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「このポスター、店の入り口に貼っといてくれる?」
渡されたポスターを見て心臓が跳ねた。――夏祭りの宣伝ポスター。一番大きく描かれている夜からの打ち上げ花火の案内と、下の方に小さく書かれている『バンドコンテスト』の文字。
学校は夏休みに入り、いよいよ一週間後に迫った夏祭り。私は相変わらず睡眠時間を削ってピアノの練習を続けていた。
自分では分からないけど、先生曰くかなり上達はしたらしい。元々弾けていたのもあるけど、譜面自体はそう難しいものではなかった。
今はバンド全体での仕上がりの練習だ。みんなとセッションして、少しずつ盛り上げ方やアレンジを変えていく。この作業は中々面白くて、バンドのメンバーとは大体が歳も離れているし性格も違うけど意気投合すると楽しいのだ。
……ただやっぱり、本番と聞くと私は緊張する。
私はステージに立つのなんて初めてだし、何より音楽だって初心者だ。それも特別才能がある人間って訳でもない。取り返しのつかない大失敗でもしたらどうしようとか、そんなことばかり考えてしまう。……先生は「気にしないで楽しめ!」っていつも言ってるけど。
「あっ、茂部ちゃーん!」
「? ……あ。恭くん」
店の入り口のガラスにポスターを貼っていると、明るい声色の青年から声が掛かる。
目を向けると――新平くんの弟、恭くんが笑顔でそこに立っていた。かなり久しぶり、最後に会ったのはあの四人お出掛けの時だ。二ヶ月くらいは会ってなかったかな?
相変わらずキラキラなオーラを放つ恭くん。新平くんに会いに……いや、灰原さんか。きっと彼女に会いに来たんだろう。それでも私を見つけて声を掛けてくれたのか。
「何してるの? ……あ、夏休みのポスター。もうすぐだね」
「そうですね。私、ここの夏祭りは行ったことないので楽しみなんです」
「えっそうなの?」
「今年越してきたので」
よし貼れた。大輪の花火が目立つ大きなポスターは、やはり他のポスターと比べても圧倒的な存在感を放つ。……一週間後には剥がさなきゃいけないのがちょっと勿体ないくらいだ。
「あっ! キョウくん!」
鈴を転がしたような声で恭くんの名前を呼ぶのは――灰原さん。七月に入ってからはセミロングの髪をハーフアップにしていて、これもまた雰囲気が変わって可愛らしい。
話し掛けられた恭くんも灰原さんを視界に入れるとふわりと表情が緩む。
灰原さんは私をちらりと見て、それから私が貼ったポスターを見やるとあっと声をあげる。
「来週、楽しみだね! 浴衣の柄はどれにするかまだ悩み中なんだけど、キョウくんはどんなのが好き?」
「んー? ヒメちゃんが着たやつなら何でも好きだよ、俺」
……なんて甘い会話をBGMに、私はそそくさと店の中へ退散した。
二人の邪魔しちゃ悪いからね――と思いながら背後の二人をチラチラ気にしていたせいだ。どん、と目の前に立つ人物に正面衝突してしまったのは。
「ぐぇっ――あ、すみませ……」
「またぼーっとしてんのかお前は」
キュッと心臓が一瞬萎んだような気がする。
至近距離の新平くんだ。私が思い切り見上げないと目が合わないような身長差と、今のぶつかった衝撃で分かる胸板の厚さ。
……こ、これが女オタク版ラッキースケベ……?
まさか目の前の女がそんなことを考えているだなんて思ってもいないであろう新平くんは、私が気にしていた後ろに一瞬目を向けると、ああ、と納得したように頷いた。
楽しそうに話す恭くんと灰原さん。……気にならないのかな?
「あいつら何をあんなに盛り上がってんだ?」
「……さっき私、夏祭りのポスターを貼ってたんです。それで来週は楽しみだねーって話を」
「ああ……そう言えば俺も誘われてんな」
ドキッとした。誘われ……それはもしかして、灰原さんからってことかな? ……だとしたら新平くん、恭くん、灰原さんの三人デート……一年目、三角関係始まりのイベントが発生するのでは?
特定の二人の好感度を上げ続けると三角関係関連のイベントが発生するけど、『三角関係レベル』なる三人の関係を深めるためには特定のイベントを意図的に踏まなければならない。
今回の夏祭りはその一つで、恭くん・新平くんとの三角関係を深めたいなら必須のイベントでもある。
「もう来週か。早えな」
「恭くんたちと一緒に行くんですか?」
「おう。……高校生にもなって、何が悲しくて自分の弟と夏祭りなんぞ行かなきゃならねぇんだか……あんま気乗りしてねぇんだがよ」
うーん、新平くんは面倒臭そう……と言うことは、灰原さんへの好感度はまだそんなに高くないのか。恭くんはかなり楽しみにしてそうだったけど……このままだと三角関係までは発展せずに恭くんルートになってしまいそうなんじゃ?
「そうだ、お前も来るか?」
「――えっ!?」
「何だよ、俺らとは嫌か? ……あーいや、先約があったか?」
首元に手を当て、目線を少し泳がせながら新平くんが信じられないことを言った。……わ、わ、私を誘っ……? ちょっと待って聞き間違いじゃないよね?
