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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
四章〈オタ活は主体的に〉
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四章 エキストラの話③

 私はそれからしばらくしても動けないままだった。痛みは治まるどころかどんどん酷くなり、それに伴って私の心は恐怖が支配しつつあった。もし、誰も助けに来てくれなかったらどうしよう。誰かに見つけてもらえるまでずっとこのままかもしれない、それに対する恐怖だった。


 けれど、やがて救世主が現れた。それは私にとっては少し意外な人物だった。


「……おや〜? ええっ、大丈夫ですかぁ!?」


 突如降ってきた驚愕の声に私が身じろいで、何とか顔を上げると。そこには心配そうにこちらを見下ろしている中言先生の姿があったのだ。


 ふわふわの灰色の髪と、鳶色の瞳。そして普段から柔和な垂れ目が特徴の顔立ちを、今は心配一色に染めて私を見つめている。私が返事もできない状態だと悟ると、中言先生は慌てて私の傍に膝をついて顔を覗き込んできた。


「落ちちゃったんですか!? うわわわ、痛いですよねぇ。自分で起き上がることもできませんか? ……そうですか、分かりました。では〜、ちょっと失礼しますよぉ!」


「――あ、っう……」


「あああぁ、ごめんなさいね〜。ちょっとだけ我慢してくださいね、少しの間の辛抱ですからね〜!」


 軽々と私を抱き上げた中言先生。先生からはシトラスの香水の香りがした。相変わらず左半身は痛かったけれど、他人の温もりに触れたことで不安は少し解消されたと思う。


 中言先生は私の憧れの人だ。私が“益子トラ”として、こんな形で触れ合うことができるなんて思ってもいなかった。けれど今は嬉しさよりも安堵が勝る。

 ――でも、それよりも私は。今頃一人であの裏庭で待っているであろう、彗星のことが気掛かりで仕方がなかった。


「痛いですね、悲しいですね。大丈夫ですよぅ、先生が傍にいますからね。さぁもうちょっと、頑張ってください〜!」


 私が約束を破ったと思われるのは心外だったし、こんなことになってしまったのが改めて情けなくて――私は中言先生の腕の中で、色んな感情が入り交ざってしまったことでもう一度涙を流した。先生はそんな私をずっと慰め続けてくれて、気が付くと私は保健室のベッドの上に寝かされていた。




 ・・・ ・・・




 ――その後、私は家からの迎えにより帰宅……ではなく、そのまま地元の大学病院に運び込まれた。本来なら予約を待たなければならないような名医が揃う病院なのに、過保護な私の親は何のコネを使ったのかすぐに医務室へ通させたのだ。家族のこういうところは未だに慣れない。両親はまだ仕事中だったので、電話で騒いでいただけだからまだよかった。瀬葉が落ち着かせてくれなかったらすぐにでもこちらに来てしまいそうな勢いだった。


 レントゲンも撮って、捻挫と言われた。幸いにも骨は無事だったらしい。ひとまずは安心した、軽い打撲も含めて全治二週間だそうだ。咄嗟に身体を丸めたのが功を奏したのかもしれない。頭も打ったけれど、小さなたんこぶができた程度だ。


 とは言え、しばらくは杖をついた生活になりそうだ。今は痛みも強くて、とてもじゃないけど動きたくない。

 幸いにも翌日が土曜日だったのでひとまずは安静に過ごすことができた。


 日曜日の朝、電話が掛かってきた。――彗星からだった。


 あのあと、病院から帰ってきた私はすぐに彗星に電話を掛けた。でも彗星は電話に出なくて、仕方なく私はメッセージで「行けなくてごめんなさい。これに気付いたら電話してくれると嬉しい」とだけ送信していた。それから音沙汰がなかったので、すっかり見限られてしまったものかと思っていたのだけれど。


「……もしもし。……彗星?」


『俺だ』


 電話越しに聞こえる抑揚のない声。これでは怒っているのかどうかも分からない。それが逆に怖くて、私は言葉に詰まった。

 初めに切り出したのは彗星だった。


『何か……あったのか?』


 それは、私を気遣う――いや、心配する声色だった。私はその一言を聞いただけで一気に涙が溢れ出てきた。悟られてはいけないと思って咄嗟に声を抑えたけれど、すぐに彗星は気付いたようだった。


