2
幸いと言うべきか、私のバイト上がりが本当にあと少しの時間だったので――恭くんには一旦この場所で待っていてもらうことにした。
急いでやるべきことをこなし、着替え、先輩に挨拶をしてから私はバイトを後にする。
上着を羽織りながらコンビニ裏へ戻ると、ひとまず泣き止んだらしい恭くんが壁に背中を預けた状態で縮こまっているところだった。こちらを見上げた顔だが、目が真っ赤だ。……それでも綺麗な顔立ちのままなんだから恐ろしい。
「真っ直ぐ、帰ります?」
「俺に付き添ってくれるの? ……大丈夫なの……?」
「バイト終わりましたし大丈夫ですよ。何だか放っておける感じじゃないですし」
聞き辛いから敢えて聞かないけど、泣いてたってことは何かがあったんだろうし。……言いながら私は記憶の糸を手繰り寄せていた。恭くんルートでこんなスチルあったかな、という疑問だ。
私の記憶じゃ、一年目のこの時期に恭くんが泣きじゃくるだなんて出来事はなかったように思うけど。……ゲームのストーリー絡みじゃない、のかな? とにかく恭くんが泣いてるだなんて意外過ぎたので、私も何だか放っておけなかったのだ。
恭くんは私をじっと見つめて、何やら少し考え込んでいる様子だった。……表情から意図は読み取れない。でも、前に会った時と比べると少し雰囲気が変わっていることに気が付いた。
泣いてるから、ってのもあるだろうけど……どこか哀愁が漂っているというか、以前の純粋無垢なキラキラしたオーラが色を薄めているような、何とも言えないもどかしいレベルではあるのだけど。
「……あのね。寄り道、していい? 迷惑だったらいいんだけど……」
控えめにそう言われる。まあ断る理由もないし、私が二つ返事で了承すると恭くんはほっとしたのか初めて笑顔を見せてくれた。
恭くんの言う『寄り道』とは、映画館のことだった。
言われるがままに着いて行くと、いつのまに用意したのか二人分のチケットを手にしていた恭くんに自然とエスコートされながら座席へと腰を下ろしていた。
映画か、久々だなあ。
ポスターをチラッと見ただけだけど、どうやらハリウッド製のヒーローアクション映画のようだ。洋画、それにアクション映画は私も好きだからちょっと楽しみだな。
恭くんはこの映画が随分楽しみなようで、先程まで泣きじゃくっていたのが嘘のようなキラキラした瞳でスクリーンを眺めていた。
いざ映画が始まってみると、ワンシーンごとに「嘘でしょ……!?」「かっ……こいい……!」などと小さく呟いたりしてたので、本当に面白かったんだと思う。
実際私も楽しませてもらった内容だったので、二時間ほどのストーリーもやけにあっという間に感じられた。高揚した気分のまま、映画館を後にする。
「――面白かったぁ! ありがとね、付き合ってくれて!」
すっかり目の腫れも引いた恭くんは、満面の笑みを浮かべながらそう言った。
こうして見ると、数ヵ月に最後に会った時と同じようなキラキラオーラを纏っている……ように見えるけど、でもやっぱりちょっとだけ違う。少し落ち着いた? ……ような、大人びたような雰囲気に変わっているのだ。
「私も面白かったので、逆にお礼を言いたいくらいです。あれってシリーズになってるんですかね? 最後に予告っぽいような伏線がありましたけど……」
「そう! 次の映画は別のキャラを主人公にして続くって監督からのコメントも発表されてるんだ。俺、原作コミックが大好きで全巻揃えてるんだけど、原作とは少し違うオリジナル展開だったからずっと手に汗握りっぱなしだったよ!」
興奮気味に話す恭くん。どうやらすっかり元気を取り戻したらしい、私は彼に悟られないようにほっと胸を撫で下ろした。
映画館を出ると外は若干薄暗くなっているところだった。冬場は日が短いので、まだそんなに遅くない時間帯でも夕暮れ時が過ぎようとしていたのだ。
