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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
五章〈モブキャラの推しごと〉
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14

 こんな空気で撮影が続行する訳もなく、先輩以外の私たちは元の私服に着替えさせられた。私の着ていた衣装は襟元のボタンが解れてしまっていたけれど、先輩は「キミは悪くないから気にしなくていい」と言ってくれた。そう言いつつ背後にぼんやりと般若が見えたような気がしたので、自身のブランドの服を傷付けられたことが許せなかったのだろう。


「巻き込んで本当にすまなかった。謝礼は後日必ず渡すから、キミたちはもう帰るといい。――子猫ちゃん」


 今日の朝一番の慌ただしさを超える慌ただしさのスタッフたちに後ろ髪を引かれる気分だったけど、私たちが未だ騒ぎが聞こえてくる例の控え室の横を通り過ぎた時に先輩はそう言った。


「キミも被害届を出すべきだと思うよ」


 控えめに先輩はそう言ってきた。思わず私は言葉に詰まる……そうか、私も被害者だ。先程のやり取りもしっかりカメラに映っているということで、私に暴行を加えようとしたことは言い逃れできないことだろう。


 でも。


「私は……大丈夫です。大事にはなりませんでしたし」


「いいのかい?」


「――関わりたくない、というのが本音ですかね」


 私の言葉を聞いて、先輩は右目だけを閉じて小さく首を傾けた。何も言わなかったけど納得したような表情に見えた。


「今日の件、契約に基づいた一日マネージャーのこと……迷惑を掛けてしまったことだし。また日を改めてセッティングさせてもらうよ」


「あ……そう言えばそうでしたね。でもいいんです。……佐藤先生を紹介すればいいんですよね。明日にでもお話してみますよ」


「本当? いや、ありがたいけれど」


 私の答えを聞いて、先輩は嬉しいような困ったような、複雑そうな表情で微笑んだ。


 佐藤先生を紹介する代わりに今日の撮影に参加させてもらう――そんな交換条件だったっけ。先輩にとっては思いがけない出来事が起きてしまったけど、私にしてみれば図らずとも目的は果たせたようなものだ。……解決したかどうかは別として。


 佐藤先生には何とか協力してもらえるよう説得してみよう。私の事情は先輩には話せないけど、目的を果たせたことは事実なのだから。




 スタジオを出ると、すでにパトカーが到着していたところだった。警察とスタッフの人が話し込んでいる横を静かに通り抜ける。


 ――ちなみに、新平くんと恭くんも一緒だ。先輩との会話からこうして外に出るまで、一切の会話はなかったけど。

 少しだけ歩いて、警察たちの声がすっかり聞こえなくなったところで口を開いたのは新平くんだった。


「キョウは先帰って、もう寝ろ。無理し過ぎただろ、早く休んだほうがいい」


 自然と横並びになった私たちだけど、何故か私が真ん中になっていた。私の右側を歩く新平くんは、私を挟んで恭くんへと話し掛ける。


「俺も、茂部ちゃん送るのに着いてくよ」


 ――どうやら言わずもがな、私を家まで送り届けてくれることになっていたらしい。口を挟もうと思ったけど、まだ二人の会話は続いている。


「いや。お前は絶対に先に帰れ」


「なんで……」


「それとも、俺と茂部にお前を家まで送らせるつもりか?」


 そう言われると恭くんは黙り込んでしまった。……私も、少し目が腫れていて見苦しい姿だけど、恭くんこそ未だに顔色も悪いし何なら今にも泣き出しそうな顔だ。間違いなく私たちの中で一番憔悴しきっている。


 そこから私たちは無言のまま歩き続けた。誰も何も話さない、重たい空気のまま。私の家と西尾家を分かつ大通りに辿り着くまで、そう時間は掛からなかった。


 ――そのタイミングで、私は初めて口を開いた。


「私、大丈夫だから。二人で帰りなよ」


 私がそう言うと、新平くんの片眉がぴくりと上がった。そして新平くんと恭くんは顔を見合わせる。会話はなかったけど、恭くんが肩を竦めた。


「茂部ちゃんは、シンペーの小言を聞く係だよ」


「……え」


「それじゃあね。また今度、ゆっくり話そう」


 ふわりと微笑んでそう言った恭くんは、私に背を向けて歩いて行ってしまった。相変わらず元気はないように見えるけど、落ち込んでいる様子でもない。……思うことはあるだろうけど、すでに乗り越えた失恋だ。複雑な感情の整理が終わればきっと元の調子に戻るだろうと、そう思った。


