13
「……詠。詠、着いたわよ」
「――ふぁ……え? あ……ごっ、ごめん!」
トラにゆさゆさと肩を揺らされ、私が目を覚ました時。いつの間にやら見慣れた道端に車が停まっていて、どうやら私が寝落ちしていた間に帰ってきていたらしい。
「詠にはたくさん肉体労働してもらったからね、疲れているのは無理もないわ。残りの休日はゆっくり休んで」
「うん、ありがとう。本当に楽しかったよ」
ここは例の場所、行きでこうしてトラが迎えに来てくれた集合場所だ。私が寝惚けている間に新平くんと恭くんは車から荷物を降ろしている。よく見ると私の分まで……慌てて私は車から降りて自分の荷物を手に持つ。
「それじゃあ、またね」
車の窓越しに見たトラの表情は、笑っていたけれどやはりどこか暗い。美南くんのことが気掛かりなのだろうか。そう言う美南くんは、私が寝てる間に先に降りたらしくすでに車内に見当たらなかった。
最後に執事さんにもお礼を言って、走り去って行くトラを乗せた車を眺めていると不意に肩を叩かれる。
「よう寝坊助」
「うぐっ……」
意地の悪い笑みを浮かべた新平くんだ。小馬鹿にされてしまったけど、事実なので言い返せない。自分でも知らず知らずの内に爆睡してしまっていたなんて……あんまり居眠りとか普段はしないんだけどな。
「大丈夫だよ茂部ちゃん。こんなこと言ってるシンペーも途中ちょっと寝てたし」
「お前! 黙ってろ!」
「本当に? じゃあ寝坊助仲間ってことで」
今度は私と恭くんが意地悪く笑う番だった。ばつが悪そうにしている新平くんを見ているのも面白い。
……と、そんな風にふざけ合っているともういい時間だ。私は地面に置いていた荷物を持ち上げる。
「そろそろ帰らないとだね……ふぁ……」
「おい、大丈夫かよ? 寝坊助を一人で歩かせるのは心配だから着いてくぞ。そのままじゃ電柱にでも激突しそうだ」
話しながら思わず、恥ずかしながらあくびが出てしまった。それが新平くんの不安を煽ったらしい。
「ええ? それは悪いよ……新平くんも大荷物なのに……」
「見た目より重くねぇから大丈夫だ。なァ、キョウ?」
「うん、余裕余裕。さぁ茂部ちゃんの家までレッツゴー!」
何故か恭くんも乗り気で、結局三人横並びで私の家まで向かうことになった。三人とも大きめのスポーツバッグを持っているので、傍から見れば部活の合宿帰りにでも見えたことだろう。
「う――、筋肉痛が出てきた。特に肩回りが……痛つつ」
「分かる! 俺も腕が痛いや。キャンプってあんなに身体使うんだね、ターフ張るの楽しかったけどさ!」
「お前らは貧弱だな、もっと普段から鍛えとけ」
筋肉痛に苦しむ私と恭くんを横目に、得意気な顔をしている新平くん。何故そんなにドヤ顔なのか……いやしかし、今回のキャンプで一番動いてくれていたのはあの執事さんと新平くんだ。特に新平くんは力の要る作業の時に執事さんからも頼りにされていたし、それでいて今もけろっとしているのなら流石としか言いようがない。
「シンペーはゴリラだから俺らとは根本的に身体の造りが違うんだよ、一緒にしちゃ駄目だよ」
「はァ? 誰がゴリラだこら」
「……親分……」
「言っとくが俺がゴリラならこいつはチンパンジーだからな」
私の呟きをすかさず聞き取ったらしい新平くんが流れるようにそんなことを言うものだから、私はそこで盛大に吹き出してしまった。訳が分からないと言った様子で首を傾げている恭くん。ごめんね、内輪ネタで盛り上がってしまって。
・・・ ・・・
私の家まではそう遠くない。だから、そんなに時間も掛からずに我が家のボロ借家まで辿り着くことができた。あの立派なコテージで一夜を過ごしたあとだと、こうしてこの家を目にするのは中々切ないものがある。
……そして、ここからでも見えた。家の中のカーテンが薄っすらと開いている、と言うことはつまり――お母さんが帰ってきている。
「二人とも、ここまでで大丈夫だよ」
少し家から離れた位置で私は二人に声を掛けた。二人とも私の家までの道のりをすっかり覚えていたようで、私よりも先を歩いていたものだから揃ってこちらを振り返った。
「わざわざ付き合わせちゃってごめんね」
「気にすんな、俺らが勝手に着いてきただけだ」
「茂部ちゃんと少しでも長く一緒にいたかったからね!」
