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「さあ! 各々呆けてる暇はないわ。西尾兄弟はターフ担当! 私たちはテントを二つ建てるわよ!」
キャンプ場に到着すると、トラが仕切って私たちは準備に取り掛かる。トラと美南くんは手馴れた様子で、私にテントの張り方を丁寧に教えてくれた。
「キョウはそっち持ってろ。……っておい! 引っ張り過ぎだっつの」
「え、えー? こんな感じ!?」
「おっけ、そのまま動くなよ」
……と、西尾兄弟コンビも中々の連携を見せていた。流石は新平くん、作業が早い。恭くんも初めは戸惑いながらもすぐに要領を得たようで、彼らは誰よりも早くターフを完成させていた。
「お嬢さま、冷凍のものは解凍してしまいますぞ」
「ええ、頼んだわ」
そして私たちの保護者である初老の執事さん――名前を瀬葉さん、彼は私たちが和気あいあいとテントを張りながら遊んでいる間にてきぱきと焚き火と食材の準備をしてくれていた。寡黙だけど、その表情はずっと緩んでいる。どうやら私たちを眺めているだけで執事さんも楽しいみたいなので、私たちは気にせずはしゃぐことにしていた。
「恭。鉄板とグリル、どちらから進める?」
「どっちもやろうよ! スイくんは料理できるの?」
「いや、あまり自信はないな……」
意外にも恭くんと美南くんは仲良さげに二人でバーナーとコンロの準備をしている。美南くんは今日も黒マスクとサングラスだ。随分と暑そうで、流石に今日は時々顎マスクにしている。久々に見た美南くんの素顔は相変わらず見目麗しい顔立ちだったけど、真っ赤で心配になる。こまめに水分補給させないと。
「キョウは野菜でも切ってろ。そうだな……益子、一緒にやっててくれ。手ぇ怪我すんなよ」
「分かったわ。それじゃあ彗星には野菜を焼いてもらおうかしら」
「お嬢さま、わたくしめは鯛を捌いてまいります」
どうやらトラ、美南くん、恭くんがグリル担当になったようだ。トラと恭くんは楽しげに野菜を切り、それを美南くんがグリルに乗せ……いやしかし、美南くんは汗だくになっておりやはり暑さに耐えられなかったらしい。途中から焼く係がトラに代わった。
その近く、ターフの中で黙々と魚を捌いている執事さんに誰も突っ込まないのかな。そもそもバーベキューで切り身じゃない魚を持ち込むってありなの? しかも高級魚だし。いや、肖れるからラッキーだと思ってるけど。
「俺らは焼きそば担当だってよ。腕が鳴るぜ」
いつの間にかタオルを頭に巻いていた新平くんが、やけに大人びて見えてしまって少し笑った。この貫禄じゃ高校生には見えないよ。
それはそうと、張り切る新平くんを見て思い出したことがある。
「そう言えば結局、去年の文化祭ではまともに新平くんのクラスに立ち寄れなかったんだよなあ……帰り際にたこ焼きは買って帰れたけど」
何やかんやであれから半年以上経つと考えると、あっという間だったと思う。その間にも色んなことがあったし、思い返せばあの文化祭がきっかけで一度新平くんとは疎遠になって……それからまた別のきっかけで、今のように一緒にいることが“当たり前”になったのも感慨深い。
「あの時も張り切ってたのに結局は売り子にれちゃってたし」
「あん時は……悪かったな。俺が誘っただろ確か。まさかあんなことになるとは」
「ああ、いや。驚いたけど楽しかったよ、あの時は。ゴリラの親分もカッコよかったし」
「よく覚えてんなあ」
ゴリラの覆面をして助けに来てくれた瞬間のことは今でも鮮明に思い出せる。もちろん格好良かったんだけど、それ以上に笑えた。新平くんはあの時乗り気だったと思うけど、今は少し恥じらいがあるようだ。
……そんな会話をしながら焼きそば調理を順調に進めていく。特にお互いに指示し合ってた訳じゃないけど、私も新平くんもそれぞれの役割を察して動けるタイプらしい。作業が滞ることはなかった。
