三章、おまけの小話 〜二月十四日〜
バレンタイン。それは恋する者にとって決戦の日とも呼べる。恋愛に絡めると避けては通れない一大イベント、即ち『乙女ゲーム』においてはかなり重要なキーイベントとなり得るものだ。
しかしまあ、私には関係ない。
二月十四日、バレンタイン。私はそんな日でもバイト中。レジ横にある肉まんコーナーで、バレンタインにちなんで期間限定発売のチョコまんを横目にそんなことを考えていた。
高校生のバレンタインはまあ賑わう。学校でも女子はバレンタインに向けて沸き立っているし、男子は男子でやっぱりそわそわしている様子だった。しかし佐藤先生の愚痴はとても現実的なもので、彼曰く「例年、放課後の教室や後者裏でイチャつくカップルやら泣き出す女子やらのせいで学校内に移動制限が掛かる。あと喚いて暴れ出す男子生徒を補導するのが疲れる」……と無表情に語っていた。確かにカップルの時間を邪魔しちゃ悪いし、泣いてる女子と鉢合わせるのも気まずいし、暴れ出す男子については……うん、ノーコメントで。
友チョコ――という概念もあるが、私は特に用意はしなかった。友達はいるにはいるけど、みんなそんな感じじゃないし……お徳用チョコを配ってた友達から何個かもらったりはしたけど。
『ハイ☆シン』ではなんと、攻略キャラ全員にチョコを渡すことが可能だ。一定の好感度を満たしていないと叶わないという条件はあるけど、逆ハーレムシステムがある限りそれも可能という訳だ。
ただし使用する材料によってそのチョコが『本命』か『義理』かの判定となるのだ。そしてシステム上、本命チョコカウントとなる材料はたった一つしか手に入らない。つまりはチョコは全員に配れるけど、本命チョコは一つしか作れない……ってこと。そこは上手くできていると思う。
義理チョコでも好感度は上がるし、何なら全員義理チョコでも大丈夫なバレンタインイベント。私はゲームでは新平くんか恭くんにしかチョコはあげたことはなかった。本命チョコは勿論新平くん……と言いたいところだったけど、そこはゲーム。好感度の上がり幅を考えると、この先の恋愛イベントを起こすのにある程度の恭くんの好感度が必要な時は泣く泣く本命チョコを恭くんに渡したりしていたっけな。
「うわ、まーたこれ売れ残ってる。こりゃまた俺らが在庫処理する羽目になりそうだぞ」
「あたしこれ甘過ぎて胃もたれするのよね。あんた全部食べてくれないの?」
「いや俺も二個までは美味く食えるけど、三個目からはちょっとな」
レジ裏で二人の先輩の会話が耳に飛び込んできた。
そう、この例の『チョコまん』……実は不評で、あまり売れていないのだ。そのせいで私たち従業員はここ最近、賞味期限切れのチョコまんを何個処理させられたことか……私も甘いものは特段好きって訳じゃないし、チョコだから肌荒れするし、正直苦行だ。
「今日はバレンタインだってのにこの有様だよ。しかもあと一週間は販売期間だぜ、どうすんだよ」
「賞味期限切らすのも勿体無いからねぇ。うーん……ねぇ、茂部さん」
お客さんも全然いなくて、ただそこに突っ立っていただけの私にも声が掛けられた。
「今日で賞味期限切れるこれさ、買っていってくれたりしない? ほら、ご家族の分も含めてさ」
「ええ?」
「茂部さんはもう上がりでしょ? 今日はせっかくのバレンタインなんだから、たまには賞味期限が切れる前のやつも食べたほうがいいよ」
時計を見ると、確かに私はもう上がりの時間だ。……ついさっき処理をどうしようと言いつつこの押しつけ……私もきついし、あまり嬉しい提案ではないんだけどなあ。
それにご家族って……残念ながら今日はお母さんが帰ってくる日でもないし、帰ってきたとしても平日は確実に会わないから結局私が食べるしかなくなるんだけど。
とは言え、先輩二人の必死の表情を見ていると……私の良心が断ることを許さなかった。うん、確かにこれは胃もたれするもんね。私が一番若いし……少しくらいは貢献しようかな……。
