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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
六章〈推し活とガチ恋は別物〉
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「詠ちゃん。湯煎とは言え、火元から目を離すのは危ねーぜ」


「あっすみません……」


 翌日の夕方、今日も昨日に続いて竜さんのお料理教室だ。今日のレシピはチョコレートのパウンドケーキ。チョコレートを湯煎で溶かしていた作業中、ぼうっとしていたところを注意されてしまった。

 ちなみにお客さんは相変わらずいない。ということで、今日も昨日のようにゆるーく竜さんの指導を受けていた。……ので、少し気が緩んでしまったのだと思う。


「あれが気になるのかい?」


 竜さんが指差したのは、例のサイン。正確には……それと一緒に飾られている写真、新平くんのお父さんの姿だ。しっかりと竜さんには見透かされていたらしい、私は苦笑いをして誤魔化そうとしたが……竜さんが微笑を浮かべて肩を竦めるのを見て、耐え切れずに頷いてしまった。


「あれは二十年前くらいかね。若い頃の俺もイケてるだろ?」


「あ……はい。そうですね、あまりお変わりないというか」


「そうかい? よっ……と」


 私がボウルを手に返事をすると、竜さんはわざわざ壁に掛けられていたそのサインを取り外して持ってきてくれた。それには申し訳ない気分になったけど、写真を近くで見ることができたのは嬉しかった。


 改めて見てみると……お世辞抜きに、今とそんなに変わらない容姿の竜さんがくしゃくしゃの顔で笑顔に写っていて。そんな竜さんに肩を組まれて、どこか気恥ずかしそうにはにかんでいる男性。手にはあのトランペット、間違いなく新平くんのお父さん……なのだろう。


「あの、このサインって、この人のですか?」


「ああ。俺の親友でな、それなりの人物だったんだよ。日本じゃ恥ずかしがって個人コンサートとかはあんましやってなかったし、メディア露出も本人は避けたがってた。結局押しに弱くてレギュラー番組持ってたけどな! で一応プロの、世界的に有名なオーケストラ楽団に所属してたトランペッターだ」


「す、すごい」


「そして、坊主の親父だ。気付いてるだろ?」


 竜さんに言われて、私はもう一度頷く。竜さんは何故か満足そうに頷き返してくれた。


 写真は少し色褪せてしまっていたけど、その顔立ちははっきりと分かる。正直な感想としては、ちょっと童顔な……そう。新平くんにはあまり似ていない、という印象だ。


 でも。


「すぐ分かりましたよ」


「そうか? まあ、このラッパ持ってるしなぁ」


「それもそうですけど……ほら。笑い方が同じです」


 優しそうに細められた目、右側だけ上がっている口角。

 顔立ちはそんなに似ていないかもしれない。でも、その笑い方を私はよく知っていた。照れ隠しする時、もしくはふと気が抜けてしまった時。そんな時に、新平くんはこんな風に笑うのだ。


「私、新平くんのお母さんのことはよく知らないんですけど……きっと顔とか性格はお母さん似なんでしょうね。でも、お父さんとは笑った顔がそっくりです」


「……すっごいな。この写真だけでそこまで分かったのか?」


 感心したように言われてしまって、私は何とも言えず薄ら笑いを浮かべた。言ってから気付いた、確かにここまで勘がいいのも変、かな? ……いやでも、実際私は新平くんのご両親のことはよく知らないし。ゲームでも特に明言されていなかった部分だから。


「坊主は昔から、こーんなガキの頃から小生意気で気が強い奴だった。それはあいつの母親にそっくりだったんだ。反対に、父親(こいつ)は小心者でな……なんつうか、自信がなかったんだ。ちょっと間抜けなところがあったし、極度のあがり症でステージ立つのにも時間が掛かってた。勇気を出すのに時間が必要なんだって自分で言ってたっけなぁ。ここまで言えば分かっただろうが、当然ながら嫁の尻に敷かれてたぜ」


