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「お、来てたのか。どうだった文化祭は……って、あン? どうかしたのか?」
背後から掛けられた声に振り返ると、私の強張った顔を見るなり訝しげに眉をひそめる新平くんが立っていた。
先程私の中で下された衝撃の事実にまだ頭が処理し切れていないけど、これを新平くんに悟られる訳にはいかない。
私は取り敢えず口角を上げて、手に持っていた文化祭のお土産を突き出した。
「お疲れ様です。非番ですけど、お土産渡しに来ました」
新平くんは突き出されたレジ袋の中身をちらりと見て、それからもう一度私の顔を見てから……何とも言えない表情を浮かべてそれを受け取ってくれた。
多分、私の表情がぎこちなかったせいだろう。
「それじゃ、私は失礼しますね」
「待て待て。お前なんか……具合でも悪いのか」
「いえ?」
ダラダラと変な汗が背中を伝うのをさっきから感じているし、自分の顔が引き攣ってしまっているのも自覚している。
……この緊張感は、今この瞬間を灰原さんに見られているんじゃないかと言う緊張からだ。
邪魔をするな、と言われてしまった。――以前から感じていた彼女に対する全ての違和感が繋がり、その上で私は彼女を恐れている。だって喋っていて微笑んでいたとしても目がずっと笑ってなかったんだから……!
「――痛っ……え? …………え?」
ペシン。……額に軽い痛みが走り、私は一歩ほど飛び退いて目の前のデコピン犯人を見上げる。
新平くんがおもむろに手を伸ばしてきたのかと思えば、新平くんは真顔のまま私にデコピンを食らわせてきた。何か、前にもされたことなかったっけ? 新平くんデコピンやるの癖なのかな。二度も食らう私が間抜けなだけかもしれないけど。
「……このあと時間あるか?」
何を言われるのかと身構えたものの、新平くんは真顔のままそんなことを言った。私はキョトンとしたけど、問われるがまま咄嗟にこくりと頷いてしまった。
「あー、そうだな……あと十五分近くで待ってろ。俺もうすぐ上がりだからよ。あ、お前スマホ出せ」
「っええ……?」
「連絡先教えとく。終わったら連絡するからよ」
「!?」
――淡々と私のスマホと自分のスマホを操作し、あっという間にお互いの連絡先を登録した新平くん。
今何が起きた? メッセージアプリの『友達』一覧に登録された新平くんの名前を見つめて呆然とする。……お、お、推しと連絡先を交換してしまった!?
「よし。じゃ、その辺のモールとかで遊んで待ってろよ」
新平くん、度々思うけど私のこと小学生扱いしてない……?
◆
――スカートの中のスマホが震える。液晶には推しの名前が。まさかこんな体験をする日が来るなんて……少し熱くなった目頭を押さえながら、相手を待たせる訳にはいかないので急いで応答をタップする。
『よう。今どこだ?』
「ええと……公園通りの近くを歩いてますが……」
『おー。そんじゃ公園入り口前で待ってろ、今向かう。切るぞー』
スピーカー越しに聞くイケボに私もスマホ並みに震えながら、言われた通り公園入り口前を目指して私も歩く。
バイト先であるホームセンターからはそんなに遠くない位置だけど、道路も挟んでいるしもう少し時間が掛かることだろう。
ところで新平くん。様子が可笑しかった私を気遣ってわざわざ時間を取ってくれたのかな? ……相変わらず全面に見せてくる優しさに悶える反面、新平くんの時間を奪ってしまっていると言う罪悪感に苛まれる。
そうだ、この間に私の頭の中も整理させよう。
――灰原さんのことだ。
彼女は恐らく『この世界のこと』を知っている……可能性が極めて高い。直接口にした訳じゃないから断定はできないけれど。
私と同じように高校入学直前に記憶を取り戻した……のかな。どうだろう、始めて私が彼女と出会ったのはあの四人お出掛けの時だった。あの時点の彼女は『転生者』として記憶を有している状態だったのだろうか?
思い返してみるけど、やっぱり客観的に見るだけじゃそうだとは気づけなかったと思う。やけに目が笑ってないなと私がちょっと感じたくらいで、特に変な言動はなかったと思うし……そう言えばあの時は私以外全員が遅刻してきたんだっけ。
そこで灰原さんはナンパに捕まってて……恭くんがその間に……って。
そうだ、恭くん。――その後、灰原さんは新平くんと恭くん二人と夏祭りデートに行ったんだ。
三人デートはゲームでも起こり得たイベントで、三角関係を深めることで『個人ルート』ではない『三角関係ルート』が開拓される……ここがゲームの醍醐味と語る人もいる。
灰原さんが転生者なら、このゲームシステムも理解しているのでは? ――その上で『三角関係』を築こうとしている?
