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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
六章〈推し活とガチ恋は別物〉
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 月日の流れってあっという間だと思う。……ってバイト先にて呟いたら、竜さんから「それを言うにはまだ若過ぎる!」と説教じみたお言葉をいただいてしまった。


 だって体感、まだほんの数日くらいの感覚でいたはずなのに夏も秋もすぐに過ぎ去ってしまった。

 ある意味で言えば夏は色濃い思い出があったけど、秋はほんとうに一瞬だったように思う。特筆すべきような出来事はなく、気が付いたらクリスマスも過ぎて年まで明けてしまった。


 と言うのも、灰原さんのこと。彼女が姫ノ上学園を退学して以来、まさに平穏な日々が続いていた。元々そんな感じだったけど……夏休みが明けたくらいから恭くんも無事に復活したみたいで、新平くんとの二人暮らしを再開したと聞いた。


 そして秋と言えば……修学旅行。さらに文化祭。それぞれの学校で大きなイベントがあったけど、本当に本当に語ることなんてないくらい何もなかったし。

 修学旅行は、私は沖縄へ。姫ノ上学園は海外旅行へ。日程は被っていたようだからメッセージのやり取りはしていたけど、時差のせいでタイムリーな会話ができなかったことが逆に面白かった、くらいかな。そして修学旅行から帰ってきてすぐにあったのが文化祭。こっちこそ本当に何もなかった。駒延高校は言わずもがな、だし――姫ノ上学園に至ってはなんと、今年は『部外者お断り』だったのだから。


 昨年度のあの惨状を踏まえれば当然の判断なのかもしれない。ただ、昔からこの街で暮らす住人や在学生徒からは批判が殺到したらしくて、色々と大変だったとは聞いた。私も今年は行けなかったことが残念だったけど、新平くんたちの身の安全を考えればこれでよかったと思う。来年は果たしてどうなるのだろうか。

 それで代わりに、みんなが駒延高校の文化祭に行くだなんて言い出した時は私が全力で止めた。姫ノ上学園と比べたら……いや比べ物にもならないし、何より新平くんは信号機トリオと鉢合わせるかもだし、美南くんは東条ダイヤに顔を覚えられちゃってるだろうし。とにかくトラブルの予感しかしなかったから絶対に来ないように伝えたら、みんな渋々といった様子で従ってはくれた。

 そんな感じで、姫ノ上のみんなとはちょいちょいやり取りはしていたけどみんなで集まって何かをする……みたいなことはなかった。あ、でもトラの家でクリスマスパーティをやったのは楽しかったな、みんなでお菓子並べて喋ってただけだけど。



「詠ちゃんやい。今日はちょっと時間あるかい?」


 そしてもうすぐバイト上がりの時間だけど、竜さんが不意に声を掛けてきた。


「なにかありました? 別に大丈夫ですけど……」


「おう、仕事は上がってもらって大丈夫だぜ。久々に新作スイーツ作ったからレビューしてもらおうと思ってな」


「あっそれはもう喜んで。着替えてきますね!」


 着替えるために裏の倉庫に回ると、暖房が届いてないので一気に冷え込みを感じた。長居はしたくないので早々にエプロンを外して、パーカーを着込む。

 自分ではかなり急いで着替えたつもりだった。だから、席を外したのもほんの数分……だったんだけど。


「おい、なんか暖房効きすぎじゃねぇか? 暑いんだが」


「年寄りは冷えに弱いのー。おっ詠ちゃん、こっち座ってくれ。今から用意するからよ」


 いつの間に、カウンターには見慣れた人物……新平くんがいた。鼻と耳が赤くて、ダウンジャケットを着たまま――ということはたった今来たってこと、だよね。


「よう。お疲れ、茂部」


「あ――ど、どうも」


 私は自分でも自覚できるほどのぎこちない笑顔を浮かべる。竜さんに言われた席に座ると、その隣に新平くんが座ってきた。……ので、私は暴れる心臓を必死に抑えることに努める。


 認める。


 ――私は、多分、新平くんのことが好きなんだと思う。


 いやもう、ずっと前から好きではあったんだけど。

 ここでは“好き”の意味合いが違う。要は、恋をしているってことだ。……現実的な恋愛の意味合いで、私は新平くんのことを好きになってしまった。


 あの日、トランペットを吹く新平くんを見て以来――それを自覚してしまってから、新平くんに対して変に意識してしまうようになってしまった。だから二人きりになると分かりやすくテンパるようになってしまったし、二人じゃなくても前より目を合わせることができなくなってしまった。

 以前、それを指摘されたこともあったけど……幸いにも私のこの気持ちは悟られてはいないようだ。ちなみに、私のこの想いはトラにも誰にも伝えていない。……伝えられるはずがない、こんな恥ずかしいことが。


 だから今の私は、この気持ちを必死に抑えることと――新平くんには勿論、誰にも悟られないように振る舞うこと。それがどうして上手くいかなくて、多分目聡い美南くんなんかにはもしかしたら気付かれているかもしれない。でも、できるだけ平然としていられるように頑張っているつもり、なんだけど。


