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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
一章〈推しと同じ空気を吸いたくて〉
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 朝五時にセットした目覚ましよりも先に目覚め、登校の準備をする。


 駒延高校に入学して初めての授業……は別に楽しみじゃない。ただこんなにも元気で満ち溢れているのは、今日から早速アルバイトを始められることだ。

 朝一に先生に話して、許可書を貰って、放課後速攻でアルバイト先に提出する。これで少なくとも明日からシフトに入れるはず。


 ホームセンターのアルバイトによって念願の推しとの『接点』ができる。……と言うのがやっぱり一番のモチベーションだけど、実際今の私にはお金が必要だ。

 単純な生活費はもちろん、オタクにとって『推し活』というのはまあ金が掛かる。……ありがたいことにこの世界はそのものが私にとってコンテンツそのものなので、揃えなければならないグッズなどは今のところない。だがしかし、私の推しである彼をこの現実においても全力で推すために私はひたすら自分を磨かなければならないのだ。


 彼は一昔前の古着スタイルをよく好み、ジャズを聴き、トランペットを吹く。

 ……トランペットだよ、トランペット。見た目厳ついヤンキーが実は趣味でトランペッターだなんてとんでもないギャップ、前世の私はひっくり返って心臓を撃ち抜かれた。ドラムとか叩いてそうな見た目なのに。

 残念ながら吹奏楽部やらには所属していないので、ゲームにおいては彼のルートに入らない限りこっそり彼が披露してくれるまでその趣味が明かされることはない。……公式のプロフィールにも書かれていなかった衝撃の事実だ。


 もちろん、推しの趣味は私の趣味。……だからと言って、私だって「推しが推してるから」ってだけの理由で好き嫌いを決めるほどのつまらない人間じゃない。推しが好きなものを知って、理解して、深く調べて、その上で共感してちゃんと好きになった私の趣味だ。



 推しとの接点をもっと作りたいな。

 ピアノだったら前世もちょっとだけ齧っていた……記憶があるけど。ほんのうっすらと。まあ、そんなに難しいものじゃないし。

 アルバイトで貯金して、ちょっとした電子ピアノでも買って自主練しようかな。流石にトランペットとかの管楽器は今からじゃ自信ない。吹奏楽部に入れたらいいんだけど、アルバイトと兼ねられる自信もなければ駒延高校の部活動とか真面目にやってる人ほとんどいないし。

 プロになりたい訳じゃないから、それこそ趣味として楽しめたらいいな……そして推しと脳内セッションをするのだ。脳内で。


 ……なんてことを、彼が好むジャズをスマホで流しながら支度をすればあっと言う間。セーラー服に身を包んだ私は気合十分に自宅を出発し、学校へ向かう。


 私の家、駒延高校までそれなりの距離がある。自転車使えばあっという間だけど、あの自転車ボロすぎて騒音がすごいから極力使いたくない。だからできるだけ早めに家を出て徒歩で登校することにした。


 正直駒延高校より姫ノ上学園の方が距離的に近いんじゃないかと思う。途中までは同じ道なんだよね。だから、もう少し遅く家を出ればこの通学路に姫ノ上学園の生徒もチラホラ見掛けるんじゃないかと思う。


 これから三年間この道を通ることになるなら、ごくたまーに攻略対象キャラとか主人公とか、ゲームに登場したキャラクターと会える日が来るかもしれないなあ。




 ・・・ ・・・




「先生って名前何て言うんですか?」


「昨日言っただろ!? 聞いてなかったのか……?」


 混沌の午前中の全授業を乗り越え、野生動物の巣窟ジャングルと化した昼休みの教室を抜け出した私は担任の先生に許可証の話を切り出すべく職員室へ赴いた。


 だがしかし、どうやら私の担任の先生は演劇部の顧問だとかで昼休みは演劇部の部室である合宿場で過ごしているらしい。

 「たのもー!」と勢い良く合宿場に突入すると畳の上でだらしなく横になっている担任の先生を見つけたところで冒頭のやり取りに至る。


「聞いてたんですが、聞こえなかったんです。ちなみに私は出席番号二十七番の茂部です」


「知ってるよ、受け持ちの生徒は入学前から名前を覚えるようにしてたからな。……俺は佐藤だ。佐藤太郎、一年A組担任兼演劇部顧問を務める、今を生きる二十五歳だ! 覚えやすいだろ?」


「覚えやすいけど忘れやすい……いや何でもないです。なるほど、昨日はそんな感じのことを喋ってたんですね。動作しか伝わってこなかったので」


 赤いジャージに身を包んだ佐藤先生。身長は私よりは大きいけど、男性の平均よりは小さい気がする。それとちょっとだけ童顔気味な顔立ちだ。名前を聞くに限りなく私と同じ『モブ感』が半端じゃない。何だよ佐藤太郎って、日本人の定番の定番踏みすぎだろ。


 でも、いい人そうでよかった。これで先生までやる気のなさそうな、もしくは厳しすぎるような先生だったらちょっとやりづらかっただろうし。いい人そうだからこそあのクラスの混沌さに呑まれて胃を悪くさせないか心配だけど。