 そして残された新平くんと私。彼は何も言わず、自分の家と逆方向――つまりは私の家へ向かって歩き出した。これは言っても聞かないことを悟った私は、諦めてその背中を追うことに決めた。




「今日は、母親は帰って来ないのか?」


 心なしか、普段の足取りよりゆっくり歩く新平くんがふとそんなことを聞いてきた。あまりにも普通の口調で話し掛けてきたものだから私は面食らってしまった。何度か瞬きして、回っていなかった頭を巡らせる。


「え……っと、多分帰って来ないと思うけど、いつも連絡もなしに帰って来てたりするから何とも言えないかな」


「そうか。……あー、昼飯どうする?」


 スマホの画面をチラ見しながら新平くんが言う。言われてみれば……もうお昼は過ぎているのか。


「いや……私はちょっと、食欲ないかも……」


「あ、そうか。いやすまん、そうだったか」


 変な意味じゃなくて本当にお腹は空いていなかったからそう言っただけなんだけど、新平くんはどこか慌てたように言う。何だか私よりも私のことを気にしているように見える。

 ……元々面倒見がいい、寧ろ良すぎる新平くんにあんな情けない姿を見せてしまった上は仕方がないのかもしれない。……居た堪れないけど。


「……大変だったね、突然モデルやらされちゃうなんて。新平くんも疲れたでしょ」


「俺は……なんてことはねぇよ。つーかお前いつの間に北之原のマネージャーになったんだ? そもそもいつアレと知り合ったんだよ」


「知り合ったのは竜さんのお店でだよ。マネージャーは今日だけ、先輩からちょっと頼みごとされたんだけど、交換条件で今日の撮影にお邪魔させてもらうことになった流れでね。もう二度とやらないと思うよ」


 私が説明すると、新平くんは聞く前よりも怪訝そうに首を傾げて私を横目に見下ろしてきた。目が合うと、ぱっと視線は前に向けられる。何か言いたげな表情だ。


「なんで……今日、たまたまなのか」


「……なにが?」


「俺とキョウがいたことと、灰原がいたこと」


 思っていたよりもストレートに言われたので、少し返答に困った。とは言えいつかは聞かれるだろうと思っていたから、私は用意していた答えを口にする。


「新平くんたちが現れたのは本当に偶然でちょっと、いやかなり驚いたよ。一応変装してたしバレるんじゃないかってドキドキしてたし……まさか私がカメラの前に立たされるとは思ってなかったけど」


「俺たちは、か」


 ここまで言ったのだ、もう言ってしまおう。問い掛けた新平くんもどこか確信を持ったような、いつになく真剣な眼差しで前を見据えていた。

 私も彼と同じ方向に視線を向けて、できるだけいつもの調子で喋ることを意識しながら続ける。


「今日はね、灰原さんに会おうと思ってたんだよね。先輩には何も言ってないよ。キョウくんにも言ってない。まあ……会えるかどうかも分からなかったから、賭けみたいなものだったけど。結果的にはよかったのかな」


「……よかねぇだろ」


「うん、そうだね。でも私の中では色々と腑に落ちたところはあるから、よかったんだよ」


 ――灰原さんについて。

 彼女は突如、私が刺激するまでもなく逆上して襲い掛かってきた。そして先輩からの話を聞くに、トラを階段から突き落としたのも彼女で間違いないだろう。詳細は分からないけど中言先生が証人だろうし。


 疑問は未だ残る。

 彼女は私のことを「脇役」と呼んだ――それはつまり、ゲームのことを連想してしまう訳で。

 でも、気になる発言は他にもある。「言う通りにしたのに」……まるで、私を襲うことを誰かに指示されたかのような口振り。もしそんなことを指示している人間がいるとするなら、それって一体誰なんだろう。まるで心当たりもないし……。