『どうした。一体、何があったんだ。すまないトラ、俺がもう少し早く連絡すればよかった。嫌われたかと思って、恐ろしくて……』


「ちが、違う、私が悪いの。本当に、ごめ、なさ、行けなくてっ……ごめんなさいっ……」


『――トラ』


 伝えたい言葉は肝心な時に出てこない。嗚咽のせいで発音すらままならなくて、私はずっと謝ることしかできなかった。彗星もきっと呆れたことだろう、こんな私に。


 少しの間、彗星は黙っていた。その間私は啜り泣いていただけだった。やがて彗星が突然、『今はどこにいるんだ』と聞いてくる。


「い、まは……家だけど……」


『押しかけたら君は怒るか? ――いや、怒ったって構わない。無理やりにでも会わせてもらう、今すぐ君に会いたい』


「え、え?」


『どうか待っててくれないか。今から君の元へ向かうから』


 彗星は早口にそう言うと、電話を切ってしまった。私は一人で呆けたまま、通話終了と表示されたスマホの画面をぼうっと眺める。


 らしくもなく強引な口振りだった彗星。やはり怒っているのだろうか。……私のことを直接罵倒したいのかもしれない。それも仕方がないと思った、私はそれだけ彗星の心を残酷に傷付けてしまったから。


 それからあまり間も経たず、部屋をノックする音が聞こえた。おずおずと顔を覗かせたのは執事の瀬葉だ。


「お嬢さま。ご友人の彗星坊っちゃんがお見えですが……」


「――通して、大丈夫よ。本当なら私が迎えなきゃいけないのにね」


「ああ、いえ。どうかご無理はなさらぬよう……では坊っちゃんをお通しいたしますね」


 私は部屋着のままだし、室内は私の私生活丸出しだし、おまけにベッドの上から動けない状態だし、顔は泣き腫らしたままだし。私の情けない姿を見て彗星は何と言うだろう。……私に対する恨み言は募っていることだろうけど、この姿を見ていくらかは同情してくれないかしら。なんて、都合がいいわよね。


 静かな足音が聞こえてきた。それだけで彗星がやって来たのだとすぐに分かる。私が一息つく間もなく、静かに部屋の扉が開かれた。


 彗星は素顔を晒していた。服装は――姫ノ上のジャージのままだ。まさか、部活の途中を抜け出してきた? 額には汗が滲んでいて、後ろで結っている髪の毛先がうなじに張り付いている。

 彗星はまず私の姿を見て、唖然としていた。彼のこんなに分かりやすい表情を見たのは久しぶりだ。と言っても、彗星の感情らしい感情は恐怖による号泣した姿くらいしか見たことがない。それも最近は全く見なくなって、もうずっと無表情でいることが多かったのに。


「トラ――何があったんだ! 怪我をしたのか!?」


 肩から下げていたスポーツバッグを床に放り出して、転がるようにしてベッドの傍まで来ると膝をつく。私の肩に触れようとして、そこにも湿布が貼られていることに気が付くと慌てて手を引っ込めた。私は彗星が女性に怯える以外でこんなに慌てふためき、声を荒げる姿を見るのは初めてだった。


「金曜日……行けなくてごめんなさい。連絡が遅れてしまったことも――」


「そんなことはどうでもいい! ……足は、大丈夫なのか? 折れているのか?」


「お、折れてない。全治二週間のただの捻挫よ、大したことはないわ」


「大したことある、大怪我じゃないか!」


 彗星は私の顔を覗き込んで、私の額に貼られている湿布にそっと触れた。痛みはなかったけれど、突然のことだったので私が身体を強張らせたことに気付いたらしい、彗星はすぐに手を離して「すまない」と零した。


 ベッドの上で起き上がった私の傍らに彗星は膝をついているので、目線は私が上だった。普段は彗星から見下されるのが常だったから、こうして彗星のことを頭上から見下ろせるのは新鮮な気分だ。彗星の長い睫毛を見ているとそれに触れたくなって――って、何を考えているのよ私は。


「……誰にやられたんだ」


 低い声で、唸るように彗星が言った。藍色の瞳が私を捕らえる。まるで確信しているかのような口振りで彗星は“犯人”を私に問い掛けてきた。


 ……私は、迷った。あの時見た、“彼女”のことを話すべきか。――いいや、駄目よ。以前彗星にそれとなく聞いたことがある、灰原姫乃のことを。彼は彼女に対しても怯えていた、余計に彼の心と神経を刺激するだけになってしまう。