「あの、私アルバイト始めたくて。早ければ明日にでも。昨日の内に面接まで終わらせて半分内定みたいなものなので、あとは学校から許可貰うだけなんです」


「お? おぉ……アルバイトか。早いな行動が! そう言うことなら分かった、先生が帰りまでに許可証の発行はしておくぞ。若い内からのアルバイトはきっと将来の役に立つだろうしな!」


 よしよし、佐藤先生は行動的、と。ちょっと元気すぎる気もするけどそこはやっぱり若さかな。まあ、私も学生の身だしこのくらいのテンションの方が落ち着くというのもある。


「それにてしもアルバイトか。それじゃ部活はやらないのか? それも勿体無いけどなぁ……」


「んん、だって確実に毎日参加はできないですし。それに私はできるだけバイトは毎日やるつもりでいるので」


「ええ~? 何だ、不定期参加でも演劇部なら大歓迎なんだがなぁ」


 先生はちょっぴり、と言うか結構がっくりと肩を落とした。何だ何だ、まさか演劇部は廃部の危機とか?


「部員足りてないんですか?」


「おう。二、三年合わせて十人ちょいしかいないんだ。裏方とか含めるともう少し欲しくてな……今年で三年は引退だし。それにこう、この高校で演劇やります! って奴はどうもイマイチぱっとしないような……まあ、地味な奴が多いんだ。もうちょい華やかな奴が一人でも入ってくれりゃ演技の幅も広がるだろ?」


「でも私だって地味女ですよ?」


「ん? ……あ。まぁ、そこはそれとして」


「いやそこは否定してお世辞でも乗せとくとこじゃないですか? そしたら少しは乗り気になったかもしれないのに」


 ケラケラ笑う先生に反省の色は全くない。別にいいんだけどさ、事実だし。何だかこの先生と会話してると漫才でもやってる気分になってくる。相性がいいんだか悪いんだか。


「すまんな茂部。先生、嘘は吐きたくないんだ……でも、裏方とかなら全然! な?」


「今後一切何を言われても演劇部には入りません」


 この世界においてもモブなのに、その中で更に裏方に徹するなんてやってらんないからね。




 ◆




 無事許可証は受理され、私は晴れてホームセンターでアルバイトを始めることになった。

 制服に袖を通すと一気に気持ちが引き締まる。不純な動機でもやるからには誠意を持って取り組まないと。


 エプロンを身に着けてロッカーをゴソゴソやっていると、部屋の外から何やら話し声が聞こえてきた。

 店長と、何人かのスタッフの声と……ノック音?


「茂部さーん。今日のシフトメンバーだけだけど、みんなに自己紹介してくれる?」


「あっはい!」


 ニューフェイスあるある、新入りの自己紹介だ。無難なこと言っとけば大丈夫かな?


 呼ばれてロッカールームを出ると、在庫の保管をしている倉庫の空間に何人かがずらりと並んでいた。若い人が結構多い。これが先輩方か、ちゃんとしなきゃ。


「お世話になります。茂部です! 高校一年生です。よろしくお願いします!」


 元気よく挨拶すると、全員和やかな雰囲気でこちらこそ、と返してくれた。


 うーん、流石。よくよく考えればこのホームセンター、プレイヤーの選択肢によってヒロインも働くことになるバイト先なんだよね。

 バイト先では変なトラブルとかのイベントは特に用意されてなかったし、基本的にいい人ばかりなのかもしれない。


 私は改めてこれからお世話になる先輩方の顔ぶれを見渡した。早く顔と名前を覚えないと――ん?


「ほらほら西尾くん。後ろに立ってないで、君も挨拶しなさい」


 ……ふと、店長が少し小さな声で言った。


 うん? 西尾くん? ……西尾くん!?


「……っす。西尾っす。……しゃす」


 ――何で私気づかなかったんだろう。大人たちに紛れても身長が飛び抜けて高くて、目付きが鋭くて、他とは違うオーラを放つその存在に。


「こちら、駒延高校の茂部詠さん。そしてこちらが姫ノ上学園の西尾(にしお)新平(しんぺい)くん。皆さん仲良くね!」


 私の隣に並ぶと、その身長差はより顕著に現れる。


 心拍数がやばい。背中に変な汗が滲むのを感じる。推しが――新平くんが、隣に立っている!


「二人も仲良くね」


 そう店長に言われて、さり気なく微笑んだりとかできればよかったんだけど。私はスンッと感情の抜けた顔で突っ立っていることしかできなかった。

 モブの特技、無表情。感情を消すのはこの身体での数少ない特技だった。こんなにすぐ役立つことになるとは……。


 恐る恐ると、私は隣に立つ推し――改め、新平くんをそっと見上げた。

 端正な顔立ちの横顔。美しい……まさにモブの中に咲く一輪の薔薇。存在感が全然違う。


 ――西尾新平。

 『孤高』の王子こと、攻略対象キャラの一人。


 当たり前だけど、全然こっち見ない。見てくれるはずもない。……やっぱり、あの日ぶつかったのは新平くんだったんだよね。もしヒロインが同じシチュエーションならこうして再会した時に「お前はあの時の……」みたいな展開になっただろうに。


「それじゃ二人にはまず教えることがたくさんあるから……」


 一人の先輩がそう声を掛けてくれたことで、いよいよ私たちのアルバイト生活が幕を上げた。


 見向きされない? そんなの当たり前。私はモブA。


 働く彼のスチルの影にひっそり映る、通りすがりのモブAに過ぎないのだから!

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