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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
六章〈推し活とガチ恋は別物〉
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 まだ二月に入ってはいないけど、年明けセールが落ち着いた頃にはすでに店頭にはバレンタイン関連の広告が並んでいる印象だ。だから、様々な種類のチョコレートを買い揃えるには困らない。


 私はスーパーでチョコレートやらを買い物かごに入れながら、ひとまず年明けシーズンを彷彿とさせる広告やらが片付かれていることにほっとしていた。見る度に少し気まずいことになるから。

 ……というのも、今年の年末とお正月は去年と同じように突然帰ってきたお母さんと過ごしたんだけど。一月一日の早朝、連絡が来たのだ。新平くんから。――また、日の出を見に行かないかと。


 それを……私は寝過ごしたふりをした。だってあの口振り、多分恭くんは寝てたみたいだったし、ということは二人でってことでしょ。無理無理無理! あの花火大会が私の限界点、二人きりだなんて絶対に冷静じゃいられない。

 多分、新平くんは私が変に意識して壁を作ったり挙動不審になったりしているのに気が付いてるだろうし……何なら言われたこともある。嫌ったりあからさまに避けたりしている訳じゃないから変に誤解されたりはないだろうけど、不審には思っていることだろう。だからこそ、新平くんもその意図を確かめるためにこうして誘ってくれていたりする……のかもしれない。でも無理。


 とまあ、そんな気まずいエピソードがあるので、正月飾りやらが視界に入る度にそれを思い出して、勝手に胸が苦しくなっていた私の話はそれとして。

 今度の課題はバレンタイン。……先日、竜さんとの会話の中に新平くんもいたばかりに今度こそ逃げることは許されない。……竜さんが監修してくれるってことだし、変なプレッシャーとかがある訳じゃないんだけどさ。


 友チョコ……そう、これは友チョコ。去年渡したあのチョコまんだって友チョコだって説明したし、それは大丈夫。だから問題は、私が変に意識したりテンパったりしないように気を付けないといけないこと。……大丈夫かなあ、あまり自信がない。

 だって手作り……手作りよ? それに何より、私は――もう、新平くんのことを好きだと、自覚してしまっている。これが一番問題だ。好きな人に渡すチョコって、意識しない訳ないじゃないか!


 ……だから、まあ。竜さんが間に入ってくれたのは不幸中の幸い、なのかもしれない。




 ◆




「竜之介お料理教室、栄えある一日目! 詠ちゃん、希望のレシピはあるかい?」


「えっ!? あ、そんな感じで進むんですね!?」


 竜さんのスイーツレッスンは私がバイトに入る日に開催されることになった。『メゾ・クレシェンド』は普段から馴染みのお客さん数人しか訪れないし、基本的には二人で駄弁っている時間が多い。ということでお客さんが入ったとしても気にせずレッスンは続行するらしく、何なら顔馴染みのお客さんが「楽しそうなことやってるね」と参戦してくることもあった。


 初日に教わったのは定番のトリュフチョコ。これは結構簡単かもしれない、小難しいこともないし。綺麗にできあがった完成品のいくつかはお客さんに振る舞ったりして、好調な滑り出しだった。


「ごきげんよう――おや子猫ちゃん。何だか甘い香りに誘われてしまったよ」


「あ、先輩……ご無沙汰してます。トリュフチョコです、完成したらお包みしますよ」


「おや。これはこれは、ラッキーだね」


 ホワイトチョコを使ったトリュフの生地を手で丸めていたところ、高そうなファーコートに身を包んだ貴人こと北之原先輩がやってきた。最後に会った、というかこのお店にやって来たのは去年の暮れより以前だったはずだ。何でも受験シーズンで忙しかったらしい。


「あれ? なんかちょっと雰囲気が……髪切りました? あ、ご注文は?」


「どうも、ではホットココアを。髪は受験のためにね、日本の面接官はとにかく個性がないことを好む。ところが社会に出れば途端に自分だけの強みを求められる、全く生きるとは難しい」


 癖のない綺麗な金髪を少し長めに流しているのが先輩のいつもの髪型だったけれど、今はすっかり短く切り揃えられている。それでもかつての上品さは全く損なわれていないし、寧ろ以前までの大人っぽい雰囲気から少し幼さを宿したようなイメージチェンジになっているので、悪くはないと思う。

 ただ、先輩本人は少し不服なところがあるらしい。カウンターに腰掛けて肘をついた先輩は遠い目をしながら呟いた。


「当たり障りのない言葉で、自分だけの強みをアピールする。自分が他人よりも優れていることを証明する。その口先だけで一体相手はボクの何を理解するというのだろうね。それでも成功者になるためには乗り越えなければならない、己を殺す工程を」


