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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
一章〈推しと同じ空気を吸いたくて〉
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一章、彼の話

一章全体を通した彼の話です。ちょっと長いです。

 高校生になったからと言って、自分の日常がそう大きく変わるとは思っていなかった。言い換えれば微塵も期待はしていなかっただけだ。


 ……だから弟が『高校デビュー』だとか言い出した時は素っ頓狂な声をあげてしまったのは今でも覚えている。

 でも不思議なものだ、初めは滑稽だと思っていた変な明るい髪色も見慣れてしまえば似合っているような気がしてくるのは。


「何で突然そんなこと言い出したんだお前は。どうせ高校上がっても中学ん時の面子とそう変わんねぇだろ?」


「いやいや、気持ちの変化的な? ……あとは決意表明。俺、変わろうと思って。今までの自分は捨てて行くんだ」


 何かよく分からなかったが、キョウの中でちょっとした心境の変化があったらしい。何かの漫画だかに影響されたんだと思うが、本人は楽しそうなので構わないことにした。


 ……だから俺は、決してそんな弟に影響された訳じゃない。元々このタイミングで家を出ようと考えていた。

 自分は変わりたかった訳じゃない、単純に色んなしがらみ(・・・・)から解放されたかっただけだ。……けど、父親はいくつになっても過保護なのは変わらないらしい。家探しは自分でやると言ったのに、姫ノ上学園にそう遠くない位置にある立派な一軒家を別荘として用意しやがった。ついでにキョウまで一緒に住むだとか言い出して……結局、自分は家族から離れられないんだと嫌に思い知らされることになった。


 入学式を控えた前日、引っ越しを終えたばかりだったので家の中は何もない。実家は父親が車を使えばすぐ行き来できる距離だったので荷物は少しずつ運べばいいと言われ、何もかも後回しにしてしまったせいだ。

 ……ただ、キョウの言うように気持ち的に心機一転としたかった俺は家具も全て新調しようと考えていた。俺たち兄弟を甘やかすのが大好きな両親は、いくら俺が拒んでも明らかに多すぎる小遣いを握らせようとしてくる。何となく悔しくて、俺はその金には一切手を付けずに高校生活を生き抜いてやろうと決意した。


 バイトを探して、ある程度家に置きたい家具に目星を付けて、これからどうするか考えながらブラブラ歩く。


 何も無計画だった訳じゃない。ただ、別荘と弟と言う予想外のオプションが付いてきたことで俺のプランは大きく崩れ去ることになっただけだった。……相変わらず俺の好きにさせてくれない家族の連中を思い出し、俺は大きくため息をつきながら人混みの中を掻き分けるようにして歩いていた。


 ふと、耳障りな金属音に思考を遮られる。目を向けようとする間もなく、その正体と身体が軽くぶつかり合う。

 迷惑なことに道のど真ん中で明らかに使い物にならなそうな自転車を引き摺っている一人の女だった。


「あ、すみませ――」


「おい。邪魔だ」


 ……少し、キツく言いすぎたか。言ってから反省したが、これしきで泣き出すような女の相手をしているほど俺は暇じゃない。

 相手の反応を窺うのが面倒で、俺は逃げるようにその場を去った。……手を貸してやればよかっただろうか? だが、俺にそんなことをする義理なんてない。


 そう言い聞かせて、俺はその日帰路についた。


 ――新しい家に帰ると、キョウがやけに上機嫌だったのが気になった。あまりに浮かれているので問い詰めてみると、こんなことを言う。


「お姫様と再会したんだ」


「……はァ?」


 多分、明日から高校生になるってんで、こいつは頭まで浮ついていただけなんだろう。




 ◇




 姫ノ上学園。中々の名門校であるのは間違いない。それだけあって、教員も通う生徒もそれなりに洗練されているような気がした。俺の担任なんかは王子だの何だのと呼ばれているとか――そして、その中に混ざる自分がどうも浮いていると言う自覚もあった。


 中学の頃から変に絡まれることが多く、その度に理不尽に殴られ続けるのも癪だったので俺は好き勝手暴れてばかりいた。当然自分から因縁をつけたりはしていないが、噂と言うのは変に誇張されて広まったりするものだ。

