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服装も変わり、メイクまで施された灰原さんは本当に芸能人みたいなオーラを纏っていた。思わず見入ってしまう程だ。それは私だけではなくて、その場にいたスタッフたちも同じようにぽかんとして突如現れた灰原さんに目を奪われていた。
「先輩っ!」
灰原さんは綻ぶような笑顔と共に、自分を見つめている北之原先輩の元へと駆け寄った。二人のビジュアルも合わせてさながら、ゲームのスチルを切り取ったかのような美しいシーンだと思った。
「私も代役として頑張らせてください!」
「……監督? これは一体」
北之原先輩は戸惑いの声をあげる。視線を向けられた監督は、困ったように笑うだけでなにも言わなかった。その一瞬のやり取りで、この二人は言葉を交わさずにして何かを通じ合ったのか。一度、先輩は考える素振りを見せてからすぐに「なるほどね」と言って柔らかく微笑んだ。
「あ! シンくん」
「お前、その格好は……」
少し遅れて、スタジオに新平くんが戻ってきた。随分とげっそりしている、明らかに疲れが表情に出ていた。そんな新平くんも着飾った灰原さんを目に留めて怪訝そうに首を傾げる。
「私も一緒に撮影するの。よろしくね?」
「は? こんな素人ばっかで絵面大丈夫なのかよ」
新平くんの反応はあっさりしていて、それどころか近付く灰原さんを喧しそうに片手で追い払う素振りを見せた。それは確かに私の知っているあのイベントの新平くんとは反応が違う。……単純に、灰原さんへの好感度が低いからなのかな。
「――――。」
それから、ふとスタジオの入り口に恭くんが立っていたことに気が付いた。一連の流れを見ていたらしい恭くんは青白い顔のまま特になにかを言うことはなくその場に立ち尽くしていた。灰原さんも恭くんの元へ話し掛けたりはしなかったので、恭くんがなにを思っているのかは分からず終いだった。
◆
再開された撮影。まずは先程と同じように先輩、新平くん、恭くんが言われるがままのポージングで撮影されて、しばらくして灰原さんが投入された。
今回のコンセプトは男子高校生のデートコーデ。と言うことで、本来なら何人かの女性モデルが彼らの相手役を務めるはずだったらしい。
「代役……とは言えキミも素人だ。顔ははっきり映さない画角にしよう」
「え? 私、別に大丈夫ですよ?」
「すまないね、こちらの事情なんだ」
しかし灰原さんはあくまで後ろ姿や、ぼんやりとした身体の一部のみしか映さない方向でいくと北之原先輩が決めたようだ。それに本人は不服の様子だったけど……私も少し引っ掛かった。素人で言えば西尾兄弟も同じなのに、灰原さんは顔を映さない……北之原先輩にも何かしらの意図があるのだろうか。
「それにしても……弟クン。大丈夫かい?」
「――っ、あ……ごめんなさい……俺、」
スクリーンを背後に、灰原さんの手を取りながらカメラを向けられている状態の恭くん。その表情は今日一番に優れておらず、あまりにもぎこちないので流石に先輩も撮影を中断させてしまった。
「いいかい、シチュエーションとしては恋人だけに向ける甘い視線がポイントだ。ほらリラックスして、カメラはあまり意識せず臨むといい」
「は……はい」
先輩が優しく恭くんの肩に手を添えた。言われて、軽く頭を振った恭くんは集中するかのようにぎゅっと目を瞑る。そして顔を上げて、灰原さんの手を握り直して――でもやっぱりその表情は暗いままだった。
――いや、そりゃそうだよ。私は間に入れないことがあまりにもどかしくて、こっちがどうにかなりそうだった。
恭くんからすれば灰原さんはもう失恋した相手な訳だし、そんな相手を至近距離で見つめて、それも手を握ってだなんて……苦行でしかないのでは。……今、恭くんが灰原さんに対してどんな思いを抱いているのかは分からないけど、でも彼女が一度恭くんを傷付けた事実は揺るがない。
その一件には北之原先輩も僅かながら関わっているんだけど……当の本人は知る由もないんだろうな。だからこそ全てを知っている私はもどかしくて堪らなかった。
ちらりと私は視線を泳がせ、今はパイプ椅子に腰掛けて休憩している新平くんを見た。ペットボトルの水を片手に、鋭い視線で恭くんたちを見つめている。この視線、表情は……どうやら新平くんももどかしさを覚えているようだ。新平くんが恭くんと灰原さんの関係についてどれくらい知っているのかは分からないけど、尋常じゃない様子の弟を前にして平然とはしていられないよね。
「ちょっとキョウくん、ちゃんと集中して? ね、ほらこっち見て」
「う……ん」
「聞いてる?」
恭くんの手を握り締め、ぐいぐい迫る灰原さん。傍から見れば少しあざとい、可愛らしい所作だ。でも顔色悪くさせている恭くんとセットで見るとかなりの圧を感じた。灰原さんもまた、相変わらず何を考えているのか全く読めない。
「――ちょっと、止めようか。二人とも下がって」
痺れを切らしたらしい北之原先輩が声を張り上げて撮影を強制終了させた。殺伐とした雰囲気がその場に落ちる、恭くんはまるで捨てられた子犬のような顔になっていた。自分のせいで、とか思ってしまっているのかな。
「……ふむ」
この場を掌握しているのは間違いなく北之原先輩だ。全員が彼の次の言葉を待っていた。
まずは恭くんを一瞥して、それから灰原さんに。そしてじっと黙ったままその視線は――私へと。
――――ん?
