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翌週、私は前期の期末テスト期間に入ったことでバイトをすることができなくなってしまった。竜さんと過ごす時間は楽しいし、バイトができないとなると私としてはかなり退屈な日々だった。
そもそも今の私のメンタルで勉強に集中できるかと言われれば、全く身が入らない。私は相変わらず夜なべしてあのサイトを検索しているし、日中は虚ろ虚ろになっていることが多かった。普段は卒なくこなしている駒延高校のテストも、今回ばかりは不安が募る。
だから今日は環境を変えて、図書館にでも行こうと思った放課後だったんだけど。
「なんか、正門前にイケメンがいるんだけど……!」
慌ただしい女子たちの足音と噂話がやたらと耳についた。……デジャヴ? 数日前に突如、ふらっと美南くんが現れた日のことを思い出した。
「誰かのことを探してるみたい!」
……美南くんのことかと思ったけど、きっと彼なら仮面を付けていることだろうしはっきり“イケメン”と呼ばれることはないだろう。じゃあ一体誰が?
小走りで廊下を駆けて行く女子たちに揉まれながら辿り着いた昇降口はすごい混雑だった。突然現れた“イケメン”をお目にかかろうと、全学年の女子たちでごった返しているのだ。
「――――」
やっとの思いで外に出ると、人垣の間から見えた姿に私は絶句した。正しくは、見えたのは一つだけ突出している派手な頭の一部だけだったのだが。
「ありがとう子猫ちゃんたち、こんなに熱烈な歓迎を受けられるなんて嬉しいよ」
日に照らされて輝く金糸のような長髪と、その甘い声色を聞いて間違いないと確信した。――何してるんだ、北之原先輩!
私が察した瞬間を見計らったかのように、ちょうど人の垣根がタイミングよく開けて北之原先輩の顔が露わになった。そして気のせいじゃない、その瞬間にばっちりと目が合ってしまったのだ。
「――フフ。見つけた、子猫ちゃん」
「……」
「……おっと、待ちたまえ! キミに用があるのだよ、子猫ちゃん!」
聞こえないフリをして早足にその場を去ろうとしたけど、思いっきり名指しかつ指差しで呼び止められる。このまま走り去ってもよかったんだけど、その周囲にいた何人もの女子生徒たちから向けられた視線の全てを振り切って逃げるのは無理だと悟った。仕方なく歩みを止める。
「ごめんね子猫ちゃんたち、ボクは彼女と話したいから……少し離れてくれるかい?」
「わ……私に用事ですか?」
眩い笑顔を振りまきながら群がる女子生徒たちを軽くあしらう北之原先輩。扱いには慣れているようだ、興味本位で集まった女子たちは北之原先輩にはっきりと拒絶されるとつまらなそうにしながら一人二人と離れていく。それでも、少し離れた位置からこちらの様子を窺っている野次馬は多くいるけど。
対する私は引け腰のままその場に突っ立っていると、北之原先輩は不敵な笑みを浮かべながら歩み寄って来る。何故だろう、この美人の笑顔が少し怖く感じた。そもそもなんでここに来たんだろう、心当たりがまるでない。
「――――佐藤太郎はどこにいる?」
「はい……?」
私の傍まで寄ってきた北之原先輩は、ぐっと顔を近づけてきたかと思うと――私の耳元で静かにそう囁いた。突然近づいてきた顔面に、私が驚く間も与えずに。
そして何と言った? 佐藤太郎? ……首を回して北之原先輩の顔を見ると、かなりの至近距離でその表情は真顔だった。色んな意味での恐怖を覚える。
「キミの担任だろう。キミならボクと彼を引き合せることができるはずだ。さあ、彼はどこにいるんだ?」
「ちょっ、待った、突然何なんですか!?」
「しっ! 静かにしたまえ。ボクが駒延高校の教師を探しているだなんて知れ渡るのは困る。キミだから頼んでいるんだ!」
「はあ!?」
佐藤先生と引き合わせろ、って。突拍子もなく一体何なんだ、そもそもそれが人にものを頼む態度か。
北之原先輩は声を潜めたまま、私の肩に手を添えて離す様子はない。これは……どうにかしないと逃がしてはくれなそうだ、困ったことになった。私たちの会話は誰にも聞こえていないだろうけど、周囲の視線が痛い。私は目立ちたくないのに。
