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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
三章〈推しは推せる時に推せ〉
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12

「違う違う、引っ掛け。これはこっちだよ」


「あァ!? これは問題に悪意があんだろ!」


「彗星〜、そっちのグラス取って」


「ん……これか」


 二月末。姫ノ上、駒延の両校共にテスト期間に入った私たちは広めのファミレスの隅に陣取り自習をしている。


 そう、私たち。何と言うか、私も気がついた時にはこのメンバーが定例になっていたのだ。


 体育会系ながら物理だけは得意らしい、新平くん。

 歴史を含めた文系教科が得意らしい、恭くん。

 西尾兄弟の騒がしさにいつも迷惑そうなトラ。

 この場において一番シュールな、馬頭の美南くん。


 何故このメンバーが集まったのかと言われれば……いや本当に、気がついたらこうなっていたとしか。

 始まりはあの怒涛の初詣から数日後――あの日以来、時々新平くんから連絡が来るようになり始めた。と言っても、実はほとんどが新平くんになりすました恭くんからの連絡なんだけど。おかげ様で私の画面のチャット欄は、


『今週バイトある? 映画行かない??』

『↑バカキョウより』


 という、新平くんとのメッセージやり取りの後に、


『ところで本当に映画行かない? 俺暇なんだよね〜』

『シンペーも来るって!』


 ……と、今度は恭くんとのチャット欄でこんなやり取りがあったりする。実際に何故かまた三人で映画を観に行ったり恭くんのクーポン券消費のためにあの喫茶店に行ったりした。よくよく思い返せば新平くんからくるチャットってほとんどないのかもしれない、それは若干寂しい気がしてきた。


 そして一月末頃だろうか、私が休日にトラと会っていた日のことだ。その日はトラから美南くんの新たな『被り物』を一緒に見繕ってくれと頼まれ――二人は何故かその件に関して私をめちゃくちゃ頼りにしているらしい――セレブリティな彼らに激安の殿堂を紹介してあげたりした。

 そうこうしていたら、その殿堂で西尾兄弟と偶然に遭遇して。それから何故か急にこのメンバーで放課後集まるような仲に発展したのだ。とは言え私と西尾兄弟はアルバイトがあるし、美南くんもバスケ部の活動があるのでそんなに頻繁に会っている訳ではないけれど。


 そして今回は期末テスト期間ということで、普段はバイトやら部活やらで忙しい面々もそれらの活動が禁止されている期間だ。トラの提案でこのメンバーでテスト勉強をしているんだけど、まあ賑やかなことで。


「私だけテスト範囲が違うから、そっちの力になれなくて申し訳ないなあ」


 駒延高校はモブの学校、姫ノ上と同じ市内に存在する高校だが情けないことに偏差値が遥かに違う。当然ながら私のテスト内容のほうが難易度は低めのはずだ。その点姫ノ上のメンバーはかなり勉強には苦戦しているようだった。

 私はゲームの中にもあった要素である『定期テスト』の存在は知っていたけれど、それは普段のステータス上げによって周囲からの評価が上下するだけのイベント――それくらいの認識しかなかったから、いまいち姫ノ上のレベルというのが分かっていなかった。彼らから実際に模擬テストを見せてもらった時には驚いた、そして改めて思い出したのだ……姫ノ上学園は名門中の名門と謳われていたことを。


 そんな訳で私は非常に申し訳ない気分でここに座っている。先に述べた通り駒延のテストはそれほど難しくもないので、私は学年の中でしっかりと上位をキープしている成績だ。……言い換えればそんなに必死になることなく上位を取れてしまうのだから、他のみんなよりやることは少ない。だからせめて何か力になれれば、と思うんだけど……私の頭は姫ノ上の基準に合わせるとそれほど良い訳じゃあないから、何だか申し訳ない気分なのだ。


