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西尾家――正しくはその別荘、新平くんと恭くんが暮らす一軒家。その外観はゲームでも背景として用意されていたシーンがあったので私も見覚えがあった。
ただ、詳しい所在地……所謂住所と言うやつは私も知らなかった。と言うより知ってたら相当やばい。
だから、まさか私がここへ招かれる日が来るとは思ってもいなかった。
「あ? ンだ、キョウの奴まだ帰ってねぇのか。……散らかってて悪ぃな、適当に座っててくれ」
……これで散らかってたら我が家はゴミ屋敷なんですが。
新平くんの住居に来れたと言う衝撃に圧倒されていた私は、心の中だけで突っ込んだ。口にする余裕がなかったと言える。
――何故か私は失念していた。『ハイ☆シン』の攻略対象キャラたちは、皆一様に『セレブリティ』だったことを。
景観もそうだけど、内装もそれはそれは綺麗なお家だった。それ以前に西尾家の財産ってすごいな、まずこの家って別荘な訳だし。高校生の子供に二階建ての一軒家を与えるって私には想像もつかない。
まず小洒落た玄関を抜けると、アンティーク家具で揃えられたリビングへ通される。比較的物は少なくて散らかっていると言う印象は全く無い。その中に私たちのバイト先で販売しているソファやらが置いてあるのが逆に違和感なくらいだ。……飾ってある観葉植物は多分新平くんじゃなくて恭くんの趣味なんだろうな。
言われた通りソファに座っていると、キッチンに立った新平くんは手際よく私のお土産……文化祭の副産物を楽しそうに吟味し始めた。時折「おっ、たこ焼きじゃねぇか」と嬉しそうな声をあげたりしている。
「取り敢えず、焼きそばとたこ焼きを温めて食ってみるか」
「たこ焼きに関してはどこかのクラスのふざけたメニューなので、もしかしたら味にムラがあるかもしれないです。焼きそばはうちのクラス、と言うより佐藤先生特製メニューなので自信作ですよ」
「こっちのクレープは最早原型を留めてねぇじゃねぇか、お前持ってくるまでに振り回しただろ?」
「それは元からそんな感じで……いやそれ、先生が渡してきたやつだったかな……?」
タッパーに詰めた一つ一つを開封しながら、そして時折それをつまんだりしながら新平くんは食卓の準備を進めていった。
私も何か手伝おうとしたけど、座っとけと軽く往なされてしまったので大人しくしておく。逆に邪魔になってしまうような気がしたし。
焼きそばやたこ焼きの味は……まあ普通だ。特段美味しいってレベルでもないし、縁日のものより味が濃いかなってくらい。生徒たちがそれぞれ家庭の味を持ち込んで適当に作ったものだろうし……でも何か、文化祭のこう言うのって思い出補正でちゃんと美味しいんだよね。
「姫ノ上には伝統の特製ソースがあるって本当ですか?」
「おー、何でも毎年三年B組のクラスは強制的に焼きそば店をやらされるとか……何でそんな伝統ができたのかは今や誰も知らねぇってのに、言い伝えだけで律儀にやってんだから大したもんだよな」
ゲームでも登場していたワード、姫ノ上伝統の特製ソースの話をしてみると何と新平くんも認知していたらしい。これに言及してたのって限られたキャラだけだと思ってたけど、これってちゃんと『伝統』だったんだな……ちょっと感動した。
――そんな感じで和やかに過ごし夕方六時半を回った頃、何やらご機嫌な様子の恭くんが帰ってきた。
「ただいま……ってあれ? 茂部ちゃんか。久しぶり!」
「お久しぶりです」
少し癖のある柔らかそうな髪を一纏めにしたままの恭くんは、相変わらずそこにいるだけで眩いほどの存在感を持っていた。
装いは私服のようだけど、あの髪型ってことは今日はバイトだったらしい。何を入れているのやらかなり小さなショルダーバッグをクッションの上に投げ捨てると、恭くんもわくわくと食卓に並んだ。
……あまりにもその流れが自然すぎたので、思わず私は一人突っ込む。
「あの、私がいることに驚かないんですね?」
「あぁうん、見慣れない靴があったからお客さんかなーとは。ヒメちゃんかな? と思ったら茂部ちゃんだったね」
灰原さんの名前を聞いてドキッとする。……そうだ、忘れてた。灰原さんのこと。
一瞬、また『転生』の二文字を頭に思い浮かべた。――灰原さんが絡むと深い思考に迷い込みそうになってしまう。
でも今度は私が色々考え込む前に、目の前の恭くんの言葉が私の思考を遮った。
「そう言えばシンペーと茂部ちゃん。ヒメちゃんがバイト辞めるって聞いた?」
「え!? ……辞める!?」
「……ンだそれ、初耳だぞ」
そのとんでもない事実に、驚愕の声が新平くんと重なる。
並んだ私たち二人の顔を見渡しつつ、当の恭くんは特に感情を乗せることなくけろりと続けた。