「そんな、世界的に有名な音楽家だったのに?」


「そうなんだよ。自分が楽団に選抜された時も「信じられない!」って騒いでたし、いざ練習に向かうってなった時は顔が真っ青になって倒れそうになってたんだ。そんな時に尻を叩いてやってたのが真夏(マナ)――坊主の母親だ。ちょいとあいつには気が強過ぎる女だったかもしれんが、何だかんだで相性はよかったんだろうな」


 竜さんはサインを手に、写真の部分を優しく指でなぞりながらしみじみと呟くようにそう言った。柔和に微笑む横顔は、心から昔の幸せだった記憶を噛み締めているように見えた。

 私は黙って、竜さんの次の話を待った。


「詠ちゃん、坊主の母親を知らないって? 顔も?」


「あー……はい。前に、新平くんからダンサーをやってるって話は聞きましたけど」


「マナ・タカラって名前も知らないのかい?」


「ごめんなさいちょっと……」


 私がそう答えると、竜さんは大きく仰け反って「マジか!」と叫んだ。そんなに大きく反応することなのか。……ということは、もしや新平くんのお母さんってかなり有名なダンサーってこと?


「あ、あの、すみません。私の家って昔からテレビとか置いてなくて、世間の流行りとかに疎い家庭だったもので」


「あぁ、いやいや。ちょっとな、確かに今の若い子は知らない子も多いんだろうなと思ったら切なくなっちまったんだ。あいつ、ここ数年は表舞台に出ること嫌がってるっぽいから無理もないさ。でも調べりゃいくらでも、記事なり動画なり出てくると思うぜ? 坊主は嫌がるだろうがな!」


 笑いながら言う竜さんの最後の言葉に、私は深く頷いて同意した。前にお母さんの話を聞いた時も、あまり知られたくなさそうにしていたし恥ずかしさみたいなのがあるのだろう。

 でも冷静に考えた時に、私も自分の親が調べたら簡単に分かってしまうっていうのは少し……いやかなり嫌かもしれない。


 それに……そうだ。新平くんの場合はまた別の問題があるじゃないか。


「……そんな、世界的に有名なトランペット奏者で、さらには有名なダンサーの旦那さんが事故で亡くなっただなんて……大きなニュースになったはずですよね?」


「……ん、まあ、そうだな。当時は……大変だったろうよ」


 言ってからしまったと思った。竜さんは途端に歯切れが悪くなり、何とも言えない表情を滲ませている。ちょっと今のは、流石に無神経が過ぎたかもしれない。


「すみません。変なことを、」


「あぁ、いや。気にしないでくれ、ちょっとその時のことを思い出してな……。そりゃ、マナは大変だったと思う。毎日家にメディアが押し寄せてげんなりしてた。坊主もその頃は特に荒れてた……っていうか、あいつは現場に居合わせちまったって話だからな。まあ、気の毒な話だよ」


 竜さんはそこで一旦区切って、私の手元を指差して「そいつを型に流して、少し寝かせるんだ」と指示をくれた。

 言う通りの作業を進めると、竜さんはそんな私の手元を眺めながら静かに続ける。


「坊主は、警察からは勿論、変な記者やらに当時の現場のことをしつこく聞かれたらしい。被害者とその嫁はそれなりの著名人だったし、事件も有り得たってことでな。でも加害者の運転手が即死だったってのと、その身体からアルコールが検出されたってのですぐに事故として処理された。とは言え、世間は完全に事件みたいに取り扱ってたと思う。テレビ点けりゃあその話しかしてなかった日もあった……ったくよ」


