7(西尾新平)
姫ノ上学園は名門進学校であり、地元からも長く愛されてきたそれなりの学園ってのは理解してる。
けど、だからって――たかが文化祭でこんなに人で溢れ返るなんぞ、俺にはどうしても分からない。
何人かの先輩が「文化祭は毎年混雑するから覚悟しておけ」と言っていたのは覚えているが、いざ迎えた今日の文化祭は明らかに異常だ。
「いや〜、入場規制がされたのなんて僕が知る限り始めてですよ〜。今年はどうしちゃったんでしょうね〜?」
間延びした口調が特徴の担任、中言がベランダから校庭付近を見下ろしながらそんなことをぼやいていたのを今朝聞いた。
俺も改めて窓から校門を眺めた時、やっとこの既視感の正体が分かった。大人気バンドのライブ会場の物販を彷彿とさせる人混み――要は普通じゃ有り得ない人の数だ。
可笑しい、この街の人口と照らし合わせてもこの人の数は可笑しい! ……例年と比べて明らかに多すぎる来客に、俺だけでなく全生徒が衝撃を受けていた。教員たちは朝から大慌てで色んな対応に追われているらしい。
文化祭が始まる前の朝早くから賑わっていた校門の外を横目に、在校生たちは体育館に集まり朝礼が行われる。
本当にこのまま開催していいものかと言う躊躇いが見え見えな校長の言葉によって始まった文化祭。校門が開放されると同時になだれ込んでくる部外者たち。――俺たちのクラスもあっという間にそいつらによって占拠されることとなった。
「新平くんだ!」
「本物! ……本物だー!」
「写真撮ってもいいですか!?」
そして何故か囲まれたのは俺だった。
……はァ?
校舎内に一気に押し寄って来たお客だが、そのほとんどが女を占めているようだった。
奴らは俺を見るなり馴れ馴れしく近づいて来て、中には許可もなく写真を撮り始まったり腕を触ってきたりだの……明らかに出展以外が目的の女たちに好き放題されている。本当は厨房係だったのに、強制的に売り子として道の真ん前に立たされる羽目になった。何で俺が。
けど、その大体がたこ焼きも買っていくから変に文句も言えねぇし。思いっ切り振り払って怪我でもさせた時が面倒だ。クラスの連中からはジェスチャーで「新平耐えろ! これも売上のため!」と何度も訴えられている。
……とは言え、とは言えだ。俺にだって限界がある!
「触るな! 写真を撮るな! 並べ! 順番を守れ! ……出禁になりたくなきゃ常識を弁えろ! 冷やかしなら帰れ!」
「……いい声〜!」
「流石、…………の声。いい台詞聞けちゃった!」
「今の動画撮ってた人いる!? 私に送って!」
――俺はただ絶句していた。
恫喝しようにも、話がまるで通じねぇ。こいつら同じ人間か? 俺の言葉に一切耳を傾けようとしない。……気づいたのが、こいつらはただ俺を『見ているだけ』なのだ。
俺をフィギュアみたいな玩具だと思ってんのか、こいつらは。……いい加減にしろ。ただ、それを言葉にしても奴らには届かない。
ふとポケットに入れていたスマホに通知が溜まっていたことに気がつき、邪魔してくる女たちの手を避けながらスマホを操作する。
何件かの着信があった。……キョウからだ。ただ最後の通知で「シンペー、絶対に俺のクラスに来るな。死人が出る」とだけメッセージが送られてきている。それで察した、多分あいつのクラスでも同じ惨状なのだろう。
俺らのクラスでは主に、俺と中言が常に女に囲まれている状況だった。揉みくちゃにされている中言を横目に、俺はアレに比べりゃまだマシなもんだと何度も自分で自分に言い聞かせることに努める。
俺なんかより担任のあいつのほうが何倍もしんどそうだ。俺より数倍の人数に囲まれ、本人の顔にも当然疲れが浮かびまくっているが……それでも中言はずっと温厚なままで、何なら写真を求める女と一緒に笑顔をカメラに浮かべたりしている。よくできるなあいつ。
時間が経つにつれ俺が憔悴してきたのを流石に哀れに思ったらしいクラスの連中は、やっと俺から女たちを引き剥がそうと横槍を入れてくるようになった。
その協力もあってか、俺はやっとあの群衆から抜け出すことに成功した。……中には血走った目で追い掛けようとしてくる女もいたが。何故かこのタイミングでゾンビ映画の展開を思い出した。多分、今俺が短距離走のタイムを測れば自己最高記録が出たはずだ。
だがしかし、校舎内はどこもかしこも人だらけ。さらにその中で俺を見ては指を指しスマホのカメラを向けてくる気狂い女が紛れている。……一体、何なんだこの状況は。なんで俺なんかに執着する奴がこんなに?
