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おもむろに美南くんが語り出したことは、私を動揺させるのに十分過ぎる威力を持っていた。
要は、彼は自分自身が“キャラクター”であることを自覚しているってこと。この口振りではおそらく、それを自覚したのは随分前のことで。そしてきっと私に告げた理由は、私が転生者であることにも気が付いていたからなんだ。
何と言っていいか分からなかったけど、案外今の私は落ち着いていた。いや驚いたけど。ただ、トラといつも一緒にいる美南くんがそれに勘付いていたとしたら納得だ。ただ、トラともこんな話まではしないんだろうな。
「東条くんについてか……」
美南くんがわざわざこのタイミングで腹の中を明かしてきたのは、それほどまでに先程の青年――東条ダイヤが気になったから、なのだろう。曰く「自分と同じにおいがする」ってことだもんね。それで私が狼狽えていたから心配させてしまったのか。
「でも、大丈夫だよ。普通に過ごしてれば関わることもないだろうし……顔は覚えられてるみたいだけど、ほら。私と彼じゃ根本的にタイプも違うし、仲良くはなれないよ」
「そうか……? すでに執着されていそうに見えたが。とにかく、トラと合流したらすぐにここを発とう。できればトラに彼を鉢合わせたくない」
言いながら早足に目的地を目指す。もうすぐ出口だ、トラはもう待っていることだろう。それで、私はおずおずと聞いてみた。
「トラに、さっきの男の子の話はしない方がいい?」
すでにトラには東条くんの話をしたあとだったけど、今日あったことも含めて色々と言いたいことはある。でも、美南くんがトラを想う気持ちを考えれば彼が嫌だと感じることはできるだけ控えたいと思ったのだ。
「彼女に、俺たちのことを心配させたくないのが本音だ。しかし、詠。俺は君のことも心配している、だから判断は君に委ねる、が……どうか一人で抱え込むことはよしてくれ。頼りないかもしれないが俺に言ってくれてもいい」
「……わ、分かった。頼りにしてるよ、美南くん」
「こんな時、やはり君とは学校が違うのが悔やまれるな。今からでも転校して来ないか?」
「真顔で言われるとどこまで本気にしていいのか分からなくなるから」
感情が出ないのが常な美南くんだけど、時々こんな冗談も言ったりする。特に最近はよく揶揄われている気がする。まあ、美南くんが楽しそうだから別に構わないんだけどね。
「あ、やっと来た」
花柄のブラウスをお洒落に着こなしているトラと目が合った。建屋の入り口前でスマホを片手に私たちを待っていたようだ。近くには見慣れた高級車が、益子家の送迎用の車だった。
「何だか立て込んでたみたいね。大丈夫だったの?」
「う、うん……まあ何とかなったんだけど」
ちらりと美南くんを見やると、彼は小さく頷いてから続けた。
「面倒そうな輩に絡まれてしまってな。振り切りはしたが、また鉢合わせるかもしれない。今日は場所を変えるとしよう」
「そうだったの? 輩って……どっちかの知り合い?」
「いや、知らない。おそらく大学生だな。大事にはならずに済んだが顔を覚えられてしまったかもしれない」
美南くんの説明でトラは一旦納得してくれたようで、それ以上追求はしてこなかった。事情は分かった、と言って私たちを車に乗るよう促す。
益子家で雇われているという執事さん、見た目は白髪混じりのおじさんで、背筋は伸びていて物腰も丁寧な『できる大人』って感じの人だ。その執事さんに挨拶して、私たちは一先ず隣町まで移動することにした。
今日は一応買い物する予定ではあったけど、半分は遊び目的だ。だから結局その日はほとんどはしゃいでただけで、例のキャンプの準備はあまり進まなかったように思う。
美南くんも楽しそうにしていたし、私も東条くんとの出来事は忘れることにして楽しんだ一日だった。
ただ一つ気掛かりなのが、美南くんと話していたトラへのプレゼントの話。またいつか美南くんとこうして時間を作れる日が来るといいけど。
◆
チャイムの音が響く。学校での一日の終わりを告げるチャイムは、この瞬間においては私たちにとって大きな意味を持っていた。
「待て待てお前ら! ホームルームは終わりだが、まだ俺の話は終わってないぞっ!!」
「はいはーい、連休中だからって調子乗らずに楽しみまーす!」
「交通事故、水難事故、あと熱中症な! キャンプとかやる奴は火の始末はちゃんとやるんだぞ、あと花火もな! それからくれぐれも校則違反になることはするんじゃないぞー!」
ホームルームが終わった途端にものすごい勢いで帰っていく生徒たちへ向けた、佐藤先生の掠れた叫び声が教室内にこだまする。
今日は連休前最終日、つまり明日から……いや何なら今この瞬間から私たちはゴールデンウィークに突入したのだ。彼らの浮足立つ気持ちは私にも理解できる。先生は大変そうだけど。
「茂部っちはぁ、休み中なにすんの? バイト?」
「バイトもあるけど、キャンプに行く予定があるよ」
プリクラを貼った手鏡を鞄にしまいながら、隣の席のギャル子ちゃんが話し掛けてきた。茶髪の巻き髪は放課後の今でも健在だ。
ちなみに彼女の名前は荻屋月子。ギャル子と呼ばれているのは私が勝手に言っているのではなくて、本人公認のニックネームらしい。
「ええー、キャンプ場とかよく予約取れたね。ウチもカレシと行きたかったんだけどさ、どこも予約いっぱいって言われてやめたんだわ。まじウラヤマなんですけど」
「結構前から計画してたのもあるけど、実は一緒に行く人がそのキャンプ場を経営してる人の身内なんだよね。ありがたいことだよ」
「経営者とか、なに茂部っち。セレブと行くの?」
にやりと笑ったギャル子ちゃんから小突かれた。セレブ……いやセレブか。まあ間違いではない……か? 私は言葉を選びながら答える。
「姫ノ上に通ってる友達とね。まあお金持ちだと思うよ」
「えー! それ男子!?」
「あはは……その子は女子だよ。でも、姫ノ上の男子とも何人かと一緒に行く予定だよ。今度はギャル子ちゃんも誘うよ」
「まじ!? 茂部っち意外とやるじゃーん! あっでも、その時はカレシも一緒にお願いね。姫ノ上の男子には興味あるけど、カレシが嫉妬しちゃうし!」
バシバシと肩を叩かれたところがちょっと痛い。どうやらギャル子ちゃんを興奮させてしまったようだ。でも、目を輝かせてそう語るギャル子ちゃんが可愛く思えたのでよしとする。
実際、ギャル子ちゃんならトラとも仲良くできそうだし。美南くんはどうだろう、女性恐怖症だけどギャル子ちゃんはミーハーじゃないからいずれ打ち解けてくれるはず、恭くんは言わずもがな。新平くんは……どうだろう。誰にでも優しいから、とりあえずは仲良くしてくれるかな?