 俺が入学したってだけで同級生、上級生、加えて学校側まで俺を警戒しているような空気を感じ取った。……幸いなことに姫ノ上の奴で俺に絡んで来るような頭の悪い奴はいないようだ。しばらくは怯えられるだろうが、それも時間が経てばどうにかなるだろう。


 だが全員が俺に対して近づこうとしなかった訳じゃなかった。一部の物好きな女たち。顔がイイだの身体がでかいだの、スポーツでもやっていたのかと好き勝手に俺を質問攻めにしてきた。……適当に答えたり無視したりしているが、いつまで経ってもこいつらは消える気配がない。あァ、面倒だ。


「西尾くん、モテモテだね?」


 やっと女連中がいなくなったのはホームルームが始まってからだ。すると、今度は隣の席の女がこっそり俺に話し掛けてくる。……また面倒そうなのが近くにいやがった。


「鬱陶しいったらありゃしねぇ」


「ふふっ!」


 ――女が俺に示す反応は二つだ。俺を見て怯えたようにするか、馴れ馴れしくしてくるか。……後者よりは前者のほうが俺としても楽なので、寧ろ後者のタイプの女は苦手だった。


 この隣の席の女――灰原とか言う名前の奴もそれに分類される、俺が苦手なタイプの女だ。

 それも厄介なのが、キョウとこいつは幼馴染だとかでやけに親しげなのだ。別のクラスのキョウが休み時間になる度に灰原に会いにくるもんだから、その度にまた女が集まってくる。……俺と違ってキョウは女に甘いから、つけ上がった女がさらにもっと集まる。俺はあまりに鬱陶しくて、休み時間はトイレか屋上かもしくは机に突っ伏したまま過ごすようになっていった。


 帰りのホームルームの終わりを知らせる鐘が鳴ると、俺は誰かに話し掛けられる前にさっさと荷物を持って教室を飛び出す。……学校より、バイトをしている時のほうが気が楽だ。

 この息苦しい教室から逃げるように早足で退散する俺を、時々廊下ですれ違うキョウは揶揄ってくる。……うざってぇ。


 無愛想な俺が接客業ってのは、どうも性に合ってないのは分かっている。それでもやろうと思えばやれちまうんだから、人間ってのは不思議な生き物だ。


 常連客ってのも存在するが、基本的に客と言うのは一期一会。……先輩や店長もヘマをしない限りは変なことを言ってきたりはしない。接客業が向いているかは別として働くこと自体は自分に合っているように思っていた。


 このホームセンター、職場としても悪くねぇが品揃えも申し分ない。だから俺は働きながら家に置く家具を吟味したりしていた。……それをキョウに話したのは間違いだったな。行動力のあるあいつはすぐに「行こう!」と言い出して……せっかくの休日だったが、俺は初めて客としてバイト先に出向くことになった。


 そこでまた、キョウはやらかしてくれた。


「お願い! 俺、友達千人つくるのが今の目標なんだよね。姫ノ上の人たちは中学の頃にもう友達になってる人がほとんどだし、物理的に数が足りないんだ。君って姫ノ上じゃないでしょ? どこの高校なの?」


「いい加減にしろこのバカタレ!」


「っだァ!?」


 ほら見ろ。言われた相手――俺と同じ職場で働くバイトの女店員は俺とキョウを交互に見て何を言おうか迷っている様子だった。


 名前は確か、茂部。あまり見ない名前だからすぐに覚えた。駒延高校の同級生らしい。が、不良が多いと有名な駒延の生徒にしては随分落ち着いており真面目そうに見えたのも印象的だった。


「厳ついんじゃくて逞しいんです! ……あ。いや、素敵です! ん?」


 ――だから、何だ。突然突拍子もないようなことを言い出した時には流石の俺も動揺した。

 本人も言ってから可笑しなことに気づいたのか、慌てて俺の目の前から逃げて行ってしまった。……何だあいつは……とにかく変な奴だ。俺に対して怖がっているような様子もないし、馴れ馴れしく話し掛けたりもしてこない。無関心……とも違う気がする。


