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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
五章〈モブキャラの推しごと〉
74/130

13

 北之原先輩は部屋全体をゆっくり見渡してから、優雅な足取りで部屋の中を歩き出す。そして部屋の隅にあるキャビネットの前で立ち止まると、その上に置かれていた小さな植木鉢の付近に手を伸ばした。


「一応聞いておくけれど、弁明はあるかい? ……この期に及んでね」


 静かにそう言い放ち、振り返った先輩の表情は微笑んでいるけれどまるで鬼のような、背筋が凍るような冷たい微笑を浮かべていた。怒っているのだ。そしてその右手には小さな黒い機械のようなものが握られている……それは、小型カメラ?


「あの……どういうことですか?」


 おずおずと戸惑いの声をあげたのは恭くんだった。彼もその場から動けずに、地面に座り込んだままの灰原さんと北之原先輩を交互に見ながら混乱しているようだ。


 私がそんな彼らをじっと観察していると、私の傍らに立っていた新平くんが先程と同じように、私の視界を遮るように立ちはだかった。それによって灰原さんは勿論、恭くんや他のスタッフたちが途端に見えなくなる。ただ一人、彼らから少し離れた位置の部屋の隅に立つ北之原先輩とだけ目が合った。

 しかし先輩と目が合ったのは一瞬で、先輩の視線はすぐに私の少し上――私の前に立つ新平くんへと向けられた。新平くんは私に背を向けているので表情は分からないけど、何となく彼も先輩のことを見ているのだと思った。


灰かぶり(シンダー)。キミは今日、待機していた数人の女性モデル及びスタッフの飲料水に細工をしたね?」


 ――そして先輩が語ったことは、衝撃の内容だった。


「そしてそれは今日だけではなく、数ヶ月前からその行為は繰り返されていた。確信を持てたのはつい最近のことだけれど」


 私から灰原さんの姿は見えない。ただし相変わらず言葉はなく、その場にいる全員からの視線を受けても特に反応を示すことはなかった。


 正直私は……直視することが苦しかったから、こうして視界を遮られていることはありがたかった。戸惑いが大きいけれど、植え付けられたのは恐怖だ。もしあれが振り下ろされていたら本当に――


「キミが朝一番に飲料水に仕掛けを施す姿、そして先刻の出来事はカメラに収めさせてもらったよ。ちなみに集音器も仕掛けていたから、何が起きていたかはボクも把握している。下手な言い訳は通用しないと思うがいい」


 そう言って先輩が髪をかき分けると、左耳に小さなイヤホンのようなものが取り付けられていた。集音器って、言い方は違うけど要は盗聴器ってことだよね?


「これはれっきとした傷害事件として被害届を提出するつもりでいる。そこの子猫ちゃんも含めて、ボクの同僚に手を出したのだから……相応の報いを受ける覚悟はできているだろうね?」


「――何か、言えよ。お前、どういうつもりなんだ? 俺とキョウを強引にここへ呼び出したのにも理由があんのかよ」


 毅然として先輩が言い放ったあと、新平くんが低い声で静かに灰原さんへ問い掛けた。……その時、灰原さんの反応があまりに気になったので私は少しだけ身を乗り出して新平くんの背中から顔を覗かせる。


 座り込んだままの灰原さんは、髪が乱れていて前髪が乱雑に目元を覆っていた。その前髪の隙間から覗く鋭い眼光は、最早彼女の中から“ヒロイン”の面影をすっかり奪っているように見えた。


 灰原さんはゆっくり、ゆっくりと再び俯いてから小さく「うっ――」と呻き声を零す。


 そして、


「――ああああぁぁ!! なぁあんで、何もかも上手くいかないのよぉぉ! 嘘つき! 嘘つき!! 言われた通りにやったのに!!」


 耳を劈く大声に、その場の全員が面食らった。半狂乱に叫ぶ少女を前に、私たちは勿論スタッフたち……大の大人たちすら言葉を失ったのだ。


 そして見開かれた狂気の眼光が私を貫いた。


「私は悪くない!! お前――お前らみたいな脇役が、全部邪魔したから上手くいかなかった! “何の価値もない脇役”のくせに――!」


 灰原さんは真っ直ぐに私を指差して、甲高い声で叫んで、それから両手で顔を覆ってその場に蹲った。叫びながらボロボロと彼女の目から溢れるのは涙。反対に、そんな姿を見せられてしまえば私の涙は途端に引っ込んだ。