「――不注意よ。階段から落ちたの」


「落ちた? 君が……階段から?」


「そうよ。足を滑らせてしまって」


「本当か?」


 彗星は私をじっと見つめてさらに聞いてくる。思わず目を逸らしてしまった。しまったと思って、その瞬間にはすかさず「本当よ」と答える。……嘘がバレてしまっただろうか。


「……落ちた時、傍に誰もいなかったのか。こんなに酷い捻挫なら歩くことも難しかっただろう?」


「えっと……しばらくは動けずにいたわ。一人でいたし、誰も通りかからなかったから。運よく中言先生に見つけてもらって、保健室に運ばれたの」


 彗星は黙って、私から目を逸らすと少し考える素振りを見せた。その時の状況の想像をしているのだろうか。


「その後は病院に行って、帰ってきてから彗星に連絡したの。……あの日、待たせてしまったでしょう?」


「それについては気にする必要はない。俺も、君の状況に納得した。――すまなかった。少しでも君を疑った俺を今は殴りつけてやりたい」


「彗星が謝る必要なんてないわ! 私のせいなのに……あの時の返事だって結局今の今まで、言えないままだし……」


 私がそう言うと、彗星の表情が固まった。途端に私たちの間に緊張が走る。私は悟った、言うなら今しかないと。――彗星もたった今、私の返事を待っているのだ。



 やっぱり、いざとなると頭の中はぐちゃぐちゃだった。でも私は私が思うまま、真っ直ぐに伝えたいことだけを何も考えずに口にした。


「私……まだ、答えは出せずにいるの。彗星の想いに返す感情は、まだ。……でも、私、彗星とは一緒にいたいと思ってる」


 途切れ途切れになる私の言葉を、彗星はその一つ一つに頷きを返しながら聞いてくれていた。シーツの上に置かれている彗星の左手、その手首に私が贈ったミサンガが巻かれているのを見て……私は無意識のまま、そのミサンガに触れていた。


「ごめんなさい、やっぱりめちゃくちゃよね。でも気付いたの、私は確かに初めはあんたの傍にいてやらなきゃ、って思ってて、そしてそれは永遠じゃないと思ってたの。でも……今は違う、私は、あ、あんたに……傍にいてほしいの」


 言いながら、なんて自分は欲張りな奴なんだろうと腹立たしくなってくる。でもこれが素直な自分の気持ちなのだから、今は全てを吐き出すしかなかった。


「――でも、この感情にまだ答えは出ていないの。……っ、これが……今の私にできる、返事……」


「十分さ。ありがとう、トラ」


「……そ、それで……これはもう、嫌なら嫌って言ってほしいんだけど」


「なんだ」


 彗星の左手に添えた私の手を、気付けば彗星が握り返していた。バスケ部のエースである彼の大きい手のひらは、軽く握るだけで私の手はすっかり覆い隠されてしまう。

 彗星はとても穏やかに、優しい声色のまま私に続きを促した。


「――姫ノ上学園の卒業式。その日までに私は絶対に答えを出す。だから、もしそれまで彗星の気持ちが変わらなかったら――それまで待ってくれるのなら、もう一度……」


「待つ」


 私が言い切る前に彗星は答えた。――最後に、それまで待てないならここで見切ってくれて構わない、と言おうとしたのに。


「それまで、俺は傍にいて構わないのか?」


「……傍に、いてほしいわ」


「分かった。卒業式、その日にもう一度俺の想いを伝えよう。君が待てと言うなら、俺はいつまでも待とう」


「……っ、ありがとう……彗星、本当に……」


 卒業式。ゲームにおいて、攻略対象キャラクターが想いを告げてくれる舞台。私はそれまで返事を引き伸ばすことを決めた。我ながら卑怯だと思う、ここに来てまで未だ彗星を試すような真似をしているのだから。

 でも、これは自分に課した試練だった。私はそれまで真剣に彗星と向き合って、この感情に答えを下す。そしてその時にはちゃんと返事をすると、そう決意したのだ。


 彗星は怒るどころか私に「ありがとう」と言った。その表情は――微笑みが滲んでいた。心底嬉しそうな、私がゲームですら見たことがないような素敵な笑顔。そんな顔をしながら彗星は私に感謝を告げた。




