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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
六章〈推し活とガチ恋は別物〉
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1 誰かの話

 シー、と女が指を口元に当て、ゆったりと微笑んだ。それがその子供の最初の記憶だった。




 ◆




「――ほんと、バカだねお前。笑えるわぁ」


 ふらりと現れたそいつは、私を見るなりそんな罵声を浴びせてきた。相変わらず感情のない黒い目と、形だけ三日月型に歪んだ口元を見せつけながら、声だけは心底楽しそうに。


 こうしてちゃんと姿を見たのは十年ぶりくらい。正しい年月なんて忘れた。正直、顔を見るまで存在自体を私も忘れていた。でもそいつが誰なのかはすぐに思い出した、風貌は変わっていても表情や口調はそのままだったから。


「言われた通りにして楽しかった? ハッピーエンドは迎えられた? あっは、言わなくて大丈夫。見れば分かるし」


「……何しに、来たの」


「バカとクソの不貞腐れ顔見に来たんだよ。バカはお前ね。クソは家ん中?」


 楽しそうにそう話すし、「笑える」なんて言いながらも内心は絶対に違う。奴の心の底にあるのは果ての無い、泥のような憎悪の感情だけだ。


 それは主に、『お母さん』に対して。私に対してはどうなのかな。馬鹿にはしているのだろう。でも今なら分かる、多分少しは同情されている。それでいて、お母さんの言いなりの私を愚かだと笑っているのだろう。


「会わないほうがいい。今あんたの姿を見たら、まだ『間に合う』とか言い出すと思う」


「――フフ。そこまで分かってんならさ、こうなる前にお前もどうにかなったんじゃねーの? 残念だねぇ、名門校退学でいよいよ人生ハードモード。この街にも居られないんでしょ。可哀想に」


「黙って」


 引越し業者はトラックと庭を行き来しながら、トラック脇で話す私たちのことが気になるようで何度か視線を感じる。会話の内容は聞き取られていないだろうけど、傍から見ていい状況じゃないってことは伝わってしまうのだろう。


「……よく知ってるでしょ? お母さんに従わないとどうなるのか……言っておくけど私がこんな目に遭ってるのはあんたのせいでもあるんだからね!?」


「あー。おれがあの学園に入学しなかったから? 鬼のように怒り狂ってたって叔母さんから聞いたけど。ってかそんなのおれの自由じゃん。まぁお前のことは本当に可哀想だと思ってるよ。でもおれが謝る理由も義理もなくね? お前もちょっとはおれのこと気の毒に思っててくれたりするんでしょ」


 一歩近付かれて、こいつの背があまりにも伸びていたことに少し驚く。昔はあんなにチビで童顔だったのに、その意地悪い面影をそのまま残してこんな風に成長するなんて。

 ……と、そんなことを考えている暇なんてない。実際私はこいつの言う通りに追い詰められてて、もう後がない。だからと言ってどうしたらいいのか、それすらも分かっていない。


 ただし一つ確信したのは、やっぱり――


「あの異常者にはもう何言っても無駄だよ。お前もこれ以上人生ぶち壊される前に自分でどうにかしなよ。ま、もう遅いかもだけど」


「……うるさい。分かってんのよそんなこと!」


「おーこっわ、暴力反対なんですけど?」


「どの口が!」


 持っていたバッグを勢いよく振り上げたところで、軽く手首をひと捻りされる。私が苦痛の表情を浮かべたところで、こいつは私の腕を掴む手を緩めたりはしない。

 私が手放して地面に転がったバッグを、こいつは躊躇いもなく踏み潰した。結構いい値段する革のバッグだったのに。そして冷たい目で見下されると、私は口を噤む他なかった。


「……まーね、分かるよお前の気持ち。一番近くで見てたんだし母親のアタマが変ってずっと前から気付いてたんでしょ。それでも言われた通りにやってたのは、半分くらいはアレの言う“ハッピーエンド”に興味があっただけなんだよねぇ。おれからすればその時点でお前のことも気持ち悪いけど、母親だもんね。憎むに憎みきれないもんね。そこは、理解してあげる。気持ち悪いけどね!」


 ぱっと手を離される。今日はこんなに暑い日なのに、体温を感じない冷たい手。――私は、こんな奴だけどやっぱりこいつのことも心配だ。


 でも。


「あ、その目やめて。おれはそういうのいいから。つーかお前はあのクソに顔も似てるしちょっとムリ。ま、クソにはそんな感じで伝えといてくれると助かるかなー」


「あんた……あんたこそ、これからどうすんのよ」


 こいつの奥底にあるのは、やっぱり私に向けての憎悪。関わりたくないという強い意思を、言葉と態度全てから感じる。……当然か。何なら、私だってこいつのことは嫌いだし関わりたくないと思っている。


 ただちょっと、昔のよしみで情があるだけ。

 お互いにそう。


「うーん。どーしよっかなぁ、これから」


 ……嫌いで仕方ないけど、でも何かあったら嫌だ。お互いにそう思ってしまっているから、多分こいつは今日私の前に現れたってことだろう。


一番(・・)の復讐はもう終わっちゃったからなぁ。つっても勝手に自滅しただけなんだけどさ。その点お前には感謝してるよ。でもスッキリはしてないんだよねー、できればおれが苦しめたかった。まぁそれはいいや」


「……そう。じゃあ、私もお母さんももうこの街からは消える。それでいいでしょ、それで終わり」


「あはははは! 何言ってんの、何一人で終わらせようとしてんの? あーいやでも確かに、お前は文字通り終わってるか。ウケる、でもそういうことじゃないんだよなぁ」


 少し、驚いた。そう言いながら笑った奴は、この瞬間だけは本当に心の底から笑っているように見えたからだ。それでもどこかおぞましさを感じたのは、それがいい感情から引き起こされたものではないからだろうか。


