。




 ・ ・ ・




 ――大型ショッピングモールとなると、やはり近所のスーパーとは雰囲気が全然違う。当たり前だけど。

 でも何が言いたいのかと言うと、店内はまさにバレンタイン一色。どのお店に言ってもバレンタインセール、キャンペーンを掲げていて、どこに目を向けても大体ピンクの何かが飾られている。


 おかげでインスピレーションは刺激されるけど、ここまで一色だと逆に気持ちが疲れるというか。そしてきっと気のせいじゃなくて、何だか普段よりもカップルらしき二人組を見かけるのだ。何なんだろう、まあ週末のショッピングモールと言ったら中学生や高校生カップルはよく歩いているものだとは思うけど……。



「――あ」


 そんなことを考えながら、下りのエスカレーターに乗っていた時。ふと真横から聞き覚えのある声が聞こえた……ような気がした。

 でも本当に気のせいかと思って、特に振り向いたりとかはせずにそのままぼうっと、前を見たままエスカレーターが下りきるのを待っていると。


「待って! ちょっ、ちょっと!」


 ……これはもう、気のせいじゃなかった。声の方向に振り向くと、すれ違い様――私が下りなので、上りのエスカレーターに乗っていた一人の人物が必死に私を見ながら手を振っていた。


「こっち、こっち――!!」


「……きょ、恭くん!?」


 ここからじゃ表情ははっきり見えなかったけど、聞こえた声とあの栗色の髪は恭くんだった。そのまま私はエスカレーターを下って、しばらくその場で待ってみる。


 何人かがエスカレーターを下りてきたところで、早足にトコトコと下りてきたのはやっぱり恭くんだ。今日も今日とてお洒落なコーディネートで、すれ違う若い女性はみんな恭くんに釘付けになっていた。

 そしてそんな恭くんは輝かんばかりの美しい笑顔を私に向けているので、自ずと私にも注目が集まり……私は一度襟を正す。正したところで何か変わるって訳じゃあないんだけどね。


「やっほー、久し振り。ごめんね呼び止めちゃって! たまたま見かけたもんだからつい嬉しくなっちゃってさ」


「恭くん、久し振りだけど体調は大丈夫なの?」


「すこぶる元気だよ! この通りっ」


 恭くんと会ったのは、それこそ去年の夏……あの灰原さんが発狂した事件以来だ。あれ以来、新平くんから恭くんの様子は聞いたりしていたけど、本人とはメッセージでやり取りするくらいで会ったりはしていなかったから。

 けどこの様子を見るにしっかり調子は取り戻したらしい。ファイティングポーズを構えているくらいだし、何なら前より元気なくらいだ。思わず笑ってしまった。


「ところで一人なの? なにか用事?」


「私はちょっとした買い物に。もう済んだから適当に歩いていたところだよ、一人だから退屈だしもう帰ろうかなって」


「そうなんだ! それじゃあさ、帰る前にちょっと寄り道していかない? 俺も今日は一人で来ててさ」


 随分と楽しそうにそう言う恭くんは、言いながら近くに置かれていた大きな看板を指差した。なんだこれ、バレンタインフェス……広告?


「“カップル限定スイーツ特売”……?」


「三階のカフェでキャンペーンやってるんだ。二人組(カップル)で行くと限定のスイーツが頼めるんだ、せっかくだし行ってみようよ」


「カップルって書いてあるけど……」


「大丈夫だよ多分!」


 恭くんに背中を押されるようにして、私はそのキャンペーンとやらを開催しているカフェへと連れて行かれた。


 どうせもう帰るだけだし、何なら軽く食事してから帰ろうと思っていたので丁度よかったけど……いざそのカフェに辿り着くと、店内はそんなに混み合ってはいないものの、何というか。……カップル、横を見てもカップル。とにかく甘〜い雰囲気で満ち溢れたその空間に圧倒された。


 同時に腑に落ちた。それで今日はやたらと男女二人組を見掛けたのか……もしかするとここ以外でもこんな感じのキャンペーンをやっているのかもしれない。

 ということで、つまりは店内にいる人たちのほとんどがカップルで埋め尽くされているのだ……!


「いらっしゃいませ! 二名様ですね。ただいまバレンタインキャンペーン開催中ですので、ぜひこちらをご注文くださーい!」


「はーい、どうも〜。ようし、あっちの席に座ろっか!」


「あ、うん……」


 受付カウンターに立つ店員のお姉さんは私たちを見るなり、流れるような所作で限定スイーツのメニューを手渡してきた。……カップル認定されたってことだよね私たち。それより平然としている恭くんに少し驚いた、嫌じゃないのかな私とそんな風に見られることは……。


 窓際の景観のいい席が空いていたので、恭くんと向かい合わせになって座る。一応店内をざっと見渡したけど、幸いにも知り合いは居なそうだ。とは言え、周りがカップルだらけなので少し緊張する。……まあ、どの席のカップルもラブラブモードで会話に花を咲かせているので、視線を浴びるってことはないんだけど。


