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「――もう朝か」
やたらと鳥の鳴き声が聞こえてきて、まさかと思って窓を見るとカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。今日も結局徹夜になってしまった。
私はスマホをテーブルに置くと、冷蔵庫から“魔剤”と呼ばれるカフェイン爆弾ことエナジードリンクを取り出すべく立ち上がる。
ここ数日は毎日こんな感じだ。身体によくないってことは百も承知。しかし、私の目的はまだ果たせていない。
『シンデレラたちの交流会』
私が夜な夜な見漁っているのは例のサイトだ。――“ハイスクール☆シンデレラ”という単語が登場している、転生者らしき人々が集う謎のスレッドサイト。
そう言えばこれを初めて見つけた日も徹夜してしまったんだっけ。とにかく、全てを調べるには一夜じゃとても足りやしない。実際、ここ数日は夕方からずっと朝までサイト内を調べて、それでも私が知りたい決定的な情報は見つからないままなのだから。
美南くんから聞いた、トラを突き落とした犯人が灰原さんであるかもしれない――という話。それを知ってしまった以上、私は彼女がなにを思い行動しているのか明らかにすべきと思った。
本人に直接問い詰めれば済む話かもしれないけれど、トラに対して危害を加えるような相手であればこちらの出方も考えなければならない。
そもそも、私は灰原さんと関わりたくはなかった。彼女がヒロインかもしれない、逆ハーレムルートを辿ろうとしているのかもしれない……そんな不安や杞憂はすでに私の中で結論が出ていて、最早「勝手にしろ」とまで思っていた。
しかしトラを階段から突き落とした、となれば話は変わってくる。今後、私や私の大切な人たちが危険な目に遭うのかもしれないのだ。――原作にはなかった、ヒロインらしき人物の可笑しな行動によって。
自分がどうしたらいいのか、未だに分からない。美南くんも同じだろう、だから私を頼るしかなかったんだ。私にできること、私だけにできること。……そうなると、転生者である私だけにできることと言えば――例のあのサイトを調べ尽くすことくらいかな、と思った次第だ。
「覚悟はしてたけど、精神的にくるな……」
塩おにぎりを魔剤で流し込みながら、私は途方に暮れていた。このスレッド、読むだけでかなりの体力を消耗するのだ。単純に量が多くて目が疲れるというのもあるけど、内容が内容なだけにきつい。
具体的になにがきついのかと言うと、スレッド内に書き込まれたコメントのほとんどがキャラクターに対する感想とかばかりで、私が知りたい“ヒロイン”に関するそれらしい情報が全然見つからないのだ。そのコメントも『尊死♡』とかばかりでとにかく目が疲れる、ハートと顔文字が多過ぎる。
加えて恐ろしいのが、姫ノ上学園に通う“彼ら”についての個人情報がダダ漏れだったことだ。新平くんに関する情報もたくさん目にした。例えば、幼稚園から中学校までの出身校名だとか。どうして普通にここに書かれてしまっているんだろう、やっぱり身近な人でこのサイトを知っている人がいて、書き込んでいるのかもしれない。そう思うと誰も信じられなくなってしまいそう……間違っても本人たちには知られちゃまずいと思う。一応パスワードがないと入れないサイトだからそこらのSNSに書き込まれるのとは違うと思うけど、通報したとてすぐにこのサイトを消すことは難しいだろうし。
美南くんのトラウマのことを考えれば、いつかこのサイトもどうにかしたいと思う。でも今は最大限利用させてもらう、せめて何か情報が得られればいいんだけど。
……彼らについての情報は気味が悪いくらい垂れ流しなのに、肝心のヒロインらしき人物の情報はほとんど書かれていなかった。このサイト自体がファンサイトのような印象を受けるから、まあ当然と言えば当然か。でもみんな気にならないのかな、ヒロインについて。