「……事故なのに、事件、ですか」


 当時、と言っても今からおよそ十年前のことで、新平くんが八歳の時。それはつまり、私も八歳だった時の話だ。


 その当時、小学生だった私は……テレビで持ち切りだったその話に、まるで聞き覚えがない。その時も家にテレビがなかったせい? なのかな。……いや、それもどうだろう。


 ズキン、とこめかみ付近に痛みが走った。大した痛みじゃないし一瞬だったけど。前から、こんな風に昔のことを思い出そうとすると頭痛がするのだ。

 私は、そもそも。十年前、どんな子供だったのか――それすらも全く思い出せない。転校を繰り返していたせいだろうか、学校での思い出らしいものも特になくて、思い出そうとするとこうして頭が痛くなるだけだ。


「大丈夫かい、詠ちゃん? どうした?」


「……あ。いえ、何でもないです。十年前のこと思い出そうとして……でも思い出せないです、ね。学校でも噂になってたりしてたのかもしれないですけど、私は知らなかったです」


「そっか。ま、仄暗い話だ。そんな話題にするようなもんじゃないさ……つっても、話題になってたのは事故の内容っていうよりかは別のところだったんだ。っていうので、子供には少し難しい内容だったろうから話題にはなかってなかったのかもしれないな」


「難しい内容、ですか?」


 竜さんはサインを丁寧に、元の位置に戻した。それからゆっくりとカウンター席に腰掛ける。……カウンターに私が立っていて、店主の竜さんが席に着いている……変な光景だけど、今はお客さんもいないから問題ないのだろう。

 椅子に腰掛けて、カウンターに肘を付いた竜さんは視線を自分の手元……テーブルの上をじっと見つめながら、続けてくれた。


「嫌な話だが……マナと、その息子の坊主が大々的に取り上げられてた。坊主の顔は公表されてなかったけど、結局その時通ってた小学校は転校したって聞いたぜ。そん時のメディアはな、加害者の運転手を酷く悪者のように扱って報道してたんだ。だから被害者家族のあいつらには同情の目が向けられてたが、当人たちはそれを大層嫌がってたよ。それに向けられたのは同情だけじゃなくて、冷やかしとかのたわけ(・・・)も混じってたからな。ただでさえマナは旦那を失って、加害者家族との示談交渉で憔悴してたってのに。ま、俺はその辺は詳しくねぇが」


「確かにそれは……複雑というか……」


 竜さんが言った通り、小学生には少し難しい話題の取り上げ方かもしれない。とは言え、有名人が亡くなったということで騒ぎにはなっていただろうから単に私が思い出せないだけなのだろう。


 でも、当時の新平くんとそのお母さんのことを思うと胸が痛んだ。本当に大変な思いをしたことだろう。……まだ八歳だった新平くんの元にも、大量の記者が押しかけたって……想像しただけで嫌な気分になる。

 そりゃ、新平くんは触れられたくない話題だろう。勿論ゲームでも、新平くんが自分のお父さんについて言及するのは好感度を最大まで高めた時だけ、という条件があった。それでも、ここまで詳しい話は語られていなかったはずだけど。


 こんなことを、新平くんがいない場で私が聞いてしまって大丈夫なのだろうか。途端に不安になってしまった。

 それが表情に出てしまっていたのだろうか、私を見た竜さんがはっとして、慌てたようにしながら「はい、暗い話終わり!」と言って手を叩いた。


「型をオーブンに入れるぞ。予熱済みだから、火傷しないように気を付けてな。あとは焼き上がったら完成だ!」


「完成ですか? わ、こんなに簡単なんですね」


「おう。そんでもって男ウケがいい。中々イイだろ? でもこっからだぜ、本命にはまだパンチが弱い。明日以降に乞うご期待、だ」


「ほ、本命……」


 何故か私よりも竜さんに気合いが入っているのは謎だけど、楽しそうで何よりだ。と言いつつ私も楽しませてもらってるけどね。


 竜さんが言った通り、暗い話はここまでにして。ケーキが焼き上がるまで私たちはいつものように他愛のない話をして過ごした。

 昨日はトリュフチョコを作りながら北之原先輩が来てくれて、完成品のレビューは三人で行えたけど。この日は結局お客さんは来なくて、パウンドケーキは二人で仲良く平らげることになった。

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