「うわ〜流石、どれも気合い入ってるね。これってカップル限定じゃなくて普通に売り出したほうが儲かるんじゃないかな?」


「確かに……って、ん? 納得しちゃったけど、恭くんもそんな現実的なこと言うんだね!?」


「言うよぉー、俺もオトナだよ? ……ちょっと変わろうと意識してるところはあるかもだけど。でも、ほら俺って喫茶店でバイトしてるじゃん。それもあるよ」


 少し意外だった、恭くんの発言に思わず突っ込んでしまった。恭くんはいつものようにケラケラと笑っているけど……いや本当に、恭くんが新平くんみたいな(・・・・・・・・)ことを言うとは――、


 ――そこまで考えて、はっとした。思い返せば私たちはここ一年で色んなことがありすぎた。恭くんも、ゲームで設定された性格から変化したって可笑しなことじゃない。

 一時期は体調を崩すほどの展開を迎えてしまった恭くんの『約束』……本人は大丈夫だって笑っているから、これ以上深堀りしようとは思わないけど。恭くんの性格や考え方までもに影響を与えてしまった出来事があったってことなんだから、やっぱり私は未だに心配してしまうよ。


「それじゃなに頼む? ――“詠ちゃん”」


「――――、……っと、そ、あー……じゃあコレとかにしようかな。店長オススメってやつの……」


「ん、いいね。俺もそれにしようかと思ってたんだ、同じのにしよっか! あ、すいませーん」



 …………びっ……くりした、聞き間違い? じゃ、ないよね。恭くん、私のことを名前で呼んだ。少し狼狽えたけど、別にそんな過剰反応するようなことじゃないし。


 私は大抵、名字で呼ばれることのほうが多い。変な名字で珍しいし、クラスで誰かと被るってこともないし。名前で呼んでくる人と言えばお母さんと、竜さんと、あとは友達の中ではトラと美南くんくらいかな……学校の友達やクラスメイト、先生からも大体は名字で呼ばれていた。とは言え、誰かから名前で呼ばれることくらいはあるから違和感とかはないんだけど。


 恭くんとはしばらく会っていなかったけど、彼は確かに私のことを名字で呼んでいたはず。それが突然……突然なのかな?

今まで変わってたことに気付いてなかっただけかもしれないけど。ま、まあ、だからと言って何だって話。少し、驚いたってことだ。


 私が狼狽えていることに気付いているのかいないのか……恭くんは近くの店員さんを呼んで、二人分の注文を済ませてくれた。恭くんが呼んだ若い女性の定員さんは、にこやかに話す恭くんを目の前に少し頬を赤らめていた。……流石は王子……少し話しただけの相手も惚れさせるとは罪な男。そして、注文を受けて去っていく最中にその店員さんはもの凄い眼光で私のことを睨み付けていった。

 その理由が分からず戦慄したけど、冷静に考えてそう言えばこのメニューはカップル限定のものだ。ってことは、私のことを彼女だと思って…………こ、怖い。ごめんなさい、こんなちんちくりんが恭くんのカップル役なんかを務めてしまって。


「バレンタインかー、来週だね。詠ちゃんの学校はチョコ禁止とか言われてたりするの?」


駒延(ウチ)は……特には言われてないよ。姫ノ上学園はちょっと厳しく言われるんだよね」


「あ、知ってた? そうなんだよ、普段はおやつとか持ち込み全然自由なのにさ、バレンタインデーに限ってチョコの携帯禁止っていう謎の校則があるの。なんでだろうね?」


 つい口が滑ってゲームの知識を口走ってしまったけど、恭くんは腕組みをしてうんうんとそれに唸るだけだった。

 そう、これが姫ノ上学園のバレンタインイベント……ちょっとしたミニゲーム要素で、生活指導員からの追跡を躱しながら推しキャラにチョコを渡すために奮闘する。そんなトンチキイベントのために用意された謎設定だ。


 と言っても、一応はこれに関する裏設定のようなものがあって……これは私も小耳に挟んだ情報だけど、中言先生のルートを進めることで明らかになる設定らしい。何でも、中言先生がモテモテ過ぎて毎年職員室がチョコで溢れ返るのを防ぐためらしい。ちょっと笑ってしまったよね。


「そうは言ってもみんなこっそり持ってきてるんでしょ? 去年もたくさん貰ったって新平くんから聞いたよ」


「あはは、そうだね。ロッカーに入れてくれてたり、放課後にこっそり渡してくれる子とかいたなぁ。ロッカーを勝手に開けられたのはちょっと嫌だったけどね」


「恭くんほどにもなると毎年大変そうだね……」


「大変? いやいやまさか、寧ろ逆だよ。俺は大好きだよバレンタインデー! チョコ大好物だし、お返し考えるのも楽しいしさ。ロッカーに入ってたやつとかは誰からのものか分からないから困るけど……毎年楽しみにしてるよ!」


 笑いながら話す恭くん、嘘を言っているようには見えない……本当に楽しみにしているみたいだ。それに、律儀に全員にお返しも用意していると。ってかそもそも、恭くんは自分が毎年こんなに貰えるってことを異常だと思ってもいないようだ。中には本命チョコも紛れていることだろうに。