「ふう、テキスト終了……今回も何とかなりそうね。物理が少し不安だけれど……」


「お疲れ様。そのままにしてて、飲み物取ってくるよ」


「あら、ありがとう」


 新平くんと恭くんはワイワイ騒ぎながらも必死に勉強しているようだが、その間に黙々と進めているのがトラと美南くんだ。いや、美南くんは元々口数が少ないだけだけど。

 一段落ついたらしいトラが疲れた様子だったので、私はトラのグラスを持ってドリンクバーへと向かう。今はこれくらいしか役に立てないからね。


 ……すると今回は、どうも意外な人と鉢合わせることになった。


「……あれ? お前……」


 聞き慣れた声に呼び止められて振り返ると、そこにはスーツに身を包んだ――佐藤先生が立っていた。鞄を手に持っている、どうやら退勤中で今来たところのようだ。


「テスト期間なのにこんなとこで何してんだあ?」


「し、心外ですね。テスト勉強ですよ!」


 私は家に戻るのも面倒だったので制服のままでいた。と言うか他のメンバーも制服のままだ。先生は私に対してあらぬ誤解を抱きかけたところだったけど、私の視線の先を見ては目を丸くさせていた。多分、姫ノ上メンバーを確認して少し驚いたのだろう。


「先生こそ何してるんですか、こんなところで。テスト作成とかあるんじゃないんですか?」


「俺はもう完璧に仕上がってるぞ? ……とびっきりのテスト用紙がな。それに今だって一応仕事中なんだぞ、退勤がてら隠れてこっそりアルバイトやってる奴がいないかの監視をしているのさ。これが案外多くてなあ」


「そうだったんですか……って何で着いてくるんですか」


「そりゃ俺のテーブルがそっちだからだよ」


 わざわざ私たちのすぐ隣の席に座した先生。まあいいか……別にやましいことしてる訳じゃないし。ドリンクバーに行ったはずの私が変な男を引き連れて戻ってきたことで、まずトラが「あれっ?」という顔をしてこっちを見た。その隣の美南くんは――うん。馬面だ。


「おお、そっちは姫ノ上ボーイズじゃないか。相変わらず仲がいいようで何よりだ」


「あァ? ――あ!? 何で茂部の先公がここに……」


「シンペー! 言葉遣い言葉遣い!」


 何故か佐藤先生を見て顔をしかめる新平くん。何だかんだで新平くんは先生と顔を合わせる機会が多かったし、先生もすっかり西尾兄弟の顔は覚えたらしい。……というか、美形で存在感も強いこの二人は一度あったら大抵はすぐ記憶に残るはずだろうけど。


「こんにちは。駒延高校の先生?」


「おう! 佐藤太郎二十五歳、一年A組担任兼演劇部顧問、担当科目は社会科だ。よろしくなお嬢さん……と、そっちの奴は……馬か?」


「姫ノ上の一年、益子です。こっちは美南。馬面なのには色々と事情があるのだけど」


 そして流石はトラ、先生とはすぐに打ち解けたようで仲良く談笑を始めている。傍らの美南くんは相変わらずの無表情……という表現が適切かは分からないけど、ただじっと黙ってトラたちの会話に耳を傾けているようだ。時折相槌を打っている様子だし人見知りは大丈夫そう。


「ねぇ佐藤先生、社会科なら世界史の質問してもいいですか? シンペーがどうしてもこの辺り覚えられないらしくて」


「放っとけ。今覚えてる途中なんだよ」


「どれどれ? ……ははーんなるほど……姫ノ上ではここまでやってるのか。よし、この辺りの事件はとっておきの語呂合わせがあってだな――」


 ……何だかんだ先生までここに居座ることになって、私たちは現役教師という名の特別講師を得て、その日のテスト勉強は大いに捗ることになった。先生もモブキャラとは言え、流石は姫ノ上学園出身の教師。社会科以外の教科も親身になって教えてくれた。新平くんはやっぱり不機嫌だったけど、それでも歴史の解説は渋い顔をしながらも黙って聞き入っているようだった。




 ◆




「それで結局、その後は普通に接してるのよね?」


「……うーん、まあ、その……普通ってのがいまいちよく分からないんだけど、多分?」


「まあ連日の様子見てる限りじゃ仲良さそうだし安心したわ。でもまさか西尾弟にまで懐かれるなんて、詠ったら案外やるのね」


「ええ? それはたまたまでしょ。それに恭くんは私だからっていうよりみんなに対してあんな感じでしょ」


 すっかり空が暗くなってしまった頃、ファミレスを後にした私たちは各々の帰路につくことになった。車で颯爽と帰って行った先生は置いておいて、新平くんたち……美南くんも含めた男性陣は私たちを家まで送ると主張したけど、結局は私の家までトラだけが付き添ってくれた。と言うのも、トラは電話で迎えを呼ぶと言ったからだ。