 茂部――少しだけ気になる相手だ。その日から茂部は、そんなに目立つようなタイプでもないのに視界に入るとどうも気になるような……そんな存在へと変わっていった。




 ◇




 キョウに流されるままイベントに出向くことになって、俺、キョウ……そして何故か灰原と茂部まで一緒に観に行くことになってしまった。

 その日ピンポイントでバイトが休みになるとは……まさかキョウが裏で手を引いているんじゃねぇかと疑ったりもしたが、そんな訳ないと冷静になる。


 訳が分からないこのメンバーの外出だったが、相変わらずキョウと灰原は仲が良さそうだ。……あいつらが二人で行けばよかっただろ。何で俺と茂部まで付き合わされたんだ? 茂部もあの二人を見て何やら考え込んでいる様子だったし、すっかり蚊帳の外だ。……俺は俺で、寝坊しちまったことが気まずくて茂部に話し掛けるのを躊躇ったりしていた。


 ……それより気になったのが、こいつの名前呼びだ。何でキョウのことは名前呼びなのに俺は苗字なんだ? ……やっぱアレか、怖いのか俺が? ……まァ仕方ねぇか。


 何となく流れで、二人で飯を食うことになる。……会話らしい会話がなかったところで、茂部がさっきからチラチラとキョウのほうを見ているのが気になった。

 ……何だ、やっぱりな。いつもそうだ、俺に近づいてくる『馴れ馴れしい女』ってのは大体が俺じゃなくてキョウ目当てなんだ。ま、俺なんかより愛想も顔も性格もいいキョウのほうと一緒に過ごしたいと思うのは当たり前だろうな。


 だけど、話を振ってみると茂部は案外真面目に受け答えをしてくれた。……キョウ目当てって感じもしなかった。ただ、俺とキョウの関係だったりを聞いてきただけで。本当にキョウと灰原の間柄が気になってただけなのか?


 話を聞くと茂部の家庭事情が何やら大変そうな様子だった。俺は自ら望んで家を出たが、何とこいつの親はずっと家に帰って来ないのだと言う。……流石に子供が高校生だからってあまりに放っておくのってどうなんだ。ちょっとだけ同情しちまった俺は昼飯を奢ってやることにした。茂部は全力で割り勘にしようとしてきたけどな。


「……あの! ……払ってくれて、ありがとう!」


「――おうよ」


 ……大したことしてないのに、何かいい気分になった気がするのは何でなんだろうな。



 結論から言うと、サーカス劇はかなりよかった。普通に楽しんでいた俺がいた。……年甲斐もなくはしゃいじまったかと少し恥ずかしくなったが、隣の奴はもっとはしゃいでいた様子だったな。

 それより茂部がジャズ好きとは意外だった。今回のイベント、俺と同じように楽しんでいたようだし……俺とこいつは案外気が合うのかもしれない。


「私は……ピエロがちょっと不気味だったかなぁ……」


「……フッ。ガキだな、お前」


「だっ、だって……! 怖かったんだもん!」


 そんな茂部とは対称的に可愛い子ぶる灰原はこれぞ男ウケがいい女って感じがするな。……キョウの好みはこう言うタイプか。長らく一緒に過ごしてきたが、この歳になって初めて知ったかもしれない。




 ◇




 ……四季の中でも特に鬱陶しい夏がやって来た。ただ暑くて外も煩いこの季節が俺はあまり好きじゃない。それ以外にも理由はあるが……とにかく早く過ぎ去ってほしいと願うばかりの日々だった。


 キョウもこの季節は毎日参っている様子だ。……キョウの奴、何の考えもなしにエアコンをガンガン使いやがるから電気代の消費が半端じゃない。こう言う管理をしてるのが俺だからって甘えやがって……ったく。


 学校でも最近特に周りの奴らが騒がしくて堪らない。……入学からそれなりに時間が経って、姫ノ上の連中は俺が噂ほどやんちゃ(・・・・)な奴じゃないと理解したようだ。前よりも馴れ馴れしい輩が増えたような気がする。

 変化があったと言えば、馴れ馴れしいのが女ばかりじゃなく男でも増えたってことくらいだな。まァ、男は女みたいにペタペタと触ってきたりむやみやたらに着いて来たりしない分相手にしやすいが。