「子猫ちゃん。ボクに着いて来たまえ」
「……あの、ちょっと?」
「さぁさぁ、とにかく今は何も言わずに。ね?」
なんだろう。とてつもなく嫌な予感がした私はその場で思いっ切り声を出してしまったが、先輩は構わずと言った様子で強引に私の手を引いた。
私だけじゃなく、みんな目を丸くさせていたはずだ。新平くんや恭くんまで。新平くんは……流石に今のやり取りだけで“私”に気付きはしなかっただろうけど。
先輩は私をスタジオから連れ出すと、とある控え室に足を踏み入れた。元々先輩に用意されていた控え室とは別の部屋だ。ただ、部屋の奥には大量の服が用意されている。見るとそれはどれも女性物の服だった。
「取り敢えず何から合わせてみようか?」
「ちょっっと待って!!!?」
「おお、どうしたんだい? そんなに声を張り上げて」
「正気ですか!?」
流れるような所作で私のキャップと伊達眼鏡を取り上げた先輩は、誰しもが見惚れるようなキラキラの笑顔のままとんでもないことを言い出した。これってもしかしなくてもそうだ。
この人、私をモデルにしようとしてるんだわ。
「仕方ないじゃないか。相手役に若い女性は必要だが、灰かぶりの子猫ちゃんでは弟クンが緊張してしまうようだったからね。自ずと選択肢はキミしか残されていない」
「そんな、妥協点みたいな感じで起用するつもりで!?」
「大丈夫さ、悪いようにはしない。このボクがコーディネートとメイクを施すんだ、胸を張って臨みなさい。それにキミだって顔を映すつもりはないさ……ああでも、キミだと少し背丈が足りないかな……全身は映せないか。まぁ台座を使えば問題はないね」
私の意思はガン無視のようだ。ポイポイと服をあてがわれて着替えろと一言告げられる。それから私への配慮か控え室を出て行った先輩の背中に、その気遣いができるならもっと私の意見を聞き入れろと恨み言をぶつけてやりたかった。
これは、半ば強制的に着替えなければいけないらしい。困ったことになった……本来の今日の目的を見失いそうだ。
私は今日、灰原さんの様子を窺うため――そしてあわよくば、話ができればと思っていた。だからこそタイミングを狙うために顔を隠していたのに。
いや……でも逆に、同じ演者として近くに寄ることで話ができるチャンスは掴みやすいのか? そう思えば背に腹は替えられないという気分になってきた。ってかそんな風に自分に言い聞かせなきゃやってられない状況になってしまった。無情。
「馬子にも衣装、とは。先人は言い得て妙な表現をよく生み出したものだ」
「貶してますよね」
「まさか。ほら座って、ボクのメイクでさらに磨きを掛けてあげよう。――それにしても酷いクマだね……ちゃんと寝ていないのかい?」
それから私はされるがままに先輩からメイクを施された。それにしても素早いかつ正確な手付きだ。それほど長い時間と手間を掛けずに私に施されたメイクは、控えめながらも間違いなく普段の私からは考えられないくらいの顔面偏差値を叩き出していた。化粧は化けると書くけど、本当にその通りだ。自分が自分じゃないみたいで変な気分になる。
「それじゃあ、出陣といこうじゃないか。子猫ちゃん」
「本当に……本気で……」
「覚悟を決めたまえ。だが先に謝っておこう――ごめんね、子猫ちゃん」
「謝る……え? なんですか急に」
今度はエスコートされるように、優雅に手を引かれて私たちはスタジオへと戻った。先輩の突然の謝罪に戸惑うしかなかったけど、一応は私に対して申し訳なさがあるってことなのだろうか? しかしその真意を問い詰める前に一斉に視線が私たちへと集中したことで声が自然と引っ込んでしまった。
先輩と私が離席したのは僅かな時間だったけど、全員が怪訝に思ったはずだ。顔を覆い隠していた謎の一日マネージャーを連れて消えた先輩が、見違えたように着飾った女子高生を連れてきたとなれば。
ガタッと鈍い大きな音が響いた。何かと思って目を向けると――それは、新平くんが弾かれたようにパイプ椅子から立ち上がった音のようだった。
同時に私も気付いた。そうだ、これでもう確実に新平くんに顔を晒してしまったのでバレるじゃないか。ってかバレたのか。食い入るように私を見つめている新平くんは、ただただぽかんとして驚きの表情だけを浮かべていた。これは……もしかするとワンチャン私だとバレずに乗り切れるのでは――
「茂部、お前、何してんだ……」
――そんなことはなかった。