 迎えを呼ぶ……と言ったのが建前だけど、実際はトラは私と話をしたかったのだろう。二人きりになったところで、やっぱりトラは私と新平くんのことを聞いてきた。


「前にも話したと思うけど、あの初詣以来は本当に何もないよ。たまに誘われて映画とか喫茶店行くくらい? 私も初めこそぎこちなかったけどすっかりタメ口にも慣れたし、最近は変にドキドキしたりもなくなったし。前から耐性が付き始まってたのは自覚してたんだけど、ふとした瞬間にカッコイイなあーってしみじみ思うことくらいかな。……それでも未だに時々、灰原さんのことが気になるけど」


 灰原さんとは元々親しい訳でもなかったけど、最近は見かけることもなければ話を聞くこともなかった。と言うのが、新平くんたちに聞いても特に話すことはなさそうな雰囲気なのだ。そう、あの恭くんでさえも。……吹っ切れてしまったのだろうか。


 ただこれに関してはトラからも強く言われたことがある。――何も気にすることはない、と。


「友達なんだから、言葉足らずで勝手に距離置かれるのは私でも不安になるし怒るわよ。詠と西尾兄はこれがきっかけでより仲良くなれたようで何よりだわ」


「仲良く……っていうか、何か、子分みたいに扱われてるような気がしてならないんだけど」


「子分をわざわざ家まで送り届けようとするいい親分じゃないの」


 私の家の目の前まで到着してから、そこでトラは家に連絡を入れた。数分後にトラの迎えが来るまでその場で雑談しながら待つことにする。寒いから家に上げようとも思ったんだけど、トラみたいなお嬢様をこんな廃屋に招くのもどうかと……それにトラは「私は暑がりだからこれくらいがちょうどいいわ」と一言、流石頼りになる。


「でも、オタクがこんなに推しと距離が近くていいのかなあと……やっぱり恐れ多いなって思う時もあるよ。推し活は推しに認識されちゃ迷惑でしょ」


「別にこの現実に西尾兄のグッズとかある訳じゃあるまいし……え、あいつの写真とかスマホの待ち受けにしたりしてるの?」


「してない! 一瞬迷ったけどそれはやってない! アルバムに保存してるだけ!」


「ああ、ならいいじゃないの。見てて思うけど別に詠のは態度にも出てないと思うし……懐かしいわあ、私も姫ノ上に入学したばかりの頃は中言先生の隠し撮りを何度試みたことか。理性が勝ってそれはやってないけどね」


 その話に何と反応するべきか迷ったけど、トラの表情を見るにそれは半分冗談な気がした。いや冗談だよ……ね?


「トラはあんまり推しのこと語ったりしないよね」


「ん、そうね。もちろん先生のことは大好きよ、視界に入れるだけでありがたみを感じるもの。でも最近は現実的に考えることが多くなってきたから、前世ほど騒いだりとかそう言う感情はないわね。姫ノ上って偏差値も高いしあまりそっちにかまけてちゃ単位が足りなくなっちゃうわ」


 遠い目をして語るトラに、私は苦笑いをする他ない。その点私はそれほどテストも難しくなくて本当によかった。バイトをする余裕だってあるし、その上で新平くんと会えたりするんだから。


「推しは推せる時に推す。それって推し活に全力で取り組むって思われがちだけど、そうじゃないの。……無理しなくてもいいってことよ。時には離れて、自分に余裕がある時にだけ推せばいいの。分かった?」


「え? は、はい」


「ヒロインは確かに気になるわね。引き続き動向をチェックしておくわ。私も最近はあの掲示板も監視してるの。……雰囲気は相変わらずだけど」


「ああ、掲示板……そう言えば、私たち以外にも前世持ちの人がこの世界にはたくさん存在してるってことだもんね。それは多分灰原さんも――でも、私たち以外でそれっぽい人はこの街で見かけたことはないなあ……」


 そりゃ、黙ってたらその人が転生者かどうかなんて分かりやしないけど。でも例えば、美南くんは昔恐らく転生者らしき人物によって対人恐怖を植え付けられてしまった。そんな風に新平くんたちに異常に執着してくる人と言えば、特に思い当たらないんだよなあ。恭くんは女子に、新平くんは男子に普通にモテてるだけって印象だ。