 そして、灰原さんは「脇役」とは言いつつも決して「ゲーム」や「ハイ☆シン」とは口にしなかった。……これはたまたまかもしれないけど、私はあの半狂乱に叫ぶ彼女の姿を見てこう思ったのだ。


 ――もしかして彼女、転生者ではない(・・・・・・・)


 「言う通りに」――何者かによって“知識”を吹き込まれ、ただその通りに行動していただけの紛い物(・・・)……その可能性だって無きにしも非ず、と思ってしまった。



 ……でも、まあ。別にいいのだ。彼女が何者であろうとも、何を考えていようとも。


「トラを突き落としたのが灰原さんかも、って疑ってただけだから。ほぼ確信はできたし、納得した。だからもう関わらない。……気の毒だけど警察沙汰にもなったし、きっとこれで懲りたでしょ?」


「俺は、益子が何やら怪我して休んでんのは聞いてたけど……階段から落ちただとか、それが誰かに突き落とされただなんて知らなかったからよ。でもなんで、灰原が益子を突き落としたりお前のことをぶん殴ろうとしてるんだよ。お前なんかしたのか? してねぇだろ。俺は納得できてねぇよ」


 不機嫌とも違う、いつもより少し低い声。何となく伝わってきたのは、それは私を案じる心配の声色だってことだ。


「灰原さんにも色々あるんだと思うよ。それが何なのかは分からない。私は別に、それを知りたいとは思わないから……だからもう関わらない、これで終わり」


 これが私の出した答えだ。


 私に前世の記憶があること、この世界がゲームかもしれないってこと……それってもう、私一人で悩むレベルの話じゃないだろうし。そもそも私はもうこの世界をゲームだとは思っていない、ただの現実に生きる一人の人間としての自覚がある。

 だったら私がこの世界に及ぼす影響なんてたかが知れてるし……まあ、ゲームに関する知識のおかげで新平くんたちとのコミュニケーションにバフが掛かってるって考えはできなくもないけど。


 ただやっぱり、去年の文化祭の出来事や今日みたいなことがあると少し考えはする。自分の存在が新平くんにとって迷惑になってしまうなら……って。でもそれももう乗り越えた悩みで、人間関係で悩むならゲームとかのことは切り離して考えるようにしているから。

 で、今日の件に関しては絶対に私に非はないだろうし。寧ろ私は百パーセント被害者だし。やりたくもないモデル業の手伝いをさせられて挙句に殴られかけるって不運過ぎる。


「それより私は恭くんが心配かな。……昔の灰原さんをよく知っていたからこそ、今日のあの姿は衝撃だっただろうし」


「お前は――」


 新平くんが何かを言い掛けて、途中で口を噤んだ。思わず隣を見上げると、目を細めた新平くんと視線が交わる。今度は逸らされることはなく、じっと見つめられた。


「人の心配ばっかで、ちったぁ自分の心配しろよ」


 ――新平くんの手が伸びて、私の右頬に触れた。声が出そうになって、何とかそれを堪える。

 先に立ち止まったのはどちらだっただろうか。もしかすると同時だったかもしれない。


 新平くんの指先は、髪で隠れた私の右頬――薄っすらと残る引っかき傷に触れていた。


 ……この、シチュエーション。胸が高鳴るし、いつもの私だったらきっと顔は真っ赤だっただろう。でも今は気恥ずかしさはあるのに、高揚感はなくて――私を見つめる視線から何となく逃れたくて、私は目線を落とすことしかできなかった。


「……あの。あの時、駆けつけてくれてありがとう。たまたま近くを通ったの?」


「――ん、まァ、そんなところだ」


 触れられたところは今も少しヒリヒリと痛む。その傷を見て新平くんが何を考えているのか、その表情から読み取ることは私にはできなかった。


 しばらくして、新平くんの手が私の頭上まで伸びた。何かと思ったらそのまま頭を撫で回される。

 思わず見上げると、新平くんは悪戯っぽく微かに微笑んでいた。憂い顔はすっかり消え去っている。その表情は、どこか恭くんに似ていると思った。

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