七章、おまけの小話〜花火〜
今年の夏祭りは例年より二週間早く開催されるとのことで、私はそれを竜さんから聞いて知っていた。竜さんはミニステージで即席ブラスバンドに参加するそうで、お店にお客さんがいないタイミングではずっとギターの練習をしていたのだ。
ただし私はその日、本命ではないけれど候補に考えていた大学のオープンキャンパスと被っていたので、今年は夏祭りに行かないつもりだった。
その大学はわりと近場だったものの、バス移動で帰ってきた時間は夕方六時過ぎ。出店は閉まり始まりつつ、まだ街は賑わいを見せていた。
ちょうどバスから降りようとしたタイミングで、ある人から連絡があった。
『手を貸してくれ!』
賑わうバス停で電話口から聞こえてきた焦ったような声を出す新平くんに、私は目を点にしながら言われた場所に向かうことにした。
「すごい量だね……」
「今はキョウが実家に帰ってるから、流石に俺一人じゃキツかったんだよ。他にも声かけられそうなとこには連絡してるけど」
河川敷のたまたま空いていたベンチに大量の荷物を並べて、額に滲んでいた汗を手首で拭いながら新平くんが疲れた声で言った。
事の経緯はこうだ。
新平くんは今日、お祭りのイベントスケジュールに姫ノ上学園吹奏楽部の公演によって駆り出されていたらしい。ただしコンクール応援部員である彼は演奏に参加した訳ではなく、単に荷物運びの手伝いとして。
そしてそれらの手伝いが終わったのが夕方、帰路につこうとしていたところで、ある通りを歩いていると次々と声を掛けられたらしい。
「あの並びの屋台、軒並み顔馴染みだったんだよ。つっても父さんかキョウの知り合いなんだが……もうすぐ屋台を引き上げるのに食材が余ってるからって手当り次第の通行人に押し付けてるタイミングだったワケだ」
「私も来る途中でちょっと見かけたかも、通ったところがビール売りの屋台だったから私はスルーできたけど……」
ベンチの上に並んでいるのは、パックに詰められた大量の屋台メシたち。焼きそばやらイカ焼きやら、チョコバナナに謎の光るランプ付きジュースまで。これを一人で消費するのは厳しいだろう。ということで、私にも声が掛かったという流れだ。
「これでも林藤のおっさんが半分くらい持ってってくれたんだけどな、まぁこれくらいなら何とかなりそうか……?」
「私もしばらくは家に一人だからあんまり持って帰れないけど、まあ……少しでも力になれるなら……」
「助かるぜ。というかお前も制服なのは何か用事があったのか?」
新平くんは学校として参加していたため姫ノ上学園の涼しげな制服に身を包んでいた。そして私もオープンキャンパスから帰ってきた足のままで来たので、私のセーラー服を眺めながら新平くんは首を傾げた。
「隣町の大学見学で、その帰り。連絡のタイミングがちょうどよかったんだよ」
「マジか? そりゃツイてたな。いや、お前にとっては微妙か?」
「そんなことないよ! 今日は楽できそう。結構疲れてるから助かったよ」
新平くんが申し訳なさそうに眉を下げたので、慌てて笑顔を浮かべる。本当に気重になってる訳ではなくて、今日の疲れとかもあっていつもより声のテンションが低かっただけなんだけど。
それに、少し離れたところから未だ聞こえてくる賑やかなお祭りの音楽を聞いていると、少しだけ感傷に浸りたくもなる。
「もう来年にはどうなってるのかも分からないのに、せっかくのお祭りの日までオープンキャンパスっていうのも、ちょっと風情がないよね?」
「それを言ったらキョウ……あいつも多分勉強しかしてねぇぞ……それに、祭りはまだ終わってねぇよ」