 ――馴れ馴れしいと言えば、こいつだ。


「ねぇシンくん、一緒に夏祭りに行かない?」


「あァ? 何でだよ」


「駄目? キョウくんと一緒に行くって約束したんだけど……やっぱり人数は多いほうが楽しいかなって思って。ね、お願い!」


 俺が一人増えたところで楽しくなるかは疑問だが……あまりに灰原がしつこいんで、俺は渋々それに了承した。後からキョウもやって来て、俺が来ると聞くなりまたウザったく絡んできやがった。


 はァ、少しばかり気が重い。その日はちょうどバイトのシフトが入っていない日だったんで、やっぱりこう言う時ってキョウか誰かが仕組んでいるんじゃないかと疑いたくなる。


 ……バイトと言えば、灰原が俺と同じバイトを始めたのは驚いたな。ホームセンターのバイトなんて華がある訳じゃねぇし、灰原みたいなタイプの女はキョウがやってるような喫茶店とかに行くもんだと思ってたが。


 そこまで考えて、しまったと思った。そういやもう一人いたじゃねぇか、ここで四月の頭からはりきって働いてる女が。


 その日、キョウが灰原へ会いにバイト先へ顔を出しに来ていた。買い物もしねぇで来るのは迷惑だって前に言ったんだがな。

 ふと、そんな二人を横目に作業している茂部に目が留まったので話し掛けてみると――あの二人、ここでも夏祭りの話で盛り上がってるらしい。ったく、浮かれてんな。


「……高校生にもなって、何が悲しくて自分の弟と夏祭りなんぞ行かなきゃならねぇんだか……あんま気乗りしてねぇんだがよ――そうだ、お前も来るか?」


「――えっ!?」


「何だよ、俺らとは嫌か? ……あーいや、先約があったか?」


 口を衝いて出た言葉が、目の前のこいつを誘う言葉だった。……言ってから妙に小っ恥ずかしくなって目を逸らす。何だ、別に変なこと言った訳じゃねぇのによ……。


 ……だけど、断られた。その時少しだけショックを受けた自分がいることに気づいて――ああ、クソ。振り回されてんじゃねぇぞ、俺。


「……あ、夜の花火大会、ここの夏祭りってすごい規模でやるんですよね? 家から見えるといいんですけど」


 ふと、茂部が続けた言葉の中に引っ掛かるものがあった。


 ……誰かと祭りに行くって訳じゃねぇのか?

 本当に用事があるのか。……それを聞いて少し心が軽くなったような……やっぱり振り回されてんな、俺。




 ◇




 ――人混みってのは好かない。だから基本的に屋外だろうが人で溢れる祭りなんてものは元々好きじゃなかった。

 ガキの頃、どうしても行きたいと喚くキョウを連れて何度かここに来たことはあったが……こうして浴衣も着て祭りを楽しもうだなんて、思いもしなかったな。

 浴衣はキョウと灰原に無理矢理着せられたようなもんだが、中々通気性もよくて過ごしやすい。和服ってのはちゃんと考えられて作られているもんだと改めて認識させられる。


 キョウは花火柄の、いかにもって感じのデザインの浴衣を着た。灰原は流石、ピンクと白の華やかな柄の浴衣だ。最近の浴衣ってのはフリルやレースも付いてるものなんだな。……動き難そうなのが気になったが。


 やっぱり祭りは大賑わいで、どこへ行っても騒がしくて俺は終始落ち着かなかった。まァ、射的やら型抜きやらで多少は楽しめたが。ほとんど俺は飯ばっか食っていたが、二人は金魚すくいだの輪投げだのお面選びだの……キャラクター柄の袋に入った綿あめも持ち出した時は隣に並ぶのが恥ずかしくて堪らなかった。……祭りってこういう奴らの精神年齢を引き下げる作用でもあるのか?


