13
「俺の子分が随分世話になったみてぇだなァ?」
そう語る新選組のゴリラが小さく首を捻るとポキポキと威嚇するように音が鳴る。対峙する信号機トリオは、ゴリラが放つ圧倒的強者感にすっかり尻込みしている様子だった。
――新平くん。
ちょっとノリノリじゃない?
いや私も心の中でノリツッコミしてる場合じゃなくて。この体格、声、そして何よりゴリラの被り物ってことは新平くんで間違いないだろうけど……よりによって会わせたくなかった人が割り込んで来てしまうなんて。
多分新平くん、この信号機トリオとは知り合いなんだよね。目立つ頭だし彼も分かっていたはず。一応ゴリラ姿で来たってことは気づいた上で対策してくれたのかな? ……だとしたら私の覆面作戦は大成功ということになる。
この感じ、信号機トリオは新平くんに気づいてないようだ。でもこうして見てるのはハラハラする、いつ向こうがこのゴリラの正体に気がつくか……ただでさえ一触即発状態なのにバレたら殴り合いでも始まっちゃうんじゃないかと、私は手に汗握りながら彼らを見つめていた。
「テメェ……は、離しやがれ!」
「おお、悪い悪い。力加減が分からなくてよ」
「――何がしてぇんだ、お前。それにどっかで聞いたような声だな……?」
一瞬黙る新平くん。これには私もヒヤッとする、まさか勘付かれた? 両者の間に緊張が走ったのを感じた。
でも新平くんは何食わぬ顔だ。と言うより私もだけど、私たちは被り物のお陰で表情を読まれないのが大きな利点だった。
「お前らにはお帰りいただきたいところなんだがよ。聞くに盗撮してた、とか? そうなると学園側からしてもタダで返す訳にはいかねぇんだわ」
「は?」
「昼一から出入り口に検問が置かれてる。そん時にスマホの中身がチェックされるんで、お前がクロならそのままお縄だな。――ま、これはこいつらに限らねぇ話だがよ」
後半は声を張って、周囲に聞かせるような口振りだった。それもしかして、熱狂的なミーハーたちに言い聞かせてる?
……仮装大会で新平くんの写真撮らせてもらおうかと思ってたけど、やめておこう。流石は姫ノ上、盗撮への対応が早いし完璧だ。
「んでお前、俺の子分に手出したな。いい度胸してやがる」
「は、何だよやんのか?」
「おうよ、いくらでも暴れて構わねぇ。――ただし生活指導室でな?」
「――そこまでだ! 君たち、大人しく着いて来なさい!」
新平くんがカッコよく決めたあと、颯爽と現れたのは坊主頭に眼鏡のスーツの先生。
あ、あの人……ゲームでも立ち絵があった、生活指導の山田先生だ! 地味な見た目にそぐわず不良生徒には雷鳴のような怒号を浴びせる、画面越しでも恐怖を感じた厳格な先生。
ああ、信号機トリオ。終わったな。
「な、ふざけんな! 俺ら何もしてねぇぞ!?」
「それも含めて詳しく話聞くから。……従え!」
「ひぃ!」
山田先生が引き連れていた、外注らしい警備員たち数人が素早く信号機トリオを囲むと流石の彼らも大人しく着いて行く他ないようだった。
……その後ろ姿を眺めながら私はほっと胸を撫で下ろす。な、何とかやり過ごせた……のかな?
ところで、周りの目が少し痛い。いくら覆面だったとは言え、この空気で私がここに居座るのも少し気が引けるかもしれない。
「おい。立てるか?」
「あ……っ、ありがとう……!」
新平くんにぐいっと腕を掴まれ、私は勢いで立ち上がる。何だろう、確かに強い力だったのに先程金髪に掴まれたのと全然違う。不思議と、全く痛くなかった。
腰元と膝の砂埃を払う。すると、新平くんのゴリラ頭がずいっと眼前へ迫って来た。……一瞬息を呑む。新平くんの腕が私の襟元まで伸びて、乱れていた服を直してくれた。それほど長い時間じゃなかったのにものすごくドキドキしてしまった。
「……ちょっと移動するか。こっちだ」
「え」
腕を引かれて、新平くんは早足に歩き出してしまった。半ば引っ張られるようにして私もそれに着いて行く。ざわめきと視線に揉まれながら、でもだんだんとそれも少なくなっていく。
新平くんの気遣いだろう。すっかり人気のない体育館裏まで辿り着くと、彼は「あっついな、ったく!」などと言いながらゴリラの覆面を外した。
髪は少し乱れ、顔は暑さのせいか真っ赤だ。覆面を扇ぎながら新平くんは視線をこちらに向ける。
「はー、焦ったぜ。お前がまさかあんなのに立ち向かって行く奴だったとはな」
「あ……いや、そうですね、怖かったですけど。……助かりました、本当にありがとうございます。でも大丈夫なんですか、仮装の準備中だったんじゃ?」
改めて新平くんを見ると……はぁ! まさかの和装、新選組のコスプレスチルとは! ……開いた胸元のせいで目のやりどころに困る。
