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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
三章〈推しは推せる時に推せ〉
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 普通だったらそれなりに待つはずの注文なのに、いつの間にやらエプロンを身に着けた恭くんは意気揚々とお皿を片手に私の目の前で仁王立ちしていた。


 その手には先程私が注文したワッフルが一つ。それから、頼んだ覚えのないホットココアも一つ。


「お待たせしました。どうぞ!」


「ど、どうも……」


 ――色々言いたいことはあったけど、目の前に並べられたお皿の誘惑には勝てなかった。

 ベリーソースで鮮やかに彩られたワッフルと、その上に乗ったバニラアイス……一日中働き詰めて疲れていた私にとって、それはまさしくご褒美と呼べる供給だ。


「い――いただきます!」


 できるだけ上品にいただこうと、慣れない手付きでナイフとフォークを駆使しつつご褒美を頬張る。

 このワッフル、見た目は言わずもがな百点満点だけど味も百点満点だ。さっぱりとしたソースにアイスの甘味が混ざり合って堪らない……上品に振る舞おうと努力していたところだけど無理そうだった。


「そんなに美味しそうに食べてくれるなんて、作り甲斐があって楽しいなぁ」


 エプロンを身に着けたまま再び私の対面席へ座した恭くんは、頬杖を付きながら満足気にそう言った。……食べている姿をまじまじと見られるのも小っ恥ずかしくて、私は一旦口を拭いながらフォークを置く。


「これ……恭くんが作ってくれたんですか?」


「うん、そう。今日は特別な人に振る舞いたいからってお店にお願いして、シフト外だったけど厨房を借りたんだ。喜んでくれてよかったぁ」


 そう言いながらくしゃっと微笑んだ表情に思わずやられた。……可笑しいな、恭くんは非推しキャラだったどころか苦手な分野だったのに……昨日の今日でここまでカッコよさを見せつけられてしまうと、流石の私も揺らがざるを得ない。


 いかんいかん。私は全力で自らの推し――新平くんの姿を脳裏に召喚させ、雑念を振り払う。一旦ホットココアに口を付けると、その心地よい甘さのおかげで私の乱れた心も少し落ち着いたように思えた。


「恭くん、料理も上手なんですね?」


「んーん、できるのはスイーツだけだよ。家でも全然やんないし、ご飯は毎日シンペーが作ってくれてるし。シンペーはスープからデザートまで全部完璧に作れる、最強だよ」


「――最強。そうですね……」


 それには思わず深く頷いてしまった。

 勿論、新平くんが料理得意男子なのは知っている。ただ、その情報が強過ぎた故に恭くんまでこんなスイーツが作れるのは意外だったので話を振ったんだけど。


 ここでも新平くんの話が出るなんて。避けようと思えば思うほど意識せざるを得ない状況に陥っているような気がする。


 ――そんな、脱力して乾いた笑みを零した私を見て恭くんは小首を傾げながらこう言った。


「そう言えば茂部ちゃんってさ、前に新平のこと好きって言ってたよね?」


「――ごほごほっ!!」


「えっ、大丈夫? ……いや前にさ、歌手とかモデル相手に思うような感情と一緒だって俺に説明してくれたじゃん。それを昨日ふと思い出してさ」


 好き……あ、そっちの好きか。そうだ、随分前に恭くんとそんな会話をしたような。確か出会ったばかりの頃だったような……よく覚えてたなあ、恭くん。不意打ちの一言に一瞬動揺してしまった。