新平くんが済ました顔で言う隣にて、恭くんは輝かんばかりの笑顔でそんなことを言った。昨日新平くんに対しても思ったけど、本当の天然誑しはこの人だった。その点この兄弟はそっくりと言えるのかもしれない。
「二人とも、気を付けて帰って――」
そのまま引き返して行くであろう二人を見送るべく、私が別れの挨拶をしようとした時。私が言い終える前に、背後から軋んだ扉が開く音が聞こえた。
「あらやっぱり、帰ってきたの。おかえり」
――いつものスーツ姿のお母さん。化粧も落としていない、この感じはついさっきお母さんも帰ってきたところだろうか。ゴールデンウィークだと言うのに今日も仕事だったらしい。
それはいい、それはそれとして。お母さんは扉を開けて、目の前に立っていた私に向けてそう言ったけど、すぐにその後ろに立つ二人の存在に気が付いたようだ。あ、と小さく呟いて二人を見つめている。
新平くんと恭くんの二人も、突如現れたお母さんに驚いたようだ。二人とも目を丸くして私とお母さんを交互に見ている。
――会わせたくなかった、のに。
「お友達ね。こんにちは、詠の母です」
「あ――こんにちは! 茂部ちゃんにはいつもお世話になってます、西尾恭です!」
流石の恭くん、驚いた顔から一転して綻ぶような笑顔を浮かべた恭くんは素早く荷物を地面に降ろすとぺこりと頭を下げた。
「ほら、シンペーも」
「……あ、おう。……西尾新平、っす」
反対に、どこか呆けた様子の新平くんは恭くんに突かれてから一礼した。……急に対面してしまった私のお母さんに驚いてしまったのだろうか。新平くんには私とお母さんの関係性について少し話していたから、色々と思うことがあるのかもしれない。
「……お母さん?」
――と、そしてお母さん。こちらはこちらで、そんな様子の新平くんをじっと見つめたまま何も言わない。そっと声を上げると、お母さんははっとした表情を浮かべる。
「こちらこそ、いつも娘がお世話になってます。二人は兄弟なの?」
「はい、双子です。俺が弟です!」
「そうなの。それにしても二人ともイケメンね……うちの娘のこと、頼んだわよ」
「――――もう、帰った帰った! ほら二人とも、気を付けてね帰ってね! さよなら!」
お母さんがこれ以上余計なことを言わない内に、私は全身を使ってお母さんを玄関の奥に押し込んだ。そのまま荷物も家の中に突っ込む。そしてヤケクソになりながら二人にそう言って、私は勢いよく玄関の扉を閉めた。
「何よもう、もう少しお話したかったのに」
「余計なこと言うでしょ!!」
「言わないわよお、だって嫌われたくないもの。あんたの大事で貴重なお友達よ?」
「その言い方ちょっとムカつくから! あと別に私の友達はあの二人だけじゃないし!」
ケラケラと笑いながら言うお母さん。絶対に私を揶揄って楽しんでいるのだ。とにかく変なことを言い出す前に二人から引き剥がせてよかった。新平くんたちとは半ば強引に別れることになったのが心残りだけど……あとでスマホにメッセージを送っておこう。
「で、詠。おかえり、楽しかった?」
「ただいま! まあ楽しかったよ!」
お母さんに対しての「ただいま」も、結構ヤケクソだった。もうどうにでもなれだ。私はお母さんに小言を言いつつ、スポーツバッグの中身の整理に取り掛かることにした。
ああ、私の休みが、終わってしまったことを自覚しながら。
◆ ◆ ◆
――ゴールデンウィークが明け、五月が過ぎ、ここらでも梅雨入りした頃。その日は曇天の空で、雨は降っていなかったものの今にも降り出しそうな薄暗い嫌な天気だった。
学校が終わり、靴を履き替えて昇降口を抜けると……正門の前に出来上がっていた人集りによって、普段と違う何かが起きていることはすぐに分かった。
正門前に立っていた人物は、私がよく知る人で。そしてその人がここにいたことが意外過ぎて、私は一度言葉を失った。
「……詠」
「美南くん!?」
すらりとした高身長、姫ノ上学園の制服を着た男の子。やはりここに来るまでのハードルは高かったのか、マスクとサングラスだけでは本人の不安も拭えなかったのか……ひょっとこの仮面を身に着けていて、これは美南くんの他に有り得ないと思ったら、やはり声を聞いて答え合わせとなった。
