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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
五章〈モブキャラの推しごと〉
62/130

1(西尾新平)

 梅雨に入ったここ最近は雨ばかりで、随分と蒸し暑い。そのせいか何だか落ち着かない日ばかりで、何となく頭が重く憂鬱だった。


 ――そういや、茂部のバイトの話があったな。


 退屈な古典の授業中、その内容に集中することを早々に放棄した俺は窓の外を眺めながら以前に茂部と話したバイトのことを思い出した。

 茂部が新しいバイト先を探してるってことで、おっさんの店を紹介するって話だったんだ。一応その後に連絡はしたが、おっさんは六月以降に連れてこいって言ってたんだったかな。うっかり忘れてたが、今週がちょうどいいタイミングかもしれない。


 俺は机の下でこっそりとスマホを操作して、その場で茂部にメッセージを送った。今週の平日、どこかしらで例の店に行ける日はあるか……と。俺と違ってあいつは変に生真面目だから、今すぐに返事は来ないだろうな。

 まァ、放課後には既読がつくことだろう。それで返事が来たら、俺と茂部どっちも空いてる日でおっさんの店に行けばいい。そんなところまでを頭の中で構想していたら、驚いたことに今、手元のスマホが震えた。返事が来たのだ。




 ◇




「いやまさか、いきなり今日になるとは思ってなかったな」


「ご、ごめん。急だったよね……お店側も大丈夫なの?」


「いや、今日が空いてるならちょうどよかった。おっさんはいつでも大丈夫って言ってたし問題ねぇだろう」


 その日の放課後、分かりやすく駅前を待ち合わせにしたところ俺が到着する前に茂部はもうそこで待っていた。衣替えしたので白いセーラー服を着ている、何となく夏服だと雰囲気が違う気がする。


「っつーかお前、授業中にスマホ見てたのか? お前も案外不良なとこがあんだな」


「あ、あー……はは、ちょっとね。その時こっちは自習時間だったんだけど、うちのクラスの自習ってもうただのお喋りタイムっていうか……やること終わって暇だったからこっそり、ね。私こそ普通に授業中にメッセージが来たから驚いたよ」


「俺も返事が来てビビったぜ」


 茂部は、一度空を見上げて眩しそうに目を細めた。その横顔がどことなく疲れているように見える……学校終わりってのもあるだろうが、こいつも梅雨で憂鬱にされているのだろうか。


 疲れているのか。そう問い掛けようかと思ったが、俺が口を開くより先に茂部の視線が俺の目へと向いた。不意に目が合ったので思わず、出かかった言葉は詰まったままになった。


「喫茶店って言ってたっけ。えっと、『メゾ・クレシェンド』? 口コミを見たけど結構評価がよかったね。お客さんの出入りはあまり多くなさそうだけど」


「おお、なんだ。ちゃんと調べてんのか」


「そりゃ、これからお世話になるかもしれない訳だし。家からもそんなに遠くないから、確かに穴場かも」


 茂部はスマホを取り出し、その画面を見ながら『メゾ・クレシェンド』の情報をスラスラと読み上げる。どうやら事前リサーチでしっかりメモを取っていたらしい。ほらやっぱり、こんなところが生真面目なんだよな。


 言いながら歩く。この道は懐かしい、中学の頃はほぼ毎日あの店に通うため歩いたもんだ。しんどかった記憶の方が強いがな。

 とは言えおっさんもいい歳だ、前よりは丸くなったことだろう。それに俺が中学の時に働かされてたのも母さんからの強要だったし、母さんからの命令でおっさんも俺に厳しく当たってただけだ。根はとんでもないただのお人好しだってことは、あの頃から俺も気付いていた。


 駅前の賑やかな通りを抜けて、日陰になっている細道を進み、裏通りに差し掛かる手前の場所。一見、見逃しそうになる小さな看板を見やる。あの頃と一切変わっていない、ボロボロでかろうじて文字が読めるような古びた看板だ。一気に懐かしさが蘇る。


「……いい加減、差し替えろってあの頃から言ってたんだけどな。変わってねぇのがおっさんらしいっつーか……」


「え、まさかこれ……」


「おう。そのまさかだ」


 茂部はボロ看板を目にすると、手元のスマホを掲げて何度も交互に看板の文字を確認していた。やがて「まじか」と呟くと、看板の先……店の入り口である年季の入った扉に目を向け、どこか緊張した面持ちになる。


 そんなに構えることないんだがな。でも、そんな様子の茂部を見ているのも中々楽しい気分だ。俺は茂部に悟られないようにひとしきり笑ってから、その年季の入った重々しい扉に手を掛けた。


 扉を押し開けると、耳に優しいパイプチャイムがその場に響く。これも変わっていない、そして暖色のライトで照らされた店内には幸いにも客は一人も入っていなかった。


「らっしゃい――っておい、なんだオメーかよ」


「せっかく来てやった客だろうが、もてなせよ」


「あぁん? 図体だけじゃなく態度まででかくなりやがって……っ、おぉ? おいおい、その子まさか、」


 カウンターの向こう側で退屈そうに頬杖をつきながらスマホをいじっていたおっさん、すなわちこの店の店主は俺が来たことに気が付くと相変わらずの悪態をつきまくった。

 以前よりも白髪が混じった髪をつむじの辺りで結っている髪型も相変わらずだ。ただやっぱりこちらを見て目を丸くさせた表情を見ると多少は老け込んだような気がする。スマホをいじるのに老眼鏡を掛けていたせいでもあるだろうが。