 明らかに正気ではない灰原さんの姿は、恐怖と同時に哀れみを覚えさせた。どうしてだろう……でも、私は彼女を「可哀想だ」と思ってしまった。


 それはただの私の感想で、その他の人たちがどう思ったのかは分からない。けど、化物を見るような目が全てを物語っているような気がした。


「――警察を呼んで。監督、一旦この場は任せるよ」


「あ、あぁ、分かったよ。とにかく別の控え室を用意してあるから……カイリくんたちは取り敢えずそっちに」


 先輩の指示で何人かの大人スタッフが灰原さんを取り囲んだ。灰原さんは蹲ったままよく分からない呻き声をあげているばかりで、もうまともな会話は望めない様子だった。


「子猫ちゃん、大丈夫かい? ああ……事前に謝っていたとは言え、多くを語れずすまなかったね。申し訳ないよ」


 そして私の元まで歩み寄ってきた先輩は、もう冷たい表情ではなくなっていて、こと心配そうに私の顔を覗き込んできた。


 しかしそこに割り込んだのは、新平くんだ。


「……説明しろよ。俺は、こいつは、あんたに利用されたんだよな? 内容によっては俺も黙ってねぇぞ」


 新平くんは必死で怒りを抑え込んでいるようだった。今までに見たことがないくらいの深い皺が眉間に刻まれているし、拳は固く握り締められている。先輩に向けて放った言葉も落ち着きを保っているとは言え、まるでライオンの唸り声のような低い声だった。


「……まずは移動しようか。立てるかい、子猫ちゃん」


「いい、俺が連れてく。……大丈夫か?」


 先輩は私に手を差し出したけど、新平くんが私の肩に手を回してそう語り掛けてくる。新平くんは本気で私のことを心配してくれているようだった。


 ……混乱。私はまだこの状況を全て飲み込めていない。でも、新平くんが心配してくれるのは純粋に嬉しかった。安堵もあってか再び涙が込み上げそうになったけど、これ以上情けない姿は見せられないと思って必死に堪えた。少しだけ俯いて潤んだ目を誤魔化す。


 よろよろと立ち上がった私を、新平くんはずっと支えてくれていた。そして未だに何かを喚いている灰原さんを横目に、先輩に促されて控え室を出る。


「キョウ。……行くぞ」


 ぼうっと立ち尽くしていた恭くんは、新平くんに声を掛けられてはっとしたようだった。恭くんは私よりも混乱が大きいようで、どこか虚ろな表情のまま私たちに着いてきた。




 ・・・ ・・・




 先輩に連れられてやって来たのは、少し離れた先の別の控え室だった。先輩と私、新平くん、恭くんの四人は椅子に腰掛けて向かい合う。


「大きな怪我はなかったようで、何よりだ」


 開口一番に先輩が言ったのはそんなことだった。それに青筋を立てたのは新平くんだ。


「あんた、少しでも俺が駆けつけるのが遅かったら手遅れだったかもしれないってことが、分かってんのか!?」


「……いや、そうだね。すまない、今のは失言だった。少しだけ言い訳をさせてもらうと、ボクは彼女(シンダー)がここまでの真似を仕出かすとは思っていなかったんだ」


 本当にすまない、と言って先輩はなんと、私に向けて頭を下げた。プライドの塊のような普段の姿を知っている身からすると有り得ない光景で、私はあんぐりと口を開けてしまうことになった。


「あ……謝らなくていいですから。結局私、大丈夫でしたし。それよりも先輩は灰原さんが何かをやらかすことを知っていた、ってことでいいんですよね……?」


 私が問い掛けると、先輩は小さく頷いて胸ポケットを漁る。取り出したのは先程も手にしていた小型カメラだ。確か、あの控え室の観葉植物の中に仕掛けていたもの。


「今日、起用予定だった女性モデルが全員揃って体調不良を訴えたのは彼女――灰原姫乃が、彼女らが口にする飲料水に下剤を混ぜたことが原因だろう。その様子は別の隠しカメラで捉えてある、言い逃れはできない」


「まるで、ヒメちゃんが犯人であることを確信していたようですけど。……ずっとずっと前から、その予兆があったということですか?」


 重々しく口を開いた恭くんの声は少し掠れていた。でも、真っ直ぐに先輩を見据えて問い掛けたその口調に迷いはなかった。彼の中でも色々と受け入れた部分があるのかもしれない。


「実は以前から同じようなことがあってね。その度に、灰原姫乃は自分を代理として起用してほしいと懇願されていた。しかし……ボクはその時点では彼女がまさか犯人だとは思っていなかった。きっかけは中言先生(ミスター)の忠告さ」


 ミスター、というのが誰のことを指しているのか分からない様子だった西尾兄弟に「中言先生のことだよ」と私が補足する。二人は一瞬納得したような顔をしたけど、すぐに首を傾げた。そしてそれは私も同じだ、なんで突然中言先生?


