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推しが存在する世界に転生したモブAの話  作者: 西瓜太郎
一章〈推しと同じ空気を吸いたくて〉
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14

 ――新平くんが、立っていた。


 深みのある紺色の無地柄の浴衣にうちわを持って、土手上の道路から私を見下ろす姿は、私がゲームで何度も見た夏祭り限定姿の新平くんだ。


 まさか会えると思っていなかった私はあんぐり口を開けて何も言えずにいた。……恭くんと灰原さんの姿が見えないけど、どうしたんだろう。今日は三人デートのはずだったんじゃ?


「……何呆けてんだよ。つーかお前寒そうだな……」


「あ……に、西尾くん? 西尾くんこそどうしてここに?」


「場所取りだってこの辺彷徨いてたんだが、人は多いわ騒がしいわで、キョウと灰原は二人で楽しそうだったんで離れてきただけだ。そしたらお前がいたからよ」


 ガシガシと頭を掻きながらそう話す新平くん。……夏に入ってより黒く焼けた肌が露わになったその姿は、少々私にはキツいものがある。とっても素敵なのには間違いないんだけど……!


 ……って、私こんなみっともない格好なのに新平くんに見られるなんて。途端に恥ずかしくなって目が泳ぐ。傍から見ても寒そうだってことだもんね……上着持ってくればよかった。

 ――私は肌を擦りながら立ち上がる。


「何となく居座ってましたけど、見ての通りもう寒くって……帰ろうかなって思ってたところです。あ、花火観るんですよね? この場所どうぞ、結構前から温めておいたので……」


 ……と私が話している最中に、鼓膜を突き破るような衝撃音と共に空がぱっと明るくなった。


 一発目の花火だ。河原の向こう側から打ち上げているようで、かなり近い。圧巻の光景だった。

 私がそれに見惚れている内にもう一発、もう一発とどんどん花火が打ち上がっていく。……こ、これはすごい。


 新平くんは空を見上げ、フッと小さく笑ってから言う。


「始まっちまったぞ。どうせなら観て行けよ? 勿体ねぇだろ。ほら」


 ……えっ?


 土手を降りてきた新平くんは、私の隣まで来るとひょいとその場に腰掛ける。そしてその隣の地面を叩きながら私を見て……私に座れって!?


「おー、すげー」


 ……くつろぎ始めてしまった新平くんをこのまま置いて帰るのも何だか忍びなくて、私は流されるままその隣に腰掛けた。もちろん十分な間を空けて、だ。


「茂部」


 名前を呼ばれた。ドキッとする。……今まで新平くんから名前を呼ばれるどころか話し掛けられたり、目が合ったりするだけでドキドキしていたのは事実だけど。

 暗くて、周りはカップルだけで、こんなにも雰囲気のある場所で名前なんか呼ばれたら誰だって赤面するはずだ。


「縁日、一人で回ってたのか?」


「……いえ。先生と……よくバイト先にも来てくれる、佐藤先生と一緒に回ってました。さっきまで一緒だったんですけど他の生徒に捕まっちゃったみたいで……」


「……なるほどな」


 一瞬、思わず新平くんのことを見てしまった。

 彼は変わらず空の花火を見上げていて、真っ黒な瞳にその色とりどりな光の色が反射している。……似合うな、花火。流石の色男なだけあってこの光景がかなり様になっている。新平くんとの花火のスチル、私はすごく好きだったから。


「西尾くん。私なんかと花火観てて、大丈夫なんですか……?」


「あァ? ……そりゃどう言う意味だ?」


「だ、だって灰原さん……と、恭くんとの約束だったんじゃ?」


 ――三人デートで、誰かが途中で離脱するなんて少なくとも私がプレイした時は起こり得なかった事象だ。……極端に好感度が低い、とかならあり得るのかもしれないけど……でも、プレイヤーがあからさまに雰囲気をぶち壊すような空気の読めない選択肢を選ばない限りは男子も怒ったりはしないはず。

 実際、新平くんは不機嫌な様子もない。純粋に花火大会を楽しんでいるように見える。


「そんなん……さっきも言ったじゃねぇか。あの二人は俺が居なくても楽しそうだったし、俺は一人になりたい気分だった。……帰ろうにも、せっかくこんなに綺麗に晴れて風も流れてる日に打ち上がる花火を観ないのは勿体ねぇと思ったしよ」


「一人になりたかったなら寧ろ私はお邪魔なんじゃ、」


「あぁ、ったく。お前はなんでそう卑屈なんだ? お前と観るのが嫌だとは言ってないだろ? ……まぁ何だ、思えば一人で観るんじゃ退屈な気もしてきたしよ。暇なら俺に付き合え」


 話は終わりだと言う風に新平くんは黙ってしまって、変わらずじっと空を見つめている。


 ……いいのだろうか。私が新平くんとこの花火の時間を共有してしまっても。


 ――私は、新平くんが推しだった。それは画面の向こう側にいる新平くんに対してだ。でも最近、実際目の前にした新平くんと過ごしていると自分の中の感情がよく分からなくなっていることに気がついた。