 おっさんは老眼鏡を外すと、目を細めて俺の後ろにいた茂部を見た。茂部は……キョロキョロと店内を見渡してから、おっさんと目を合わせてペコリと一礼した。それがどうやらおっさんにはウケたらしい。それとも女子高生だったからだろうか、途端に表情が明るくなった。……いい歳なのに鼻の下伸ばしやがって、俺の前で恥ずかしくねぇのかよ。


「この前いきなりオメーが電話してきた時は何事かと思ったがよぉ、まさかこんな可愛らしいお嬢ちゃんを連れてくるとはなぁ! でかしたぞ坊主! やぁお嬢ちゃん、ようこそ『メゾ・クレシェンド』へ……ほらこっち来て座りな、女性はいつでも大歓迎だからよ!」


「ええと、初めまして、駒延高校の茂部詠です……」


「駒延の子か! あっちの高校の子はそんなにここへ来てくれないからなぁ、セーラー服とか新鮮だなぁ。おおそうだ、何か飲むか?」


 食い気味のおっさんと押され気味の茂部、明らかな温度差にこっちが見てて苦しくなる。茂部が困っている様子だったのが見てられなくて、俺はすかさず助け舟を出すことにした。


「おい、あんま困らすんじゃねぇぞ。悪ぃな茂部、こんな感じなんだがいけそうか? 紹介が遅れたが……これ(・・)がここの店主、林藤(りんどう)っておっさんだ」


「林藤竜之介、だ。気軽に竜さんと呼んでくれよお嬢ちゃん。この店は俺一人で回してるもんで、まぁ寂しい場所だが……週末は結構楽しいもんだぜ! おかげで最近じゃあ、老いぼれには少々堪える忙しさでな!」


 おっさんは得意気に、白い歯を見せて豪快に笑う。詳しい年齢は知らんがおっさんはすでに還暦を迎えていたはずだ。つっても実年齢より遥かに若く見えるんだけどな。


「あの、面接とかは……? 一応私、接客経験はあるんですけど飲食店は初めてで」


「そんなん日本語が喋れればなんとかなるから問題ねぇさ、何より女子高生ってのがポイント高いな。てめぇこの、坊主! 隅に置けねぇじゃねぇかこの野郎、いつの間にこんな子を捕まえたんだよ」


「さっきからもう、うるっせぇなァ! 前にバイト先が同じだったよしみだよ! ……茂部、もし本当にここで働くってんなら……セクハラされたらすぐに言えよ。マジでしばくから」


「ええ……?」


 茂部は困惑気味だったが、なんやかんやでおっさんのノリがウケたのか気が抜けたように笑っている。……まァ、おっさんもこのテンションはうざったいがちゃんと常識を持った大人ってのは俺がよく分かってる。変なことにはならないだろうさ。



 しばらくおっさんと茂部と三人で他愛のない話をした。この前いきなり電話をして軽く話をしたが、俺もここに来ておっさんと面と向かって話すのは久々だったからな。姫ノ上に入ってからはどうだとか、茂部に対しては駒延の雰囲気だったりをしきりに質問していた。確かにこの店に駒延の奴が出入りしているのは見たことがない、おっさんも新鮮な気分なんだろうな。


「このお店は『音楽喫茶』なんですね? これってまさか……レコード? うわっ、かなり昔のやつですよね!?」


「おっ気付いたか。その通り、こいつは年代物でな。この状態でしっかり残ってんのは希少なんだぜ! 俺はこういうのを集めるのが好きでな。あとはそんな、俺みたいな一癖ある音楽好きを集めて盛り上がるのを仕事にしてんだわ」


 茂部が指差したレコードのカバーを、おっさんはそっと指先で表面を撫でる。それから視線を店の奥、小さなステージへと向けた。木でできた簡素な造りのステージだが機材はしっかりと取り揃えてある。……そう、この喫茶店はただの喫茶店ではなく、音楽ステージを不定期で開催するという一風変わった音楽堂でもあるのだ。


「色んな楽器が置いてあって……雰囲気ありますね」


「分かってくれるか! 持ち主がいなくなっちまったもんで半分はインテリア化しちまってるんだがな。なぁ坊主よ、いい加減引き取っちゃくれねぇか?」


 茂部がカウンター横に立て掛けてある一つの小さめな楽器ケースに触れた時、俺の心臓は思わず音を立てた。埃は被っていない、ブラウンの皮で出来た少し古びた楽器ケース……きっと、おっさんは今でも毎日丁寧に手入れしていることだろう。


 それは、かつて『親父』が所有していたものだ。


「俺が持ってたところで、倉庫に放置するのがオチだぜ」


「そうかい。んじゃ、気が向いたら頼んだぞ」


「だから要らねぇって言ってんだろ」


 そんな俺とおっさんの会話を、茂部は困惑した様子で聞いていた。そりゃそうなるわな、これはこっちの話だから。


 おっさんは、俺の親父の旧友だったらしい。いや母さんとの繋がりが先だったのか? とにかく、俺の両親の共通の友人だとかで昔からの仲だった。

 この店は親父もかつてよく入り浸っていた場所だ。今やインテリアになっている楽器の多くは、親父の死後におっさんが貰い受けたもの。だからおっさんは改めて俺にそいつを押し返そうって魂胆って訳だ。


 要するにおっさんももういい歳で、この店も長く続けるつもりはないと聞いていた。まァ、今すぐってことはないだろうが。それに差し当たって楽器の置き場に困ってるんだろうな。

 いざそうなったら仕方ない、引き取る覚悟はできている。ただおっさんがこの店を守ってる内は、親父の形見はここに置いてあったほうがいい。……母さんもそう思ったから、親父の形見のほとんどをこのおっさんに託したんだろうさ。

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