「……佐藤先生に会いたいってことですか? 別に私じゃなくても、誰かに言えば呼んできてくれると思いますけど」
「ボクは……ミスター・パルフェが認めたという佐藤太郎に、このボクが認められることでミスターの鼻を明かしてやるのさ。そしてキミは佐藤太郎から指導を受けた者、あのミスターが羨望を抱いた者だろう? 自ずと、キミにしかこんなことは頼めないんだ……!」
ミスター……多分、中言先生のことを言っているのだろう。まだ混乱しているけど、要は中言先生を超えるために佐藤先生に認められたいってこと? ……まあ確かに、この前の中言先生の反応を見る限りだとどうやら佐藤先生に対して特別な感情を抱いている様子だったから、その考えに至った理由は何となく察することができた。
いやいや、とは言えだ。こんなことを私に言われても困る、ただ佐藤先生と引き合せることなら可能ではあるけど……そもそも今はテスト期間中で、先生たちも気が張っているようだし。
そう言えば中言先生の話について、佐藤先生と気兼ねなく話せるタイミングが掴めず結局話せていないんだった。会いたいと言っていましたよ、くらいは伝えたいと思っていたんだけど。そんな中で突然に姫ノ上学園の生徒会長があなたに用があるようですって……先生も混乱するに違いない。
「……今日じゃなきゃ駄目ですか?」
「――キミ。このボクが、そんなに暇そうに見えるかい? 生徒会長としての務めと美術部員としての活動……そしてモデル業までも兼ねているこのボクが、おいそれと時間を作れる訳がないじゃないか」
「態度でかっ――じゃなくて、そう言われてもこっちも今はテスト期間中ですし、私も先生もそんなに余裕がないんですよ」
言い聞かせるように冷静に伝えてみると、効果はあったらしく何とも言えない顔をして黙り込んでしまった。気の毒だけど私だって余裕がないのは事実だ。それについては、テスト期間だからっていうのは少しの嘘も混じっているけども。
数秒間黙った北之原先輩だけど、それでもぐっと眉間に皺を寄せて「ならば」と続けた。まだ引き下がるつもりはないらしい……顔も近いしとても居心地が悪い。
「交換条件でどうだい? このボクがキミに施しを与えよう。その代わり、キミはボクと佐藤太郎が会う時間を作り出す――ボクから施しを受けるなんて大変名誉なことだろう? 悪い条件ではないはずだよ」
「交換条件……? そんなこと言ったって私は別に――」
未だ渋る北之原先輩を突っぱねようとして、私はそこで一度思い留まった。――交換条件。
私の中である一つの考えが頭を過ぎった。
北之原先輩のその提案、悪くないかもしれない。
先程、先輩は言った。「モデル業までも兼ねている」――そうだ、思い出した。北之原絵里とは、生徒会長及び美術部エース……そして高校生読者モデルとしても活躍するマルチな活動家なのだ。
モデル。――この地域でモデルに抜擢されている高校生は、大抵がとある雑誌ブランドに囲われている。それはゲームでも登場していたブランドで、今のファッショントレンドやラッキーアイテムなどの情報を得るための重要なツールの一つだった。
そして北之原先輩は例に漏れずその雑誌ブランドの表紙を飾る大人気モデル。地方テレビにも引っ張りだこな、地域に愛されている知る人ぞ知るうら若きスターと呼ばれている。
「――先輩。それなら……私から提示する条件を呑めるってことですね?」
北之原先輩の目の色が変わった。それは私も同様で、先輩もそれを察してのことだったのだろう。
「先輩のモデル業……その現場に、お邪魔させてもらうことって可能ですか」
――彼女が辞めていない限り、灰原さんがそこにいるはず。そう踏んだ私は、どうにかしてこのチャンスをものにしたかった。
◇ ◇ ◇
さて一方その頃、知らず内に渦中となった男は。
「太郎ちゃ〜〜ん今回の世界史やばい! 助けて! 範囲どこ!?」
「テストの答え十点分くらいだけでいいから教えて〜!」
「お、お前ら、そんなに泣きついたって俺は情けなんか与えないからな! ってか離れろ! ……っ、教科書のこのページだけは丸暗記しておくことだな!!」
赤点の常連たちに囲まれ、予習の名を借りた拷問を受けている真っ最中だった。ちなみに、定期テスト毎の恒例行事でもある。