そこまで考えて鳥肌が立った。違う、このゲームは三角関係どころで留まったりしない。……攻略対象キャラ全員と関係を深めれば『逆ハーレム状態』をも築くことが可能なのだ!
いやそんなまさか……ね? 現実で逆ハーレム状態作ろうとする思考の人なんて……それこそゲームのヒロインじゃなきゃ――いや違うわ。灰原さんは正真正銘のヒロインだった!
頭をぶんぶん振り回す。今私はすごく嫌なことを考えてしまった。……逆ハーレム、それは――それこそゲームでしか許されない行為なんじゃないかな。
そもそも私は三角関係システムがすごく嫌いだった。だって片方が本命だったにしても、もう一人は手玉ってことになってしまうんだよ? そんな残酷な真似できっこないよ。それに私は新平くんと恭くんの三角関係ルートにおいて、恭くんが圧倒的人気キャラだったせいで新平くんが噛ませ犬状態になっているのが地雷だった女なんだから。
灰原さんが攻略対象キャラを『手玉』にしようとしているなら――少なくとも私は彼女をヒロインとは思えない。
この現実でそれをやるなら、それは悪女と変わりない。
……まだ彼女が転生者とは決めつけられないけど。でも、私はこれから彼女を警戒しなきゃいけない。
灰原さんの本命が新平くんだったとして、彼女が彼を救ってくれるのなら大歓迎だ。――その場合、自動的に三角関係となってしまうであろう恭くんが気掛かりではあるけど。
だけどもし新平くんを噛ませ犬にさせようものなら……その時は――――
「お前やっぱり様子変だぞ。何かあっただろ」
「ウワァッ!?」
「何だその驚き方……ギャグ漫画でしか見たことねぇぞ」
突如頭上に振ってきた声に、反射的に顔を上げると推しが立っていた。気づかなかった。
それこそ新平くんの言う通りギャグ漫画のような驚き方をした私は若干仰け反って身体のバランスを崩した……けど、咄嗟に新平くんが肩を支えてくれたので転倒せずには済む。
赤くなった私とは反面、新平くんは懸命に吹き出すのを堪えている様子で肩を揺らしていた。
「で、茂部。これどうもな、おかげ様で今日の晩飯は楽できそうだ」
「あ……ああ、いえ。これくらいお安い御用ですよ、味は保証できませんが。一応マシなのを選んできたつもりです」
「おう。それでだ、お前うちで飯食ってくか?」
一瞬何言ってんのかと思った。
うち? うちって家のこと? ……新平くん家ってことだよね。うんそうだ、そうだよね。
「――ええっ!? いいんですか!?」
自分でも驚く大声を出してしまったので言ってから少し恥ずかしくなる。すれ違った人から変な目で見られたような気がする。……けど、新平くんはそんな私もまた面白がっているようだった。ますます恥ずかしい。
「外食でも連れてくかと思ったんだが、せっかくだしな。うちってなると多分キョウの野郎がやかましいと思うだろうが」
「いえそれは全然……う、嬉しい……です」
――ゲームでは、攻略対象キャラとの親交を深めると家に呼ばれるイベントが発生する。確かその条件は好感度が『友達以上』であると言うこと。
もちろん、新平くんはいつだって優しいしいつの間にかこんなに話せる相手になれたってことをしみじみ実感することはあったんだけど……こうしてちゃんと『自覚』できると、こう、心に来るものがある。
来週の姫ノ上の文化祭だって、以前新平くんと会話した時に「友達としてお呼ばれする」ってことを話したことは記憶に新しいけど……私、ちゃんと新平くんと友達になれたんだなあと思うとにやけてしまうよね。
「さて、俺の家はちっと歩くぞ。日が暮れちまう前に行こうぜ」
「はい……! よろしくお願いします!」
夕日を背に新平くんと並んで歩く。
目の前に落ちる私たちの影は、やっぱり新平くんの影が圧倒的に長く伸びていた。
私はそれを口にしなかったけど、彼もそれを見て何かを思ったのか隣を歩く私を見下ろして……多分私のつむじ辺りに目を向けて、ちょっとだけ優越を感じさせる微笑を浮かべていた。