五章、彼の話①
ある日家に届いたそれを見て、俺は硬直した。これは……若者向けの月刊ファッション誌だ。普段の俺ならなんでこんなもの、とただ不審がるだけで終わっただろうが……これにはあまりに心当たりがあり過ぎる。
北之原ブランドから届いた雑誌。ご丁寧に二部分送られてきた、これは俺とキョウの分だろう。――しっかりと、俺たちの写真が掲載されていた。
キョウは少し前から実家に帰っている。……これを見てしまえば色々とあの日を思い出すだろうし、よかったのかもしれない。が、俺がこれを家で一人で眺めるってのも変な気分だ。
とは言えせっかくだ、目を通してみる。
「――うっわ」
一人だと言うのに思わず声が出るほど、共感性羞恥で今すぐ死にたくなった。メインどころは当然北之原だが、ページを捲ってすぐに自分の顔と目が合ったので顔をしかめる。
……色々と思うところはあるが、冷静に見てみるとまァよく撮れていると思う。流石はプロの設備だ。俺はともかくこういうのに向いてるキョウなんかは北之原にも負けないくらいの存在感を放っていた。あの日、体調を崩してたのも嘘みたいだ。
キョウの笑顔を眺めて、気付いた。これは……全部後半の撮影で撮られたものだな。よく見るとピントがぼやけているところに、何となく茂部らしき人物が映っている写真もあった。キョウの視線の先がそちらへ向かれている時、あいつはイイ笑顔でそこに映っている。
茂部も着せ替えさせられてキョウと撮られてた時、あいつはやけに楽しそうにしてたのは覚えている。――灰原の時とは大違い、だな。あの時だけでも元気が出てたのはいいことなんだろう。
――続いて俺が映っているページを薄目で確認する……我ながら目付きが悪いと思う。不機嫌さが隠し切れてないような気もするが、選りすぐりの写真だけが使われているはずなのでこれが俺の最高スコアってことだろう。
そういや俺は結局、誰かとのツーショットを撮ることなく撮影を終えたんだっけな。……あんなことがなければ、俺ももしかすると茂部と並んで――って何考えてんだ俺は。
……ただ。もう一度、キョウと茂部が一緒に映ってる写真を見てみると何だか無性に腹が立ってきた。キョウの笑顔にだ。茂部がはっきり映ってる写真は一枚もないが、俺は撮影裏も知ってるからキョウがなんでこんな顔をしているのかまで分かっている。だから、こんなに鼻の下伸ばしてる弟のことが気に食わないんだ。
茂部……普段は着ないような服装と、化粧を施された姿を思い出す。まァ、似合ってたな。元の雰囲気を残したまま小綺麗になったというか……あの時の俺はそこまで思う余裕がなくて、なんでここに茂部がいるんだという戸惑いしかなかった。
あんなに似合ってたんだし、少しくらい茂部もはっきり映してやればよかったのに。
……そこまで考えて、そういやこれは北之原がメインを飾るファッション誌な訳だし……姫ノ上の生徒でも買って読んでる奴はたくさんいるんじゃないかと気付いた。これ多分、間違いなく俺だってバレるよな? こんなにはっきり顔も映ってるんじゃあ……。
それどころか、まずこの街の住人には間違いなく俺だって気付かれるリスクがあるってことだ。……最悪だ。別にそこまで考えてなかった訳じゃねぇし、覚悟の上だったが……いざこうなるとやるせない気分になるな。
この地元には中学時代の顔見知りもいることだし……面倒な奴に変なこと思われなきゃいいんだが。
あの日は……今思い返しても、色んな意味で忘れられない一日だったな。灰原に騙されて連れて来られた撮影現場に始まり、キョウの体調不良、茂部の登場、それから――。
茂部の涙を思い出す。無意識に拳を固く握り締めていたようで、指の付け根がズキンと傷んだ。
・・・ ・・・
「……なるほど……療養中か。タイミングが悪かったな」
「いや、こっちこそわざわざ来たってのに悪いな」
俺が一人で昼飯を用意していた時、ふらりと我が家に現れたのは美南だ。相も変わらず色の濃いサングラスと立体マスクで顔を徹底的に隠していたので、気付かなきゃ強盗だと思われかねない風貌だ。
どうやら美南はキョウに会いに来たらしい。しかし生憎あいつは実家にいる、そのことを伝えると美南は肩をすぼめた。最近、こいつの感情が少しだけ読めるようになってきた。
「気にするな。連絡もなしに押しかけたのは俺の方だ」
そう言って帰ろうとしたので、俺は慌てて美南を引き止める。
「待て待て、わざわざ電車使ってまで来たんだ。時間大丈夫か? ならちょっと上がってけよ、何もねぇけど」
「いいのか」
休日、はるばるやって来たところを追い返すのも気分が悪い。ちょっと強引に、美南を家の中に招き入れた。ついでに美南から渡された紙袋は、中に大量の漫画が入っている。
「なんだこりゃ」
