10
何が起きているのか理解できず立ち尽くす私。
そんな私相手に異常に怯えながら、大泣きと謎の謝罪を繰り返すイケメン。
一度目を瞑って状況を整理する。
考えてみる。……理解するために。
しばらくしてから私は目を開け、再び、未だに謝り続けているこの青年を見下ろした。
「……私、なにかしました?」
「ヒィッッ!!」
小さくプルプルと震えていた彼にそっと声を掛けるも、そのせいでさらに震えは増す。今やそこだけ地震が発生しているかの如くガタガタと気の毒なくらいに震えあがっている。
いや、なんで、私こんなにビビられてんの。
今はもう顔を伏せてしまっているけど、一瞬見た端正な顔立ちには見覚えがあった。でもそれはゲームの中での話。この現実では私はこの人に会った覚えはない。
でもこれだけははっきり言える。この人、こんなキャラじゃなかったはず。……高身長の堅物、『冷徹』の名の通り無愛想で笑顔も本心も滅多に見せない……どこかミステリアスな雰囲気を持つクールなキャラ、だったような――
「――彗星!」
突如、甲高い声がその場を支配した。
ガサガサと草木を掻き分けるような荒っぽい足音と共に、私の背後から見知らぬ人物が顔を出した。
――姫ノ上学園の制服を着た女子だ。顔に見覚えはない、となるとゲームの登場キャラではない。
……ならこの人もまさかミーハーの一人? と思ったけど、彼女の表情を見る限りそんな感じではなさそうだ。
平均的な女子と比べて背丈は大きくて、その割に顔は小さくて。吊り目がちの顔立ちが若干きつい印象を持たせるけど、間違いなく美人の部類に入る女の子だ。
ショートカットの黒い髪に金のメッシュを入れた特徴的な髪を揺らし、彼女はまず私の目の前で蹲る人を見て――それから私に視線を移すと、さらにその眼光鋭く私を睨みつけた。
あまりの剣幕に思わずたじろぐ。
「……あんた」
植木の葉がスカートに付いていようが構わず、それを払う前に彼女はずかずかと私の元へ歩いてくる。
私が何も言えずに、そして後退りをする間も与えずに彼女は私の目の前まで迫る。――そして大きく息を吸い込んで、
「失せなさい! このストーカー!」
――私のことを罵倒した。
「……はぁ?」
金メッシュの女子はそう叫んでからもう一度私を睨み、そして蹲る青年の元へ駆け寄り身体を起こしてやっていた。
肩を支えられた青年がよろよろと顔を上げる。……涙と鼻水で顔面がもう残念なことになっているけど、それでも本人が持つその美貌は隠しきれていない。
その顔を改めて確認して……うん、やっぱり。
美南彗星。
はっきりとした青髪。その派手な髪色と彫刻のような綺麗な顔立ち、ゲームにおいては『体育会系キャラ』のポジションに収まり、バスケ部のエースと言う設定を持つ攻略対象キャラの一人だ。
年齢は私たちと同学年。性格は基本的に無愛想、二つ名である『冷徹』の名の通り心を許した相手以外には酷く冷たく当たってくる。その分デレた時の反応が堪らん、と前世誰かが言っていたのを思い出す。
だけどどうだ、この目の前にいる美南彗星は?
私と目が合っただけでこの怯えよう。加えてガチ泣き。
私はこの人を攻略したことはないけどこんなキャラじゃなかったことくらいは知っている。
この状況まるごと可笑しいよ。
……それに、この金メッシュの女子は一体何者?
「……彗星立てる? あんたねえ、あんたもあんたでいい加減ちゃんとしなさい。男でしょ、泣くな!」
「うっ、うぇっ、……っだって……怖いものは怖いだろうっ……!」
金メッシュ女子に支えられながら立ち上がった美南くん。未だ目には大粒の涙が浮かんでいる。でも、頼りなく背中を丸めた状態でも立っているとこの場の誰よりも背が高かった。……並んだ姿は見たことがないけど、身長は新平くんと同じくらいかな? ああでも、背筋を伸ばせば美南くんのほうが若干高いかもしれない。
なんて呑気に私が心の中でぼやいていると、再び金メッシュ女子が私に鋭い目線を送ってくる。
そしてビシッと指を刺されて、今度はこんなことを言われた。
「こんなところまで追い掛け回して、モラルってものが欠如してるんじゃないの? ――この恥知らず!」
「あの。誤解ですよ」
この流れで何となく察していた。多分、この人は私のことも『美南くんのミーハー』だと思っているんだろう。
……いきなりストーカー呼ばわりしてくるなんて、この美南くんは一体今日だけでどれだけの被害を受けたんだろう。この怯えようからしてちょっと想像したくない。
無視してさっさとこの場から去ろうとも思ったんだけど、結構きつい言葉を浴びせられたし誤解されたままなのも癪に障るので、ここはこちらもはっきり否定しておく。
「そっちの人とは初対面ですし、ここに来たのも偶然です。人混みに疲れたので休める場所を探していたんですが、お邪魔のようですのでここは失礼します」
それだけ言って小さく頭を下げる。まあこう言えば誤解は解けるはず。私だって面倒事はごめんだ、早くここから離れたほうがいいだろう。
言われた目の前の二人は、私が示した反応にかなり意外そうな表情を浮かべていた。二人揃ってポカンと間抜けな表情で並んでいる。美南くんに関しては信じられないものを見るような目で私を見ていた。
……そんなに意外だった?