「俺もさ、シンペーに対してそんな感じ。理想のお兄ちゃん、俺にとっては世界一最強のヒーロー! ……茂部ちゃんは?」


「え、え?」


「シンペーのどんなところが好き?」


 ――そんなのたくさん有り過ぎて言葉に詰まる。


 けど今はどうしてか……恭くんの微笑みと、その眼差しが気になった。

 恭くんは笑みを崩さない。ただ、この質問をした瞬間から目付きが少しだけ真剣味を帯びたものへと変わったような気がした。


 何だか、ここで中途半端なことを言ったら失礼に当たるような気がしてならなかった。だから私もきちんとそれに応えるべく、背筋を伸ばしてから言葉を選ぶ。


「――誰よりも優しいところです」


 私が思う、彼の一番の魅力。私はそれを答えにした。


「でも優しいなんて、誰にでも当て嵌まる魅力じゃない?」


 恭くんの表情に変化はない。ただ、その口調からはどこか試されているような雰囲気を覚えた。


「ただ、誰にでも優しいって訳じゃなくて。……優しさが故に敢えて傷付けたり、自分が傷付いたり……そんな危うさを秘めた彼の優しさが、他の人にはない魅力だと思います」


 ――私がそう言うと、恭くんは一度瞑目した。


 でもそれも一瞬で。次に瞬きをした時には、あの柔らかな微笑みと眼差しへと戻っていた。


 昨日、久々に恭くんを見た時に感じた変化はこう言うところかもしれない。私が知っている西尾恭という人物は常に穏やかで、楽観的で、何かに怒ったりしているところを見たことがない。

 それがこのように時々鋭い表情をするのだから――これもまた、私たち転生者がもたらしてしまった変化の一つなのだろうかと、ふと思った。


「やっぱり茂部ちゃんとは仲良くなれそう」


「新平くんのファンクラブ会員なら喜んでなりますよ」


「なにそれ!」


 少しだけ冗談めかして言うと、恭くんはケラケラと笑った。……ただその後「それって存在してるの?」と真面目に聞かれてしまったので、慌てて冗談だと伝える。

 いや実のところ、例の掲示板が設立しているくらいなんだから攻略対象キャラのファンクラブなんて絶対に存在しているはずなんだよね。……私は存じ上げないけど。


 恭くんがこんな風に新平くんを慕っているのも私は知っていた。……だからこそ、私は彼らの三角関係が苦手なんだ。

 どちらかが傷付く必要なんてないのに、ね。




 ――それから他愛もない会話を繰り広げて、私はワッフルも平らげたところで。


 この雰囲気ならいける。……と確信した私は、一度ゆっくり深呼吸してからついに切り込むことにした。


「恭くん」


「ん?」


「最近、灰原さんは元気そうですか?」


 突然過ぎたかな。

 いざ言ってから緊張が走り、私の心拍数は高まる。


 言われた恭くんはまず目を見開き……そのまま固まった。

 あれ、気絶した? ……声を掛けると、恭くんは「えっ!?」と声を張り上げた。どうやら本当に気絶していたらしい。


「な、な、なんでヒメちゃん? ヒメちゃんが何?」


「え……いやだから、元気かって……」


「……………………」


「――――ごめんなさい。やっぱ今のナシで、忘れてください。つかぬことをお聞きしました」


 ――この空気に耐えられなかった。

 どんどん青くなる顔と丸まっていく背中を眺め続けるのはどうしても無理だった。急いで取り消す。やっぱり駄目だったみたいだ。


 でもこの反応を見る限り――やっぱり恭くん、灰原さんとの仲が拗れてしまったのは確実のようで。


「…………あのさ。昨日の話の……約束してた相手って、ヒメちゃんのことなんだ」


 ……私でさえ耐えられなかった空気なのに、恭くんは絞り出すような声でそう言ってくれた。

 その目に涙は浮かべていない。それどころか、こんな時まで乾いた笑みを浮かべていた。深く傷付いているだろうに、どうやら彼の傷心は至るべきところまで到達してしまったらしい。


 その姿はあまりに痛々しかった。

 私は何も言えなくなってしまう。


「昨日は、約束の時間直前で連絡がきて……別の予定が入ったから無理だって言われちゃって。仕方なく一人で街を歩いてたら……」


 俯いたまま少し動いたせいで、前髪が落ちて恭くんの表情が見えなくなる。


「……別の人と一緒に居たんだ。ヒメちゃん」


「――ひっどい話ですねそれ」


 我慢できなくて口を挟んでしまった。

 恭くんは顔を上げた。泣きそうな顔だったけど、それよりも私の発言に驚いた様子だった。


 ……そうは言いつつ。

 恭くんの好感度を下げるのに一番手っ取り早い方法が『デートのドタキャン』であり、私もゲームではそれを何度か実行した。その度に心臓を抉られるような思いだったのを覚えているし、一度だけ間違えて新平くんとのデートをドタキャンしてしまった時には自分を呪った。