「お前さ、学園で揉め事起こしたんだって? 誰かのこと突き落としたり、バイト先で人殴ろうとしたり。それもアレに言われたからやったんだろうけど……その動機ってどう思ってんの?」


「なによ。物語をあるべき姿に戻すために必要な工程だったってだけよ。実際にあいつら邪魔だったし……そうだ、あいつらさえいなければ……だからお母さんもどうにかしなきゃって言ってたし、」


「あるべき姿に戻してハッピーエンドになれば、母親は正しいことを言っていたって理由にしようとしてた? 羨ましいなぁ、親子愛ってヤツね。結局は異常者だって分かったんだし結果的にはよかったんじゃない。それより、お前がアレに言われて手を出したその二人だけど」


 引っ掛かる。こいつとはしばらく振りに会うのにどうしてここまで詳しく私たちの現状を知っているのだろう。

 叔母さんから聞いたのだろうか。でも、叔母さんもお母さんとはほぼ絶縁状態のはずで……こいつがどうしてこの街にいるのか、どうやって暮らしているのかも分からない。でも、こいつは私たちのことを知っている。それは、どうして。


お前は(・・・)、そいつらのことどう思ってんの?」


「どうして……そんなことを……」


「いいから答えろよ。邪魔だっただけ? どうなの?」


 私が階段から突き落としたあの女子生徒を思い出す。名前は知らない、覚える必要はないとお母さんに言われていたし。でも顔とかは覚えていた、いつもスイくんに付き纏っていた“モブ女”。

 あれが邪魔だ、ってお母さんに報告したら、じゃあどうにかして引き剥がしなさいと言われた。だからそうしただけ。


 あの撮影の日、私がしくじった日……あの時もそうだった。本来なら先輩とも、そしてあの兄弟とも『フラグ』が立つ予定だったのに、キョウくんとの撮影に選ばれたのは私じゃなくて別のモブ女だった。

 あれは失敗だったと思っている。お母さんの指示を待たずに、焦りから感情で行動してしまった。その結果がこれだ。


「邪魔だったからだけど、なに? 何なの、何が言いたいの? ただのモブ女が邪魔してきてたからウザかっただけ」


「……ふぅん。ま、やっぱそうかぁ……心開いてたのはあのおねーさんだけだったみたいだし、そういうことかぁ」


「は? 何を言ってるの」


「こっちの話ー。まぁいいや、これで晴れてお前は用済み。せいぜい余生はまともに過ごせるといいね」


 一人で何かを呟いていたかと思うと、途端に私に向ける目から興味が失われる。そのまま背を向けて歩き出そうとしたので、私は咄嗟に服の裾を掴んで引き留めた。呼ぶだけじゃきっと止まってくれないだろうから。


「待ってよ! ねぇ、なんであんたは私たちのことをそんなによく知ってるの? 恨んでるのも分かってるけど、何考えてるのよ。関わりたくないってあの時言ってたのに、わざわざこの街にやって来て駒延高校に入学したのもなんで? 県外でもいくらでも選択肢はあったでしょ!」


「……まぁ、どうせもう最後だろうし言ってもいいか。おれが色々知ってんのはちょっとした裏ルートみたいなのがあるから。カッコよく言うと諜報員みたいな? そういうの持ってんの、おれ。……あと何だって? あぁ、駒延に入った理由ね。それは単純にそうするしかなかったからだよ。本当はお前らに近付くことすら嫌だったけど、仕方なくおれ自身が動かなきゃダメな状況になっちゃった。何気におれも中学の時にミスってんだよね。相手が悪かったのかもだけど」


 振り返りはせずに、顔だけを少しこちらに向けた状態のまま語る。声色と口振りからして恐らくこれは本当のことなのだろう。でも、私にはその内容のほとんどを理解することができなかった。


「できればおれは遠くから見てるだけで、色々裏で動かすだけの状況を作りたかったんだけどね。でも……そう簡単に人を送り込むことも難しくなっちゃったもんだからさ。市長を怒らせたのは流石にマズかったかな」


「市長って……美南市長のこと言ってる? スイくんのお父さん? なんでここでそんな名前が……」


「おれが中学の時に怒らせちゃった人。ま、とにかくそういうことで。あと言えるのは、とりま第一フェーズは完了ってとこかなー。やっぱもう一回お礼言っとこ、自滅してくれてマジでありがとね。色々と情報も得られたし、クソは本当にざまぁって感じ」


 そこまで言うと、奴――いや。

 ダイヤは、服の裾を掴む私の手を払って、振り向かずに今度こそ歩き出してしまった。


 それと同時に背後から、劈くような悲鳴にも近い大声が飛んでくる。――お母さんの声だった。


「――姫! 姫!! 遊んでないで少しは手伝いなさい! ただでさえ役立たずなんだからせめて動いてよ! いい加減にしてよぉっ!!」


 ……けど、私はその時初めてお母さんの言葉を“無視”した。お母さんの大声にかき消されそうだったけど、去り際にダイヤが呟いた一言によってその場を動けずにいたからだ。



「俺にとっては役に立ってたよ――姉ちゃん」



 ――あいつは、絶対に何かを企んでいる。


 でもそれを私が知る術はないし、知る必要もない。……たった今、この瞬間に、私は随分昔に絶縁したはずの()を本当の意味で失ったことを実感していた。


 これは私が、この街を追い出された日の話だ。

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