ちょっと理解できなくて、こっそり太ももの裏を抓ると普通に痛かった。げ、現実か……。
この一瞬で色々なことを考えて、それから嬉しいと言う気持ちで脳が満たされる。……でも。でも……っ!
「ご……ごめんなさい……その日は……ッ!」
下唇を流血しそうなくらい噛み締めながら、私は今一番言いたくなかったことを言った。
私は午前中のコンテストに出る予定がある。その後のことはまだ考えていないけど……多分、落ち込む結果になった場合はお祭りを心の底から楽しむことができないだろうから。
それにお誘いは本当に嬉しいけど、ヒロインとの三人デートに私みたいなモブ女が水を差すのも変な話だ。……二人のイベントは素敵なものが多いから、それに立ち会えるならより嬉しい話だけど。
私が居ることでそれが発生しなかったりしたら、私は灰原さんにとってとんでもない恋愛戦犯になってしまうし。
「そ、そうか。んじゃ……俺らだけで楽しむとするか」
「……ええ、存分に楽しんできてください。……あ、夜の花火大会、ここの夏祭りってすごい規模でやるんですよね? 家から見えるといいんですけど」
「家? ……何だ、本当に用事があんのか……」
……? 新平くんがぼそっと何かを言う。よく聞こえなかったけど……私が聞き返す前に、新平くんは今度は普通の声量で続けた。
「花火な。ここ数年はわざわざ観に行ったりはしてなかったからよ……家から見えなきゃただの騒音だわな」
……そう言えば、夏祭りイベントって縁日を楽しんでいる様子は描写されていたけど、あれって午前中からなのかな……?
バンドコンテスト、まさか新平くんたち観に来たりしない……よね? 私の記憶の中では三人デートでそんな描写はなかったはず。だ、大丈夫だよね?
新平くんに私のお粗末な演奏を聞かれた日にはきっと、私は恥ずか死ぬことだろう。
……まあでも、新平くんに聞かれないにしてもそれなりの人数の前で披露することにはなるんだ。だから、せめて恥ずかしくないレベルまでは仕上げて来ないとね。
◆
「……先生、私、こんなんで大丈夫なんですかね……」
「大丈夫! 間違いなく上達してるし、他のメンバーとすっかり肩を並べてるぞ。あとはもうちょっと肩の力を抜くとバッチリなんだがな」
――本番まで一週間を切った今、バンドメンバーとの最後の合同練習にて。正しくは本番直前にもセッションはする予定だけど、しっかり調整できるのは今日が最後だろう。
これまた先生の知り合いが所有するスタジオを借りての練習。正直、かなり恵まれた環境だと思う。さらにプロ並みの腕を持つ先生からの特別指導付きなんだから。
「詠ちゃん、本当に上手でこっちも叩きやすいわよ」
「自信持って茂部さん! 俺たち相性抜群だよ!」
――その上優しいメンバーに囲まれて、私はこの約二ヶ月間本当に楽しかった。
あとは自信を持つだけって何度も言われた。……それって本当に難しい。結局、今日の練習でも私は自分の演奏に納得することはできなかった。本番まで残すは自主練習のみか……時間のある日は先生も学校でなら教えてくれるって言ってくれたので、まだ心は軽かった。
「それはそうと茂部。お前浴衣って持ってるか?」
「浴衣? ……いや、持ってないと思います……着たことないので。どうしてですか?」
「そりゃ、本番の衣装だろ。持ってないのか……それならいっそ統一感を持たせるためにみんな揃った柄の浴衣にするか?」
浴衣……そう言えば夏祭りが近づいた今からフェアで安く買えたりするんだっけ。
「浴衣……浴衣か。私似合わないだろうな……」
「ええ? そんな訳ないだろ、絶対似合う似合う! ――そうだみんな、これから浴衣選びに行こう! 茂部に似合うので合わせよう!」
心の声が呟きに出てしまっていたらしい、私の言葉に反応した先生が何故かテンション高めでそんなことを言った。……他の人たちもみんな「賛成賛成!」と乗り気な様子だ。ええ、どうしてこうなった。
「確かにドレスコードを合わせたりすれば様になると思いますけど……浴衣なんてそんな安いものじゃないんですから、わざわざそこにお金掛けなくても、」
「そんなのあたしが買ってあげるわよ〜! あたし息子しかいないから、娘に浴衣とか着せてあげるの夢だったのよ〜。ね、いいでしょ?」
……と、強めに言われてしまうと断れない私の悪い癖が発動し、私はそのまま着せ替え人形化する他なかった。
せめてあまり派手なのはやめてください……とは言ったけど、先生含めてみんなだんだん楽しくなってきたのか私で遊び出す始末。
小一時間以上かけて私でひとしきり遊んだあと、私は本番用の浴衣を片手にフラフラと帰路についた。
そして家で改めてその浴衣を確認すると、とんでもないことに気がつく。買った時はあまりに疲れていて気がつかなかったが、これ。――ミニ浴衣じゃないか!