「先日、彼に言われたのさ……灰原姫乃を監視しろとね。まずはボクの撮影現場で何か可笑しな事件は起きていないかだとか、何か変わった様子はないかを聞かれた。どういうことかと問い詰めれば、彼女の動向に注視しろと言われたんだ。何でも近頃、学園内で起きている事故は事件の可能性が高く、それに灰原姫乃が絡んでいる可能性があるということだった。随分と前から監視は続けていたけれど、確信は持てていなかったのさ」


 どうやら……中言先生はずっと前から灰原さんのことを怪しんでいたようだ。それがいつからなのかは分からないけど。

 そしてそんな中言先生が頼ったのが、自分をライバル視している北之原先輩だったと。それで思い出した、以前恭くんが約束を破られて灰原さんが北之原先輩と一緒に歩いていたって話。それももしかすると監視の一環だったのかもしれない……。


 そして、先輩の言葉にはっとした。

 学園内で起きている事故……それって。


「トラの件も……中言先生は気付いて……」


 トラのことを介抱したのは中言先生だと聞いた。だから先生はあの時私には特に何も語らなかったけど、何かしらは勘付いていたのかもしれない。

 そして犯人に大体の当たりがついていて、北之原先輩に協力を仰いだ――そういうことか。


「半信半疑だったさ。しかし確かに思い返せば、女性モデルやスタッフが時折体調を崩す日は必ず灰原姫乃が現場にいた時だった。だからいつか真実を暴こうと準備していてね……そんな折で子猫ちゃん、キミが今日の撮影に参加したいと言い出したものだから。本当は別日に回すべきだったね、計らずともキミを巻き込むことになってしまった」


「い、いえ。それは私が勝手に言い出したことで、わざとじゃないんですよね? だったら大丈夫です、自己責任だと思いますし……」


「ありがとう、キミは優しいね。とは言えだ、ボクも灰原姫乃の蛮行の決定的な瞬間を捕らえたいという思いからキミのことを少しだけ利用したのも事実だ。灰原姫乃のことを煽るのには、同じ年頃であるキミがまさに適任だったからね」


 ――ストレートな暴露。先輩はしっかり計算の内に私のことを利用したらしい。ただ、きっと今日の思い付きでの計画だったんだと思う……私がマネージャー役を買って出たことも、灰原さんが新平くんたちを連れてきたことも。

 あの様子だと監督たちも先輩から事前に灰原さんが怪しいということは聞かされていたようだったし、灰原さんが代理のモデルを務めるというのも先輩の筋書き通りだったのかな。だとしたら私たちはこの人の手のひらの上で転がされていたってことになる。


「それにしても工具を持ち出してあんな騒ぎを起こすだなんて、ボクも彼女を煽っておきながら言えたことではないけれど……あんな光景を目にするとは、中々の衝撃だったよ。弟クンは大丈夫かい? 今日一日はずっと緊張した面持ちだったから。キミはどうやら灰原姫乃とは因縁があるみたいだね?」


「あ……いえ、俺は……大丈夫です。少しショックではあったんですけど、ただ俺は……何だか虚しくて」


 そう言って息をついた恭くんは、ゆるりと視線を上に向けた。その先の言葉はなかったけど、色々と思うことがあるに違いない。言葉にならない、というのが本音だろうと思った。それを見つめる新平くんも複雑な表情を浮かべていた。


「ヒメちゃん、どうしちゃったの」


 それは誰かに向けて言った問い掛けではなくて、ただ零れた恭くんの呟きのようだった。怒りでも悲しみでも戸惑いでもない、まさに虚無を抱えた表情でそう呟いた恭くんの姿は、私の目には何とも痛々しく映った。


「……ボクは、ボクの部下や同僚に薬を盛ったという事実のみを被害届として提出するつもりだ。ボクから彼女に問う責任はそれだけ、そこからは彼女と彼女の家庭が決めることだろうね」


 トントンと自らのこめかみを人差し指で叩きながら、先輩は疲れた様子で瞑目しながらそう答えた。どうやら先輩もかなりお疲れのようだ――無理もないか。

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