13
「人人人……」
「それ、本当にやる奴初めて見たぞ。効力ありそうか?」
「微妙です……」
私が手のひらに「人」の字を三回書いていると横から先生が呆れたように口を出してくる。……オカルトにも頼りたいくらい私が緊張してるってだけなのに。
早いもので、今日はバンドコンテスト本番当日の夏祭り。朝から大賑わいの通りを横目に、私たちは最終調整に臨んでいた。
って言うか。このミニ浴衣、脚がスースーして落ち着かない。ただでさえ緊張してるのに……やっぱり私、こんなにヒラヒラして可愛い服装似合わないと思う。さっきも鏡に映った自分が受け入れられなかった。……先生は「あとは笑えば完璧!」と言われたけど。
「ところで先生は結局私たちに付きっきりでしたね。やっぱり先生が出場すればよかったんじゃ?」
「……いや、俺はさ……ほら? 教員だし、こういうのに出場すると学校側がうるさいって言うか。今日も本当は生徒が羽目を外してないかの見回りをしろって言われてて……」
「――――中言先生――っ!」
――先生の言葉を遮るように聞こえてきたのは、若い女の子たちの黄色い声。私と先生は揃ってびくりと肩を震わせる。
きゃあきゃあ騒ぐ女の子たちの視線の先。……そこには、明らかに他とは違う雰囲気を持つ背の高い男性が立っていた。
その姿、私は見覚えがあった。
暗い灰色の髪と瞳、皺一つないグレーのスーツ。黄色い声を受けて、その声を放った女の子たちに優しく微笑んで手を振る優しそうな若い男の人。そして……『中言』と言う名前。
中言崇史。
姫ノ上学園の『完璧』の王子と言う二つ名を持つ若教師。
――もちろん、攻略対象キャラの一人である。
「……先生……」
彼の情報はあまり詳しくない。けど、確か主人公及び新平くんたちの担任の先生という設定で、音楽の担当教師。特に秀でている楽器はピアノ。……これくらいは私も知っている。
「……中言か。姫ノ上の教師だ。ありゃちょいと難敵だな……」
「先生、知ってるんですか?」
「ん? ああ……まぁ、あの人は俺の一個上なんだが……俺と同じここの地元出身で、学生の頃から音楽に関するコンクールでは有名な賞ばっかり獲ってた人だからな。街中では嫌でもその名前を目にしたよ」
……そう言えば、追加で思い出した。中言先生は姫ノ上学園出身だって何かの台詞で言っていたような……。
佐藤先生も若い先生だから、中言先生と同世代ではあるのか。昔から音楽の才能を振るってたのか……『完璧』って呼ばれてるだけあってやっぱり昔からキレッキレだったんだ。
……あれ? それで、その完璧王子が今回出場するってこと?
私たちのライバルとして……?
「しかもエントリー順がお前たちの前だ。多分キーボードで出るんだろうな」
「え!?」
これは……プロ並みに上手い人の直後に私が演奏するって、間違いなく比較されるやつじゃないか。
しかも会場の雰囲気、ほとんどが『中言先生』と書かれたうちわを持った女の子たち……多分大体が姫ノ上の女子生徒で、あとはちらほらと奥様方に呑まれている。……七割くらいが中言先生目当てのファンばかりなんだろうな。
「……先生パスで……!」
「……いやぁ……俺でもあの怪物はちょっと……」
「さっき先生“学校側がうるさい”とか言ってましたけどあっちの先生は普通に出場してるじゃないですか……! 佐藤先生ですら手強い相手が私で敵う訳ないでしょうが――!」
「――逃げるな茂部! お前ならやれる! 大丈夫だ!」
ミニ浴衣と下駄だろうが構わず駆け出した私だが、残念ながら先生に後ろから羽交い締めにされてしまう。……根拠のない「大丈夫」ほど信用できない言葉はないんですよ先生!