 キョウと灰原は相変わらず仲良しこよしで手なんかを繋いだりしている。毎回思うがあいつら距離近くねぇか? ……幼馴染だか何だか知らねぇがよ。

 俺は大衆の中でも頭一つデカい図体をしているので、俺さえ目の前の二人を見失わない限りはぐれることはない。まァ、人にぶつかっただけで折れちまいそうな細っこい二人だから手なんか繋いでるんだろうな。


 ……退屈だと思い始めていた時、ふと遠方から楽器の音が聞こえてきた。……エレキギター。何やらバンドの演奏らしい、騒がしい音だ。

 俺はロック系はあまり好まず、ライブハウスなんて耳が痛くなる場所は絶対に行ったりしない。ただ、この人混みに揉まれるよりは何かしらの音楽に耳を傾けていたくて、俺はキョウと灰原に向こうへ行ってみないかと提案してみた。


「……あっ、ねぇ。あれってシンペーたちの担任の先生じゃ? 何してんだろ」


「わぁ、中言先生だ! ピアノ上手だもんね、先生!」


 俺たちがそのブースに辿り着くと、観客の熱気はまさにあのステージ脇に控えている見覚えのある男――俺たちの担任、中言に注がれているところだった。……あいつ、こんなのに参加する奴だったのか。


「バンドコンテスト、今年もやってるんだね。ここでスカウトされるバンドもあるって聞いたことあるし……すっげーなぁ」


 ……キョウがそう言っている途中で、俺はステージ脇に控えているとあるバンドに目が留まった。

 中言率いるバンドの次に演奏を控えているのか、その脇で仲良さげに話している五人組……いや、六人組?


 その内の一人にどうも見覚えがあった。

 あれは――茂部だ。あいつ、何してるんだ?


 ……キョウと灰原は気づいてないらしい。だからわざわざ言うもんでもないと思って、俺はじっと茂部のいる周辺を観察していた。


 茂部は、普段から想像もつかないようなすごい格好をしていた。何だありゃ、浴衣……だよな。丈が短すぎるんじゃ? いやしかし、似合っているか似合っていないかで言うと――似合っている。ま、まァ、悪くねぇんじゃねぇか。ちょっとばかり意外だが。


 その横にいるワイシャツにスラックスの男、この祭りの雰囲気の中で変に浮いた格好のそいつはすぐに教員だと分かった。顔をよく見ると見覚えがある。サーカス劇を観に行った時に会ったり、バイト先にちょくちょく現れたりしている駒延の教員……確か、茂部の担任だったか。


 バイト先に現れた時も思ったが、茂部とは随分親しげだ。何やら二人で話し込んでいて――おい、何してる? 教員が茂部を後ろから羽交い締めにして……ありゃセクハラじゃねぇか! 何してんだあの変態教師!


 思わず割り込んでやろうかと思ったが、そこに行くまでに人だらけで簡単に辿り着けそうにない。俺はやきもきしていたが、茂部は変態教師に触られても全く気にしている様子はなかった。……あんな無防備で大丈夫かよ?


 ……気づけば中言の演奏が始まっていて、思わず聞き惚れるレベルの高い演奏に驚いた。このバンドはボーカルなしの三人組で、中言のキーボードがまるで声のように聞こえてくる不思議な演奏だった。新しいバンド、これは強いな。会場の中言のファンらしき歓声も今までで一番大きい。


 恐らく今日一番の大喝采の後、この次にステージに立つのは酷だろうなと誰もが思うプログラムだった。……それが、何と茂部を含めた五人組バンドだ。しかもあいつ、キーボードじゃねぇか。


 茂部がピアノを弾けたことも衝撃だったが……どうやら変態教師はバンドのメンバーではないみたいだな。だったら寧ろ何であんなに茂部に付きっきりなんだ? ……何を考えているんだか。


 ステージに上がってもなおキョウと灰原は茂部に気づいていない。そんなに分からないもんなのか? 確かにあの派手な浴衣はいつもの雰囲気と違っているが、俺は遠目に見てもすぐに分かったんだがな。……それどころかこの二人、もうつまらなそうだ。いっそあれが茂部だと教えてやろうか。

 ……なんて考えている間に演奏が始まった。やっぱり、さっきの演奏と比べると明らかに聞き劣りするありふれたポップスだ。……それでも俺は茂部が奏でるキーボードの電子音に耳を傾け続けた。