「あーでも、去年はシンペーの分までお返し用意しなきゃだったからちょっと大変だったかもなー」


「あーそう言えば……恭くんの分まで自分に来たとか言ってたっけな」


「へぇ、シンペーそんなことまで詠ちゃんに……そうなんだよ。でもそれってさ、絶対に俺じゃなくてシンペー宛てだったよね? だから俺もちゃんとシンペー名義で用意したんだよ。いやーあれは気まずかったなぁ、シンペー名義にはしたけどお返し渡したのは俺からだったからみんな目丸くしてたもん」


「恭くん、普通に苦労してるじゃん……」


 そう言えば去年の話、新平くんは自分のロッカーに入っていたバレンタインのチョコを恭くん宛てのものと勘違いして全部引き渡してやったと言っていた。恭くんはその分も含めてちゃんとお返しを用意したと言う、恭くん本当に律儀ですごいな。それにしっかりと渡した側への配慮も考えて新平くん名義で用意するって、流石モテ男はこういうところに出るのかもしれない。


「……でもさぁ。シンペーは多分、分かっててやってるんだよ。ちゃんと自分宛てって気付いてて俺に横流ししてるんだと思うよ」


「え――そうなの?」


 すると、恭くんは少しだけ声を潜めてそんなことを言った。分かってて横流し……そうなのかな? 私が聞いた時の感じだと、本当に勘違いしてたような気がしたけど。


「お返し用意したりとかが面倒だからって。直接渡しに来た子はキッパリ突き返してたし、そもそも受け取らないんだよ。ロッカーとかに入れられてたやつだけは仕方なく持って帰って俺に渡すんだ。まあ、俺としては食べるの苦じゃないし全然構わないんだけどねぇ」


 ……少し呆れたようにしながら話す恭くんに頷きつつ、私は内心困惑していた。

 新平くん、分かっててやってたのが本当なら……去年私は、その場で押し付けるようにしてあの甘ったるいチョコまんを食べさせて、その上でわざわざお返しのホワイトチョコまんを奢らせたってことにならない?


 加えてあの時、来年はリベンジさせてくれなんて言っちゃったし。新平くんは優しいから「楽しみだ」って言ってくれたけど、本当は面倒だって思われてるんじゃ……?


「どうしたの? 思い詰めた顔して……」


「……新平くんにチョコ渡すの、やめておいたほうがいいのかな……? どうしよう、今日はそれ用のラッピングとかも買いに来たのに……やっぱり迷惑ってことじゃあ……」


「えっ」


 私がそう言うと、恭くんの表情は明らかに動揺の色を滲ませた。何なら私よりも慌てた声をあげた。


「シンペーに用意してたんだ……詠ちゃん」


「去年、本当にしょうもないチョコを渡してしまったばかりにリベンジをしようと思ってて……思い返せばあの時からずっと気を遣わせてたってことだよね? ああどうしよう……」


 頭を抱える。私……それにりに気合いを入れていたんだけど、その分まで自己嫌悪に陥る。それは新平くんに対する申し訳なさだ。


 ――バレンタインって、やっぱり女子にとっては特別であり大切な日だ。想いを込めて、伝えるきっかけを与えてくれる日。だからこそ、私は……自分の気持ちを自覚した今、割と真面目に竜さんレッスンを受けていたのに。


「……大丈夫だと思うよ」


 ……そして、私が一人悶々としていると控えめに声を掛けられる。顔を上げると、いつものように柔らかく微笑んだ恭くんと目が合った。


「詠ちゃんなら(・・)大丈夫でしょ。ごめん、俺が余計なこと言ったよね……気にしなくて大丈夫だよ。去年もシンペーに渡したんだよね? だったら尚更だよ」


「そ、そうかな? でも去年もほぼ押し付ける感じだったし……」


「もうー、大丈夫だってぇ。……それはそうと、今年は俺にも用意してくれたりする? お願い!」


「恭くんに? 私のお粗末なチョコでもいいなら全然用意するけど……いいの?」


「うん! 嬉しいな。楽しみにしてるね!」


 懇願するような目で頼まれれば断れない。途端に今年のハードルが上がったような気がするけど……。

 新平くんへ渡すのは、恭くんが言うには大丈夫だってこと。本当に? ……少し不安は残るけど、私なら友達認定されてるから大丈夫ってことなのかな。……友達……友達かあ。


 そして恭くんは、私の返事に大層ご満悦な様子でニコニコと微笑んでいる。それは注文した限定スイーツが届くまで続いて、いざ私たちがそのスイーツを食すと、今度はとろけそうな幸せいっぱいの眩しい笑顔を見せてくれた。


 この笑顔を見ていると、恭くんに対する杞憂や心配も吹き飛んでいくようだ。取り敢えずは元気そうで、ちゃんと吹っ切れたみたい。……恭くんの分のラッピング資材もあとで買い足そう。

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