「……ちょっと待って。本当に? あんた、こいつのこと探してたんじゃないの?」
「違いますね。この人には別に興味ないですから」
推しは新平くんです。……この言葉は胸にしまっておくとして。
私の言葉に金メッシュ女子はぴくりと反応した。……あれ、何か変なこと言ったかな。
今度は睨むのではなく、じろじろと観察するようにじっくり見つめられて逆に居心地が悪くなる。
何となく背中を向けられなくて私が視線を泳がせていると、金メッシュ女子は再び口を開いた。
「……そう。ごめんなさい、決めつけてしまって。怒鳴って悪かったわ。……今日は特に、文化祭がこんな状態だから私もこいつも神経質になってて……はあ」
目を伏せながら話すその口調は先程までと比べて一転、かなり柔らかなものだった。
こうして改めて対峙すると、勝ち気な顔立ちをしているけど落ち着いて大人びている雰囲気を持っている。初めは鋭くて怖いと思ったその瞳も今は優しげに細められていて……きっと、本当に神経質になっていただけなんだろうな。
「……大変そうですね。私も今日は来てみて驚きました。こんなことになるとは思ってなかったので」
……私からは無難な慰めしかできないけど。
私が苦笑いと共にそう言うと、つられて金メッシュ女子も同じように困り顔のまま微笑みを浮かべた。
その隣の美南くんは私と彼女を交互に見やり、視線の置きどころに迷っている様子だ。涙はもうすっかり止まっているようで何より。
「――ねえあなた。名前、何て言うの? 私たちと歳も近そうじゃない?」
ふと、金メッシュ女子が言う。
「私は益子トラよ。こっちは美南彗星、私たち姫ノ上の一年生なの。よかったら教えてくれない?」
――益子トラ、か。聞いたことがない名前だ。
やっぱりこの子はゲームに登場するようなキャラでもない気がする。でも、美南くんとこんなに仲良さげなのはどうしてなんだろう? ……少なくとも、この容姿の女子が美南くんと一緒にいるような描写はなかったはずだ。美南くんに関してはそもそも他人と行動するようなキャラではなかったし。
さて、名乗られたからには私も愛想よく答えよう。
「茂部と言います。茂部詠、駒延高校の一年生です」
「駒延? ……あの学校は姫ノ上と仲悪いのに……誰かに誘われたの?」
少し訝しげに、小首を傾げて金メッシュ――益子さんは私に尋ねる。そうか、ゲームでも言われてたように駒延と姫ノ上の生徒同士って大体が仲悪いんだっけ。
そう言えば駒延の生徒って悪役設定なんだった、忘れてた。
「同じバイト先で、姫ノ上の生徒の人からお誘いを受けたんです。……西尾くんと言う人なんですが」
誘われた、と言うより許可を得たと言うのが近い表現かもしれないけど、そこはそれで。
私が正直にそう言うと、益子さんの表現がぴくりと反応した。……ん? 今、「西尾くん」に反応した?
「西尾弟?」
……一拍おいて、考える。えっと、西尾弟……恭くんのことか。そんな言われ方してるの初めて聞いたから少し混乱してしまった。
私は緩く首を振って訂正する。
「いえ。――お兄さんのほう、新平くんからですよ」
――明るめのブラウンが混じった瞳が再び私を吟味するように向けられる。益子さんは深く考え込んでいる様子だ。
沈黙が落とされ、私は少し緊張した。
何と言えばいいのか。――何となくだけど、先程から胸の奥がざわつくと言うか……変に落ち着かない自分の身体に頭が混乱していた。
この益子トラさんと言う人に見つめられ、言葉を交わし、この場にいることで。
それはもしかすると、今こうして益子さんからこの言葉を掛けられることをどこか予見していたからなのかもしれない。
「――――ねえあなた。前世って、覚えてたりする?」
私たち以外に人気のないこの空間に、乾いた北風が吹き抜けていくのを感じた。
同時に、私の心臓が大きく高鳴る。