夕日をバックに、空を見上げながら恭くんは「暗くなる前に帰ろうか」と言った。
「突然だったけど、本当にありがとう。……それからごめんね、時間大丈夫だった……?」
「本当に大丈夫ですから、気にしないでください。あ、家まで付き添いますよ」
「ううん、俺が茂部ちゃんを送るよ。……いい加減格好つけないとねっ、情けないところ見られちゃったなぁ!」
そう言って微笑む恭くんの頬が若干赤くなっているような気がした。でも、夕日に照らされていただけで私の思い過ごしかもしれない。
でもまあ、元気になってくれてよかった。
二人並んで帰路につく。本当は私が恭くんを家まで送るつもりだったけど、目的地は私の自宅になった。
私の家に近付くにつれて車や人通りが少なくなっていき、自然と周りは静かになっていた。私たちも会話らしい会話がなかったので、二人とも黙々と歩みを進めるだけだ。
ふと、いつかの帰り道を思い出した。新平くんともこうやって……ずっと無言で、並んで帰ったことがあったっけなあ。
……あの時私たちの歩幅は合ってなかったけど、新平くんは合わせようとしてくれていたんだよね。
恭くんは流石と言うべきか、自然と私の歩みに合わせてくれているみたいだった。無言なのはそうなんだけど、時々チラリと私へ視線を送って歩幅を確認しているみたいだ。
それに映画館までのエスコートもそうだったけど、車道に近いほうを自分が歩いて、私が通行人や自転車などがぶつかりそうになった時にいち早く肩を引いたりしながら庇ってくれるのだ。
……これを王子様と言わずして何と形容すればいいのか。
流石、ゲームの看板王子様。これには私も少しだけ胸のときめきを覚えた。
「……あのね……」
自宅までの帰路も残り半分を過ぎたくらいの時、恭くんがおもむろに口を開いた。
「さっきの映画さ、予約チケットだったんだ」
――その言葉にどんな意味が込められているのか、私はすぐに理解した。……チケットは二枚、だったから。
「何があったのか、とか……聞いても大丈夫ですか?」
「う……ん。まあ、約束をすっぽかされたってところかな」
約束の相手。
一瞬……新平くんのことを思い浮かべたけど、恭くんが泣くほどの相手って考えた時に有り得ないという結論に至ったので忘れる。
ただ、恭くんを泣かせた相手となると自然とあの人が連想された。
「一度や二度じゃないんだ。今までも何度か今日みたいなことはあって……その度に仕方ないなって、思ってたんだけど。今日は何だか……駄目だったみたい」
へにゃりと、恭くんはまた泣きそうな顔で笑った。それで私は納得した、恭くんが以前と違う雰囲気になった理由を。――彼は傷付いているのだ。
「……茂部ちゃんはさ、運命の相手とかって信じる?」
「運命、ですか」
涙を零さまいとするためなのか、恭くんは顔を空へ向けたまま私に尋ねた。運命……と聞くと、考えないようにしていたとしてもやっぱりゲームのことを思い出す。
『約束』の王子、西尾恭。主人公の幼馴染で、ゲームのオープニングで十年ぶりに再会を果たす彼。
恭くんのルートの終盤で明かされる、主人公と彼が交わした約束。大人になったら結婚しよう、王子様になって迎えに行くよ、という王道の約束だけど――主人公はこれを忘れていて、恭くんとまた一緒に過ごす内に思い出すのだ。
主人公が約束を思い出すと同時に明らかになるのは、忘れていたのは主人公だけで恭くんはずっとこれを覚えていた、という事実だ。それがまた彼というキャラクターを深堀するには欠かせない事実であり、切なさを植え付ける決定的なものだ。
「そう、運命。……俺は信じてるんだ。でもさ、運命だって信じてた相手がやっぱりそうじゃなかった……って思っちゃったら、その時はどうしたらいいのかな?」
「じゃあ、運命じゃなかったってことじゃないですか?」