「そういやお前、ちゃんと自炊してんのか?」
「もちろん。基本的にはやってるよ。新平くんのアドバイス通り、お母さんに作り置きも用意するようにしたんだ」
「……だろうな。手際がいいと思ったんだよ」
素直に褒められたので少し照れる。こう言う時にどんな顔をしたらいいのか分からないので、微笑んだのはかなりぎこちなかったと思う。照れてるだけなんだけどね。
「母親とは相変わらずか?」
「あー、うーん。会う頻度で言えば相変わらずだけど……そうだ、作り置きするようにしてからお母さんがよくメッセージカードを残してくれるようになったんだよね。初めはお小遣いがそっと置かれてただけだったんだけど、それやめてって言ってからかな」
今年に入ったばかりの頃を思い出す。新平くんの助言に従い、自炊を始めた私はちょっとしたおかずを盛り付けたお皿とメッセージを用意してお母さん宛に置いておくことにしたのだ。大体帰ってくる曜日は決まっているからその日を狙って。たまに帰ってこない日もあるみたいだけど、お母さんはしっかり食器を片付けて去って行った痕跡を残していく。初めの頃は無言でお小遣いが置かれていたんだっけなあ。
「今まで私は、あの人から放ったらかしにされてるって思ってたんだけど。最近は色々分かってきたこともあってね」
「……聞いてもいいか?」
「うん。まあ、そうだね……多分、お母さんは私にどう接していいのか分からないんじゃないかな。よく分かんないけど、ちょっと不器用なんだと思う」
きっとお母さんは私のことを嫌ったりはしていないと思う。それでいて、邪魔だとも思ってはいないと思う……そんな風に言われたことも、扱われたこともなかったし。
どちらかと言うと向こうがこっちに対して気まずさを覚えているというか、戸惑い、と言うのだろうか。……合わせる顔がない……とかかな。
「なんか、あるのかもね。向こうも。私に対して思うこととか」
「お前自身に思い当たることはねぇのか?」
「どうかな。あるとするなら……前にも言ったかもしれないけど、私は昔から引っ越しと転校を繰り返してきて……故郷ってものを知らないし、幼馴染って呼ばれる人もいないんだよね。そんな幼少期を過ごさせちゃったから、後ろめたさを感じてるとか?」
と言いつつ、これはどうなんだろうと自分で首を傾げてしまう。確かに頻繁に転校してたけど、私自身は特にそれを気にしていないから。まあ、少なからず根暗な性格に影響はあったかもしれないけど。
「うーん。っつーか、頻繁に引っ越しって……仕事がそんなに忙しいからなのか? 俺はいまいちサラリーマンとかの事情はよく分からねぇがよ」
「いや、転勤とかじゃなくて……普通に転職してたんじゃない? 仕事は長続きしてなさそうだよ、基本的に派遣社員のはずだし。……それはそうと、新平くんのご両親はどんな人なの?」
私の家庭の話はここまでにして、それとなく新平くんの家族について聞いてみた。実はずっと気になっていたのだ、新平くんのご両親について。
繰り返しにはなるが、私はあくまで新平くんに関する“設定”は知り尽くしている。ただ、家族構成やその大まかな職業についてはただ一言説明が添えられている程度で、基本的に攻略対象キャラクターの家族は台詞ですら登場しないのだ。そのためその素顔はほぼ隠されていると言ってもいいだろう。
「あー……、そうだな……母親は……、笑うなよ?」
「笑わないよ」
「…………ダンサーをやってる。一応プロの」
実は、これは知っていた。と言ってもこの“設定”についてのみ、だけど。新平くんに違和感を持たれないために小首を傾げておく。
そう、新平くんのお母さんはプロのダンサーという設定だった。ダンス教室も開いており、ちょっとしたアーティストのライブやコンサートに出演したり。何かしらの広告になることもあるらしく、新平くんは必死に実子であることを周囲に隠し遠そうとしている……と言うわけだ。