「これは……恭に貸す予定だった漫画だ。返すのはいつでも構わない、と伝えておいてくれると助かる」
「マジかお前、漫画とか読むのか」
「俺は、部活動以外ではインドアな人間だからな」
美南が引きこもりなのは想像がつくが、バスケ部のエースな訳だし休みの日は練習に明け暮れているようなイメージだった。こういうところでキョウと共通点があったことにも驚きだが……それよりものすごい量だな。これを何でもないような顔してここまで運んできた美南にも驚く。
「全巻どころか、これは色んなシリーズがあんのか? すげぇ量だな、持って来んの大変だったろ」
「どうせなら一気にと思ってな。それに、これは恭へのお礼のようなものだから」
「あいつとなんかあったのか?」
「プレゼントの選定に助言を貰った。おかげさまでいい方向に解決した、感謝してもし切れない」
美南をリビングに通して、冷蔵庫から適当に飲み物を用意しながらこいつの話を聞いていると……どうやらキョウと美南は、俺が知らない間にかなり関係を深めていたようだ。俺は学校ではこいつとあまり話さないが、キョウとはよく二人でいるところを見掛けたりもする。話が合うんだとは思っていたが、漫画の貸し借りをするほどだったとは。
「プレゼント、ねぇ……キョウにまともなセンスがあったとは思えねぇが、大丈夫だったのか?」
言いながら思い出していたのは、数年前……まだ中学生だった頃、俺の誕生日にキョウが用意してくれたプレゼントだ。確か貰ったのはよく分からん幼児向けオモチャで、戦隊ヒーローの変身用小道具らしかった。初めはネタかと思ったがどうやらキョウは本気でこれを俺が喜ぶと思っていたらしい……しかし、多分あいつは「自分が貰って嬉しいもの」を本気で選んだのだと思う。つまり、そういうことだ。
「確かに恭が具体的に挙げたものは些かセンスを疑う部分もあったが、最終的に『お返しという意味が込められているのが大事』という言葉が決め手だった。結局選んでくれたのは詠だったな」
「な……、茂部も関わってたのか? あァ、いや。そうか、益子への何かだな、分かったぞ」
「鋭いな。その通りだ」
茂部の名前を聞いて少し狼狽える。なんだよ、あいつも関わってたとなると……途端に自分が蚊帳の外に追いやられたような気分になった。しかし多分、最初は美南が茂部を頼って、そのあと二人でキョウを頼ったというところか。だとしても……俺にもなにか言ってくれりゃあよかったのに。
なんて、子供みたいな小さな嫉妬を自覚しつつそれを口に出すことは留める。ここで拗ねたらいよいよガキになっちまうからな。
「いい方向に解決、ね。益子とは仲直りしたんだな? ……そういやあいつ、今怪我してるって聞いたけど大丈夫なのか」
「……ああ、快方に向かっていると聞いている。ただ夏休みはあまり連れ出せないだろうな、それが気の毒だ。本人も少し気が滅入っているようだし」
――それを聞くと、俺は自然と灰原の顔が思い浮かんでしまった。灰原と言っても、あの日半狂乱に叫んでいた様子の可笑しい灰原の姿をだ。
茂部によると、益子を突き落としたのも灰原だって話だ。気が滅入る……か。それってやっぱり、益子は自分を突き落とした相手のことは当然ながら目撃しているだろうし。
気にはなるが、どう切り込んでいいか迷う。俺が黙っていると、美南にそれを悟られてしまったらしい。「なにか、言いたげだな」と美南が言った。
「実を言うと俺は、詳細を知らないんだ。トラも詠も詳しくは教えてくれなかった。だが、予想はついている。俺はそれを伝えてあるし、それでなにも言ってこないのはそれが当たっているのだろうと解釈している……その程度のことだ」
大体知ってるじゃねぇか。と思ったが、余計なことを言わないほうがいい気がして俺は口を噤んだ。と言うよりなんて言ったらいいのか分からない、俺だって全て知ってる訳じゃない。
灰原の様子を見るに、単にあれがトチ狂っただけなのか。そう思っていた。が、やっぱり人を突き落としたりレンチでぶん殴ろうとしたり……その行動には何かしらの“理由”が無きゃ可笑しな話だ。
そうして思い返されるのは、キョウが熱にうなされながら語ったあの話。灰原は母親の言いなりだって話だ。
あの時のキョウはかなり朦朧としていたように見えたし、本当の話なのかは分からない。俺は灰原の家族なんて知らないし……でも、あの状態のキョウが嘘を吐くことも考えられない。それに俺が知る限り一番灰原のことを見ていたのはキョウだ、そんなあいつが言うんだから十割がそうだとは限らなくとも事実なんだと思う。
俺が何も言えずにいると、美南は俺の反応を期待したりはしていなかったらしい。特に気にした様子もなくテーブルの上に目を向けて……あ。しまった、雑誌を隠し忘れていた!