 初めは硬かった表情もだんだん明るくなり、二曲目に突入したあたりからは笑顔も見せてくれていた。キーボードも決して下手じゃなかった。……楽しそうに演奏するあいつにつられて、初めは落ち着き気味だった観客も最後にはほとんどが手拍子を加えていた。


 ――ステージで楽しそうに演奏しているあいつを見て、俺はかつて憧れたステージを思い出した。蓋をしていた記憶がじんわりと蘇ってくる。


 ……死んだ俺の、本当の父親もパフォーマーだった。だから俺も、昔はあんな風にステージに立つのを夢見ていたことがあったんだったか。




 茂部たちの演奏が終わったところで、俺たちはその場を離れてまた縁日をブラつくことにした。……結局キョウたちは茂部に気づかなかったな。

 すれ違った奴らの風の噂で、優勝は中言のバンドに決まったと耳にした。


「お腹いっぱい! あとは……夕方の花火だね! 早くいい場所探さなきゃ。行こっ、キョウくん!」


「うぇー、俺もう疲れちゃった。どっか公園のベンチでも探そうよー」


「何言ってるの、雰囲気ってあるでしょ? あっちの河原に行ってみようよ!」


 若干バテ気味のキョウを引っ張る灰原は、今日一日あんなにはしゃいでたってのにまだまだ元気そうだ。女ってのはすげぇな……浴衣の帯をキツく締めてるだろうにあんなに飲み食いして、走り回れるなんざ。


 そうと言えば、茂部は花火を家から見るだとか言ってたな。……用事ってのは午前中のあのコンテストのことを言ってたんだろう。だったらあれが終わってからはもう家に帰っちまったのか?


 ……何だか、そんなことを考えていたら無性に白けてきてしまった。どうしてなのかは分からない。ただ、目の前ではしゃぐ二人を見ているとその気持ちが余計に大きく膨らんだような気がした。


「お前ら、二人で楽しめよ。俺は帰る」


「――えっ?」


 灰原が素っ頓狂な声をあげた。何でだ? お前、俺じゃなくてキョウと楽しみたいだけなんだろ。


「キョウ、帰りに焼きそば買って帰って来い。今日は夕飯作らねぇからな」


「あ……うん。分かった……けど、ホントに帰るの?」


「おう、俺はもう楽しんだ。疲れたしな」


 それだけ言って俺は二人に背を向ける。今帰れば道も空いてるだろうし、家の周りも静かなことだろう。それに立地的に俺の家の二階からも花火は見えるはずだ。わざわざ蚊に刺されながら見ることはないだろう。


 暗くなり始めた空を見上げながら歩く。河原の周辺はやっぱり人が多いな。土手に腰掛けている奴がほとんどだ。親子連れ、友達同士、それから恋人同士らしき連中――大体が数人と身を寄せ合って座り込んでいる中、たった一人ぽつんとそこに佇んでいる小さな背中がふと目に入った。


 ――赤いひらひらのミニ浴衣。あの柄、今日俺が見掛けたあいつと同じものじゃねぇか?


 近づいて、確信した。……茂部? 近くにあの変態教師の姿はない。一人でこんなところに?


 声を掛けようかと迷っていると、その小さな背中が突然すっと立ち上がった。そのまま歩き出そうとしている様子だったので、俺は反射的に声を掛けてしまった。


「――お前、一人で何してんだ?」


 目を丸くして動揺しているらしい茂部は、こうして見ると格好のせいで雰囲気が違って見えたがやっぱりいつも通りで少しほっとした。

 近くで見ても、似合ってんな。少々露出が多い気はするが。


 どうやら茂部ももう帰ろうとしていたらしい。だが、ちょっとした会話を続けているとその途中で一発目の花火が打ち上がった。……何だかな。始まっちまったならと思って、俺は土手に降りて腰掛ける。


 一緒に観てくれと言えば、どうも躊躇った様子の茂部。こいつは前から思っていたが、何で時々こう挙動不審なところがあるんだか。


 それにしてもあの変態教師、生徒を連れ回して縁日を楽しんでやがったのか。……やっぱヤバい奴なんじゃねぇのか、あれ。挙げ句の果てに女を置き去りにするなんざ男としてどうなんだ?


