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――乙女ゲームとはあくまで恋愛シミュレーションゲームであり、攻略対象キャラとの恋愛模様を楽しむことがメインである。
だから『ハイ☆シン』においても攻略対象キャラの過去や生い立ちなどを明記するようなテキストはなかったし、本人や関連の人物などの発言といくつかのイベントで「大体こんなことがあって今こうなっている」ことをふわっと匂わせる程度となっていた。
そんな訳なので、私も推しである新平くんの過去についてはほとんど無知であると言ってもいいレベルなのだ。
ゲームとしてはそれくらいに留めておくのがファンにとっても妄想の幅が広がると言うものだし、これはグレーゾーンではあるけど二次創作などが盛り上がりやすい。……捏造とか私は受け付けられない派だけど。
さて、この信号機三人組……彼らもまた名前のないモブではあるけれど、新平くんのルートにおいては立ち絵が用意されているほどのそこそこな重要人物でもある。
ここでも彼らについては詳しく言及されていた訳じゃないけど、彼らは「新平くんの因縁の相手」として描かれていた。彼のルートの後半には頻繁に顔を見ることになった相手だ。
小柄で一番目つきが悪い赤髪。ヒョロガリで眉毛が細い青髪。そして一番身長と恰幅が大きい金髪。
――今の会話を盗み聞きするに、信号機三人組は高校入学以前から新平くんを知っていたような口振りだ。それから、現時点ですでに新平くんのことが気に食わなくて仕方ない様子。……「弟」とか言っていたけど、恭くんも関わっているのかな。
当然だけど彼らは私が横を通り過ぎた時気にも留めていないようだったし、会話を聞いていることにも気づいていないことだろう。
これは――看過できない。新平くんをボコボコにするだって? そんなの許さない……!
ただ少し疑問なのは、確かにこの三人組はゲームにも登場したんだけどこんなに早かったっけ?
ゲームは高校生活三年間を描いたもの。一年目の今はまだまだ前半部分、ルートが確定するのにも早すぎる。
それに新平くんのルートにおいても、文化祭にあの三人組が来て喧嘩みたいになるなんてことはなかったはずなんだけど。
私は新平くんのルートしか知らないけど、文化祭のイベントはどのキャラでも甘いイベントが多い……って話を聞いていたから。
……奮い立った私はそこで一度思い留まる。もし、灰原さんが新平くんのルートに入ろうとしていたなら?
少しずつ私の知るシナリオとはかけ離れ始めているこの現実で、あの世界で起こり得たかもしれないイベントが尽く発生し始めているとしたら……もし、灰原さんが介入すれば穏便に事が過ぎるのでは?
……イベントの内容によっては重いものがたまにあったりするけど、一応乙女ゲームだし、血みどろの展開には基本ならないはず。
新平くんのルートでは喧嘩のシーンがあるけど、主人公に危害が及ぶことはなかった。そうだ、灰原さんが干渉することであの三人組が介入してきたとしても上手く追い払えたりするかもしれない。
今日のバイト、私は休みを取っていたけど確か灰原さんはシフトに入っていたはず。……そして新平くんもバイトだと言っていたっけ。
何とかして新平くんには悟られないように灰原さんに接触しないと。リミットは来週まで一週間、もたもたしていられない。
善は急げ――こうなったら休日出勤でもしてやるべし!