「……茂部。何も俺は根拠もなく大丈夫って言ってる訳じゃないぞ?」
――胸の内を読まれたかのような、先生が続けた言葉に胸が跳ねる。先生は至って真面目な表情だった。
「音楽ってのは楽しんだ者勝ちだ。……今日のコンテストはコンクールじゃない。そりゃ、上手い奴が有利だろうけど……こう言うのは“会場を沸かせた奴”が勝つ競技なんだよ。下手だろうが大衆に認められりゃそれは音楽なんだから。な? この二ヶ月、お前はこのステージに立てるだけの努力を積み重ねてきただろ?」
ぽんぽん、と先生の手が私の肩を二回軽く叩いた。
……いや、私が頑張れたのは先生とメンバーのみんながそれこそ『楽しませてくれた』から、なんだけどな。
先生の言葉に背中を押された気分だった。――ステージに目を向けると、ちょうど中言先生を含めた私たちの前のバンド四人組が登壇したところだった。途端、観客はわっと歓声に包まれる。
「――何なら、この中の何人かがこれからお前のファンに変わるかもしれないって考えりゃ……俺が今から楽しみで仕方がないよ。だからほら、お前も楽しんでみろ?」
「……私がやらかしたとしても笑わないでくださいね」
「それも引っくるめて楽しんでやる」
――思い返せば私と高校生活、佐藤先生とばっかり一緒に過ごしている気がする。
モブキャラ同士通ずるものがあったりするのかな。
……そんなことはどうでもよくて。気づけばさっきより緊張も解れていた私は、中言先生が奏でる素晴らしいキーボードの演奏に耳を傾けながら自分の出番を待っていた。
◆
「……まあやっぱり、上手い人が勝つんですよね」
「十分よかったぞ!」
……結局、結果は中言先生の属するバンドの圧勝だった。でも佐藤先生の言う通り私は全力で楽しんで演奏したし、メンバーのみんなも今まで練習した中で一番の演奏だったと言ってくれた。
……中言先生の後に同じキーボード、やっぱり比較された感じはするけど。でも観客も私たちの演奏に乗ってくれていたし、この演奏は成功と言っていいんじゃないかな。
これは今回限りのバンドだけど、終わっちゃうとまた寂しい。……やれって言われた時はどうなることかと思ったのが懐かしいな。
軽く打ち上げってことで出店の焼きそばをみんなで食べて、今は先生にかき氷を奢って貰ったので土手に腰掛けているところだ。他メンバーとは連絡先を交換した上で今日は解散。
先生は一応、先生の仕事として見回りがあるんだって言ってたけど……生徒と一緒にただ縁日楽しんでるだけのように見える。これでいいのか先生。……私もちゃっかり奢られてるんだけどさ。
怒涛の一日。早いものでもう空は暗くなりだしている。でも、お祭りの醍醐味はここからって感じがする。
午前中のコンテストが終わったらすぐに家に帰るつもりだったんだけど、何だかんだで終日楽しむことになってしまった。
「人が少ないからってわざわざここに来たのに、日が暮れるにつれて何だか人集まってきちゃいましたね」
「そりゃあみんな花火を観に来てんだから。このスポットは穴場だぞ? ……あ、お前って地元民じゃなかったっけ?」
ああそうか、花火。……家から見えたらラッキーだなくらいに思ってたのに、こんなにいい場所で見れそうなんて。
……それにしてもこのミニ浴衣、やっぱり肌の露出が多くて肌寒いな。日が落ちてきてちょっと寒くなってきた。……かき氷食べてるせいでもあるかも。
「――あ、佐藤先生いた! 先生――!」
「げっ、あいつら……」
元気な声が佐藤先生を呼ぶ。振り向くと土手の上の道路に何人かの浴衣を着た女の子たちが大きく手を振っていた。……あのギャル集団、確か駒延の同級生だった気が。私のことは見えていないのか、それとも私に気づかなかったのか……とにかく先生がミニ浴衣着た女子高生と二人って中々にキツい絵面だと思うので、私はそっと顔を背けた。
先生とそっと目配せする。……行ってきな、先生。私以外の生徒にもかき氷を奢るんだ。
諦めた目をした先生を見送る直前、ついでにかき氷のゴミも渡しておいた。
……あっという間に手ぶらで、一人になってしまったな。一人で夕暮れを見つめていると突然物寂しい気分になってくる。
この夏の私の目標は今日のコンテストだったから、燃え尽きちゃった感も強い。……青春するつもりはなかったのに、高校一年生からこんなに熱い夏を過ごせるとは。私の高校生活、捨てたもんじゃないかもなあ。
空の色がだんだん暗くなってくるにつれて人も増えてくる。私の周りもすっかり人だらけ……なんだか、カップルが多いな。この中に一人で居る私だけが浮いてる気がしなくもない。……やっぱり帰ろうかな?
――花火って何時から打ち上がるんだっけ。コンテストで頭がいっぱいだったから把握してなかった。ポスターは何回も目にしてたはずなんだけどな。
スマホを見ると、六時四十分。……大体七時からとかなのかな……? すっかり日は落ちて、そろそろ本格的に寒くなってきた。
……帰ろう。きっと、帰り道からでも花火は見えるはず。
だってこんなカップルだらけの場所で一人で見る花火ほど虚しいものはないよ。寒いし、蚊にも刺されまくりだろうし。
一応、先生に帰りますとだけメッセージを入れておこう。
さてもう帰ろうと、私が腰を上げた時だった。
「――お前、一人で何してんだ?」
多分、今一番会いたかった人の声が私に掛けられたのは。