どうやら今年のランダム仮装は新選組のよう。新平くんはどんなコスプレも似合うけど、和装は私が特にお気に入りなのだ。夏祭りの時の浴衣もやばかったけど……この身体のラインが浮き彫りになる感じ、すらりとした高身長なで肩がはっきり見えて……髪が少し乱れて頬が赤いのも、それと相まって今かなりすごい。……私はそっと目線を空へ向けた。
「だってよ、ヤンキーとチンパンジーが喧嘩してるって聞いちまったら飛んで行くしかねぇだろ? ちょうど山田と一緒に居たしな、ついでだ」
「早く戻らないとステージ始まっちゃうんじゃ!?」
「落ち着けって、前座が長いから大丈夫だ。ところでお前それいつまで被ってんだよ?」
「……あっ!?」
ふと伸ばされた手によって私の頭からチンパンジーが剥がされる。一気に明るくなる視界と涼しい風、そしてよりクリアに私の目に映る新平くんの姿。
「お前……顔真っ赤じゃねぇか!? 酸欠か!?」
「お、お気になさらず……あー暑い! あっついなあ!」
顔が真っ赤だから覆面のままでいたのに、あっさり覆面を奪われてしまったため余計に私の顔は熱くなる。私は適当なことを言いながら視線を泳がせて、さり気なく新平くんへ背を向けた。
「あの、その後は大丈夫でしたか? 中言先生も保健室から復活できたんでしょうか……?」
「あー……おかげ様でな。顔隠してるだけであいつら見向きもして来ねぇ。中言も今着替え中だ、あとキョウもな。盗撮対策として学園側も動いてくれたことだし、午後からはいくらか平穏に過ごせるだろ」
そうか、よかった。……さっきの山田先生の怒号、周囲にも聞こえていただろうし、これであのミーハーたちも少しは大人しくなるかな?
まだ熱の冷めない頬に手を当てていると、わざわざ背を向けていたのに新平くんが私の顔を覗くようにして回り込んできた。思わずぎょっとして身体が固まる。……まだ顔赤いままなのに!
「お前さ。さっきの三人組、知り合いか?」
……信号機トリオのことを言っているのか。
私を見下ろす新平くんの表情を窺うが、何を思っているのか読み取ることはできなかった。ただ真っ直ぐに私を見据えている。
「……同じ、駒延の同級生です。でも多分、彼らは私のことは認知してないと思います」
「……そうか」
ここは正直に話す。でも本当に奴らは私の顔は覚えていないはず、そのために覆面を死守したんだから。
とは言え一度しっかりと対面してしまったし、これから学校での振る舞いに気をつけないと。話し方とか声でいつバレるかも分からないし……そう考えたら少し億劫だな。
「実はあいつら、同じ中学だったんだよな」
――ぽつりと言った新平くん。私はなにも言わなかった。
……いや、なにも言えなかったの間違いか。まさか教えてくれるなんて。知ってました、とは言えないし。
「あいつらさ、頭悪そうだったろ? 下品だし、弁えることを知らねぇ。お前も周りの奴らも扱いに困るような、そんな奴らだっただろ」
「……それは、そうですね」
「でも俺も昔、あいつらとつるんでたんだよ」
ゆっくりそう言いながら、新平くんは体育館の外壁にそっと背中を預けた。目を伏せ、淡々と話す姿に感情が載せられている様子はない。
私が知っている、新平くんに関するエピソードにおいてあの信号機トリオのことはかなりタブーな話題だった。……新平くんにとって辛い、消したい過去。
それを今、こうして私に向けて話してくれているということに、私は酷く動揺していた。
「俺も同類なんだよ、あれと。せめてもの抵抗としてあいつらとは縁は切ったんだが……何だかな、久しぶりに会ったら色々思い出しちまってよ。なんつーか、とにかく助かった」
「え……どうしてお礼なんか? 寧ろ助けてもらったのは私なのに」
「あいつら、俺だって気づいたら多分面倒なことになってただろうし。こいつのおかげでバレずに済んだんだ、だから助かったんだよ。お手柄だぜ、茂部」
ゴリラを握る手を振り上げ、そう言って新平くんは小さく微笑んだ。――よかった。私の作戦、無事思い通りの効力を発揮してくれたみたい。
「でもお前、無茶すんなよ? 俺が入ったからよかったものの……あのままじゃ殴られてたかも分からねぇ。そういう時は俺に――、周りに助け求めるとかしろよ。普段から鍛えてるって訳じゃねぇんだから」
「あ……はは、そうですね。大事にならなくてよかったです」
「ったく、そんな気楽でよ……」
――しばらく談笑をして、新平くんは時間だからと控え室へと戻って行った。頭にはゴリラを被せて。
別れる間際、時間があったら仮装姿の写真を送ってくれないかとダメ元で頼むと「は? なんでそんな……物好きだなお前。……時間あったらな」と、何やら言葉を濁しながら……あれは了承してくれたんだろうか。
