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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
五章〈モブキャラの推しごと〉
78/130

17

 佐藤先生の優しい音色と、北之原先輩が奏でる澄んだヴァイオリンの音色。二人に共通しているのは譜面に対しての正確さと、繊細な音運びだと思った。


 練習風景で何度も耳にしていた曲だけど、今聞いているこの演奏こそが完成形であり、集大成でもある。それだけでいつも聞いていた曲とは全然違うものに思えてくるし、実際二人の演奏は今までのどの練習より素晴らしく聞こえた。


 演奏が始まる前、とんでもない表情になっていた中言先生も今は真剣な眼差しでステージ上の二人を見つめていた。こうして見ていると、その横顔の美しさに見惚れそうになる。まるで絵画の一部を切り取ったかのような……まさに、こんな表情こそがスチルに相応しいと言えるだろう。


 次いで、私はそっと横目に新平くんの顔を見た。見ていることがバレないよう、慎重に。

 新平くんは腕を組みながら、無表情に演奏に耳を傾けていた。何を思っているのか、そこか読み取ることはできなかった。ただ新平くんも真剣にその演奏を聞いている、それだけは伝わってきた。



 永遠に続いてほしい――そんなことを思ってしまうくらいの素晴らしい演奏が、静かに終了する。束の間の余韻のあと、竜さんが最初に拍手を送った。




 ◆




「なるほどなァ、それで交換条件で撮影の手伝いをやらされてた、と。なんか割に合わなくねぇか?」


 演奏終了後、カウンター席では先生二人と北之原先輩、そして巻き込まれた竜さん四人が相変わらず騒がしくしていたので、私と新平くんは少し離れたミニテーブル席へ避難した。

 お店はもう準備中なので、私もエプロンを脱いで寛いでいる。そして今は新平くんと“あの日”の話をしている。どうして私があの場にいたのか、あまり深い説明はしてなかったからね。今日は竜さんがたまたま新平くんを呼んでくれたのでちょうどよかった、説明が省けて助かる。


「北之原も北之原で、結局は俺らを利用してたってことだろ。謝礼を受け取ったからあんま言うつもりはねぇけどよ」


「うーん、でもきっと先輩はそんなに計画的じゃなかったというか……新平くんたちが飛び入り参加してきたのも想定外だっただろうし、私があんな形で役に立ったっていうのもその場の思いつきだったんだと思うよ。先輩もあの日がチャンスだと思ったんじゃない? 前々から中言先生に忠告されてたみたいだし」


 新平くんは難しい顔をして唸っている。手元のグラスのアイスコーヒーは全然減っていなくて、氷ばかりが溶けてしまって味が薄まっているんじゃないかと心配になった。きっと新平くんもあの日のことを今でも思い返すくらいには衝撃的な出来事だったはずだ。


「……そういや。灰原は七月末付けで退学になったって、聞いてたか?」


「え」


「その様子じゃ知らなかったようだな。まァ、お前にとっちゃあんま関係ないだろうが」


 それは……知らなかったのと、あまりにも予想外だったので言葉を失う。多分、トラも知らないんじゃないかな。怪我で休んだまま夏休みに入ってしまったし……それにそんなことを聞いたならきっと私にすぐ教えてくれたはずだから。


「先輩が被害届を出したから……?」


「それもあるかもしれんが、実はあれ自体はそんなに公にはなってねぇんだ。学園としても大事にはしたくなかっただろうしな……聞いた話じゃ自主退学だとよ。俺はあの日以来灰原のことは見てねぇから、今どんな様子なのかは知らねぇが……」


 新平くんがどうしてこんなに詳しいのか、それはきっと恭くんづての情報なのかなと思った。声を潜めているあたり、こんなことは恐らく誰にでも話せる内容ではないのだろう。中言先生や当事者の北之原先輩も詳しく知っていたのかもしれないけど、わざわざ私に対して教えてはくれなかった訳だしある程度気は遣われているのだと思う。

 新平くんは反対に、私だからこそこっそり教えてくれたのだろう。


「……そうだね、私には関係ないか。それで、恭くんは大丈夫そう? あの日は体調も優れなかっただろうに、その後どう?」


「あいつは……まァ。やっぱ調子はよくねぇみたいで、今だけ実家に帰ってる。しかしそんな心配することはないぞ、話してみりゃそれなりに元気だからな。気持ちは沈んでるだろうがその内調子を取り戻すだろうさ」


「そうなんだ……」


 新平くんの視線はどこでもない空中を向いたまま、頬杖をついたその指先に落ち着きがない。多分、そうは言いつつも恭くんのことが心配なのだと思った。それを見てしまうと私も心配になる……けど、新平くんはそうやって自分自身に言い聞かせているのだろう。自分にできることはないと自覚してしまっているから――。


