表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
四章〈オタ活は主体的に〉
50/130

5(美南彗星)

「あれに絡まれるのが日常なら、大変だろう」


 二人並んで早足にフードコートから離れるべく歩いている途中、呟きとして言葉が零れた。口に出すつもりはなかったが無意識的に。どうやら、詠と共に在ることで多少リラックスはできているらしい。


「普段からあのような輩と関わることは、俺にとって恐怖でしかない。先程の男が、もし女だったら……すまないが、先程の俺ほど役には立てなかっただろうな」


「……庇ってくれてありがとうね、美南くん。すごく頼りになったし、カッコよかったよ」


 言いながら身震いしてしまったが、詠は気遣うような目線と言葉を掛けてくれる。こんな情けない俺だが、そう言ってもらえると心境も幾らかマシになった気がした。


 俺たちは歩みを止めることはなかった。ただ、目的地まではまだ先だ。そして幸いにも周囲に人もいない。

 俺は、今しかないと思った。以前から思っていた、そして言おうと思っていたことを口にするのは今しかないと。


「……今だからこそ、そして君だからこそ言わせてほしいことがある。聞いてくれるか」


 少しだけ歩くペースを落としてそう言うと、詠は首を傾げて俺を見上げてきた。――俺が次の言葉を告げると、その表情が途端に凍りついたのが見て取れた。


「君だけではない。トラと君は、俺に伏せている秘密があるのだろう。そしてそれは俺に執着する女性たちにもまつわることだ」




 ◆




 時折、昔のことを思い出す。昔と言っても中学時代のことだ。まだ俺が、今よりは他人に興味がなかった頃のこと。



「みなみ、ですってぇ?」


 中等部から姫ノ上学園に入学した俺は、入学式にその当時三年生だったとある女の先輩が俺のネームプレートを見て、酷く驚いた表情を浮かべていたのを覚えている。

 しかし彼女が誰だったのか、顔や名前は今でこそ曖昧だ。ただその時、彼女が言った言葉が今でも忘れられない。


「“スイ”が本当に実在してるなんて……」


 中学一年生になったばかりの頃、俺は背が伸び始め、声にも違和感を覚え始めた時期だった。顔付きが変わり始めたと言うべきか。とは言え今と比べればまだ全然幼い風貌だったと思うが、その日を境にあの先輩のようなことを言い出す女が度々俺の目の前に現れるようになった。姫ノ上学園の中では少なかったと思うが、通学途中に話し掛けてきたり、学校終わりに校門前で待ち伏せる女がとにかく多かった。


「君ってバスケが好きなんでしょ」

「“スイ”くんは甘党だよね! これ、作ってきたの!」

「犬が苦手なんだよね、本当に可愛い」

「君の親って投資家? やっぱり!」


 突然俺の目の前に現れては、誰にも言っていない俺の秘密を全て知っていた女たち。そんな女たち相手は勿論、自分の身の回りの親しかった友人や家族ですら信じられなくなるのにそう時間は掛からなかった。


 俺と親しい誰かが、俺のことを吹聴して回っている。その時はそうとしか思えなかったからだ。


 元々喋り好きではなかったが、やがて俺は無口な男に育った。しかしいくら俺が無視しようとも女たちは次々にやってくる。学園に相談したことで、部活動に支障を来していた女たちと下校時間に出待ちする者は学園側が何とかしてくれるようにはなったが。それでも外を歩けば大抵見知らぬ誰かに付き纏われることは日常茶飯事だった。

 その時は、時間が経つにつれて俺も慣れてきたことで、そんな女たちも多少目障りなだけで特段気に病んだりはしていなかったのかもしれない。


 しかし俺の心象を大きく歪める“事件”が起きたのは、それからしばらくしてからのことだった。


 とある日の下校途中、俺は基本的に一人で出歩くことは極力控えていた。登校と下校は誰かしらクラスメイトの誰かか、同じ部活の誰かと共に行くようにしていたのだ。

 だがその日だけはたまたま、いつも共に帰っていた同じ部活仲間の都合が悪かったために俺は一人で下校していた。


 季節は冬だったと思う。まだあまり遅くない夕方にして道は薄暗く、静かだったと記憶している。


 突如目の前に現れた、中年女性。俺が普通に歩いていたところを、目の前の電柱の陰から突然出てきたのだ。

 目と目が合った瞬間にその人が正気ではないことにすぐ気が付いた。そしてそいつの手に光る刃が見えた途端、人間は本当に恐怖を感じた時は声も出なければ身体も動かないということを知った。