 もしかすると転生者は意外と身近に存在してるのかもしれない。けれど、だったらその人はきっと理性的な人なんだろう。


 私は新平くんが推しで、こうして友達になれたことは恐れ多くも大変嬉しく思っている。でも、ゲームのキャラとかは抜きにして……彼のことを一人の人間として、尊重した上で今後も付き合っていく。そう思うことで、この関係性に答えを見つけた。それは新平くんだけじゃなくて恭くんや美南くんに対してもそうだ。


 見てて思うけど、美南くんはトラをとても信頼しているようだ。当のトラは若干迷惑そうだけど。でもあの関係は純粋に素敵なものだと思う。


 私も彼らとそうなりたい。

 最近は、こう思うようになった。




 ◇ ◇ ◇




 ――時刻で言うともうすぐ午後七時。家の使用人が車で迎えに来て、詠と別れてから数分後。

 愛読している雑誌の新刊が今日発売だったことを思い出したトラは、車をショッピングモールまで走らせ本屋へ向かった。目的の雑誌を手に入れたあとはついでにアクセサリーショップなどにも立ち寄る。使用人は駐車場で待たせたままだが、少し見て回る旨は言ってあるしいつものことなのでトラはお構いなしだった。


「あら、これは……」


 アクセサリーショップにてふと目に留まった、小さなシルバーの髪飾り。全体的にシンプルなデザインだが、よく見ると薔薇の刻印が施されておりお洒落だと思った。

 ただ、トラは自分にこのようなシンプルなものは似合わないと自覚済みだった。シルバーよりはゴールドが似合うし、どちらかと言うと派手なデザインのものが自分には合う。――だからこれは、自分の『友人』によく似合うと思ったのだ。


「せっかくだし、たまにはプレゼントもいいわね」


 トラの脳裏に浮かんだ友人()の姿。彼女は自らを『モブ』だと呼び、それ相応の人生を生きようと必死になっている、トラにとっては少し哀れな友人だった。

 トラもまた自分が『エキストラ』であることは知っていた。しかしトラは自分のことを脇役だと決めつけたことは一度もない。メイクやファッションにはこだわりがあるし、それに費やす時間やお金も惜しみない。この世界には自分だけの人生がある、それがトラの座右の銘だった。


 その点、詠は少々卑屈な部分が目立つ。卑屈と言うには控えめ過ぎるが、それが問題だとトラは頭を悩ませていた。

 トラから見れば、詠は髪型や服装を少し変えればすぐに『モブ』から脱出できる素質を持っているのだ。ただし本人にはその気が全くないのがもどかしい。だからこそ自分が何か力になれないかと、トラは常日頃から考えていたりした。


 勿論これ一つで詠が様変わりしてしまうようなことはないだろうが、彼女は少々お洒落に無頓着過ぎる。せめてこれがお洒落のきっかけになればいいと、そんな思いを抱きながらトラはこの髪飾りをレジへ持って行こうとした。


 その時、またトラの歩みを止めるアクセサリーが目についた。普段は見向きもしない、レジ横にあるメンズアクセサリーの陳列台だ。

 いかついシルバーアクセサリーはトラは苦手だった。しかしトラが気になったのは、その隣のミサンガだ。カラフルなものからシンプルなものまで、様々なデザインのミサンガが並んでいる。


 その内の一つ、シアンカラーのミサンガが気になった。同じ色、デザインのミサンガがたくさん並べられているが、よく見るとそれぞれ編み込まれているイニシャルが違っていた。


「彗星も、こんなのなら身につけてくれるかしら……」


 今度は別の友人、それも少々癖の強い友人がトラの脳裏に浮かび上がってくる。顔よりも先に馬頭が思い出されるのだから間違いなく彼は変人だろうと、トラはその場で一人ため息をついた。

 美南彗星――誰もが羨む運動神経能力と美しい顔を持つ、万人が美男子と呼ぶその男。しかしながら人間恐怖症、特に女性恐怖症を患っている可哀想な『攻略対象キャラクター』。トラにとって彼は初めこそ少しばかりの同情心くらいしか抱いていなかったが、何だかんだでそれなりに友情を築いている大切な友人だ。