「西尾くん。私なんかと花火観てて、大丈夫なんですか……?」


「あァ? ……そりゃどう言う意味だ?」


「だ、だって灰原さん……と、恭くんとの約束だったんじゃ?」


 で、茂部は茂部で卑屈すぎる。別に俺は構いやしねぇってのに、常に俺の顔色を窺うような素振りを見せる。……俺を怖がって近づかない女も多いが、それとも違うこいつの言動は時々理解に苦しむ。


 いいから俺に付き合えと強く言ってみると、だんだん大人しくなって黙って花火に見惚れているようだった。……時々バレないようにその横顔に目を向ける。花火のせいだろうが、普段よりも目が輝いているように見えて少し面白かった。


「綺麗だな。……すげぇだろ、ここの花火は?」


「……帰らなくてよかったです。本当に綺麗で……」


 まァ、楽しんでくれたようで何よりだ。俺も茂部も多分、お互い穏やかな時間を過ごしたんじゃないかと思う。


 茂部は謎に俺に礼を言ってきた。……感謝されるようなことはしてねぇんだがな。だが、憑き物が取れたようなすっきりしたこいつの横顔を見てると、俺も何だか気分がよかった。




「――っしゅん!」


 花火が終わると、茂部は小さくくしゃみをした。……寒そうだもんな。もしかしてそれで早く帰ろうとしていたのか? だとしたらそれを引き止めちまったってことで、申し訳なくなる。俺も上着の一枚くらい持ってたらよかったんだが。


 もう帰るんだろうし、家まで送ってやろうかと思っていたが……茂部は早口に「帰りますね!」などと言っては慌てたようにして突然駆け出した。……用事でもあるのか?


 ただ、危なっかしいな。そう思って見ていると、案の定茂部は足元をふらつかせて背中から転がり落ちそうになっていた。……ったく危ねぇな。

 ただ、ぽすんとその小さな身体を受け止めると、予想外にその身体が冷え切っていて驚く。


「うわっお前、身体冷えすぎじゃねぇか! こんなんじゃ夏風邪引いちまうぞ……」


「……うわ――ッ!?」


「な、何だよ!?」


 しかし俺がその身体に触れていられたのは一瞬で、すぐに茂部は金切り声とともに俺の腕の中から離脱した。

 そのまま再び駆け出したかと思うと……おお、下駄を脱いだ。まさか裸足で帰るつもりか? とにかく慌てた様子だ。何か急ぎなのかもしれないが、あのままじゃ転んじまいそうで見てらんねぇ。

 ……だから、思わず呼び止めてしまった。茂部は一旦立ち止まって俺を振り向いたが、表情はよく見えない。……何を考えているのか全く分からねぇな。


 それは相手もだが、俺も俺が何を考えて茂部を呼び止めたのか。俺は何かを言おうとしていたのか。


 今日のステージ、よかったとか。

 その浴衣似合ってるとか。

 花火綺麗だっただろ、とか。


「――っ何でもねぇ! おい! 気をつけて帰れよ!」


 そんなどうでもいいことばかり言いたくなってきて、結局言葉にならずに、俺はただ走って行くあいつの背中を見送ることしかできなかった。


 ……俺、熱でもあんのか? こんなのは初めてだ。今まで女と馴れ合ったり触れ合ったりしたことが全く無いって訳でもねぇが、今日みたいにただ並んで花火を見たりだとかは初めてだった。


 ――俺とあいつ、友達(ダチ)ってことでいいのか?


 少なくとも女の友達はできたことはない。そうか、だからこんなに変な汗が吹き出たり心臓が爆発しそうなくらいに暴れていやがるのか。……はぁ、男と女の関係ってのはどうも小難しいもんなんだな。


 俺は持っていたうちわで顔を扇ぎながら、ゆっくり時間を掛けて家へ帰った。……どうも顔の熱が冷めるのが遅かった気がする。家へ帰ると、もうすでに帰っていたキョウが何かあったのかと心配してきた。


 いや、何もねぇよ。……何もなかった、んだよな?

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