「――みなみ――」


 低い声で何かを呟きながら、手の中でカッターナイフがカチカチと鳴り続ける。そしてゆっくり一歩ずつ、俺の元へ近付いてくる。

 その中年女性は、俺の母親と同じくらいの年齢に見えた。すぐにそいつの異常性に気が付いたのは服装が奇抜だったからで、まるでコスプレのようにブレザーとミニスカートの制服を着ていたのだ。思い返せば、姫ノ上学園の高等部の制服によく似ていたかもしれない。


「ずるい。ずるい。わたしだって、わたしだってもうすこしはやくうまれていればそこにいたのにどうして」


 頭を掻き毟りながら目を見開いて、そして目線は俺へと向けて。次の瞬間にはカッターナイフが俺の眼前まで迫っていた。



「――なんで、逃げないのよ!」


 途端、怒号が聞こえたかと思うと俺は真横から受けた衝撃によって地面に転がる。何が起きたのか分からなかった。


 顔を上げた時、俺の目の前には一人の少女の後ろ姿があった。俺と同じ姫ノ上学園中等部の制服に身を包んだ、長い黒髪の女子生徒。


 その少女こそ益子トラ、俺の命の恩人だった。




 トラはその時、持っていた通学鞄を振り回して不審者に立ち向かっていた。カッターナイフを持った女はトラ相手に発狂しながら腕を振り回し、そのせいでトラは腕を怪我してしまったのだ。

 しかしそんな騒ぎを聞き付けた通行人が次々と現れ、無事に不審者はその場で取り押さえられた。俺とトラも警察に保護され、事情を聞かれた。


 その日は俺とトラは会話などする暇はなく、そして俺もトラも次の日は学校を休み、週末を挟んで結局再び顔を合わせたのは翌週のことだった。

 俺があまりに女に対して嫌悪感を抱いていたせいで、同じクラスメイトの顔すら認識できていなかったことを知った。トラは同じクラスの生徒だったのだ。


 何故、俺を助けてくれたのか? それを問うと、トラは俺とは目を合わせずにこう言った。


「何だか、あんたのこと放っておけなかったのよ」


 当時、まだ身長が伸び切っていなかった俺はトラよりも小柄な身体付きをしていた。だからこそそんなトラがとても頼れる存在に思えて、そして俺を救ってくれた恩を返すために何ができるのか悩み続けた結果、俺は自然とトラと過ごすことが当たり前になっていった。何より俺のせいでトラに怪我をさせてしまったこと、今でも申し訳なく思う。だからこそもう彼女を二度と傷付けないよう、俺は強くなりたいと願った。


 中等部は俺の成長期がピークを迎えるまで、そんな出来事ばかりだった。しかしトラと出会い、俺がトラと過ごすようになってからはトラがいつも俺を庇ってくれたのだ。


 何度目かのストーカーをトラが追い払ってくれた時、俺はもう一度同じ問い掛けをした。


「分からない。どうして君は、俺を助けてくれるんだ?」


 最早俺は、それに対する答えを求めてはいなかった。そんなことはどうでもよかったのだ。それは思わず零れた疑問だった。トラがあまりにも俺の目に大きく映ったから。


「――申し訳、ないからよ」


 だが、その時のトラの答えはいつかの言葉と違ったものだった。申し訳がない? それがどんな意味なのかが気になった。しかしトラはそれ以上は語ってくれなかった。




 ◇




 俺の身長がすっかりトラを超え、声変わりも落ち着いた頃。俺のバスケの試合を応援すると言ってトラが来てくれたことがあった。いつ誘っても乗り気ではなかった彼女がその日は来てくれるということで、俺は随分といい気になっていた。


 試合結果は俺のチームの圧勝。勿論エースは俺で、仲間からいつものように囃し立てられる。普段は迷惑でしかなかったその盛り上げ方も、その日はトラに見せつけたい欲があったせいか悪い気分ではなかった。


「やっぱりあんたは……バスケが上手ね」


 ――トラは、そう言ってくれた。俺を褒めたのだ。だがそれがどうしてか、俺の中で引っ掛かるものがあった。


 その時のトラの表情が切なげだったせいか。いや、それだけじゃないと確信できた。その言い方が、どうしても――



 ――俺に付き纏う女たちの誰かと、同じだったからだ。



 いいや、トラはあの女とは違う。絶対に違うと、それだけは断言できる。だがどうして、あまりにもその言葉の“裏”に潜む意味合いが酷似している?