ギャル子ちゃんは「それじゃーよい連休をー!」と言って手を振りながら数人のギャル友達と共に教室を去って行った。すでに半数が席を立っているので、私もペンケースやらを片付けて帰る準備を始める。
「茂部ー、お前キャンプ行くのか。例のあいつらとか?」
と、名簿を片手に持った佐藤先生がいつの間にやら傍に立っており、話し掛けられた。教室内は騒がしいが、先程の会話を聞いていたらしい。
「そうですよ。あ、ちゃんと火の始末には気をつけますから。予定してるキャンプ場には川とかはないので、水難事故の心配は無用です」
「うんうん、気をつけて楽しんでこいよ。あーいいなあ、俺もキャンプとか行きてえなあ。いっそのこと校庭でやっちまおうかな……」
「校庭で……ちょっと楽しそうですね。やる時は声掛けてください、いつかレクリエーションでやりましょうよ」
「だよな! よし、年度末までに学年主任を説得してみせるから、待っててくれよ」
どうやら先生は連休中、部活動やらであまり休みがないそうだ。教員って大変なんだなあ……でも、先生本人はそれすらも楽しんでいるようなので、これが天職というやつなのだろう。
そんな佐藤先生に見送られ、私もまた教室を後にした。そうそう、今日はバイトもないから家に直帰できるのだ。
さあこれより私のゴールデンウィーク、開幕だ。
◇ ◇ ◇
――詠の帰宅後。まだ数人の生徒は校内に残っているが、その大方が帰宅した後のこと。
「お前、何してるんだ?」
校舎内の見回りをしていた若教師・佐藤太郎は昇降口にて一人の青年へ声を掛けた。靴箱前に立ち尽くしていた青年と鉢合わせてしまった彼はつい反射的に声を掛けてしまったが、すぐに後悔することになる。
目立つ白髪と顔面の至る箇所に光るピアス、この青年こそ教員たちを苦しめる話題の人、一年生の東条ダイヤだったからだ。
東条ダイヤは突如現れた若教師に一度目を丸くさせたが、すぐに薄ら笑いを浮かべてこう答えた。
「探しもの」
「……? なんか失くしたのか? 落とし物なら事務受付に届いてるかもしれないぞ」
「んーん、もう見つけた」
そう言って彼が眺める先にはとあるクラスの靴箱だ。佐藤太郎が訝しげに彼の目線の先を見ると、それが自分の受け持っているクラスのものであることに気が付く。
「うちのクラスの誰かに用事があったのか? 生憎もうみんな帰っちゃったからな」
「……あー、センセーのクラスか、これ。てことは二年生ね」
「お前も早く帰った帰った、連休前だからって浮かれて怪我するんじゃないぞ〜。まあお前の場合は喧嘩とかか?」
先生としてのちょっとした冗談めかした言い回しだったが、言われた本人は否定も返事もすることなく変わらない薄ら笑いでただ見つめてくるだけだ。それが妙に居心地が悪く、早々にこの場を後にしたくなった。
「じゃあ、気を付けて帰れよ?」
「あーい」
特にこれ以上言うこともなかったので、東条ダイヤに背を向けて巡回を再開する。確かに彼は問題児だが、今の彼は返り血を浴びていた訳でもない。
(いや待てよ……どうして俺のクラスの生徒に?)
と、東条ダイヤが言っていた「探しもの」という言葉が少し引っ掛かった。おそらく誰かを探していたかのような口振りだったが、もし問題児の彼が自分のクラスの生徒となにか揉めたりでもしたら……とまで考えたところで頭痛に苛まれる。
一度振り返ったが、東条ダイヤはすでに昇降口を去っていた。どうやら誰かを待ち伏せていたという訳でもなく、鉢合わせたのは偶然であったらしい。
若教師に過ぎない男、佐藤太郎はどうかこれ以上自分が問題事に巻き込まれないようにと心の中で願って、それ以上のことを考えるのをやめた。
「――“茂部”。モブ先輩ね。やっぱ変な名前」
一方で正門を通り抜けたところの青年、東条ダイヤは日が沈みかかっている空を見つめながら一人呟いた。
目的を果たした彼が何を思うかは、まだ誰も知らない。