「ええと……? あ、国内の大学に進学することにしたんですね。もう決まったんですか?」


「まあね、色々悩んださ。結局はそう、音楽大学に」


「え!?」


 思わず手を止める。その横から竜さんが「おっ、マジか!」と嬉しそうに声をあげた。いや合格通知を貰っているならおめでたいことなんだけど。


 驚いてしまったのは、北之原先輩と言えば芸術家キャラ。ゲーム内では美術部に入部することで北之原先輩ルートを格段に進めやすくなるし、先輩をよく知らない私でも彼は『絵を描くことを好む』キャラクターだと思っていた。

 とは言え多彩な芸術家なんだから、中言先生をライバル視した上でヴァイオリンとかを嗜んでいることには違和感はなかったけれど……まさか高校卒業後、本格的に音楽の道を歩むことを決めるなんて。


「あの、先輩って美術部じゃなかったんじゃ? いや、確かに先輩は音楽の才能があると思いますけど……」


「そうとも。だから言っただろう? ボクも散々悩んだ。様々な大人と話をして、何度も自分と向き合った。最終的には……自分にとって一番大切にしたい才能を拾うことにしたのさ。ボクは音楽家になるよ。ああ勿論、絵画の趣味をやめるつもりはないけれど。決めてはそうだね、やはり太郎サンとのセッションが忘れられなかったことかな」


「マジですか……佐藤先生に伝えておきますよ。きっと喜んでくれると思います、あの先生は何だかんだで音楽大好きだと思いますし」


「そうして貰えると助かるよ。あとはお礼を――いや、これはボクの口から直接伝えるべきだね。子猫ちゃんもありがとう、キミがあの人を紹介してくれたおかげだよ。心からの感謝を……そうだマスター、子猫ちゃんにもココアを淹れておくれ。ボクの奢りでね」


 どうやら佐藤先生の存在が先輩の背中を押したらしい。そっか……北之原先輩が音楽家に、か。ゲームでは公式にキャラクターのその後の人生が描かれていた訳ではないから、原作の北之原先輩がどんな大人になったのかは分からない。……でも、今この目の前にいる先輩ならきっと素晴らしい『芸術家』になることだろう、と思った。

 それに今ですらこんなに大人びている先輩が、いよいよ本当の大人になったら一体どんな女誑しになるんだろう。だってほら今も、ここは喫茶店なのにまるでバーで女性を誘惑する時みたいな口上で私にココアを奢ってくれた。まさに王道の王子様って感じだよなあ。


「音楽仲間が増えるのは嬉しい限りだ。俺としては、ただ趣味で語り合ってくれる仲間がいるだけでも儲けもんだったんだがな……お前みたいに本気で音楽と向き合おうとしてる奴ってのは珍しいし、嬉しいよ。あぁなんだ、タカがこうして音大に行くって報告をしてくれた時を思い出しちまうなぁ」


「フフン、安心したまえマスター。ボクはいずれミスターをも超越するさ。今のうちにサインを書いておくかい?」


「おっいいね。最近は少し壁が寂しいと思ってたんだわ、是非とも飾っておいてくれ」


 ……相変わらずこの人の自己肯定感の高さは目を見張るというか、少しは見習うところがあるんじゃないかと思えるくらいだけど。そして竜さんも本気なのか冗談なのか分からないけど話に乗ってるし。

 竜さんが指差した先の壁には例の、中学時代の新平くんを含めた写真がたくさん飾られている賑やかな壁。コルクボードの横には、いくつか古びたサインも飾られている。


「あ、これは……」


 それらを眺めていると、一番端に飾られているビニール袋に入ったサインに目が留まった。かなり年季が入っていて袋はすっかり黄ばんでしまっている。けど、そのサインが他と違っていたのはビニール袋の中に一枚の写真が挟められていることだ。

 よく見ると、二人の男性が肩を組んで満面の笑みで写っている写真だった。場所はやっぱりここ、メゾ・クレシェンドだろう。そしてその男性の内の一人は……まさか、若かりし頃の竜さん?


 竜さんと肩を組んで笑っている男の人に見覚えはない。でも、このサインと一緒に飾られているってことはきっとこのサインを書いた人物なのだろう。

 ……その人の手には、金色のトランペットが握られていた。私はそれを知っている。これは――新平くんがあの日、竜さんから引き取ったトランペット。


 つまりこの人は……新平くんのお父さんだ。

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