 彗星は本来(・・)……ゲームにおいての彼は、基本的に無口な体育会系男子だ。当然、常に馬面の被り物を身に着けているなんてことはない。

 しかしゲームの彼と共通している部分は多くある。例えば、休日にどこかへ出掛けることは少なかったり、流行などには疎かったりする部分がそうだ。普段、彗星はアクセサリーなどを身に着けたりはしない。


 そもそも彼はバスケ部のエース、スポーツマンだ。プレーの邪魔になるアクセサリーなどは着けたくても着けられないものだろうが、トラはふと思った。この程度のミサンガならプレーに支障は出ないだろうと。


「ついで、ね」


 値段もそう大したことはない。彼女にとってはほんの気まぐれだった。シアンカラーをベースに、イエローの文字で彼の名字のイニシャル『M』が刻まれたミサンガを手に取り、髪飾りと二つをレジに持って行く。


 トラは結局自分のアクセサリーなどは選ばず、二人の友人に向けての買い物を済ませることになった。

 プレゼント用の包装は自分でやりたいと思った。透明な袋にだけ包装してもらい、小さな紙袋にその二つをしまい込む。


 お金を使うことが趣味なトラは満足気にモールを歩く。雑誌は買えたし友人へのプレゼントも買った。時間も時間だし、そろそろ駐車場へと向かおうと歩みを進めた。


 車が停まっているのは地下駐車場だった。エスカレーターで階を下りると、一階のスーパーはやはり夕方のせいか混み合っていた。人を避けながらトラは廊下を突き進む。

 が、途中で通行人のふとした動作の際の肘が背中に直撃し、トラは大きくよろけてしまった。その時手に持っていた紙袋がトラの腕から落ちる。その衝撃であの二つのアクセサリーが床へと転がってしまった。


 トラは慌ててしゃがみ込んで、アクセサリーを回収しようとする。髪飾りは足元だったのですぐに掴めたが、ミサンガが少し遠い。誰かに踏まれる前に、と必死で手を伸ばした。


 しかしトラの手がそれに辿り着く前に、別の誰かがそれを拾い上げた。おかげで通行人がミサンガを踏み付けることはなかった。ほっと安堵して立ち上がると、ミサンガを拾い上げた人物がトラの元へ歩み寄って来る。


「ごめんなさい、ありがとう――」


「おねーさん、気をつけなきゃ。ね?」


 礼を言う途中で、その人物は薄ら笑いを浮かべながらそう言った。トラよりも身長が高く、顔立ちを見るに若そうな青年だ。彼は拾い上げたトラのミサンガをじっと眺めていたが、すぐに飽きた様子でぽいっとそれをトラへ投げつけた。


 受け取る、と言うより投げ捨てるように渡されたそれを手の中で確認して、トラはこの相手を若干非難する目つきで観察してみる。

 若い青年。私服なので中学生か高校生かは分からない。トラは見たことがない、知らない人だった。しかしその顔を見てトラは少し首を傾げる。顔立ちがやたら美しかったのだ。――そう、まるで『攻略対象キャラクター』ばりに。


 しかしトラの記憶の中にこの青年はいなかったはずだった。そう、銀髪の青年など。

 暗い灰色の髪を持ち、イメージカラーがグレーのキャラはトラが最も推している中言崇史という人物がいる。派手な髪色に整った顔立ちとなると、一瞬この青年も攻略対象キャラクターかと疑ってしまったが。


「……なぁに? オレの顔になんかついてる?」


「――いえ、失礼。拾ってくれてありがとう」


 そう長い時間ではなかったと思うが、トラが相手の顔を見つめていると青年は訝しげに眉をひそめた。会話の感じからして面倒そうな相手だと判断したトラは、この場をすぐに離れることを決めた。


 何よりこの青年、トラが嫌うシルバーアクセサリーをこれでもかと言うほどに身に着けていたのだ。片耳だけで五個以上のピアスに、ネックレスに、ブレスレットまで。にやりと笑ったその唇にもリップピアスが光っていた。


 すぐに背を向け歩き出す。何だか小生意気なガキだったなと心の中で毒づきながら、トラは急ぎ足で使用人が待つ地下駐車場を目指した。




「ははっ――姫ノ上のおねーさんか。ムカつくなぁ」


 ――トラが去ったその場所で、青年は静かに呟く。誰にも聞かれることのなかったその呟きの後、青年は自らの足元に置いておいた買い物かごを手にその場を後にした。

三章以上です! おまけ話後に四章です。

よろしくお願いします。

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