 個人的にだけどアニメやゲームのキャラを推すのと、実際に存在するアイドルやモデルの芸能人などを推すのとでは根底は同じだとしても心持ちが違うと思っている。

 二次元のキャラクターは私がいくらガチ恋をしようとも絶対に会うことって叶わないから。反対に、実在する相手を推す女の子の中には妄想と現実が混同してしまっている子もいることだろう。……追っかけとかストーカーとかがその重症化した悪い例の一つだけど。


 いやもちろん、そんなのは一部だ。推しを推したい、その純粋な気持ちは二次元だろうが三次元だろうが変わらないはずなんだけどね。逆に二次元に浸かりすぎている人もそれはそれで異常と言われてしまうことだってあるし。

 ……私は、何かに夢中になれるのは素敵なことだと言い聞かせて自分を正当化しているけど。


 私は実在する新平くんを目の前にして、彼を推す気持ちが失せたとかそんなことはあり得ない。

 ただ、ドキドキするこの気持ちが推し活をしていたあの頃と全く同じなのかと言われると返答に困ってしまうのだ。


「綺麗だな。……すげぇだろ、ここの花火は?」


 花火を背景にそうやって微笑む新平くんを見て、やっぱり私の胸は高鳴っている。


 ――私、どうしてしまったんだろう。新平くんへの気持ちのこの変化、私の頭がまだ処理し切れていないのかな。


「……帰らなくてよかったです。本当に綺麗で……」


 花火もそう。ゲームで知っていたはずの光景なのに、実際目の前にすると全然違う。


 シナリオも、イベントも、風景も、例え全部分かっていても所詮私の記憶の中でそれは『ゲームの中の世界』なのだ。


 いい加減認める時が来たのかもしれない。


 ――この世界はゲームなんかじゃない。


 ――ただの現実(・・)であるのだと。



「……どうした?」


「えっ?」


「何か、顔曇ってんぞ。悩みごとか?」


 新平くんの目が花火ではなく、私を見つめていた。……難しく考えてしまっていたのかもしれない。私、いつまでも『ゲーム』と言うフィルターを掛けて全ての物事を捉えていたから。

 そのせいでいつもぼーっとして、色んなところで転んだりして怪我をしている。……まあそれはあまり関係ないかもしれないけど。


 だから、それを認めてしまえば――何だか、とても私の頭は軽くなってすっきりしたような気がした。


「いいえ。確かにちょっと色々思うことはあるんですが。……花火見てたら全部吹っ飛んで、取り敢えず納得しました」


「……そうなのか? ま、ならいい。あんま抱え込みすぎんなよ、誰だって溜め込んだら持たなくなっちまうからな」


 ――それは、私こそ新平くんに言ってあげたい言葉だ。


 でもまだ言えない。だって私はただ知っている(・・・・・・・)だけ。

 彼本人から聞いた訳じゃない。だから、私が踏み込むことはできないのだ。


「そうですね。ありがとうございます、色々と」


「あン? 何もしてねぇぞ俺は」


「そんなことないですよ」


 こうしてのんびり過ごすのは――私が『前世』を思い出してから怒涛の高校生活が続き、思い返せば初めてかもしれない。


 夜空に絶え間なく打ち上がる大輪の花を眺めて、そして時々それを見つめる新平くんの横顔に目を向けながら――私はきっと最高に満たされた時間を過ごした。




「――っしゅん!」


 最後の花火が打ち上がり、光を放つ枝垂れ柳のように火花が降り注ぐ……最後の光が余韻を残しながらあっと言う間に消えてしまったところで、暗くなった夜空を見渡すと同時に私は思わずくしゃみをしてしまった。


 花火を見ている間は寒さも忘れられていたような気がしていたけど、終わってしまうと寂しさと同時に寒さも戻ってきたようだ。ズズッと鼻を啜りながら私は手を擦る。


「おう、冷えてきたな。……遅くなる前に帰るか」


「そうですね……」


 二人同時に立ち上がる。私たちの周りにいた人々も、それぞれみんな興奮したように花火の感想を言い合いながらぞろぞろと帰路につき始めているようだった。


 ……花火が始まる前にも気になっていたけど、やっぱりカップルが多い。腕を組みながらだったり、親しげなスキンシップをしながら私たちの横を通り過ぎて行って……中にはまだ立ち上がる様子もなく楽しそうに会話を続けているカップルもいる。


 何だかいたたまれない気持ちになってくる。ちょっとだけ気まずくて新平くんに目をやると、彼もそんな周りばかりを気にしているのか落ち着かない様子だった。

 ……何だか、途端に恥ずかしくなってきた。


「わ、私、帰りますね! 一緒に観れて嬉しかったです! 帰り道はお気をつけて――わぁっ!?」


「――ちょっ、お前が気をつけろって!」


 恥ずかしさを振り払うように勢いで土手上まで駆け上がろうとしたら、普段履き慣れていない下駄のせいで見事に地面の凹凸を踏み外した。

 こ、転ぶ――と思った瞬間、ぽすんと居心地のいい大きな何かに包容されたので一瞬呆気に取られる。……この温もり、引き締まった身体……まさか――


「うわっお前、身体冷えすぎじゃねぇか! こんなんじゃ夏風邪引いちまうぞ……」


「……うわ――ッ!?」


「な、何だよ!?」


 ――新平くんの胸の中に飛び込んでしまった。

 慌ててそこから離脱する。な、何て失礼を働いてしまったんだ私は……!