「あれ知らなかったの? 今月で今のところ終わりで、来月からさっそく別のところで働くって。何かモデルのお手伝いとか言ってたけど……シンペーも知らなかったんだ? 俺も詳しくは聞いてなかったから、もっと知ってそうなシンペーに聞きたかったのに」
「お前が知らねぇのに俺が知る訳ねぇだろ、そんな喋る間柄でもねぇしよ。いやしかし、店長も何も言ってなかったぞ。なぁ茂部」
「そ……そうですね。そっか、辞めるのか……灰原さん」
聞きながら、私はまた考えていた。
モデルのバイト……確かにゲームでも選択肢の一つとして存在していたバイト先だ。ただ、バイト内容のレベルや給料が高いだけに、モデルのバイトを選べるようになるまでかなりステータスを積まないといけなかったはず。……詳しい条件は忘れたけど。
『ハイ☆シン』では選んだバイト先や部活動によって主人公のステータスに大きな影響を及ぼし、またそれに関連するキャラクターからの好感度にも関わる大事な選択だ。
そしてレア職とも呼べるモデルのアルバイトは、選べるようになるまでが大変なだけにステータスに大きな恩恵を与えてくれる最高の選択肢となっている。
全てのステータスが均等に上がり続ける効果を得られるので、言い換えれば『全てのキャラクター』への好感度もまた上がり続けると言うこと。――逆ハーレムルートを突き進むにはまず必須の選択肢だ。
……いけない、またこんなことを考えてしまった。
逆ハーレムとか関係なしにモデルのバイトって高校生からすれば憧れるものだし、みんなからの好感度が上がり続けるって言うのもまあ納得できる。別に誰を狙うにしても最高の選択であることには間違いないはずだ。
ホームセンターのアルバイトは、給料は高いけどステータスの上がり幅は微妙なものだった。だから新平くんのルートを狙うには寧ろバイトはやらずに自分磨きに力を入れたほうがやりやすいって聞いたことがあったけど……でも、バイト限定のイベントスチルだってたくさん存在しているのだ。だから新平くんルートを進むのなら当然同じバイトをやるものだと思っていた。
灰原さんはわざわざ新平くんと同じアルバイトを始めたので、てっきり新平くん狙いかもしくは恭くんを交えた三角関係狙いなのかな、と思っていたけど。
もしかして、狙いを変えたとか?
……灰原さんの本命って、一体誰なんだろう?
「……ま、そんなことは置いといて。何これ、二人とも縁日でも回って来たの? 俺も食っていい!?」
「駒延の文化祭だ。……あっコラ! 手洗ってこい!」
新平くんと恭くんのやり取りが耳に飛び込んできて、はっと意識は現実に戻される。
キッチンに立つ新平くん、つまみ食いをする恭くん。ふと思った、新平くんって案外オカンっぽいんだな。元々お兄ちゃん属性が強いキャラクターだと思っていたけど。
こんな強面でもエプロンとか変に似合いそう……って、本人を目の前にして私は一体なんて失礼な妄想をしてるんだ。
一度頭の中の思考を投げ捨てて、私は目の前で繰り広げられている二人の日常に微笑みを浮かべた。
もういいや。この世界はゲームの中なのかもしれないけど、必ずしも決められたシナリオ通りに進むって訳でもなさそうだし。
そうだ。灰原さんが一体何だって言うんだ。
……仮に転生者だったとして。別に、灰原さんは世界を滅ぼすって訳でもないんだから。
彼女が何を考えているのか、少しだけ注意する必要はあるだろう。万が一にでも新平くんと恭くんのルートに入ってしまった時、必ず誰かは傷つくことになってしまうだろうから。
私みたいなモブには出る幕なんて無いのかもしれない。
でも、モブはモブでも新平くんの友達としてのモブだ。
――前世。
私の推し活は全て、推しには常に幸せでいて欲しいと言う願いが原動力になっている。今も心の根底にあるその思いは変わらない。
……画面越しに見ていたこの世界と現在では確かに心境の変化は多少あれど、新平くんは変わらず私にとっての推しなのだから。
・・・ ・・・
「すみません、こんな時間まで居座って……一人で帰れるので大丈夫ですよ?」
「いや。俺とキョウが引き留めたようなもんだし、こんな暗いのに一人で歩かせられねぇだろ」
――夕刻も過ぎた頃、ひとしきりはしゃいだ恭くんは元々疲れていたのか気づくとソファで爆睡していた。私は少し前からお暇するタイミングを伺っていたので、それを皮切りに西尾家を後にする。
実は西尾家、私の家とそんなに遠くないことが分かった。だから一人でも帰れると言ったんだけど、新平くんは心配性なのか私の家まで着いてくると言ってくれた。本当に大丈夫なのに。
まだそんなに寒くない時期だと思っていたけど、日が沈むと一気に冷える。上着を持ってくればよかったと軽く後悔しながら私は無言で歩く。セーラー服ってヒラヒラしてて結構寒く感じやすい気がするんだよなあ。