私は引きつった笑みを浮かべながら、チョコまんを二つ購入した。先輩は大げさに喜びながら私のレジ対応をしてくれる。両手にアツアツのチョコまん二つを抱えて、私はそのまま帰路につくことになった。
・・・ ・・・
暗い帰り道、一人で二つもチョコまんを持って歩く私は食い意地を張っているただの女子高生に見えていることだろう。この辺りが元々人通りの少ないところでよかった。
賞味期限切れではないチョコまんを食べるのは初めてだ……いやしかし、連日の在庫処理で味は知り尽くしている。と言うかもう飽きている。これを食べるという行為は最早作業に近い。そう思うとやる気とか食欲とかが失せてくるんだけど、このまま捨てるのも勿体無いし。
このチョコまんの利点と言えば、二月中旬のこの寒い時期にこうして今ホッカイロの代わりになっていることくらいだろうか。まあ食品だし、すぐ冷めちゃうだろうけど。それに肉まん系のこれって冷めると結露で袋がビチョビチョになるから早めに食べないと、ますます食べ応えがなくなってしまう。
私は真っ直ぐ帰宅するのではなくその道中にある公園に立ち寄り、ブランコに腰掛けて一息つくことにした。
……元々直帰するつもりはなくて、食材の買い出しに行く予定だったのだ。今年に入ってから自炊を始めた私はこうしてスーパーに行く機会も増えて、ちょっと大変さを覚えて始めている。
バイト終わりと言うのもあるけど、ここ数日は学校で肉体労働をさせられていて疲れているのだ。と言うのも、佐藤先生に頼まれて演劇部の大掃除を手伝っているから。二月から三年生が自由登校になった中、部員が減ったのにも関わらず物で溢れた部室が最早魔境と化していたそうだ。私だけじゃなくて何人かの部外者も手伝わされていたけれど、演劇部って色々な小道具があってとにかく整理が大変だった。捨てていいものと駄目なものを一々確認する必要もあったし。
ちなみに余談だが、その中で色んな仮装道具が掘り出され、これらは捨てるものだと言っていたので私が引き取ることにした。面白可笑しな被り物や仮面類、綺麗にすれば美南くんの覆面のレパートリーが増えると思ったからだ。
一昨日に渡して、昨日さっそくトラから写真が送られてきた。……ピエロの仮面を着けた美南くん、ちょっと不気味だったな。実際クラスメイトと先生からはかなり気味悪がられていたらしい。
とまあ、その大掃除の中で重たい荷物やらを運んだりしていたらすっかり全身筋肉痛になってしまった。ホームセンターのバイトを辞めてからはこう言うちょっとした動作でもすぐに身体が痛くなるようになってしまったので、そろそろ鍛えなくてはと思ったりもしている。
……あとは精神的な面で言うと、そろそろ期末テストの時期だ。テストって聞いただけで億劫になる……期間中はバイトが禁止されるから放課後に集中する時間は作れそうだけど、今年度を締める期末テストだからその分範囲も広い。今の内からやれることはやっておかないと不安だ、その焦りのせいで最近は心も落ち着かないことが多い。
「疲れた……」
ああ、思わず重たいため息と共に切実な本音が零れてしまった。何だか身体も重たいし、このまま何もしたくなかった。そして両手にはチョコまん……今からこれも食べなきゃと思うと、もっと疲れてきた。
「――なんだぁ? 疲れてんな。バイト終わりか?」
俯いていたところで、上から声が降ってきた。その声は聞き覚えのあり過ぎる彼の声で、私はすぐに顔を上げた。
上下黒のジャージに、黒のキャップ。運動靴なのを見るに走り込みでもしていたのだろう、新平くんがそこに立っていた。と言うか目の前だ、いつの間にここに? 目を丸くさせた私は咄嗟に言葉が出てこなくて、新平くんにはさぞ私が間抜けに見えたことだろう。