時間になって私も中庭へ戻ると、会場はさらに熱気に包まれていた。壇上に立つイケメン勢揃い、これは転生者じゃなくても見惚れるほどの美貌の大渋滞だ。
全員新選組のコスプレで統一されており、その顔面偏差はハイレベル。
笑顔で手を振る恭くんと中言先生、その隣に感情のない顔で突っ立っている新平くん。
端っこで顔が真っ青のまま背中を丸めて立っている美南くん。
それからもう一人、長い金髪を揺らめかせる西洋人の顔立ちをした美しい色男が立っている。この人は私の一つ上の先輩で、攻略対象キャラの一人……名前は忘れた。けど、『中言先生と三角関係になる』ポジションのキャラだったかな。
ゲームではあと一人後輩キャラとして攻略対象キャラがいるんだけど、今年の文化祭では残念ながら姿を現さなかった。私は新平くん以外のルートはよく分からないので、もしかしたら条件を満たせば彼の入学前から会うこともできるのかな? ……別に会いたい訳じゃないけどね。
後輩くんは『美南くんと三角関係になる』キャラだし、連想して先程出会ったあの二人……美南くんと益子さんを思い出す。
益子さん、また会おうって言ってたけど連絡先も知らないし。……壇上のイケメンたちに会場が盛り上がっている中、私は益子さんの姿を探したけれど結局会えることは叶わなかった。
――仮装大会が終わり、文化祭も終わりの時間が近づき始めたところ。私はもう一度新平くんのクラスに立ち寄り、たこ焼きを購入した。残念ながら新平くんには会えなかった、何でも仮装姿のまま店のキャッチをやらされているとかで。すれ違うこともなく出てきてしまったので、少しがっかりしつつ私はたこ焼きを頬張り教室を後にする。
それから学園内を宛もなく歩き回ってみたりした。ゲームで登場した背景そのままの色んなスポットを見て回り、一人で盛り上がったりして。
私は、夕方になる前に姫ノ上学園を後にした。……校門には本当に検問があって、スマホの中身を見せるよう言われた時はちょっと緊張したな。
仮装大会以来、益子さんや新平くんが見つからなかったことも残念だけど……それより私はある人を一日掛けても見つけ出せなかったことに頭を悩ませていた。
――灰原さん。
新平くんと同じクラスのはずなのに、クラス周辺でも見掛けなかった。あの人一体何をしていたんだろう?
……ふと気になった。文化祭の仮装大会で、本来好感度が一番高い一人だけのスチルが見れるという仕様……全員が均一にヒロインに対して高い好感度を示していた場合は?
つまりは……逆ハーレムルート。
あのルートの時のヒロインの行動って?
……駄目だ。何度も繰り返すが、私は新平くんに関するルート以外はまるで無知に近いのだ。
この世界で攻略サイトなんてものは存在しないし、確認する術もない。どうしたものか――
――いや。そこで、思い出した。
益子さんに言われていた言葉……何やら、とあるワードを検索してみろって言われていたっけ?
スマホのメモ帳を確認すると、そこにはしっかりとそのワードが記されていた。……これを調べれば何かが分かる?
急ぎ足で帰路につき、駆け込むようにして家へ入る。
荷物とか全部その辺に放り投げて、私は嫌に激しく波打つ胸を押さえながらひとまずソファに腰掛けた。
そっと、文字を入力する。
――『十二時を指す針とガラスの靴』、と。
ずらりと検索結果が並ぶ。益子さんは一番上に出てきたページを見て、と言っていたっけ。
そっとそのページを開くとやけに簡素なホームページが現れた。真っ白な背景、どこかしらにリンクが貼られている訳でもない。ただその中央に文字が書かれ、その下に何やらテキストボックスが配置されていた。
『ようこそ、シンデレラ。あなたが本物のシンデレラなら、私たちのタイトルをここに入力して。』
――その曖昧すぎる要求に、普通の人なら首を傾げてそれを理解できずに終わるだろう。でも私は違った、何となく正解が分かってしまったのだ。
まさか、そんな。
そんな思いを胸に、私は震える指で『正解』を入力する。
――『ハイスクール☆シンデレラ』。
次に現れた文字列に私は戦慄した。
それはよくある書き込み掲示板のようだった。でもそれぞれに立てられているスレッドのタイトルが、この世界においてはあまりに有り得ないはずのものばかりだったから。
『姫ノ上学園文化祭レポ』
『約束の王子様、キョウくんのプライベート』
『物語と現実、ギャップ萌えについての感想』
『冷徹の王子様の本当の素顔』
『シンデレラたちの交流会』
――この世界、私が思っていたよりも闇が深いらしい。