 そして恭くんがあの家じゃなくて、実家にいるってことは……あの大学病院前の西尾家のことだよね。私は行ったことがないけど、ゲームの情報で何となく場所と外観について知ってはいる。お父さんは名医って話だしそっちのほうが恭くんのためにもいいことなのか。

 ……となると今は新平くんは家で一人ぼっちという訳か。気楽、と言い切るには心労が多い日々を過ごしていることだろう。


「せっかく、夏休みなのに。何だか落ち込むことばかりで嫌になるなあ。遊ぶ予定も全然ないし……」


 ――これはほぼ無意識に、新平くんの前で愚痴るつもりなんてなかったのに思わず口から零れた言葉だ。言ってから気付いてすぐに口を噤む。これ以上ネガティブな雰囲気にしたくなかったのに。


「んじゃあ、来週は俺に付き合えよ」


「へ」


「来週。ほら、アレだろ」


 新平くんがそっぽを向いて、目線で壁を指し示す。何かと思ってそちらを見てみると……そこには、つい先日に竜さんが貼っていたとあるポスター。

 『市民夏祭り開催』……そうだ、夏といえばこれがあった。っていや、あれ? 新平くんがこれを見ながらそんなことを言ったのは、もしかして。


「ま、まさか、夏祭りに行こうってお誘い?」


「……昼間からだと暑いし、混んでるだろうから夕方あたりから行こうと思ってたんだよ。夜には、アレもあるし」


「アレってさっきから、なんで固有名詞を言わないのさ」


「は……っ、花火だっての。去年はお前、一緒にいただろ。まさか忘れたのか?」


 忘れる訳ないでしょう。勢いよく首を振って、それから去年の花火大会のあの時を思い出して顔が熱くなる。言いながら新平くんも気まずそうになってるし。そうだよ、私あの時は破廉恥にも近いようなミニ浴衣で鉢合わせたんだった。本当に恥ずかしい。


「あの、浴衣は着ないからね?」


「!? な、何も言ってないだろ、俺!」


 先に宣言しておく。何故か新平くんは慌てていた。ほらやっぱり、新平くんが気まずそうにしてたのはあのミニ浴衣が頭にあったからだこれ。


「そもそもあの格好で歩き回るつもりは微塵もなかったけど、その場の流れで仕方なく……」


「分かってるよ、ステージ上での見栄えの問題だろ。俺の母親も似たような理由でダンス衣装の愚痴はよく言ってるし」


「あ、そっかお母さんはダンサーで……って、ん?」


 会話の流れで訝しむところがあって、私が眉をひそめると新平くんは「あ、やべ」と呟いてすぐに目を逸らした。

 ……ステージ上って言った? 確かにあの浴衣はバンドコンテストのために着させられた衣装のようなものだった。けど、問題なのはどうしてそれを新平くんがまるで知ってる口振りで話しているのか、ということだ。


「――見てたの?」


「……」


「えっ――嘘!? な……なんで言ってくれなかったの!? ああ、それで私がピアノ弾けることも知ってて……いや、ええ!? 待って恥ずかしいんだけど!!」


「そ、そんなに騒ぐことか?」


 嘘だ消えたい、新平くんがあのステージを見てたって。あの衣装であのお粗末な演奏をするあの私を、新平くんが見てた、なんて。


「見たっつってもたまたま通り掛かって、見覚えのある姿があったからちょっと見てただけだぞ」


「嫌だ忘れて!? 格好も変だし演奏も下手だったし!」


「そうか? 悪くなかったと思うがなァ」


 慌てふためく私に対して、だんだんそんな姿の私が面白くなってきたのか、少し楽しそうにさえしながら笑っている新平くん。いや待て、悪くなかったってなにが? 演奏が? ……衣装が……?


「不公平極まりない、私は去年の文化祭のコスプレも遠目にしか見れなかったのに!」


「おま……それこそ忘れちまえよ。面白かったかあれ?」


「ステージ上で不貞腐れる新平くんをよく見ておきたかったの!」


「あァ!? ……あー、そりゃあ確かに不公平かもな」


 勢いに乗じて本音を叫ぶ。と、一瞬狼狽えた様子だった新平くんだけどどこか納得したように頷いた。そしてまたニヤついているので、あの日のステージ上の私を思い出しているんだ。こっ、この……。



「――おうい、坊主! もうこっちは持たねぇ、手を貸してくれねぇかい!?」


 と、慌てながらもどこか楽しそうな竜さんの大声が私たちを割り込んだ。私たちが同時にカウンター側に顔を向けると……ヴァイオリンの入った楽器ケースを抱えるようにしている北之原先輩に、中言先生が襲い掛かっているところだった。なんだこの状況。佐藤先生は相変わらず目が死んでいる。