「見慣れた姿があったから何だと思ってよ……もうこんな暗い時間なのにこんなとこで一人で危ねぇぞ?」
「あ……バイト終わりで、今からスーパーに行かなきゃならなくて……今ちょっと一息ついてたところで――、だよ」
あの初詣から一ヶ月は経過した今だけど、新平くんに対して敬語をやめることに未だ慣れない。あの後何度か新平くんや恭くんと会ったりしているけれど、最近は恭くんからも敬語なし要請があった。……名前呼びはすんなりいけたんだけど、これがもう難しい。いや、恭くんは割とタメ口でいける。ただ新平くんは推しなのだ、推しにそんな馴れ馴れしい態度が取れるものか。……そう思うと中々タメ口というのは難しい。でも、頑張る。
「新平くんは……ランニング?」
「まぁ、バイトがない日は暇なんでな。腹を空かすのも兼ねていつもこの辺を走ってんだ」
「腹を空かす――あ! あのこれ、食べる?」
「んあ?」
ここぞとばかりに私は手に持っていたチョコまんを一つ、新平くんへ差し出した。……差し出された新平くんは「なんだこれ?」と訝しみながらも受け取ってくれる。と言うか押し付けたみたいになってしまったかな。
「うちのコンビニで期間限定発売のチョコまん。食べたことはない……のかな?」
「そもそもあんまコンビニに行かねぇからな……なるほど、チョコ。……チョコか……」
「あの……ごめんなさい、チョコ嫌でした? そしたら別に――」
「いや、そうじゃねぇ。せっかくだし貰う、腹減ってるし。あと敬語」
私に指摘しつつ、キャップを脱ぎながら新平くんは私の隣のブランコに腰を下ろした。そのまま豪快に一口目をかぶりつく……直後、「甘っ」と一言。
「こりゃあれか。何だ……バレンタインってやつか」
「た、多分。でもあんまり売れてなくて、毎日在庫処理で賞味期限切れのものを何個も食べさせられてて。……あっ、これは買ったやつだから大丈夫だよ!?」
「いや別に一日くらい賞味期限切れてたって気にしねぇけどよ。あー……そうか、バレンタイン……」
少し渋い顔になってしまった新平くん。……そうだ、新平くんは大体の女子から怖がられたりしているけど、それでもやっぱりカッコイイので隠れファンも多い、モテモテのはず。このバレンタイン効果で普段勇気が出ない女子も何人かは勇気を出したことだろう。――それから、あまり考えたくはないけど灰原さんももしかしたら。
「チョコ飽きてるよね……ごめん、押し付けちゃって」
「あァ? 別に普段から飽きるほど食ったりはしてねぇぞ、チョコなんぞ。寧ろ甘いもんを食わねぇからな」
「え? でも今日はバレンタインだし、新平くんならたくさんチョコを貰ったんじゃ?」
「んな訳、キョウじゃあるまいし。でも何を間違えたのか俺のロッカーやら靴箱やらに何個か紛れ込んでんのはあったぞ。多分他のクラスのやつがキョウと俺を間違えたんだろ、だから全部キョウに渡してやった」
これを冗談でもなく本気の顔で言ってのけるのだから、顔も知らない勇気を出したのであろう姫ノ上の女子に同情してしまった。駄目だ新平くん、自分が女子にモテているという自覚がまるでない……そうだ、彼はこういうキャラだった。
「キョウは今年も大量だったなぁ。ま、俺もそれを消費すんのに毎年付き合わされてるから、正しく言えばこれから飽きることになるだろうな。食ったチョコはお前からのこれ、こいつが一個目ってことだ」
「ええ!? 待って待って、これをバレンタインにカウントしないで!? どうせあげるならもっとちゃんとしたものを……!」
新平くんにバレンタインチョコ。……全く頭になかったって訳じゃないけど、そもそも他校だし毎日会う人じゃないし。だからあまり考えないようにしていたのに。
こんな、在庫処理とか色々話したあとのこれをバレンタインとして渡したなんて――勇気を出して新平くんにチョコを渡した女子たちに知られたら! 私は血祭りにあげられてしまう!