「新平くん、どうしてここに……今日バイトは?」


「俺はバイト上がり。俺がここに来るってことは大抵がおっさんからの呼び出しだぜ。で、今日は何の無茶振りだ?」


「毎度そんな迷惑はかけられねぇよ、いくら坊主相手だからっつってもな。今日はご褒美、ボーナスみたいなもんだ」


 言いながら手際よく竜さんが用意してくれたのは、何やら大きめのマグカップ。老眼鏡まで掛けて、何やら真剣にカウンターの向こうで作業していたかと思うと……「できたぜ!」と得意気に私たちへ一つずつマグカップを差し出した。

 中を覗くと、これは……ラテアートだ! 私のは猫、だろうか。新平くんのほうは……カエル?


「おお? なんだこれ、おっさんらしくねぇな。一体どこでつけた知恵なんだ」


「ふふん、いいか坊主。いつまでも若くあるための秘訣ってのはな、学びの姿勢を忘れないってことだ。今やいい時代でな、動画サイト一つで色んな勉強ができる。ま、暇な年寄りにはうってつけってな……あっそうだ詠ちゃん。スコーンも用意してあるぜ、一緒に食いな。できれば写真とか撮ってからにしてくれると嬉しいな」


 言われた通り、私はパシャパシャと竜さん渾身の一作をしっかり写真に収める。新平くんは……容赦なくマグカップに口をつけていたので、竜さんは呆れたように肩をすくめていた。


「すごい、可愛いですね。竜さん器用で色んなスイーツ作れるの、前からすごいと思ってましたけど……本当に尊敬しますよ。私、自炊はしますけどお菓子作りとかは全然できないんですよね」


「それはちょっと分かるな。我が家じゃスイーツ担当はキョウで、逆に言えばキョウは喫茶店メニュー以外の料理は全くできねぇ様子だし」


「ま、やる気の問題だわな。そういやもうすぐバレンタインだろ? 詠ちゃん、よかったらチョコレートのレシピ教えてやろうか」


 言われて思い出した……そうか、バレンタイン。忘れてた訳じゃあないけれど……。


「バレンタインねぇ」


 新平くんがぽそりと呟く。それ以上は何も言わなかったけど……もしかして、去年のことを思い出していたのだろうか。


 去年は確か、コンビニの冬限定販売のチョコまん……しかも賞味期限間際の在庫処理を新平くんに手伝ってもらったんだっけ。それで来年はちゃんとしたのを用意する、って約束してしまった手前、考えてはいたんだけど。


「それは助かりますね。っていうか、そもそも作るって頭になかったんですよね。いい機会だし勉強させてください。最近ちょっと料理に真剣に取り組んでまして」


 適当にデパートでちょっとお高いチョコレートでも買って、普段お世話になってるみんなにあげればいいかな、くらいで考えていたところに、去年と違って私には竜さんという協力な味方が現れたのだ。これは是非とも力を借りたい。


「おお、料理に興味を持つのはいいことだ。身につけておいて損はないからなぁ」


「料理というよりはレシピというか……栄養バランスとかを特に意識してます、親があまりにも不摂生なもので」


 お母さんの定期帰宅に備えて食事を用意するのは未だ習慣になっているが、続けているとやはり拘りたくなってくるものだ。……あと、ここではお母さんのせいにしちゃったけど自分に対しても反省している。以前、自分の食事を塩おにぎりとエナジードリンクだけにしていた時、いよいよ体重が少し落ちて顔色が土みたいになってしまった時期がある。幸いにも体調に大きな影響が出る前に反省することができたので、去年の暮れあたりから特に栄養バランスを気にするようになった。


「将来のためにも、今の内に学べる人から学んでおきたいですからね。特に生活術なんかは自立するために必要じゃないですか」


「本当にしっかり者だな詠ちゃんは……坊主も見習えよ。あーでも、お前さんも何気に家出てんだよな。いやしかし、学びの姿勢とリスペクトの精神が足りてねぇからやっぱ見習うことだな!」


「うっせぇ、俺だってある程度のことは……いや。まァ、そうだな。あんま将来のこととかは考えてなかったな」


 新平くんは空中に目を向けながら呟くように言う。その言葉を聞いて、私も改めて“この先”のことを考えた。


 ゲームの舞台は、高校三年間。卒業式がエンディング、その先の物語は存在しない。

 でもこの世界で生きる私たちの人生はこの先も続く。だからこそそれに目を向けて、しっかり地に足をつけて生きていかなきゃいけない。


「ま、そんでも学業だけじゃなくてこういうイベント事にうつつを抜かしたりするのも学生の本分ってモンさ。坊主、今年はちゃんと周りの女子には愛想振る舞うんだぞ〜?」


「うぜぇ」


 竜さんからのちょっかいを心底嫌そうにする新平くん。私はそれを眺めて微笑みながらも、今年の『バレンタインデー』に向けてのプレッシャーを今からひしひしと感じていた。

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