以前トラが言っていた通り、『姫ノ上学園にヒロインらしき女子がいる』……のような旨のコメントはいくつか見つけた。でもそれ以上の話が広がることもなく、彼女の名前が『灰原姫乃』であるかどうかの確信すら得られていなかった。
「やっぱり、本人に聞いてみるのが一番なのかな……」
私は一人肩を落として呟く。……脳裏に、彼女があの冷たい目をして言った「邪魔しないで」という言葉が蘇る。それを思い出すとやはり、私が行動に出ることを躊躇わせた。
……ひとまず、今日一日も頑張って乗り切ろう。先週をもってコンビニのアルバイトは辞めることができたから、今日は新たなバイト先を学校に対して申請しなければならないのだ。
・・・ ・・・
――新平くんに紹介してもらった喫茶店『メゾ・クレシェンド』。聞いてた通り、中々に癖の強そうな店主さんだったけど、お店の雰囲気はかなり好印象だった。店主さんこと竜さんも大歓迎という様子で、明日にでも来いと言われてしまった。とは言え学校への申請もあったりするので、早くても来週からだ。早速私は申請書類に必要事項を記入すると、それを提出するべく佐藤先生の元へと向かう。
「まぁた転職か!? 長続きしないのは先生ちょっと心配だぞ!?」
「そ、そんなに? いやでもほら、学生の本業は勉強ですし……勉強はちゃんとやってるじゃないですか」
昼休みの内に職員室まで赴き、先生に書類を渡すと大袈裟にそんなことを言われてしまった。やかましいくらいのオーバーリアクションだったので半分は揶揄ってるんだと思う。
「まあ場数を踏むって意味では何事も経験だからな。どれどれ……んお? ここは――竜さんの店じゃないか! おまっ、あの寂れた店をどうやって見つけたんだ!?」
「竜さん――って、先生知ってるんですか、あのお店?」
「知ってるも何も、俺は学生の時に常連だったくらいだぞ。姫ノ上では結構知られてる店だが、あの店は割と大人向けって言うか……学生には合わない雰囲気もあったから、人気かと聞かれちゃ微妙なところだが」
私が渡した書類に目を通した先生は、そこに書かれた店名を見るなりまさかの竜さんを知っていると言う。学生の時に、ってことは先生が姫ノ上学園に通っていた高校生の時にってことだよね。
「そう言えば先生はピアノがお上手でしたよね。ああそうか、音楽喫茶ですもんね!」
「そうそう、あの頃が俺も一番音楽に力入れてた時期だったから……竜さんには当時世話になったからな。ああ何だ、話してたら懐かしくなってきた。俺も今度久々に顔出してみようかなあ」
「いいですね、是非! 先生のピアノも久々に聞かせてくださいよ。お店のステージで」
「いやいや、俺なんかより竜さんの弾き語りのほうが聴く価値があるぞ。あの人ものすごく歌が上手いんだ、聞いたことあるか?」
カウンター越しにおちゃらけていた竜さんを思い返す。あの人、歌が上手いのか……それは知らない情報だったので首を横に振る。でも、間違いなく音楽に精通してるんだろうなと言うのは感じていたから驚かない。
それより、先生が学生の頃からずっとお店を続けているという事実がすごい。寂れたお店だなんて新平くんや先生は言っているけど、こんな風に愛されるべき人たちから愛され続けているお店だからこそ続いているのだと思う。竜さんも素敵な人だと思ったし。
「まあそう言うことだ、竜さんによろしく言っといてくれ。……二番手奏者の佐藤太郎、って言えば伝わるんじゃないかな」
「二番手奏者? 何ですかその絶妙に不名誉な二つ名は」
「はは、俺もちょっと悔しいところだが……当時はこれで名前が通ってたんだ。あんまり深堀りはしないでほしいな、最悪この場で泣くから」
「え? あ、じゃあもう聞きませんけど……分かりました、竜さんに伝えておきますね」
先生の発言が少し気になったけど、先生があまりにも果てしなく遠い目をして言うものだからそれ以上のことを聞くことはできなかった。先生にも色々あったんだろうな、それは伝わってきた。