「そんな気にすることかぁ? 別に不味かねぇし……もう一個もくれよ、さっきも言ったけど腹減ってんだ。そもそも俺はバレンタインとかあんま興味ねぇし」
私が渡したチョコまんをペロリと食べ終えてしまった新平くんは、なんと若干冷めてしまったもう一つのほうにも手を伸ばしてくれた。食べてくれるならありがたい、でも……私としてはこんなのがバレンタインカウントになってしまったことが気掛かりでならない。
「こんなに盛り上がんのって何なんだろうな? 海外じゃあ男のほうが花とかを用意すんだろ? つーかバレンタインって元々聖職者だかの命日だし、なんでチョコに結びついたのが甚だ疑問でならねぇんだが。ま、一生懸命用意してる奴もいるし当人らが満足なら構わねぇがよ。俺はどーでもいい」
「そんなこと言って、渡されたのが義理チョコだった時は拗ねるくせに……」
「あァ? なんか言ったか?」
「なんでもございません」
チョコまんを頬張りながらブツブツと言い続けている新平くんだけど、私は知っている。ゲームにて、好感度が高い時にヒロインから義理チョコを渡された時はあからさまに不機嫌な反応を示す新平くんの姿を。そして反対に本命チョコだった時のデレ具合を。
……しかしそれを本人を目の前にして思い出してしまうと、相手には伝わらないだろうけど失礼にあたるだろう。なんか、新平くんの秘部な気がするし。私はそっと空を仰いでその記憶を頭から押し退けた。
そうだなあ。このチョコまんは勇気を出した女子の弔いも兼ねた、ってことにしておこう。新平くん、不味くないと言いながらいい食いっぷりを見せてくれていることだし。そして私もほんの少しだけ勇気を出してみることにした。
「あの。……これがバレンタインっていうのも悔しいから、来年リベンジしてもいい?」
「リベンジぃ? ……ってのは?」
「来年はちゃんと用意するよ、って……意味なんですが……」
……言ってからどんどん恥ずかしくなって、ちょっと最後には声が出なくなった。い、いや別に、本命とか言ってないし……そんな変な意味合いでもないはずだから。
「と、友チョコを! 用意しますから!」
「――そうかよ。じゃあ、楽しみにしとくわ」
新平くんは――取り繕うように言い切った私へ、にっと笑った。一瞬彼の顔を見たけど、駄目だ。私はまた顔を背けて、この赤くなった顔を新平くんに見せまいと必死だった。
「で、スーパー行くんだろ? 実は俺も行こうと思っててな。行くんならさっさと行こうぜ、あんま遅くなると帰りが危ねぇ」
「は、はい。行きましょう、スーパーへ……」
「おし。で、敬語」
二つ目のチョコまんも平らげた新平くんは立ち上がってそう言った。新平くんはそう言ったけど多分、暗い夜道を私一人で歩かせないために付き合おうとしてくれてるんだと思う。その優しさが嬉しくて、心が踊る。だけどこの調子じゃあしばらく私の顔は赤いままだろう、これは困った。
バレンタインデーなんて全然意識してなかったのに、こう好きな人を目の前にすると調子が狂う。
ああでも、こんな時しみじみ思う。ランニングを中断して私に付き添おうとしてくれるこの優しい人の背中を見ながら、私は心の中で叫んだ。
――私の推し、やっぱり誰よりも男前だと。
◆
……チョコまん在庫処理バレンタインから数日後のこと。ある日、新平くんが始めて私のバイト先へお客さんとして現れた。
その時コンビニでは、今度はホワイトデーにちなんで『ホワイトチョコまん』が期間限定発売されていた。こっちは前回のチョコまんと比べてそれなりの売れ筋があるので、私は在庫処理に悩まされることはなかったんだけど。
「こいつを三個くれ」
「は、はい、三個……え、三個も?」
「一つは俺が食う。もう一つはキョウ。で、あともう一つはお前のな」
「ああキョウくんの……って私!?」
その時私はバイト中だったので、その場で食べることはできなかったけれど……このやり取りを見ていた先輩はやたらとニヤつきながら、私がバイトを上がるまでホワイトチョコまんを一つキープしておいてくれた。
帰り道、私はホワイトチョコまんを食べながら帰った。ああ、なるほどこれは……あのチョコまんより私は好きかもしれない。
そしてその時思い出した、そう言えば新平くんにチョコまんを食べてもらったんだっけ。それじゃあこれは新平くんからのお返し?
そう考えたら何だか突然これがありがたいものに思えてきて、私はそのホワイトチョコまんを大事にいただいた。新平くんってこんな風に案外義理堅いんだよね。
そして、私は宣言してしまったのだ。来年は新平くんにチョコを渡すのだと。……いや友チョコだけどね?
せめて恥ずかしくないようなものを用意しないとなあ。まあ来年の話なんだけど、今から少し緊張してきた。流石にまだ気が早いか。