――と意気込んでいたのが三十分前のこと。
「えっと。意味が分からないよ?」
バイト先にて、いつものように地味なエプロン姿ですら完璧に着こなしている灰原さんは商品棚を背に一人そこにいた。
来週の文化祭、信号機みたいな頭した三人組が現れたら新平くんに近づかせないように協力してください! ――とお願いしたところ、天使のような微笑みを浮かべながら灰原さんはそう一言切り捨てた。
やっぱりだ。笑っているのに何だか怖い、その一言だけで私はかなり気圧されて何も言えなくなってしまった。
……でも、確かに私の言葉が足りなかった。意味が分からないと言うのも当然だ、私は一つ咳払いを挟んで再び口を開く。
「……駒延の生徒で、ガラの悪そうな三人組がどうやら西尾くんに喧嘩を売ろうとしているみたいなんです。西尾くんとは面識があるみたいだったので、できれば彼らが鉢合わせないようにしたくて……灰原さんは西尾くんと同じクラスなので、同じ出店を管理するんですよね?」
できるだけゆっくりそう話す。私が言いたいのは灰原さんには新平くんとできるだけ一緒にいてほしい、ってこと。
「本人に言えないのは、西尾くんは多分、それを知ったら立ち向かって行ってしまうんじゃないかと思いまして……」
これは私が新平くんのルートを全て把握しているから辿り着いた結論なだけなんだけど。……あの三人組との因縁の深さはよく分かっているつもりだ。
だからきっと、新平くんは彼らが自分を狙っていると知ったら「自分で何とかしようとする」んじゃないかと思う。
でも私はそうさせたくない。だって新平くん、文化祭楽しみにしていたみたいだし。――こんなつまらないことで嫌な思い出を重ねる必要はないはずだ。
「――あのね」
私の話を受けて、一度小さく瞑目した灰原さんはその微笑みを崩さないままゆっくりと続けた。
「そんなことは起こらないよ」
ん?
――――ん?
灰原さんが言ったことが一度理解できなくて、私は声も出ないまま目を丸くさせていた。多分ここ最近で一番間抜けな顔をしていたことだろう。
彼女の言葉を、頭の中で反芻させてみる。
今なんて言った? ――『起こらない』。何故?
「私、文化祭の日はやらなくちゃいけないことがたくさんあるの。シンくんは大丈夫だよ、どうせ何もないから。私はその日ほとんどクラスにはいない予定だし」
「ちょ……っと待って。どうして断言できるんです?」
私の言ったことを全否定する口振りで、それも少し変な言い回しだ。顔は微笑んだままだからこそ私の頭は混乱する。
次に灰原さんはこう言った。
「あなたは知らなくていいことだから。そもそも私のクラスは本当は喫茶店をやるはずだったのに、その時点で何だかもう可笑しいの。……可笑しいと言えば、シンくんとあなたってやけに仲がいいのも変だよね。私あなたのこと知らないのに」
「――え」
「ああ、ごめんなさいこっちの話。とにかく変な心配はいらないよ、私がいないってことは何も起きないってこと。あなたも来るんだっけ? ……話してる感じあなたは知らないみたいだし、そこはいいよ。ああでも、一つだけ言っておくけど――」
――私の邪魔、しないでね。
この台詞を冒頭からの笑顔のまま言い切って、私に背を向けて去って行った――私の知らない主人公。
ただ愕然としていた。
周りに人はいない――幸いにも店員もお客も近くにはおらず、新平くんも倉庫にいるのか見当たらなかった。取り敢えず、今の話は誰にも聞かれていないようだ。
考える。……彼女が今言ったことについて考える。
……『こっち』? こっちってそっち? 何のこと?
邪魔をしないでね、これは先程言っていた「文化祭当日はやることがある」についてのことだろうか。……いや、違うだろうな。今の感じだとそれについてじゃない、もっと別の行為についての言及だったと強く感じた。
だってさっきの言葉の意味は、どう考えても。
これから私のすることを邪魔しないでね。
……こう言われたような気がしてならないのだ。
「――嘘でしょ?」
思わず口から零れた一言。そうだ、私は失念していた。
私は前世の記憶がある。この世界が『ハイスクール☆シンデレラ~あなたと王子と夢の魔法~』と言う名前のゲームの中だと知っていた。新平くんを含むキャラクターたちの名前や容姿、性格、彼らそれぞれが持つストーリー……即ち『結末』について。
――それを知っているのが自分だけとは限らないのに。