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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
四章〈オタ活は主体的に〉
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 服よし、荷物よし、戸締まりよし。麦わら帽子と大きめのスポーツバッグを手に、私は我が家を後にする。

 今日は待ちに待ったキャンプの日。忙しいのかお母さんとは会えていなかったので、連休初日に「明日からキャンプのため家を空けます」と書き置きを残しておいたところ、私のバイトの日に一度帰ってきたらしいお母さんからの返事は「日差しと貴重品の管理には気をつけるように」と一言、そして塩飴が添えられていた。お母さんこそあまりにも家に帰らなすぎなので疲れてないか心配なんだけどね。


 さて、大荷物で大変だけど大通りまでは歩かなきゃいけない。トラが例の執事さんの運転で迎えに来てくれる予定だけど、大きめの車で来ると言っていたので集合場所を開けたところに指定した。先生の軽自動車ならともかく、私の家は行くまでに細道が多いから。


 ……と。歩き出したところでポケットのスマホが震えた。この振動は着信だ。このタイミングの電話なのできっとトラだろう――と確信したままよく確認しないで応答してしまった。


「はい、もしもし……」


『はよっす。俺だけど』


 まず、声が低かったのでトラじゃないことはすぐに分かった。そしてこの声は私がとてもよく知るあの心地よい低音ボイスだったために、私はすぐに素っ頓狂な大声をあげた。


「――っえぇししし新平くん!? おはよう!」


『え? あ、おう。お前は相変わらず元気そうだな』


「いやちょっと、よく確認しないで電話出ちゃったから……トラかと思って。どうしたの?」


『そうか、突然悪かったな。いやなんだ、もうすぐ家出る頃かと思ってよ』


 久しぶりに聞く声だけど、その人物が誰なのかは当然分かる。電話口から聞こえるのは声だけでも、その口振りだけで新平くんが今どんな表情をしているのかも想像できてしまって、私は少し照れ臭くなってしまった。しばらく会ってなかった分、久々の推し成分はくるものがある。


「今しがた出たところで、集合場所に向かってるよ」


『もう出てたか。……俺が言えた口じゃねぇが、まさか寝坊とかしてないか心配だったってのもあってな』


 新平くんがばつが悪そうに言うと、私は一年前のあのデートを思い出した。灰原さんと初めて会った日のことだ、そう言えばあの時は私以外の全員が遅刻してきたんだっけ。新平くんが寝坊ってかなり珍しい印象だったから……と言うかあれは恭くんがイタズラして目覚まし時計の時間を変えてたせいでもあるか。とにかく、本人の中ではかなり反省しているらしい。私はそんなに気にしてないんだけどね。


「こんなに楽しみなイベントを寝過ごす訳ないよ。寝坊と言えば恭くんは大丈夫だった?」


『キョウか? あいつは俺より二時間も早く起きて準備してたが……っあ、おい! 返せ――』

『――もしもし〜、あっほらやっぱり茂部ちゃん! おはよう、久しぶり! 目覚まし三個用意しておいたからばっちり目覚めたよ!』


 ガサガサと雑音が混じったかと思うと、突如電話の向こうの声色が別の男の子に変わった。この声のテンションは恭くんだ、元気みたいでよかった。電話を奪い取れる距離で一緒に居たってことは、この兄弟は相変わらず仲が良いようで何より。


『俺らはもう集合場所で待ってるよ。ちょっと早く来すぎちゃってさ、あまりにも暇なんだよね』

『お前が俺を無理やり連れ出したんだろ!』


 おちゃらけて言う恭くんの言葉の裏で、微かに新平くんの怒号が聞こえてきた。何だかんだで恭くんのマイペースに付き合ってあげてる新平くんはやはり優しいと思う、そして何とも微笑ましい。


「もうすぐ私も着くから、もう少し待ってて。それにしても日差しが強いから暑くて参っちゃうね」


『ほんとにねー。あっ、そうだ……茂部ちゃん今向かってるところなんだよね? 俺そっち行くよ!』


 うん? ……聞き返す前に、また雑音が耳に飛び込んできた。スマホから離れた距離で恭くんと新平くんが会話しているらしい声だけは聞こえてくるけど、その内容までは分からなかった。しばらくして、深いため息が聞こえたかと思うと『行きやがった、あいつ』と新平くんが告げた。と言うことで恭くんが私の元へ向かって来ているらしい、私の家は知ってるだろうから迷うことはないと思うけど……すれ違わないように気をつけないと。


「何というか、自由だね」


『あいつのイイところでもあるんだが、度が過ぎると周りは困るんだよ。あいつはマジで、昔から……ったく』


「はは……。あ、ってことは新平くん、今もしかして一人で待たされてる?」


『おうよ、荷物番だよ。人通りは少ねぇけど傍から見りゃあ変人だろうな。もう知るかよ』


 大荷物の前で道端に立ち尽くす新平くんを思い浮かべたら笑ってしまいそうになった。笑っているのを悟られたら怒られるだろうから声には出さずに堪える。新平くんはいつも恭くんに振り回されているなあ。でも、何だかんだで新平くんは嫌そうではないんだよね。


「早くトラが迎えに来てくれるといいけど」


『まァ、だからお前も早く来てくれよ。一人はきつい』


「うん、なるべく急いで行くよ。新平くんがヒッチハイカーと間違えられる前にね」


『マジで頼むわ』


 ケラケラと笑う声が聞こえたので、新平くんは案外機嫌がよさそうだ。そうか、これから楽しみにしてたキャンプだもんね。私も何となく浮き足立つ感覚がある。恭くんなんかはスキップして空に飛んで行ってしまうんじゃないだろうか?