新平くんが視線で遠方を指す。大きく掲げられた櫓の上に、法被を来たおじさんたちが楽しそうに騒いでいるのがここからでも見えた。
そう言えば、と思って手元の腕時計を見る。すると、新平くんも同じことを思ったのか同じ動作で腕時計を見ているようだった。
「花火って何時からだっけ?」
「……確か、七時半だな」
「あと三十分か……」
「せっかくだしここで見てくか?」
新平くんはベンチに並べていた屋台メシたちをガサゴソと雑に積み上げ、あっという間に二人分の席を空けてくれた。あまりにも手際がよかったので少し笑ってしまう。バイト経験で手慣れたものなのだろうか。
……と、新平くんからまたも花火のお誘いということで、私は内心舞い上がりそうな気持ちを悟られないようにしながら、できるだけ普通を装って「いいね〜」と言いながらベンチに腰を下ろす。
ふと思い返すと、この三年間私たちは毎回一緒に花火を見ている。そう言えば、去年も新平くんが誘ってくれたんだった。去年と言えば……そうだ、あらためて新平くんへの想いを自覚して、落ち着かないまま花火を見ていたんだっけ。
あの日の感情は今でも覚えている。でも、今こうして私の隣にいる新平くんの横顔を盗み見ながら、今では随分と私も落ち着いたなあと考える。
気持ちが落ち着いたって訳ではない。今でもこの人の隣にいれることは嬉しいし、胸がドキドキするのは変わりない。ただ……こうしていられるだけで十分というか、それで満ち足りていられるというか、とにかく落ち着かないというよりはしみじみと幸せを噛み締められるようになったということだ。
「にしても……今年はお互い制服か。なんか、毎回被ってるような気がすんな」
「被る? え、なにが?」
「服が、ってことだよ」
一方で新平くんもどこかしみじみとした口調でそんなことを言った。ただ……服装被りにいまいちピンとこない。
確か一年生の時はあの気恥ずかしいミニ浴衣の時に出くわして、その時に新平くんもシックな甚平を着てたんだっけ。それは確かに夏祭りコーデ被りとも言えるか。
でも去年ってなにか合わせてたっけ? ……あの日の記憶は思い出として確かに刻まれている。新平くんは白いTシャツだったのは覚えてるけど、自分がどうだったかまでは曖昧だ。
「去年って何か被ってた? ……なんかそういう話したっけ?」
「……似たような服だったんだよ。その時は言わなかったんだ」
「うっそ? 全然気づかなかったんだけど」
「だろうな。あとから言ったって、変に意識してたの俺だけってことだからなんか……恥ずいだろ」
そう言う新平くんだけど、本当に恥ずかしがっているとは思えないくらい淡々と喋るから、多分そんなに気にしてなさそうだけど……いや、やけに早口なのは気になるけど。私の方が顔が熱くなってきて、一旦目線を空に向けてから深呼吸した。
それから少しの間、チョコバナナを齧りながら、遠くから聞こえる喧騒に耳を傾けていた。
「この街のお祭りって……大きい方なのかな?」
「規模で言うとそんなにだろうが、花火は結構力入れてるんじゃねぇか? ……どうした急に?」
「いや、なんだかんだでこの街に来てからちゃんと毎年夏祭りを味わえてるな〜と。私、あんまりお祭りとかを楽しんだことがなくて。この街に来てからなんだよ」
そうは言ったものの、実際は幼少期の記憶が曖昧なだけで行ったことはあるのかもしれない。ただ、思い出として記憶に残っているものはないのだ。お祭りが何なのかはよく分かってるし、思い返せば昔は家から聞こえてる花火の音だけを聞いて「行きたかったな〜」なんて思ってたこともあったかも?
