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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
四章〈オタ活は主体的に〉
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 どうやら本当に通り雨だったらしい、すっかり晴れた空を眺めていると途端に湿気と熱気に襲われる。

 テントの中で過ごした時間がとても濃ゆいものだったので長く感じられたけど、実際雨が降っていたのはほんの僅かな間だった。


 しかし、だ。レジャーシートで最低限の荷物は守ったとは言え、この湿気と地面のぬかるみ。私たちだけでなく、周囲の他のキャンパーたちも皆一様に困った様子で立ち尽くしていた。


「執事さんが的確に動いてくれたおかげで、最悪の事態は免れたと言っていいよね?」


「しかしながら……不測の事態に見舞われたとて、みなさまの尊い時間に支障を来たしてしまったことには申し訳なさが勝ります」


「いやそんな、私たちは感謝しかしてませんから。執事さんがいなかったら今頃全員で途方に暮れてるだけでしたよ」


 ずっと謙遜している執事さん、申し訳なさそうに肩をすぼめながらもテキパキと濡れたレジャーシートをタオルで拭い、そして絞り、また拭い……とにかく無駄な動きが何一つない、これができる大人かと思わず感銘を受ける。

 恭くんも楽しげに執事さんのサポートに回っていた。この二人は共に同じテントで雨をやり過ごした仲、どうやら私たちの知らぬところで謎の絆が生まれたらしい。人懐っこい恭くんを執事さんも可愛がっているように見える。


「咄嗟に薪は避難させたが……こりゃあ湿気を吸っちまってんな。あー……どうしたもんかね」


「新平坊っちゃん、ひとまずはこちらへ」


 私たちも執事さんの指示の下、荷物や道具の泥拭い作業に取り掛かる。執事さんが言うように不測の事態だったけど、こんなトラブルも案外キャンプの醍醐味だったりするのかな。


「あ、トラ」


 と、少ししてから車からトラが降りてきた。トラは美南くんと二人で車に避難していたんだっけ。トラは車から降りると、つかつかと執事さんの元まで歩いて行って……何かを耳打ちした。


 あれ、どうしたんだろう。何だかトラの様子が可笑しい気がする。表情がないというか、少し……怒ってる? 突然の雨に見舞われてしまったから?


「そうですね……分かりました。管理人と話をして参ります。一度お待ちください」


「頼んだわ」


 トラに何かを言われた執事さんは、一礼してから早足にこの場を去って行ってしまった。向かった先はキャンプ場の本部だ。私が訝しげに執事さんの背中を眺めていると、しばらくして車から美南くんが降りてきた。マスクは外して、サングラスだけを身に着けている。


「トラ?」


 美南くんが降りてきたところで、トラが私を見た。目が合った瞬間、トラは真っ直ぐに私の元へやって来る。思わず名前を呼んだけど、トラはやはり無表情のままだった。


「……こんなことになっちゃったし、今日は麓のコテージで過ごしましょう。あそこも一応ここの管轄だから、今夜借りれるよう瀬葉に調整してもらうことにしたわ。ちなみに、温泉付きよ」


「トラ、具合でも悪いの?」


「――問題ないわ」


 絶対に何かあった風なのに、やたらと怖い顔をしたトラは半ば不貞腐れた様子で吐き捨てるようにそう言った。い、一体何が?


 トラに続いて車から降りてきた美南くんを見る。と、美南くんもこちらを見ていた。私というよりはトラを見つめていたようだけど、ふと私と目が合う。

 何があったんだ、と目で訴えてみたけど、美南くんは気まずそうに目を泳がせた。これは……美南くん、トラに何かやらかしたね?


 トラがそれ以上なにも言わずに黙ったままなので、私は困り果てて周囲を見渡す。恭くんはこの雰囲気を察することなく、意気揚々と荷物の泥を落とす作業に集中していた。美南くんはどことなく元気がない感じでぼうっと突っ立っている。


「……美南、俺とテント解体するぞ。こっち来てくれ」


 そこで一度、私の隣を通った新平くんとすれ違いざまに目が合った。これは……新平くんは察してくれたようだ、ありがたい……。美南くんを引き連れて遠くのテントの解体作業に入ったようだ。


「私たちもこっちのテントを片付けよう」


 私が促すと、トラは小さく頷いた。そして私とトラは美南くんたちから背を向けることになる。……先程の雨宿り中、何があったのかはあとでじっくり聞くとして。


「災難だったね、まさかこんな大雨が降ってくるなんて」


「そうね。本当にツイてないわ」


 私たち以外の、周辺でテントを張っていた人たちは続行する素振りの人もいれば片付けを始めている家族もいる。空を見るともう雨は降ってくる気配はなさそうだけど、何せこの地面は続けるのにきついと思う。


 しばらくして執事さんが戻ってきた。トラが言うように、コテージで宿泊できるよう手配してくれたそうだ。

 私たちがある程度荷物をまとめていたところを、執事さんが流石の手捌きであっという間に車に積み終えてしまったところで、私たちは再び車に乗ってそのキャンプ場を後にした。またいつか、今度はテント泊できる日が来ればいいんだけど。




 ◆




 コテージに到着して、私たち女子は先にシャワーを浴びさせてもらった。雨に濡れてしまったし足元は泥だらけで、みんな着替えたくて堪らない様子だったし。というか案内されたコテージが私の想像していたものより遥かに立派なもので、これは軽い別荘のようなものだった。益子家の資産どんだけだよ、羨ましいな本当に。


