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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
三章〈推しは推せる時に推せ〉
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 翌日のバイトは、朝一番から夕方までのシフトだった。年末というのもあって客足は少なく、今日も特段大変なことが起こったりだとかはなかった――んだけど。


「やっほ、お疲れ!」


 ちょうどお昼の正午頃、昨日とはすっかり見違える元気いっぱいの恭くんが目の前に立っていた。

 レジカウンターには安いお弁当とパックのいちご牛乳を置いている。ええと、昼食かな?


 表情を窺う。……昨日別れた時は目元が痛々しく腫れ上がっていたけど、今は若干充血してるくらいかな。でも晴れやかな表情で声も明るい、もうすっかり立ち直ったように見える。

 ……けど、昨日のあんな調子を見てしまったからには一概に大丈夫そうとは思えないな。もしかしたら空元気かもしれないし、無理してないかな。


「お疲れ様です。その後……どうですか?」


「おかげ様で。あっそうそう、今日はお礼をしたくてさ」


 レジ対応をしながらそんな会話をする。と、恭くんは財布から小銭以外に何やら数枚の紙切れを取り出すと私へと差し出した。

 ……これは……クーポン券?


「これは俺のバイト先で使えるやつ。あ、駅前の喫茶店分かる? 二月いっぱいまで使えるからいつでも来てよ。できれば俺がいる時だと嬉しいな!」


「恭くんがいる時って……?」


「あっ、そうか……うーん……ねぇ、今日ってバイト何時上がり?」


「十六時ですが」


「その後って予定ある?」


 ちょっと待って、まさかお誘い? この流れはそうだよねきっと。駅前の喫茶店……ゲームでは何度も足を運んだけど、実際には何だか近寄りがたくて行かずじまいだったんだよなあ。


 でも、ゲームのメインビジュアルまでも務めたヒーローと私が一緒に喫茶店へ? ……姫ノ上学園の生徒にでも見られたらどんなことを言われるか……いや、昨日すでにデートらしきことはしたんだけど、あの時は恭くんも尋常じゃない様子だったし。


 私が言葉に詰まっていると、目の前の恭くんはそんな私の反応を見て明らかにしゅんとして表情を曇らせた。多分犬耳でも生えてたらぺしゃんこになっているアレだ。


「……やっぱり迷惑だよね……ごめんね……」


「いいえっ暇です! 今日に限らずいつでも暇です!」


「っ、ほんと? それじゃ夕方また来るから、案内するよ!」


 お釣りと引き換えに、恭くんはぎゅっと私の手を握ると笑顔を零した。その際しっかりと私の手に例のクーポン券を握らせて。

 ……なるほど、あれが約束の王子……流石メインビジュアルを飾るくらいだ。


 そして颯爽とコンビニを出て行く後ろ姿まで優雅で、私だけに限らず陳列棚の整理をしていた先輩おばちゃんもポーッと見惚れているようだった。


「ちょっと茂部ちゃん。今の彼氏!?」


「違います!!」


 顔赤いわよ、と茶化されて気が付いた。いやいやこれは……暖房が効きすぎてるせいですから。




 ――恭くんの話と、昨日トラから聞いた話……それらを思い返すと、やっぱり頭の中には灰原さんの存在が浮かんでくる。


 姫ノ上学園での文化祭、私も実際に足を運んだけれど灰原さんは一度も見掛けなかったしなあ。……そう言えば、文化祭で攻略対象キャラたち全員が仮装をしていたことについてトラから見解をもらおうと思ってたのに忘れてた。それについてはまた今度聞いてみよう。


 トラもヒロインについて調べてみると言ってたけど、私にも何かできることはないだろうか?

 ……実のところ私は関わりたくないのが本音なんだけど。でも、単純な興味というのがある。


 その理由として、まだ状況で言えば一年目の後半に差し掛かった程度だけど、客観的に見ても灰原さんの攻略は『上手くいっていない』ように見えるのが気になるのだ。

 初めは恭くんを攻略しようとしてるのかと思った。……かと思えば新平くんと同じバイトを始めるし、夏祭りは三人デートをしていたようだし。

 だから西尾兄弟の三角関係ルートに進もうとしているのかと思えば間もなくバイトを変更して、文化祭では何をしているのか皆目検討もつかず。そして『約束の王子』を泣かせているのが今、だ。