 寒さとか寂しさとか、さっきまでの感情はあっと言う間にどこかへ吹っ飛んで行ってしまった。寧ろ、羞恥で今は顔が熱い。私は新平くんの顔を見ることができなくて、そのまま駆け出そうと――いや、この下駄走り難い。もうヤケになった私は下駄を脱いでそれを両手に持ち、裸足で走り出した。


「わ、私、失礼しました――!」


「あっ、ちょ――茂部! 待て!」


 カランカラン、と新平くんが私の後を追う、下駄の軽快な足音が耳に飛び込んできたので私は反射的に振り向いてしまった。……周りが暗くてよかった。私の真っ赤な顔も、少し離れた新平くんの顔もお互いによく見えなかっただろうから。


「今日……あの、お前の――」


 新平くんは何かを言おうとしているようだった。でも、その先の言葉が続かない。表情もよく見えなかったので、今彼がどんな様子でそれを言おうとしているのか私には全く分からなかった。


 ただ、口ごもったところからあまり間を空けずに新平くんは続けた。


「――っ何でもねぇ! おい! 気をつけて帰れよ!」


「……はっ、はい! ……お疲れ様でしたー!」


 今度こそ私は背中を向けて、言われた通り足元には気をつけながら全力で道路を駆け抜けた。……流石に裸足は痛かったけど、そんなことは今はどうでもよかった。


 何か……何だか、自分が自分じゃないみたいな、こんな変な気持ち。前世でも感じたことはなかったと思う。

 ただ恥ずかしいだけじゃないような気がする。――どうしてこんなに、顔が熱いのか。




 ・・・ ・・・




 ……中々に距離のあった自宅近くまで来ると、私の頭はようやく落ち着きを取り戻したようだった。一度立ち止まって息を整え、足の裏の痛みに冷静になって下駄を履き直す。……ここからは歩いて行こう。


 今日は本当に楽しい一日だった。……いや、この夏休み全体がとても素晴らしいものだったように思う。

 何かに向けて一生懸命努力すると言うことも、ピアノを弾くことも、先生に教えて貰いながらみんなとバンドの練習ができたことも……そして今日の花火大会も。


 夏休みはまだ何日か残ってはいる。でも、きっと今日以上の思い出はできないんじゃないかな。……高校の課題もまだ少し残っているし。


 久しぶりに心は浮き立つような気分で、私は軽くスキップなんてしながらゆっくり自宅までの道を辿る。……さっき触れてしまった新平くんの筋肉の感触を思い出せばまた顔が熱くなるけど、そんな時は頭を大きく振り回して無理矢理考えないようにする。……こんなの変態と変わらないよ。自分が嫌になってくる。


 本当に気分がよかった。……もう、ピアノの練習はしなくてもいいんだけど、家に帰ったらまた今日の曲を一人で弾いてみようと思った。練習じゃなくてこれは私の趣味として。実際、演奏する楽しさに気づけたのが本番を迎えた今日だったから。


 ――そんな感じで私は浮かれていて、家に着いた瞬間の違和感に最初は気づくことができなかった。

 気がついたのは玄関のドアノブに手を掛けて、鍵が開いていたこと。……それから部屋の電気が点いていたこと。


 鍵を閉め忘れたのかと一瞬焦ったけど、確かに確認したはず。それに今日は午前中の明るい時間帯に家を出たから、電気が点けっぱなしなんてことは有り得ないとすぐに気がつく。


 だったら――家の中に誰かが居ると言うこと。

 ……泥棒? でも、こんなボロ屋敷に盗みに入るような物好きはそういないだろう。


 だったら、有り得るのは。




「――おかえり。遅かったわね。って、何その格好?」


 簡素な部屋の中央、ボロボロの畳の上で寛ぎながら煙草を吸うスーツの女性。

 バッチリ決まった化粧と明るい茶髪を緩く巻いた髪型は、きっと手間を掛けてセットしたものなんだろうとすぐに見て分かる。


 私とは全然似ていない、と少なくとも私は思ってる。

 その人の正体は。


「……お母さん?」


「何よ、不満そうじゃない。一応私の家なんだし帰って来たって構わないでしょ? ま、そんなに長居するつもりはないけど」


 ――数ヶ月ぶりに会う、『私のお母さん』だった。

一章完結です。番外編を一つ挟んで、二章突入です!

引き続きよろしくお願いいたします。

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