姫ノ上の制服ということで、駒延高校の女子たちが物珍しそうに集まってきていたらしい。しかし美南くんは棒立ちなので、一通り話し掛けて無反応と分かった女子たちはつまらなそうにしながら去って行くところだった。
仮面越しに聞こえた声はくぐもっていて、それでいて弱々しいものだった。これはきっと気のせいなんかじゃない、私は慌てて美南くんの元まで駆け寄ると「どうしたの」と問い掛ける。
「トラのことで……彼女からは、君には言うなと言われたが」
「……?」
「……トラは今、大きな怪我を負っている。つい先日のことだ、彼女は校舎内の階段から落ちたんだ」
「ええ!?」
唐突にそんなことを言われたからというのもあるけど、大きな声をあげてしまったことですれ違う駒延の生徒たちから変に視線を浴びる。私たちは正門から少し離れつつ、美南くんから詳細を聞くべく詰め寄った。
「つい先日って、いつの話!?」
「怪我をしたのは三日前、俺がやっと様子を見に行けたのが昨日のことだ」
「嘘でしょ!? 昨日まで普通にトラとメッセージでやり取りしてたのに、そんなこと一切言ってなかったよ!?」
どうして私に隠していたんだろう。疑問は尽きないけど、私よりも不安そうにしているのは美南くんだ。仮面のせいで表情は見えないけど、左手首のミサンガをしきりに撫でている。きっと無意識の行動なのだろう。
「階段から落ちて……って、そんなに酷い怪我なの。一体どんな落ち方をして――いやそもそも、なんで私に教えてくれなかったの……」
「……昨日、俺も彼女を問い詰めてしまったんだ。ただの不注意とは考え難かったから。ここ最近はトラに避けられていたから俺も傍にいることができなかったし……ああ、そうだ。詠、おかげでトラとは以前のようにとはいかないが、関係はある程度修復した。感謝する」
「えっ、いつの間に」
どうやら、この二人の関係は私の知らない内にどうにかなっていたらしい。美南くんは相変わらずトラが心配で堪らないようで、実際に昨日はお見舞いにも行ってきたようだから関係悪化はしていないようで……この言い分だとトラにお付き合いをお断りされた感じではなさそうだけど、恋人関係にはならずに落ち着いた……? 美南くんは随分とすっきりした顔をしているから、二人の中で納得のいく形で収まったのな。まあ、私の知るところじゃないか。
とにかく今は、肝心のトラが階段から落ちた理由とは。
「中々言い出さなかったが、最後にぽつりと言ったんだ。――誰かに突き落とされた、と。詠に心当たりはないか? 例えば……俺が知らない、俺に関わる誰かだ。君は何かを知っているんじゃないか?」
「――私の心当たり?」
美南くんはそっと仮面をずらして、顔の半分を覗かせた状態でそう言った。その瞳は真っ直ぐに私を見つめていた。そしてその問いを受けて私は考える、自分の中にある“心当たり”について。
美南くんは言った、「俺に関わる誰か」。それはつまり、彼の中でほぼ確信を持って“特定の誰か”を指している。
それって――やっぱり――いや、でも。悶々としながら、私は言葉に詰まる。
トラは、自分を突き落とした犯人の姿を一切見ていないのだろうか。美南くんには意図的に隠しているのだろうか。そして、私にも言わなかったってことはただ確信がないだけ?
「……美南くんに関わる、ってなると嫉妬心から……そうだとしても、美南くんに好意を抱く人は多いはずだから、特定の一人に絞るのは難しいんじゃないのかな。私は姫ノ上の雰囲気も知らないから、美南くんの方が心当たりはありそうだけど」
「……そうか。では俺が一番疑っているのは――」
私自身がまだ確信を持てずにいたから、回答は濁したものになってしまった。美南くんは一拍置いて、変わらず私のことを見つめたまま続ける。
「灰原姫乃、という女子生徒。彼女のこと、知っているか」
――どうしてか、美南くんはまるでそうだと確信している口振りだ。それは確かに私の中にもあった“心当たり”だ。でも、私にはあまりに情報が少な過ぎる。
灰原さんが今更、トラのことを害するだなんて。そもそもこの二人のことはそれぞれ知ってはいるけど、あの二人自体に関わりがどれくらいあったのかも分からない。
でもこうして美南くんがあの人のことを疑っていて、そして私には対してこのように助けを求める眼差しを向けてくるからには、私はこの大きな問題にたった今巻き込まれたことを理解した。