私と新平くんは並んで歩いていたけど、道中会話はほとんどなかった。まあ、今更積もる話もないし。新平くんはあくまで『送ってくれる』つもりなんだろうし、私もそう思って特に話を振ったりはしなかった。
ただ、やっぱり私と新平くんじゃ歩幅が違う。会話がないとお互いの顔を見合わせることも特にないので、私は普段よりも早足を意識して歩いていた。それがちょっとだけキツかった。
しばらくして私の息が上がっていることに違和感があったのか、新平くんははっとして私を見た。
「……悪ぃ。俺、歩くの早かったか?」
「は……あ、いえ! ……私が先に行かないといけないのに、こっちが歩くの遅くて……」
「チャリ乗ったほうがよかったかもな」
眉をひそめて、一瞬考え込む素振りを見せた新平くんがぼそっと言った。独り言にも近い呟きだったけど、私にははっきり聞こえてきた。
……でもちょっと待って、自転車ってことは二人乗りのこと言ってる? その場合自然と同乗者に密着することに――駄目だ駄目だ絶対駄目だ、そのボーナスはオタクを殺す。
暗がりなのできっと私の細かい表情の変化は気づかれていないだろう。多分赤くなっている顔をそっと背けながら、私は改めて早足を意識しながら歩く。さっきまで寒いと思ってたのに新平くんとこうして一言二言交わすだけでこんなに暑くなるんだから、私ってつくづく単純な人間だと思う。
――新平くんの後ろに立たないように気をつけようと思って、張り切って歩みを進めようとした時に、ふと新平くんが私の隣にずいっと並んできた。……別に変な動作でもなかったんだけど、向こうからこうして近寄ってきてくれたことに一瞬心臓が跳ねた。多分普段使いしてるんだろう、柔軟剤の石鹸の匂いが鼻の奥をくすぐる。
……『ハイ☆シン』ではキャラモチーフの香水などは販売していなかったけど、もし商品化されていたのならこんな匂いなんだろうなとか思いながら。
「――――」
新平くんは何も言わずに、じっと私を見下ろしていた。隣に並んできた時私も彼を見たんだけど、一瞬目が合った瞬間に心拍数が上昇し始めたので慌てて目線を切った。
でも私は引き続き真横からの視線を感じていた。
……な、何だろう、何も言わずにただ無言で見つめられている。ただ一体どうしたのかと尋ねる勇気は私にはなくて、私はずっと視線を感じながら我が家を目指し歩いていた。
新平くんは文字通り、かなり譲歩してくれていたと思う。普段自分が歩く速度に対してあまりにもゆっくり歩く人間に合わせてくれて、あれから一度も私と差をつけることなく最後まで二人並んで我が家まで到着することができた。その間ずっと無言なのは変わりなかったけど。
――さて着いた我が家、あまりにもボロボロすぎて新平くんは始め素通りしようとしていた。何かの廃墟かと思ったらしい。ここが自宅だと伝えると口をあんぐりと開けて五度見くらいしていたのでちょっと笑ってしまった。
「わざわざありがとうございました。すみません、もう遅いのに」
「ん、気にすんな。誘ったの俺だしよ」
家に入る前、もう一度そうやって頭を下げる。新平くんは右手で自分の襟足を弄りながらそう答えた。……私は知っていた、彼がその動作をする時は少なからず照れている時だと。
でも指摘すると怒られることも分かっていたので、私はそれに気づかないフリをしたまま「おやすみなさい」とだけ言って玄関のドアノブに手を掛けた。
その時、背後から声が掛かる。
「何かあったらよ、言わなくても構わねぇから。俺は遊びに誘うからな」
……その言葉の意味をすぐには理解できなくて、私は少しの間だけ振り返ったまま固まってしまった。
でも、分かった。新平くんは気づいていたんだよね、私が何だか頭を悩ませていることに。
来週の文化祭のこと、灰原さんのこと。……この世界が『ゲーム』であると言うことについて、色々考えすぎて普段からぼーっとしてしまっていること。
彼は見兼ねて、今日は私を家に招いてくれたのだ。
「――ありがとう。西尾くん」
そして私が何も言わなかったことに言及したりもしなかった。聞き出そうとしたり、探ってきたり、新平くんはそんなことは絶対にしない。
私は――そんな彼だから好きになった訳で。
「来週の姫ノ上の文化祭。私、絶対行きますから」
「……ん? お、おう。何か気合い入ってんな」
「楽しい思い出にしましょうね」
――決めた。
推しの未来は、私が守る。
彼に降り掛かる度し難いシナリオにも悪役にも辛い現実にも、全てこの私が立ち向かってやる。
脇役が何だ、そんなの知るか。
私はヒロインではないけれど。
モブAの底力、見せてやる。
来週の文化祭イベント――乗り切ってみせよう。