 ――トラも転生者であると疑っていたし、何かしらの目的があるのは間違いないのだろうけど。


 私もまた転生者なので、今彼女が務めているであろうモデルのバイトの内容……これは細やかに知っている。つまり、少し調べればバイト中の彼女を探し出すことは可能であるのだ。

 ただ、これはきっとトラも知っている情報だろうし、その上私より上手くやることだろう。


 なら私にできることと言えば――やっぱり、関係者からの事情聴取、とか。……ちょうどこの後に恭くんとの予定もあることだし。

 いやしかし、聞き辛い……か? 触れていいのだろうか、灰原さんの話題に。恭くん、昨日は自分を泣かせた相手を灰原さんとは断言しなかったんだよね。灰原さんの話題に触れるには、恭くんがどの方向で吹っ切れているのかも探らないと。


 ……それか違う人に聞いてみる、とか。

 違う人。……恭くん以外で灰原さんを知っていて、私が切り出せる相手と言えば――


 ――いや、無理だ無理。っていうか駄目だ。私ってばまたこんなことばっかり考えてる、いい加減改めないと。



 思わず大きなため息が零れてしまった。幸いにもお客さんはいなかったので、誰にもそれを聞かれることはなかった。

 ただその直後、店の入り口である自動ドアが開く音が響いた。俯いていたので一瞬反応に遅れ、私は慌てて声を張り上げる。


「いらっしゃいま――あれ?」


 だけど、顔を上げた先には誰も立っていない。ただひとりでに開いた自動ドアが、今度はゆっくりと閉じていく。

 勝手に開いた? だとしたら誰もいないのに挨拶してたのか、恥ずかしい。……一人で恥ずかしくなっていたら、近くの先輩おばちゃんが「たまに猫が通るのよね〜」とフォローしてくれた。


 いいや、勤務中に上の空だった私が悪い。反省だ。




 ◆




 日が暮れ始まった十六時、恭くんは本当に来た。そして何故か昼に来た時と服装が変わっている。私が呆けていると、恭くんはこう言った。


「昼のは普段着。これはデートの時のコーデ!」


 息が詰まる。私と言えば安っぽいパーカーにジーパン、それに何年も着古したジャンパーを羽織っただけなのに。それに昼の姿も別に全然普段着って感じじゃなかった、十分お洒落だったのに。

 明らかに不釣り合いな私が隣を歩くなんて、申し訳無さで今すぐ死ねる気分だった。


 バイト上がりはいつも真っ直ぐ家に帰るので、服装に気を遣ったことなんてなかった。制服の上から着れるものとなれば限られてくるし、そもそも着飾る必要なんてないし。

 例のボロいジャンパーを羽織りながら、私は何やら上機嫌に歩き出した恭くんの半歩後ろ姿を着いていく。


「いやー……流石に寒いね」


「そうですね……」


「でもそんなに歩かないからさ。それともちょっと走って行こうか? そしたら身体も温まるかも!」


「いやあの、昨日のチェイス覚えてますか? 私の足だと恭くんに着いていけないと思いますが」


 それもそっか! と満面の笑みで返された。いや事実を、紛れもない事実を言われただけなんだけどちょっとだけ傷付いた。……別に私は運動神経悪い訳じゃないんだけどな、恭くんの足が速いだけであって。




 そうして案内された喫茶店。ゲームでも背景として登場し、恭くんのルートにおいてはこの場所で起こるスチルがたくさんあった。

 何度かこの前を通ったことはあるけど入るのは初めてだ。恭くんが入り口の扉に手を掛けると、カランカランと耳に優しい鐘の音が鳴り響く。


 お店の人は恭くんを見るとすぐに駆け寄ってきて、恭くんと何やら盛り上がっていた。それからすぐに席へ案内される。

 一番奥の窓際、多分この店で一番いい席だ。……まさか恭くん予約済みだったとか?


「さぁどうぞ。何にする? 俺のオススメはこれなんだけど、どうかな?」


「え、えーっと……」


 メニュー表を渡される。けど、どうしたものやら。対面する恭くんがずっとニコニコ顔で私から視線を外さないので落ち着かないし、突然決めろと言われても困る。


「それじゃあオススメを……」


「かしこまり! ……じゃあ、ちょっと待ってて!」


「へ?」


 勧められたワッフルを指差すと、恭くんはメニュー表を手に席を立った。そのまま廊下を進み、カウンターを越え、厨房の奥へ……ええ?


 どうやら、自ら厨房に立つらしい。店側もそれを許可しているみたいだし……恭くん、たかが私へのお礼なのにここまで気を回してくれてるの?

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