「……やっぱり新平くんみたいに背が高くて、手足も長くて……カッコいいの?」
「し、知るかよ。あァでも、背は平均と比べりゃ大きいんじゃねぇか。流石に今は俺のほうがでかいけど、少なくとも茂部よりは大きいな。あと痩せてる割に筋肉質なんだありゃあ」
「ええ……絶対にカッコいいじゃん。顔は? 新平くんに似てる!?」
「知るかよ!」
トングで顔面をガードをしながら顔を背けてしまった。ほんの少し耳が赤い気がする、少し追い詰め過ぎてしまったかもしれない……でも、お母さんとの関係は悪くはないんだろうな。それにしても新平くん似のお母さん、絶対にいつかお目にかかりたい。……チャンスがあれば、だけど。
「あとは、父親だけど。ぶっちゃけると今の父親は実の父親じゃねぇから、そんなに詳しくは語れねぇんだ。でも医者をやってる、立派な人だ。詳しく知りたかったらキョウに聞いてくれ」
「あ……そうか、恭くんのお父さん……あの、大学病院の院長さんなんだよね?」
「あ、知ってたか? そうなんだよ、めちゃくちゃに頭がよくてな。俺はバカだから、あんな立派な大人が突然父親って言われて……あと俺よりも賢い、少し生まれた日が俺より遅いだけの同級生が弟になるって言われて酷く戸惑ったもんだ。まァ、今じゃ『勉強ができる』と『賢い』ってのは全くの別物って思ってるけどな。キョウの奴は本当に、勉強はできるのにあんなにアホばっかなのは……はぁ」
新平くんは言いながら遠い目になる。うーん、確かに恭くんは……いや、確かに頭はいいんだと思う。それに私から見てもそれなりに賢く生きてるとは思う、けど……言われてみれば新平くんのほうが大人びてるし、取捨選択がはっきりしててまさにお兄ちゃん気質だ。だから子供っぽいところが強い恭くんを放っておけないんだろう。
親の再婚で兄弟になった二人だけど、きっとなるべくしてなった兄弟なんだろうな。新平くんは恭くんのことをアホだのマイペースだの言ったりしてるけど、実際は可愛いと思ってる節もあるんじゃないかな。本人に言ったら本気で照れるか怒られそうだから言えないけど。
「だから、そんな人からキョウを頼むなんて言われちゃ断れなくてよ。仕方なく面倒見てやってるって訳だ」
「へええ。ちゃんと長男だね、新平くん」
「……父親は、キョウに病院継がせるつもりらしいんだがな。ただキョウにその気はあんまり無さそうなのがなァ……ま、どちらにせよ俺の頭じゃ医者は無理だし頑張ってもらうしかねぇな」
「医者か。まあまあ、プレッシャーかもしれないね。親に進路を決められちゃうのは」
その点私はある程度自由で、と言うより自由過ぎるのが問題な気もするけど自由でよかった。一人で生きていくくらいが私には性に合ってるんだろうな。
「……なんて喋ってたら。ほら、一丁上がり」
「あっ、いつの間に……完璧だね!」
「たりめーよ、俺とお前の集大成だぜ? あいつらに持ってってやろうぜ。見ろよあいつら、玉ねぎ真っ黒にさせて大慌てしてんぞ」
新平くん、あっという間に人数分の焼きそばをお皿に盛り付けて並べていた。主導していたのが新平くんだから私はほぼお手伝いだったけど、我ながらかなりいい出来栄えだと思う。
誇らしげな新平くん、早くみんなに振る舞いたいんだろうな。少し緩んだ口元とその横顔を眺めていると、そう言えば新平くんがタオルを頭に巻いてて、こんな風に微笑んだ横顔のスチルがあったようなことを思い出した。あれはどんなシチュエーションだったっけ? ……可笑しいな、詳細が思い出せない。でも、新平くんとキャンプに行くなんてイベントはなかったはずだから……まあ、細かいことはいいか。
新平くんが楽しそうで何より。そして、トラたちもトラたちでかなり盛り上がっているようだ。私はこの雰囲気だけで十分幸せで、ああ本当に、私なんかがこんなに楽しい思いをしてていいのかなと思ってしまうのだ。