「ちょっとでいいんです、ちょっとだけ! それ貸してくださいってば〜!!」


「嫌だね!! 貸したところで太郎サンがキミとのセッションを許すのかな!?」


「俺をもう帰らせてくれよ!」


 ……騒いでいる各々の発言から察するに、先輩のヴァイオリンを引ったくって佐藤先生との演奏を試みようとしている中言先生、という状況か。先輩に襲い掛かっている中言先生は片手でしっかりと佐藤先生のTシャツの袖を握り締めているので、佐藤先生も帰るに帰れないといった様子だ。Tシャツがヨレヨレになってしまっている、不憫な佐藤先生……。


「坊主、ここはあれだ。俺らで荒ぶるケダモノを鎮めるしかねぇってことよ」


「んなこと言ったって、もう放っときゃよくねぇか?」


「いやいや、見ろよ太郎のあの顔を。俺らが救ってやらなきゃ可哀想だ。ほら、ゲームとかでも暴れるボスとかを音楽で宥めるシーンがよくあるだろ。あれと同じで、タカには“良い”音楽を聴かせれば大人しくなるはずだ。さっきもそうだったろ?」


 この状況を完全に楽しんでいるらしい竜さん、話している内容がよく分からないけど完全に中言先生のことをモンスター扱いしている。

 竜さんは話しながら、カウンターの下から大きめの楽器ケースを取り出した。何かと思ったら……アコースティックギターだ。手慣れた様子でチューニングを始める。


「お前も協力してくれや。昔はよくやったもんだろ?」


「……は? まさか俺にやらせるつもりか?」


「そのまさかだよ。いいだろもう、さっきの会話もちょっと聞こえてたけど嬢ちゃんばっか不公平感じてるんだろ? ここいらでお前もイイとこ見せてやれよ」


 竜さんと目が合った。やたらと楽しそうにしている竜さん、結構そっちも騒がしかったのに私たちの会話をしっかり耳にしていたらしい。

 ところで竜さんはギターを持っていて、何やら新平くんに促しているみたいだけど一体何の話をしているのか……新平くんの表情は強張っている。でも、それは嫌がっているというより迷いに迷っているという表情だ。


「あー……ったく。こんなことなら来なきゃよかったぜ」


「あの、どうしたの? 何の話?」


「お前さ。絶対、今日のこと誰にも言うなよ」


 深いため息をついた新平くん。相変わらず私はどういうのとなのかさっぱり分からないけど、そう言ってからおもむろに立ち上がってカウンター席のほうへと歩いていく。

 先生たちの間に割り込むのかな、と思ったけどそれを通り過ぎて、カウンター横に置いてあった楽器ケースを持ち上げた。それは……いつもその場所に置いてあった、インテリア的なものだと思ってたもの。


「ちゃんと手入れしてるんだろうな?」


「へっ。欠かさなかった日はねぇよ、不安なら自分で確かめな」


「分かってるよ、一応確認しただけだ。まァ、礼は言っとく」


 新平くんが楽器ケースを開けた。そして中から取り出された、それは。


「……ま、さか」


 思わず……声が出た。新平くんが手にしているのは、金色に輝くトランペット――。


 それは、というより新平くんのその姿を、私はよく知っていた。そのトランペットは彼のお父さんの形見で、新平くんのルートを進めないとそのスチルを目にすることはできない。


 間違いない、間違いなくそれは例のトランペットだ。


「俺は好きにやる。適当に合わせろよ」


「おう! 任せろや」


 ――新平くんが音出しを始めた瞬間、私だけじゃない全員がそれに釘付けになった。あんなに騒がしくしていた中言先生も静かになって、佐藤先生も北之原先輩も目を丸くして彼を見つめていた。ただ一人、竜さんだけが得意気に微笑んでいる。


 そして曲が紡がれる。私はあまり、吹奏楽もオーケストラも詳しくないから、それが専門的な目でどれほどの技量なのかは分からない。

 でも、“ゲーム”で用意されていたあの電子音とは違う、真っ直ぐなその音に私の心は震えた。


 私が大好きだったスチル。新平くんの、彼のルートの最大の秘密であったお父さんの話。その形見であるトランペットを吹く姿。

 ゲームをプレイしていた時に感じたあの感動。でも、今の感動はその時のそれとは全く違うことは自覚していた。


 演奏中の新平くんと、目が合った。同時にその感情(・・)は一気に溢れ出して、目を逸らしたくても逸らせなくなる。何も、考えられなかった。それはただ――感動していたから、だけじゃなくて。


 ――――ああ、私、


 推しだから、じゃない。ここでトランペットを吹いている新平くんが、私を夏祭りに誘ってくれた新平くんが、そしてあの時、灰原さんから私を守ってくれた新平くんのことが。


 ゲームのキャラとかじゃなくて、そういうの抜きにして、本当に心の底から


 恋に落ちた(・・・・・)


 それを、たった今自覚した。

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