 そうまるで、俺のことを見透かしているその言葉。


「君は、とても俺に後ろめたいことがあるように見える」


 俺がそう言うと、トラは特に驚いた様子もなくただ黙っていた。俺にそれを悟られるのも厭わないようだった。……俺は、俺を知ったようにする者が怖く、そして嫌いなことを彼女は知っているというのに。


 でも俺は。彼女のことが嫌いじゃなかった。


「君には俺を助けた責任があると、思わないか」


「……そう言われちゃ何も言えないわ」


 困らせたくはなかったが、彼女を引き留めるにはこのようにするしかなかった。思えば俺は本当に駄目な奴で、トラには迷惑を与える存在でしかない。それでいてトラは反対に俺に引け目を感じていて、本当に彼女のことを想うなら俺がいなくなることは最適解だと知っていたはずなのに。


「本当の意味で俺を助けるまで、傍にいてほしい」


「――あんた、本当に“変わってる”わね」


 困らせるだろうと思っていたが、俺の言葉にトラは呆れたように笑っただけだった。


「私よりも一緒にいたいと思える人が現れたら、その時は私に執着するのをやめること。……それが約束できるなら、当面は一緒にいてやらないことはないわ」


「分かった。約束する」


「……てっきり私、あんたにフラれるんじゃないかと思ってたのに。本当に、この先どうなるのか分からないことね」


 トラはそんなことを言っていたが、俺から彼女に別れを告げるだなんてとんでもない。

 その日気付いたのは、“俺を知っている”からと言って誰しもが俺に害を与える存在ではないということ。


 彼女が俺に関する何かを知っていたとしても。ちゃんと目の前にいる“俺自身”を見てくれる……そんな人が、トラだったからだ。




 ◆




 ――俺は、今目の前にいる彼女も同様に思っている。


 詠もまた、トラと同じように俺には言えない秘密を抱えた人物であることは見て取れた。西尾家の兄弟はどのように考えているのか、それは分からないが。


「詠とトラは同じ。そして俺と新平、恭は君たちにとってきっと、同じ括りの存在なのではないか?」


「……なん、で……そう思ったの」


 俺が突然言い出したことに詠は酷く動揺した様子だが、俺が怒ったりしなかったのを見て割と冷静な態度で構えているようだった。

 詠が口にした疑問に俺は答える。


「……“何となく”。これで、君は納得してくれるか?」


 嘘ではない。俺はこう答える他なかった。何故なら、本当にこれはただの勘だったからだ。


「どこか、彼らとは通ずるものがあってな。とは言え、俺が特別勘が鋭いだけかもしれない。新平や恭はその点、特に思ってはいないように見える」


「もしかして……今突然この話をしたのって……」


「――先程の青年。彼もまた、“俺と同じ”だと思ったから……違うか?」


 詠は何も言わなかったが、それが肯定を示していたことは明白だ。ただしあの青年に対し、俺が覚えた違和感はそれだけではない。

 それは、詠の反応と――何よりあの青年自身の反応で。


「詳しくは話さなくて構わない。元より俺も君たちには事情があると思っている……少なくともトラは、俺のために敢えてその話をしないように思えるからな。だがこの憂いは伝えておかなければいけないと思ったんだ」


「……さっきの人が気になったって?」


「…………もし。俺が、トラにとって“変わった奴”であるのなら……あの青年もそれに該当する存在であり、それが原因で詠が困るようなことになれば、俺は心配だからだ」


 自分がトラに依存していることは自覚している。この環境下で歪められた俺の人格がそうなら、もしかしたらあの青年も。……そして、先程に相まみえた時に交錯した目線は、それにそんな予感を抱かせたのだ。


 トラと詠という人物は違うようで、同じだと思っている。


 東条、と言ったか。彼が詠に依存してしまう可能性は、十分に孕んでいると思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