10
参拝を終え、神社の敷地内を歩く。これからの予定は特にないし、あとは帰るだけなんだけど。何せこの人混みだ。出口に向かうのも一苦労で、もたついている間にどんどん人は神社の奥へ押し寄せてくる。
ここまで来ればもう解散でいいんじゃないかな。だから、わざわざ二人とはぐれないように気を使う必要もないような気がする。
借りていたマフラーを新平くんに返して、二人にはもう先に行ってもらおうかと思っていた時。
「おお!? そこにいるのは茂部か!」
「ん? ……先生!?」
ふと、雑踏に紛れて私の名前が呼ばれたので振り返る。聞き覚えのあるこの声は――佐藤先生。
温かそうかウィンドブレーカーを着た先生は、人混みの少し向こう側に立っていた。その手には赤く光る長い棒……誘導棒が握られている。
「……またあの教師か」
「え?」
私が先生のほうを向くと、上から新平くんの低い声が降ってくる。でも雑踏に紛れてよく聞こえなかった、何かを呟いたのかな? ……独り言みたいだったし気にする必要はないか。
先生は私を見つけるなり笑顔でその誘導棒を高く掲げるものだから、私は頑張って人混みをかき分けながら先生の元へ向かった。新平くんと恭くんが横を歩いてくれていたおかげで案外スムーズに向かうことができた。
「先生……! な、何してるんですか?」
「何って、交通整備の手伝い? この人混みだからなあ。正月から大忙しだ! はっはっは」
「それは分かるんですが、なんで先生が……?」
「ここの神主さんは俺が学生の頃から世話になってた人でな、こうして正月は毎年交通整備の手伝いを申し出てるんだ。そうだ茂部、今年もよろしくな!」
先生はネックウォーマーと手袋という厚着だけど、それでも鼻頭と耳は真っ赤で寒そうだった。年明けの朝一番にこんなお手伝いなんて大変に決まってるのに、めちゃめちゃ楽しそうにやってるのが流石先生と言ったところだ。普通は実家に帰省したりするだろうに。
それにしても先生って、サーカス劇団の知り合いに音楽サークルの知り合いに、そして神主の知り合いにって……知り合いの幅が随分と広いような気がするな。コミュニケーション能力が高いからその分知り合いがたくさんいるんだろうけど。
「いえいえこちらこそ、今年もよろしくお願いします。昨年は大変お世話になりました」
「なぁに言ってんだ、俺のほうが世話になりっぱなしだったろ? ……そっちの姫ノ上ボーイズも、明けましておめでとう!」
「どうも! 明けましておめでとうございます!」
先生が二人にもそう言うと、恭くんはにっこりと愛想よく返事をした。片や新平くんは無愛想、でもちょっとだけ会釈をしていたので最低限の礼儀は果たしたようだ。これぞまさに西尾兄弟の対比って感じがする。
「ねね、茂部ちゃん。この人って前にサーカスのチケットくれた人だよね?」
「あっ、はい! 私の担任の佐藤先生です。先生、こちらはご存知の通り姫ノ上の生徒で……西尾新平くんと、西尾恭くんです」
「いつも茂部ちゃんにはお世話になってます、なんちって」
恭くんが早速ジョークを飛ばすと、どうやら先生にウケたらしい。何だかこの二人はノリとテンションが似ているし気が合うのかもしれないなあ。……そんな恭くんの隣で酷くつまらなそうにしている新平くんが余計気になるけど。
「おみくじとかやってきたか? あっちに甘酒もあるぞ、ご覧の通り大盛況だがな」
「あっ俺おみくじ引きたい。シンペー行こうよ!」
先生が指差した方向、おみくじやお守りを販売しているエリアだ。しかしまあ大混雑、大行列で、視線を向けるだけでやるせない気持ちになってくる。
「勝手に行ってこい」
人混み嫌いな新平くんは当然乗り気なはずもなく、嫌悪感を全面に押し出したような表情で吐き捨てた。
「じゃ、茂部ちゃん一緒に行こ!」
「えっ!? あ、はい……!」
……すると、今度は私へそう言ってくる。突然のことで驚いて、というかほぼ咄嗟に返事をしてしまった。
恭くんが私の手首を掴んだ。少し強引に、でも痛くない程度に引っ張られる。本当に新平くんを置いていくのか、と私が躊躇する間もなく恭くんが歩き出した時。
「――待て、お前ら!」
この場に留まるかと思われた新平くんの張り上げた声が響き、それと同時に背を向けていた私たちの肩に大きな手が置かれた。右手は恭くんに、左手は私の肩に、だ。
つくづく、今日は厚着でよかったと思う。新平くんも手袋越しだったし。彼の手のひらの感覚とかしっかり分かってたら私は今頃昇天していたかもしれない――。
心中穏やかではない私だったが精一杯の涼しい顔をして振り返る。恭くんも同じく振り返ると、やっぱりどこか不機嫌そうな新平くんが言い出した。
「お前らだけじゃ不安だ。俺も着いてく」
言いながら、私はこうして新平くんが私たちの近くに立っているだけで通行人たちのガードになってくれていることに気がついた。ついさっきまでは私も行き交う人々とぶつかることが多くて、先生と話しながら足を踏まれたりしていたし。
「えぇ? 大丈夫だよ。ほらこうやって……ちゃんと茂部ちゃんの手掴んどくし」
「それが問題だっつってんだよ……」
「え? なんて?」
「お前らだけじゃあ、あんなとこまで辿り着くまでに骨でも折っちまいそうで不安なんだよ! ほら行くんだろ、歩くぞ!」