 私が着替えを終えて、トラに言われた部屋に戻ると先に髪を乾かし終えていたトラはスマホを片手にベッドの上で寛いでいるところだった。男性陣はリビングと別の部屋で自由にしてもらっている。トラが私だけをこの部屋に呼び出したのは多分、何か話があるからなのだろう。


「で、トラ。何があったか話してくれるよね」


 ドライヤー片手にそう切り出した。トラの表情は相変わらず曇っていて、何と言っていいのか分からない様子で自分の髪の毛先を指で弄っている。

 ひとまず私は普通に、ドライヤーで髪を乾かすことにした。そんな、無理に聞き出すつもりは毛頭なかったからね。


「詠……私の話の前に、一つ聞きたいことがあるの」


 まず、トラは真剣な眼差しでそう言った。


「あなたは、その、西尾兄のことってどう思ってる?」


「ど、どう? ……どう、とは……?」


「……要はその、“私たち”は――知っているでしょ。初めから、彼らのことを」


 若干声を潜めて言ったトラの言葉を心の中で反芻させる。つまり、ゲームの“設定”のことを言っているのかな。それは私が新平くんのことについて初めから色々と知っている上で、今の関係について思うのは、ってこと?

 私が首を傾げたのを見て、トラは一度目を伏せてから――そして何かを決意したような表情を見せて、続けた。


「詠は西尾兄と『付き合いたい』って思ってる?」


「――――、いや」


 真っ直ぐな質問があまりにも予想外で、私は一瞬狼狽えた。でも、咄嗟に出たのは否定の言葉だった。


「新平くんは……今でも推しだけど、今は友達だから。友達として、とてもカッコいいし尊敬してるし好きだよ。恋愛的な目では見てない……と思う。と言うか、」


 私は最近、常々思っていたことを口にした。


「何だかね、新平くんに限らず恭くんとか……それこそ美南くんとかに最近思うのが、私の知ってる彼らと現実は少し違う気がしてさ。だから私はもう、今目の前にいる新平くんは“ゲームの新平くん”によく似た違う人だと認識してるんだと思う。その上で、今の新平くんは好きだよ」


「……違う人、か」


「あとは恭くんも、私は元々ゲームではあまり好きじゃなかったんだけど……今は別に苦手意識もないし、恭くんも大切な友達の一人だと思ってるからね」


 そんなことを話していたら私の髪はすっかり乾いてしまった。短いし、髪も細い猫っ毛だから元々乾くのが早いのだ。

 ドライヤーを棚の上に置いて、私はトラの隣に座った。トラは小さくため息をつくと、漸くその重たい口を開く気になったようだ。


「さっき車の中で、彗星が変なことを言い出したのよ」


「変なこと?」


「――私のことが好きだから、付き合いたいって」


 ……深刻な顔をして言うトラだけど、私はその言葉に存外驚いたりはしなかった。いやだって、あまりにも想像通りというか、まあそうだよねって感じで。


 ただ、トラの心の憂いは私も理解できた。

 きっと彼女が気に病んでいるのは――


「美南くんの弱みにつけ込んだような気がして、居た堪れなくなってしまったんだね?」


「……私は最初から、あいつが何が好きで嫌いなのか知っていたから。ただ嫌われないように行動していただけだから。それで執着されてただけだから、あいつが私を好いてくれるのはどうしても違うと思うの。だから私、前にも言ったことがあるのよ……いつか私よりも相応しい人が現れたら、その時はすぐに私から離れるようにって……」


「……何だか、美南くんがどうして突然そんなことを言い出したのか想像ついちゃうなあ」


 二人がどんな雰囲気で、どんな話の流れでそんなことになったのかは分からないけど。でも、私は美南くんがトラに対してどんな“想い”を抱いているのかは少しだけだけど知っている。


 美南くんは、私たちが“何か”を知っていることすらも理解している人だ。それにきっと、美南くんはトラのことを大切に思っているからそう簡単に自分の想いを口にすることはなかっただろう。


「私も自覚はあるけど、新平くんの前とかではちょっと卑屈になっちゃうんだよね。トラは私よりもその辺ははっきりしてるタイプだと思ってたけど、もしかして美南くんに対して少し弱音を吐いたりした?」


「……それは」


 回答は得られなかったけど、トラの表情が答えになっていたと思う。下唇を噛み締めて眉間に皺を寄せるトラは、私が初めて見る彼女の弱い姿だった。


「自分は卑怯だ、とか思わなくていいと思うよ。大事なのは今の自分が相手に対してどう思うかだと思う。あとは、相手の気持ちをちゃんと受け止めてね」


 私がそんな大層なことを言えた口じゃないのは分かってるけど、言わずにはいられなかった。言われたトラはじっと黙って考え耽っている様子だ。トラと美南くんはじっくり向き合えば、今よりもっといい関係性になれると思うんだよね。


 あとは、美南くんだけど。……新平くんは、美南くんと話をしてくれているだろうか。多分勘付いてくれてると思うけど、新平くんがどんな風に美南くんに構うかは予想がつかない。でも、男子高校生の悩みは男子高校生に任せてみるのがいいと思った。それでも美南くんが落ち込んだままの様子だったら、頃合いを見て私が話し掛けてみるとしよう。

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