人目を掻い潜り、やっと一息つける場所に腰を下ろせた俺はまず息を整える。身体の疲れもそうだが何より頭が混乱していた。
俺の身に一体何が……と言うより姫ノ上学園そのものに異常事態が発生しているような気がする。一応キョウに「生きてるか?」と返信をしておいたが、返事はまだない。
ここに辿り着くまでに少しだけ他のクラスの状況も耳にすることができた。まずヤバそうなのがやっぱりキョウのクラス。あいつも相当な人数にマークされているらしい。
あとは同学の別クラスと、それから俺の一つ上のクラスでも一部同じような騒ぎが起きているようだ。聞いた話では鼻息荒くさせた女集団が押し寄せていると……まァ、俺と同じ目に遭ってる奴がいるみたいだな。
俺は詳しくはないが、ここまでの騒ぎが起きたのには何か裏があるのは間違いないだろう。地元の掲示板で誰かが煽ったのか? ……多分、地元民じゃない奴も混ざっていた。ってことは何かのSNSに姫ノ上の情報が書き込まれたのか。
可笑しいことと言えばもう一つ。あいつら、何で俺の名前知ってたんだ? ――それに、少なくとも俺の記憶にはない相手が俺の容姿を知っていたのも変だ。
誰か俺の写真をばら撒いた奴がいる、とか?
……そこまで考えてぞっとした。俺だけじゃなくてキョウや中言も同じ状況であるのも気持ち悪ぃな。ったく、どこの誰だか知らねぇが悪趣味な奴がいたもんだ。
一旦気を紛らわせるためにスマホを弄る。多分キョウとは連絡繋がらないだろうしな……特に何かをする訳でもなかったが、普段の癖でメッセージアプリを開いた。
そこの個人チャット欄で、ある名前に目が留まった。
……そうだ。茂部。
あいつ今日来るって言ってなかったか?
ってことは、今この地獄絵図のどこかにあいつが紛れてるってことで。
「……あァクソ、繋がれ繋がれ!」
気づくと俺は通話ボタンをタップしていた。いやどうしてか、ただでさえ普段からぽけっとしているあいつがこの人混みで無事でいられる未来が見えなかった。……心配だ。
もうすぐ昼時だ。多分、ここに着いてる頃だとは思う。……校門の賑わいを見て帰ったのならそれで構わないんだが……!
一度目の発信は結局繋がらず、無機質な音声メッセージがスピーカーから流れた。俺は舌打ちをしてからもう一度発信する。来てるならスマホは持ってるはずだ、人混みのせいでそれに気づいてないとしたら待つしかない。
二度目の発信。七コール目で、コール音から一気に電話口から雑踏の音声が流れ込んできた。
『――、――もしもし! あー、あー、聞こえますかー! 西尾くーん!? 無事ですかー!』
ざわざわとした耳障りな人混みの音声に紛れてはっきり聞こえてくる茂部の声。
それを聞いて途端に肩の力が抜けた。
スピーカー越しに聞こえてくる声があまりに必死で、本人は電話の向こうで耳を抑えながら喋ってるんだろうと想像すると変に笑けてきたのだ。……面白い奴だな、こいつ。
「何とか生きてる。……お前今どこにいる? 姫ノ上か?」
『ええ!? なんて!?』
「――お前今、どこにいる!」
雑踏で俺の声がよく聞こえないのだろう。会話の難しさはあるが、さっきの話を聞かない連中の相手をするよりマシだ。……こうして声が届く分には。
『西尾くんのクラス行ったんですが、さっき中言先生が保健室に運び込まれてるところでしたよ! てっきり西尾くんも病院送りになっちゃったのかと思って、探し回ってたところなんですけど――! 今多分、ここはえっと……二階の西廊下です!』
「西廊下か……よし、それじゃ廊下をそのまま西側に向かって歩け。で、突き当たりの階段上ってこい」
『階段? 上の階にいるんですか? 三階?』
「いいや、さらに上だ」
話しながら耳を澄ますと、茂部は何とか俺の指示通りに動いてくれているのか段々と聞こえてくる騒音が薄くなってきている気がした。
茂部が話す声も若干反響している、と言うことは階段に着いたんだな。
『あのなんか、コーン立てられてて立入禁止になってるんで、これ以上進めないんですけど……』
「あァ? ンなもん跨いで通って来い。そのまま進んで来いよ」
『ええ? いいんですか?』
そこでスピーカーから耳を離すと、ちょうど俺の目の前の扉の向こうからコツコツと静かな足音が聞こえてきた。
よし、思ってたよりスムーズに来れたみたいだな。
多分あいつが目の前に来たであろうタイミングで俺が扉を開ける。
――お互い、持っていたスマホのせいでハウリングの音が耳に痛かった。まだ階段を上りきっていなかった茂部は目を丸くして、口を開けて、文字通りぽかんとした表情で俺を見上げていたのが絶妙に間抜けで面白かった。
「よう。ヤベーだろ、今回の文化祭?」
「……思ってた百倍はやばかったです。ひとまずは西尾くんが無事でよかったですけど……よくあそこから抜けられましたね!?」
俺が逃げてきた屋上。今日は立入禁止になっているので当然俺ら以外に人はいない。もしかしたら他の哀れな犠牲者が逃げ込んで来るかもしれないがな。
動きやすそうな私服に身を包んだ茂部はここに来るまでにしっかりと人混みに揉まれたらしい。
若干疲れた顔になっていたが、俺の顔を見るといつものようにふにゃっと顔を緩めて笑って見せた。
あァ、なんか。落ち着くな?