 ◇ ◇ ◇




 ――心の内にはいっぱいの名残惜しさを抱えながら、一人細道を歩く青年。

 長居するのも居た堪れなかったため、後ろ髪を引かれる思いでトラの元を去った彗星は、帰路につきながら考えに耽っていた。


 帰り際、彼女は彗星にこう言った。「怪我をしたことを詠には言わないでほしい」――と。

 彼が覚えた違和感と疑念は、その時そう言った彼女の表情と声が決定的なものへと変えさせた。おそらく彼女は何かを隠している。


 そもそも彗星から見たトラという少女は、ついうっかりと階段から足を踏み外して大怪我をするような人ではないのだ。有り得ない話ではないのだが、問い詰めた際に一瞬口ごもったのがやけに引っ掛かった。


 そしてもう一つ、彗星に疑念を植えさせたとある“人物”が存在した。これについてを、彗星はトラに対して隠し通すと決めていた。――あの日、トラのことを裏庭で待っていた日の出来事だ。


 約束の時間を過ぎても現れる気配のない彼女に、半ば諦めの感情を抱き始めた頃だった。

 普段は滅多に人も寄り付かないこの場所に、突如トラではない人物が訪れたのだ。


『――こうして話すのは久しぶりだね、スイくん?』


 不意に現れたその少女は、かつて彗星が姫ノ上学園に入学したばかりの頃にやたらと付き纏ってきたとある女子生徒だった。当時から極度の女性嫌いだった彗星は、まるで自分のことを理解したような態度で馴れ馴れしく接してくるその人物のことを特に苦手としていた。気付けば疎遠になっていて、彼女もまた彗星にとって“害を及ぼす女性”の一人だったのだろうと思っていたのだが。


 トラだけでなく詠とも普通に接することができるようになってからか、以前よりは女性に対して身が強張らなくなってきいた彗星。実際、この女子生徒を目の前にしても恐怖で身が竦むということはなかった。ただし、独特の緊張感が彼の頭から足のつま先までを支配した。


『約束してた人はもう、来ないんじゃないかなあ』


 一般的に見れば可愛らしいという評価を得られるであろう、愛くるしい顔をした女子生徒は柔らかく微笑みながらそう言った。しかし彗星にとっては恐怖と、そして困惑でしかなかった。何故この女子生徒がここへ現れたのか、そして何故トラとの約束を知っているのか。


『そもそもがね、間違いなんだよ。だから私が正しく、直してあげる』


 続け様にそう語る女子生徒に、ついに耐えられなくなった彗星はその場ですぐに駆け出した。全力で逃げたのだ。本当ならどういうことかと問い掛けたかった。しかし、彼の中の本能がこれ以上その女子生徒と話すことを拒否していたのだ。



 彼は今、その時のことを思い返していた。――普通に考えれば、あの女子生徒はトラがあの時点で怪我を負っていたことを知っていたのだろう。ただ、どうしてあの日の約束のことを知っていて、あの待ち合わせた場所に現れたのかは疑問だ。……トラが彗星に約束を取り付けたのはその日の昼休み終了間際で、教室で口頭での約束だった。ならば立ち聞きしていた、と考えれば合点がいく、が。


「……灰原……姫乃」


 おぼろげながら、その名前は覚えていた。何故ならかつて、トラから彼女について聞かれたことがあったからだ。「彼女のことをどう思っているか」の問い掛けだったと記憶している。

 当時の彼は、灰原姫乃に対しては恐怖しか覚えていなかったのでそれを伝えたはずだ。トラもそれ以上は何も言わず、灰原姫乃について語ったのはそれきりだったはずだが。


 彗星は確信していた。灰原姫乃もまた“何かを知っている側”であると。そして――もしかすると、自分が原因でトラに対して加虐的な感情を抱いているのではないか、と。


 だとすれば、これは最早彼一人で解決できる問題ではなかった。しかしこれもまだ想像に過ぎず、早合点である可能性も捨てきれない。ただ、この割り切れない不安を抱えたままではこの先トラを守り切れる自信もなかった。


「――詠なら、あるいは」


 彗星の頭の中に真っ先に浮かんだ人物は、詠だった。トラをよく知り、理解しており、そしてきっと“同士”である彼女。


 彼女ならばあの謎の女子生徒――灰原姫乃について、彗星が抱く不安と疑問の答えを得られるかもしれないと、そう思えたのだ。

四章は以上です!引き続きよろしくお願いします!!

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