 でも私がその度に苦しんでいたのは、ドタキャンなんて相当失礼にあたる行為に他ならないからだ。

 やむを得ない事情があったなら仕方ないにしても。それも昨日の恭くんの話だと、一度や二度じゃないらしいし。


「誰と一緒に居たんですか? 知ってる人?」


「……一つ上の先輩で……名前は確か、北之原――だったかな。あの先輩、それなりに有名な人だから」


 クロだ。……もしも『やむを得ない事情』があったなら、という可能性に賭けたけど、それは完全にクロだ。


 ついでに思い出した、攻略対象キャラの一人の名前。

 唯一の先輩キャラ、美術部所属の……文化祭の時にステージ上で見掛けた金髪のイケメンの名は北之原(きたのはら)絵里(かいり)。カナダ人のハーフという設定だったはず。


 急なバイトとか、家族が倒れたとか、体調不良とか、そう言うのなら仕方ないと思う。でも別の攻略対象キャラと一緒に居たとなれば話は違ってくる、恭くんとのデートをすっぽかして別の男とデートするなんて。


 しかも恭くんはそれを目撃したと言う。……三角関係ルート以外でそんな修羅場が発生するなんてことは聞いたことがなかったけど、とにかく恭くんをオーバーキルまで追い込んだ罪は重い。

 だって恭くんじゃなくても、私だって約束を破られたら少なからず傷付くんだから。


「灰原さんたちと鉢合わせたんですか? 街中で?」


「う……ううん、遠目に見掛けただけ。向こうは俺に気付いてなかったと思う」


「そうですか……今は冬休み中だからよかったですけど、学校で顔合わせるのも気まずいですね」


 そう言うと、恭くんは渋い顔をした。……だよね、そう思う。私が同じ立場だったら本当に嫌だ。


「俺はクラスが違うから何とかなると思う。……でも、シンペーが彼女と同じクラスで……しかも席が近いみたいだからさ。あの二人が俺のせいで気まずくなっちゃうんじゃないかと思って、シンペーには言ってないんだよね」


「……そうだったんですか」


 もしかすると、昨日も真っ直ぐ家に帰らなかったのは新平くんが家に居たから……なのだろうか。

 親しい家族にも相談できず、ずっと一人で悩んでいたとしたら……どんなに辛かったことだろう。


「でもね、茂部ちゃんに話せてよかったよ。話すだけで楽になれたし、なんか吹っ切れたんだ。昨日も言ったけどさ」


 にっこり、小さく微笑んで恭くんは続ける。泣きそうなのは相変わらずだけど、結局その瞳から涙が零れることはなかった。


「もう一度向き合ってみるから。彼女とも、自分の気持ちともさ。それに気付かせてくれたから、今日は俺から君にお礼。今回は奢るよ、クーポンはまたここに来た時に使ってくれる?」


「……ありがとう。それじゃ、遠慮なく奢られます。ワッフル美味しかったです、必ずまた来ます」


「次は是非パンケーキ食べに来てね。俺の得意なやつだから」


 私は大したことをしたつもりはなかったけど、恭くんが酷く私に感謝を示すのでそれはありがたく受け取ることにした。


 宣言通り私は奢られ、昼に恭くんから渡されたクーポン券に加えて店側からも半ば強制的に握らされた追加のクーポン券を抱えて帰ることになった。この束の量、明らかに一人じゃ消費し切れないんだけど。……まあいいか、今度トラでも誘って来よう。


 ……昨日と同じように二人並んで歩く帰り道のこと。

 昨日と違うことと言えば空がすっかり暗くなっていることと、取り留めのないようなくだらない雑談を交わしながら歩いたことだ。


 恭くんは私を家まで送り届けると、スマホを差し出して連絡先を交換しようと言ってきた。……まあ、いいか。減るもんじゃないし。そう言われたのは少し、いやかなり意外だったけど。


 こうしてまた増えてしまった意外な連絡先。

 その日の夜、さっそく『今日はありがとう! 良いお年を!』というメッセージと共に可愛らしい犬のスタンプが送られてきた。


 ――こうしてまた、更新のない古いチャット欄は下の方へと繰り下げられる。

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