「これは……恭の趣味か?」
「……そうだ。つまらん内容だ、下げるから渡してくれ」
「いやしかし、恭は確か絵里先輩のことが苦手ではなかったか? 表紙にいるのは彼だろう、一体どんな風の吹き回しで――ん?」
「ちょ、あんま中見るな――おい」
たまたまなのか。美南も何の気無しに捲ったページに、見事に俺が映り込んでいた。こうなっては流石に言い訳もできない、美南は少しだけ目を見開いて驚いた様子を見せた。……こいつが騒ぎのでかい奴じゃないことが救いと思うことにするか。
「モデル業を始めたのか。うむ、様になっているな。向いているんじゃないか? 俺には到底真似できないが……」
「違ぇわ! 絶対にもう二度とやらん! それだけは言っておく!!」
「そ、そうか。どうやら大変な目に遭ったらしいな」
美南はそれ以上深くは聞いてこなかった。と言いつつ、しっかり色んなページを吟味している。ここまで来たら取り上げるのも面倒だ、ひとまず満足するまで見せてやることにした。反応が薄くて助かりはするが、薄いは薄いで空気が気まずくなるんだよな。無言の時間が続くのが少し苦痛だった。
「男前だな、君たち兄弟は。今までに散々言われたことがあるだろう?」
しばらくして、顔を上げた美南がそんなことを言った。突然何を言い出すのかと思えば。
しかしそう言われても……俺にはいまいちピンと来ない。キョウはともかく俺は怖がられたりすることのほうが多かった。ガキの頃は近所の婆さんとかに可愛がられたりはしていたが。
「そもそも俺は、自分とか他人の見た目にそんな興味はねぇよ。清潔感とかは大事だと思うが」
「髪をワックスでセットしているじゃないか」
「それは……邪魔だからだよ」
危ない、目が泳いだことでこいつに何か悟られていないか冷や汗が吹き出る。今日は休日なのでワックスはつけていない。下ろしている前髪をかき上げ、表情を誤魔化すことに徹する。
実のところ、俺が髪を毎朝セットしているのは俺の中の見栄みたいなところではあった。昔、いつだったかは忘れたがキョウに「そっちのがイケてる」と言われたからだ。……案外痛いところを突いてくるな、美南。
「では新平は、女性に対してそのような目を向けたこともないのか」
「そのような目って……何だって?」
「綺麗、とか可愛い、と思うことだ。心当たりは?」
綺麗。可愛い……女に対して? 芸能人とかそういうのに対してってことを言ってるのか。どうだか……直近でそんなことを考えたことは――。
――――あ。いや、待て。
自分でふと思いついて、それから大量の疑問符が頭を埋め尽くした。待てよ。待て待て、なんで今、この瞬間――茂部のことが思い浮かんだんだ……?
美南が開いていた雑誌のページに目を見やる。そこには、白くて小さな手を握って優しく微笑むキョウの写真が。でも俺が目を惹かれたのはキョウが握っているその手の先だ。
あの撮影の日。いや、あの事件の日。俺は茂部の泣き顔とかがとにかく衝撃過ぎて、あの時抱いた感想をすっかり忘れていたんだ。
北之原に連れられて、衣装に身を包んだよく知る茂部の姿。劇的に雰囲気が変わったって訳でもなかったのに、小綺麗になったあいつの姿は――、
「どうやら、君にもあるようだな。ああ、言わなくて構わないさ。そう思える相手がいるのならそれを大切に扱うことだ……自分のその想いを」
「あ、あァ? 知ったような口を……」
「知っているとも。俺にもそんな相手がいるからな」
――こいつ。
どこか確信的な口振りで、そして自信を宿らせた表情でそう言う美南は、俺がこんな反応を見せることもまるで予想通りとでも言いたげだ。それで俺も理解した、こいつは全部お見通しなんだ。俺が今なにを思っているのか……そして、たった今俺が自覚する前から、俺が無意識に“そう思っていた”ことも勘付いていたってところか。
美南が言う「そんな相手」を、俺は知っている。それはちょっと前に拗らせていた益子との関係のことを言っているのだろう。どうなったのかの詳しいことは聞いてねぇが、大体は想像がつく。二人の関係性についても、だ。
……あいつは。友達として。面白い奴だと思うし、俺にとって“大事”な人間の一人であることには間違いない。元気が無きゃ心配だし、守ってやりたいとも思う。それは俺がキョウに対して抱いていた感情と同じもの、と思っていた。
でも――俺はキョウに対して“綺麗”とか“可愛い”とは思わない。それが、茂部とキョウとの大きな違いなのだ。
それってつまり。
「……どういうこった?」
「ふぅ。君がこの類に疎いとはトラからもそれとなく聞いていたが、本当だったんだな。……君はそのままでいいと思うぞ、何事も時が解決する。俺もそうだった、重要なのは自分で決めるということだ」
いまいち、美南が何を言いたいのかは分からん。いや、こいつが俺の腹の中を見透かしているのは分かる、のだが。
俺が茂部を可愛がってるって……バレてたところで、今ちょっとだけ俺が気恥ずかしくなっただけで。そんな、何も大袈裟なことはないと思うんだが……?