ちょっと、はっきりと言い過ぎたかもしれない。言ってから少し気まずくなって目を泳がせたけど、言われた恭くんはぱちくりと瞬きを繰り返しながら私を見ていた。……よ、よかった、また泣かしちゃったら申し訳ないし。
「運命って結局人生の答えみたいなものですし……結ばれなかったならそれは運命の人じゃなかった、というのが真理では。結ばれたとしても離婚する夫婦だっていますから。相性ですよ相性」
「離婚……んぅん、茂部ちゃんって案外リアリストなんだね? でも確かに、俺の親も一度離婚してるからなぁ……」
「でしょ? うちの親も離婚してますよ。まあ実際どうだか知らなくて、私が父の顔覚えてないってだけですけど」
そうなんだ、と意外そうな相槌が返ってきた。
率直に私の意見を述べてみたけど、恭くんを傷付けることにはならなかったようで安心した。寧ろどこか納得したように頷いているので効果的だったのかもしれない。
「恭くんの場合、えーと……好きな人がいる、ってことですよね?」
「…………うん」
――その人の名前は、と口にしそうになって、そっと飲み込む。私が踏み入る領域ではないし、余計な口を挟む必要もないからね。
「どうして好きになったか、理由は言えますか?」
運命、と恭くんが言うのは彼のキャラクター的にも理解できる。確かに恭くんのルートにおいて、ヒロインと彼の関係性を表す言葉は『運命』に他ならない。
ただ、こんなことを言うのは野暮かもしれないけど――ゲームにおいて、恭くんではないキャラクターを攻略した場合、恭くんは途端に『運命の相手』ではなくなってしまうのだ。
話を聞くに今の恭くんの状況はまさにこれなのかもしれない。恭くんが一方的に『約束』を覚えているだけ、というあまりにも悲しい状況。……となると、私も流石に同情を禁じ得ない。
「……彼女は、俺のお姫様だったんだ。だからいつか俺は彼女に相応しい男になるって、そう誓ったんだ……」
この台詞に私は聞き覚えがあった。まさか目の前で本人から聞くことができるとは思っていなかったので、私はひっそりと感動する。
ちょっと臭いような台詞だけど、夕日に照らされながら語る恭くんは流石に様になっていた。もの憂いげな横顔と相まって、このシチュエーションは彼の美しさをより洗練されたものへと変えている。
「――そっか。そうだね、だから俺、変わっちゃったあの子を受け入れられなくて勝手にがっかりしてたんだ」
言い切った恭くん。――その表情はどこか清々しく、何かを振り切ったようだった。
「その人が運命の相手なら、例え変わったとしても恭くんの気持ちは変わらないはずです。……『今』のその人と、もう一度向き合ってみたらどうですか? 勿論、自分の気持ちとも」
私が言うと、恭くんはゆっくりと頷いてから小さく微笑んだ。
「ありがとう」
お礼を言われて、何だかむず痒い気分だった。私は思ったことを言っただけだったし。
――その一方、私は複雑な感情を胸に秘めていた。
久々に頭に思い浮かべた『灰原姫乃』の存在。
……恭くんが変わったと言った彼女は、昔から『今の彼女と同じ』なのだろうか?
即ち。――灰原さんが転生者だとして、前世の記憶を有していたのはどのタイミングからなのか。
それに気になったのは、恭くんとの約束を何度も無下にしたという話。……デートの約束をキャンセルするなんて、恭くんからの好感度を意図的に下げるような行為だ。
一体どうしてそんなことをする必要があるのか――
「――ぁ」
――そこまで考えて、私は思い出した。
小さく零れた言葉は隣を歩く恭くんには聞こえなかったようだ。それにひとまずほっとする。
恭くんからの好感度を下げる行為。それを強いられるルートがあったじゃないか。――前世の私も実際にそれをやった。
――『西尾新平』のルートに入るための条件が、恭くんからの好感度を下げることだからだ。