今度は背中を押されて無理やり歩き出す。恭くんも「ばかばかばか、押すなーっ!」と叫びながら人混みに飲まれていった。その途中で私との手も解けて、その離れた手を新平くんが掴む。……恭くんの手首だけでなく、私の手もだ。
「これぞ青春ってか、はぁー羨ましいねえ……」
「わわっ……あ、先生! お手伝い頑張ってくださいね!」
「おう、お前ら楽しんでこいよー」
そう言った時にはもう先生の姿が見えなくなったところだったけど、先生が掲げた誘導棒がゆらゆら揺れていたのは確認できた。
日が昇るにつれて人も増えてきたような気がする。私は最早歩くというより引っ張られているだけだったけど、気がついたら件のおみくじコーナーへ辿り着いていた。結局先陣を切って歩いていたのは新平くんで、言い出した恭くんはもう疲れきった様子だった。……私も同じくバテてるんだけど。
近づいてみるとここの行列はそんなに長くなくて、誰かに足を踏まれたりだとかはなくなった。そのタイミングで私たちの手も離れる。……手首に感じていた温もりが離れるとほんの少しだけ寂しいような気がした。
「着いたぞ、キョウ」
「ちょっ……ちょっと……休ませて……はぁ」
「情けねぇなぁ」
おみくじを販売している小屋まで近づき、人が寄り付いていない微かな空間を見つけると恭くんはがっくりと膝をついた。その隣で新平くんは壁に背を預ける。
私も足腰が若干痺れていたので、さらにその隣に腰を下ろした。ここは日陰で少し寒いけど、周りの通行人に気を配る必要がないので気を休めるのにももってこいだ。
息を切らしていた恭くんだが、しばらくすると財布を取り出して何やら意気込んでいた。顔にはまだ少し疲れが滲んでいるけれど。
「よぉし、小銭小銭……今年の運勢をここで試すよ!」
「恭くんは何だかんだで毎年大吉出してそうですね……」
「ええ? そんなことないよ。去年なんて末吉だったんだよ、地味なやつ。でも俺、大凶って出したことないから狙ってるんだよね」
「ああ、大凶って逆に珍しいみたいなことを聞いたことがあるような……実際どうなんでしょうね?」
せっかくだし私も引いてみよう。財布を確認したらちょうど小銭も入ってたし。
「シンペーもここまで来たなら一緒に引こうよ、運試しみたいなもんだしさ?」
「あァ? こんなもんに金使うってのか?」
「いいじゃん、誰が一番いいの引けるか勝負しよう!」
勝負と聞くと途端にプレッシャーになるなあ。……でも、それを聞いた途端に新平くんの顔つきが変わったような気がする。どうやら引く気になったらしい、そう言えば新平くんは勝負事が好きだったんだ。おみくじの結果に勝ち負けもないような気はするけれども。
三人で並び、おみくじを引いた。最初に恭くんが、次に私が、最後に新平くんが。――同時に中身を開いてみる。
「げっ、末小吉! 去年より悪い!?」
まずは恭くんの悲鳴が。その手には末小吉と書かれたおみくじが握られている。内容を覗かせてもらうと……うん、何とも当たり障りのないことばかりが。
「末小吉でも、一応吉ですからね?」
「微っ妙…………そう言う茂部ちゃんは!?」
「私は……吉です」
「負けた――!?」
どうやら恭くんに勝てたらしい。吉、これは多分いい方なんだよね? 金運も健康運も良好そうだ。
そして私の恋愛運は……『受け入れることが肝心』らしい。……恋愛するような相手がまずいないから、これは参考になるか分からないけど。
そして注目の新平くん。彼とは言えば、開いたおみくじを見下ろしては表情一つ変えていなかった。眉間に皺が寄っているから悪い結果だったのかと思ったけど、そう言えば新平くんはこれがデフォルトだった。
「シンペーは……? 結果どうだったの?」
「――大吉だ」
「は――!?」
「そんな騒ぐことじゃねぇだろ? ほらよ」
新平くんが言い終わる前に恭くんは彼の手からおみくじをひったくっていた。食い入るように見つめてから、やがて膝からその場に崩れ落ちた。そ、そんなにショックだったの恭くん。
ひらひらと地面に落ちてしまった新平くんのおみくじを私が拾って見てみる。大きな大吉の文字、書かれていること全てが前向きな文章ばかりだ。
新平くんへ返そうと手を伸ばすと、そんな彼とばっちり目が合った。……どうしよう、反射で逸らしてしまった。でもおみくじは無事に新平くんの手へと渡ったので、私はそそくさと手を引っ込める。
「悪い運気は留めておかなきゃ……俺、結んでくるね!」
「……あ、私どうしよう……?」
悪い結果の時に結ぶのはそうだけど、悪くなくても結んで大丈夫……なんだよね。勢いよく駆け出して行ってしまった恭くんの背を眺めながら私はどうしようかと悩む。
「――別に悪くなかったんだし持っときゃいいだろ?」
私も恭くんにつられて結びに向かおうとした時、隣からそう呼び止められた。
見ると、新平くんはおみくじを小さく畳んでポケットへ突っ込んだところだった。単に結ぶのが面倒なだけなようにも思えるけど……新平くんは持っておくことにしたらしい。
呼び止められてしまったので、私も結びに行くのはやめることにした。おみくじ折り畳んで財布にしまうと、お互いやることがなくなって沈黙が落ちる。
そこで私は自然と二人きりになってしまったことに気がついて、何とも言えない気まずさを覚え始めた。
どうしよう。話すことなんて……あ、あるのだろうか?