私がそんなことを考えていると、新平くんが何か言いたげにこちらを見ている視線に気が付いた。
「お前って三年前に引っ越してきたんだっけ?」
「うん、高校入学する直前に」
「前に住んでたところで、祭りとかなかったってことか?」
何となく探るような、ただこちらの様子を伺うような慎重な言葉選びに感じた。私にとっては何でもない質問だったけど、その返答に困ったのは事実だ。
「どうなんだろう、分かんなくて。前に住んでたっていうか……私が覚えてる限りでは、二年おきか早い時は一年くらいで引っ越ししてたんだよね。転校も多くて、私だけ学校のジャージが違うとかもよくあったし。その街に馴染む前に引っ越してたから、それが一々どんな場所だったかもよく覚えてないんだよねえ」
私はそれを適当に笑いながら言ったけど、聞いていた新平くんは困ったように眉をひそめて何も言わなくなってしまった。ちょっと深刻に聞こえてしまったのかもしれないと思って、慌てて付け足す。
「だからこの街に来てからは色んなイベント楽しめてるし、友達も今までで一番できたし、たくさん思い出ができたから、ここに来れてよかったと思ってるよ。なんか、時間が経つのがあっという間だった」
言いながら後半は照れ臭くなってしまったので、視線を落として誤魔化した。新平くんが今はどんな顔をしているか分からないけど、小さく息をついたのが聞こえた。
「俺は高校に上がってから、時間の流れが早いような遅いような、変な感じなんだ。説明するのが難しいんだが」
新平くんが低い声で呟いた。
「……あっという間だったような気もしてるが、ある時は時間の流れがとんでもなく遅く感じたような時もあったなと思うことがある。何なんだろうな」
「そうなんだ……私はあっという間に感じてる派だけど。あ、テスト期間とかは長く感じるかな?」
どこか考え込むような表情で視線を落としながらそう言った新平くんに、私がそう返すと、彼は困ったような顔になった。意外な表情に私が目を丸くすると。
「……途方もなく毎日が長かった時もあった。それで言うと、今はあっという間だ」
一瞬目が合った。笑うでも、怒るでも、悲しむでもない、あまり動きのないその表情から彼の浮かべている感情を考察する前に――轟音と閃光によって、新平くんの視線は夜空へと向かう。当然、私も同じように。
「たまやー!」
近くの街道を歩く小さな子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。
花火の打ち上げ場からそう遠くないこの位置は、見上げるとほぼ真上に満開の花火が見える。去年、一昨年と見てきた中で一番大きく見える場所かもしれない。その分、音も大きいけれど。
「俺は、こういう時間は嫌いじゃねぇんだ」
真横から独り言のような声が聞こえてきた。一度視線を向けると、新平くんは夜空を見上げたまま、ただ呆然と空を仰ぎながらぽつりと続けた。
「過ぎるのが早いのだけが気に食わねぇ」
「……それって」
「あー、なんか調子狂うな。変に感傷に浸るのは柄じゃねぇってのに」
切なげな声色から一転、後頭部をガシガシと掻きながら普段の口調に戻った新平くん。どこか疲れているようにも見える。それもそうか、今日は一日中部活の手伝いをしていたってことだし。
ただ、私は少し面食らっていた。新平くんは、こんな風に含みのあるような言い回しをする人だっただろうか。何というか、いつも率直というか。……ゲームのイベントでも、ロマンからはかけ離れたような、少しぶっきらぼうな言い回しばかりが印象に残っていたから。
「ま、せっかくの花火だし今は頭空っぽにして楽しもうぜ!」
新平くんはそう言ってニカッと笑った。花火に照らされた眩い笑顔に、私も曖昧に微笑みながら内心は心臓が暴れていた。
――新平くんには、まだ私の知らない一面があるのだろう。
彼の“お父さん”のことだって、どんな人だったとか、彼がお父さんとどんな思い出を秘めているのかも私は知らない。
でも確かに、新平くんには今に至るまでの人生がそこにあったのだ。
私は“キャラクター”として知っていた彼ではなく、今目の前にいるこの人のことが――
「好き……」
「なんか言ったか?」
「何でもございませんっ!」
大きな声で訂正したけど、花火の打ち上げ音にほぼかき消されてしまった。新平くんも一度首を傾げたけど、全く気にしていない様子で再び視線を上げた。私はきっと、茹でダコくらい顔が赤くなっていることだろう。
とにかく、新平くんが言ったように、私も今は頭を空っぽにして――この美しい今日の光景を、この先も忘れないためにしっかりと目に焼き付けることにした。