「私、ちゃんとキャンプとかやるの初めてだからちょっと不安もあるんだよね。もちろん楽しみなんだけど」


『そうなのか? 俺も泊まりのキャンプは随分昔に何回かやったくらいだぞ。この辺には有名なキャンプ場がないしな』


「でもやったことはあるんだ?」


『つってもマジでガキの頃だぞ。何年前だったか……ありゃあ前の――親父が生きてた頃だから、十年くらい前なのは確かだ』


 ぽつりと語った新平くん、その口から“父親”についてのことが零れたことが予想外だったので思わず何と言っていいか分からなくなってしまった。電話越しでよかった、私の表情が強張ったことを悟られると新平くんも気まずくなってしまうだろうから。


「……その時は楽しかった?」


『あんま覚えてねぇんだが……あーでも、何回かやって雨が降った日もあればバーナー忘れて行ったこともあったり……とにかく色々あったな。まァ楽しかったんじゃねぇか』


「ははあ、自分のことなのになんだか他人事な口振りだね」


『いいだろ別に。今回は超楽しんで忘れられない思い出にすんぞ。いいか、お前にかかってると思え』


 ふざけながらだけどプレッシャーを掛けられる。これは責任重大だ。でも新平くん、そう言いながらきっとキャンプの思い出はしっかりあるんだと思う。お父さんとの大切な思い出の一つだろうし。


 私は新平くんの生い立ちについて“設定”だけを知っている。でも、ゲームにおいてそれは深く語られていない。だから新平くんについて私が知っているのはあくまで上辺だけの情報だけ。

 だからこそ、私はちゃんと友達としてこれから新平くんについて知っていきたいと思っている。もちろん彼は私の“推し”だけど、今の私にとっての彼は“友達”でもあるからね。




「あっいた! 茂部ちゃーん!」


「……あ、恭くん来た……って恭くんちょっと、気合い入り過ぎでは!?」


『俺は諌めたんだがな』


 直線上の歩道にて、少し先に恭くんが立っているのが見えた。手を振りながらこちらに小走りでやって来たのだが、その姿は何というか……やんちゃな小学生?


「恭くん、いつもと……雰囲気が違う……ね?」


「俺は今日、子供の頃からの夢を叶えるんだ! ねえ、キャンプ場にカブトムシいるかなぁ!?」


「ええ……いや、季節的にはまだいないんじゃないかな?」


 半袖シャツにチノパン、これはまだいい。でもチューリップハットとサンダル、そして極めつけは首から下げた虫かご、これは完全に小学生のそれだ。いや似合ってはいるんだ、でも無駄に顔がいいから余計にシュールさが目立つ。


『キョウと合流できたようだし、そう遠くねぇだろうが……気を付けて来いよ。あとあいつのこと頼んだぞ、今日のあいつは幼稚園児だと思ってくれ』


「よ、幼稚園児は言い過ぎじゃない? とにかく分かったよ。急いで向かうからもう少し待っててね、新平くん」


「え? なに俺のこと言ってる?」


 完全に浮かれている恭くんに吹き出しそうになりながら、私は新平くんとの電話を切った。さて、早く向かわないと新平くんが哀れなヒッチハイカーと化してしまう。


「久しぶり。今日は楽しみだね! 浮かれ過ぎて怪我しないように気を付けないとね」


「あはは、茂部ちゃん学校の先生みたい」


「おお、よく分かったね。これは先生の受け売りだよ」


 私は鞄からお母さんがくれた塩飴を取り出し、恭くんにいくつか渡した。大袈裟に喜んでくれた恭くん、そんな彼と並んで道を歩く。

 恭くんは私のスポーツバッグを持つと言ってくれたけど、それは悪いので慎んでお断りした。代わりに虫かごを持たされそうだったし。


 それから恭くんとキャンプ場に着いたら何をしようかという話をしている内に私たちは例の集合場所に到着した。遠目に、大荷物に囲まれてその場にしゃがんでいた新平くんを見つけた時に笑いを堪えるのが大変だった。若干不服さが顔に滲み出ていたのもずるい。

 そうして私たちが合流した時、ちょうどそのタイミングで私たちの近くに一台の大型高級車が停まった。助手席を見るとトラが、そして後部座席には美南くんが。流石トラ、ナイスタイミングだ。


 運転手はいつもの執事さんで、今回の私たちの引率者かつ保護者を務めてくれる。私たちはお礼を言いながら車に乗り込ませてもらった。

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